隠遁者の森③
翌朝。爺さんの小屋の居間にて。
「ゴースト退治!」
アデッサはスクッと立ち上がりテーブルへと乗り出した。瞳はキラキラキラリと輝き、お腹の底からこみ上げてくる喜びで顔がほころんでいる。今にもぴょんぴょん跳ねながら走り出しそうな勢いだ。
「そうですのじゃ。この先の遺跡にゴーストどもが住み着いてしまいましてのう」
「もちろん! やりま――」
「お断りします」
欲しいオモチャを目の前に吊るされた幼児のように、詳細も聞かずに依頼へ飛びつこうとするアデッサを遮り、ダフォディルはクールに断った。良く眠れなかったのだろうか、ダフォディルの目つきはいかにも寝不足といった様子で、気持ちがささくれ立っているようにも見えた。
ダフォディルはキノコのお茶が注がれたカップをカチャリとテーブルに置き、澄まし顔で静かに続ける。
「お困りのこととは思いますがゴースト退治は私たちの専門外。チョイトへ到着したら腕のいい悪霊払いのプロを探してこちらの村へ派遣しましょう。もちろん、お代はこちらで持ちます」
「ねぇ、ダフォ……。困っているんだ、助けてあげようよォ」
アデッサはダフォディルにぺったりくっついて駄々をこねた。
「い、いやよ、遺跡のゴースト退治なんて考えただけでゾッとするわ」
ダフォディルの口から本音がこぼれた。『専門外』なんて言い訳でしかない。単にイヤなのだ。怖いから。
もし、これがゴブリン退治だったならば、ダフォディルは二つ返事で引き受けていただろう。
「ふん、オバケが怖いからって……」
アデッサがグズる。図星を突かれたダフォディルもツンと視線を逸らせて口をへの字に結んだ。
「ねぇねぇ、私が守ってあげるからさぁ」
誰かの役に立てるなんて、こんなに素敵はことはない。アデッサは食い下がった。
もし、これがドラゴン退治だったとしても、アデッサは二つ返事で引き受けていただろう。
アデッサはダフォディルの肩へぐっと手を回し、白い歯をキラリと輝かせ『大丈夫だから。ね?』と優しく迫る。
一瞬、ダフォディルの心は溶けて折れそうになる……が、昨日、森で晒した醜態を思い出すとぷるぷるッと首を振り、キッパリとこう言った。
「わ、わたしはイヤと言っているの! そんなに言うならアデッサひとりで行ってきて!」
ダフォディルの言葉に、アデッサは少し寂しそうに表情を曇らせた。
◆
ゴーストが出ると言う遺跡は村のすぐそばにあった。
アデッサは一人でその入り口に立ち、中の様子をうかがう。遺跡と聞いていたので廃墟を想像していたのだが、どうやら洞穴を削って造った地下聖堂のようだ。
――これは……もともとは立派な聖堂だったようだな。昔はこの地下聖堂を中心に、信者たちが村をつくったのだろう。やがて宗教が廃れて、いまの形になった……ということか。
遺跡の奥からは邪悪な気配が漂い出し、脇を通る道にまで溢れていた。真っ昼間にゴーストが出てもおかしくないほどの禍々しい気配。これでは村人たちが怯えるのも無理はなさそうだ。
「それにしてもこの聖堂、またダンチョネ教かぁ……」
アデッサは遺跡に刻まれたダンチョネ教のシンボルを眺めて呟いた。嫌でもホイサでの出来事を思い出す。【賢者の麻薬】の密売組織のリンドウもダンチョネ教の教徒だった。
ダンチョネ教は世界に数ある宗教の中でも歴史が古い宗教だ。極端な終末論が特徴的で、昔は信者も多かったとも聞くが、アデッサが知る限り今ではすっかり廃れてしまった宗教だった。もっとも、ダフォディルの情報によると最近は教皇交代により流行りだしているようなのだが……。
アデッサは嫌な予感を胸に、聖堂の入り口をくぐった。
◆
村に残ったダフォディルはイライラした様子で部屋の中を行ったり来たり、ぐるぐると歩き回っていた。
――アデッサのバカ! いくら人のためだって、あなた、仮にも一国の王女でしょ? わざわざ危険を冒す必要なんてないのよ!? もう少し自覚を持ちなさいよ、自覚を!
と、頭の中でミニ・アデッサを正座させ『エアお説教』を続ける。
――だいたい、あなたは攻撃力が無限大でも『防御力はゼロ』なんですからねッ! 一人で遺跡になんか行って痛い目にあっても知らないんだから……。
……。
「防御力、ゼロ……」
ダフォディルは声に出してそう呟くと左腕の【鉄壁の紋章】に目を向けた。
あの日、アデッサから受け継いだ【鉄壁の紋章】。
あらゆる攻撃を跳ねのける、人類が作り出した、究極の盾。
すべての敵を瞬殺する【瞬殺の紋章】は万能ではない。強敵から先制攻撃を受けてしまえばそれを防ぐ手立てはないのだ。それを防ぐには常に先手を取り、敵が攻撃を放つ前に瞬殺し続けなければならない。
その際どさを【鉄壁の紋章】で補ってこそアデッサの【瞬殺の紋章】は無敵の力を存分に発揮できていたのだ。【鉄壁の紋章】がなければ……その力はあまりにも脆い。
胸の奥から嫌な予感が込み上げてくる。
「アデッサ!」
ダフォディルは自分がホイサで犯してしまった『アデッサと離れ離れになる過ち』を繰り返してしまったことに、ようやく気が付いた。
「くッ、私としたことがッ!」
そういうと急いでポーチを腰に巻き付け、遺跡へ向かおうとした。その瞬間に、ドアが音もなく開く。ダフォディルは思わず立ち止まり、ドアを凝視した。
「!?」
ドアの向こうから、虚ろな顔をして、無言で部屋へ入ってくる爺さん。
そして、その背後に続く、数人の村人たち……。
明らかに異様なその気配にダフォディルは後ずさった。
昨日から何度も口に出しかけていたのだが、この森は、この村は、何かがおかしい。いや、おかしいのはそれだけではない。この爺さん、初めて見たときから何かがおかしい。
ダフォディルは腰の短剣に手をかけた――。
「ぎやああああああああ!」
閑散とした村に、ダフォディルの悲鳴が響いた。




