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ふたつの剣術部2

聖歴2026年6月17日(水)


「炭谷! 待て、炭谷!」

 背後から秋山の声が聞こえてくるが、構わず歩を進める。煩わしいが、羽虫が飛んでいると思えば我慢もできた。


 木々をかき分け、廃墟と化した小屋の間を走って行く。

 “自分の縄張り”に足を踏み入れただけでも許しがたい。加えて、そこであろうことか自分を無視して戦い始めた。看過できるはずもない。


 知らず歩が大きくなる。炭谷豊(すみたにゆたか)は左腰に下げている剣術用の剣に力を込めた。


 もとはコボルト達が住んでいたという廃墟を抜けて、その奥にあるぽっかりと空いた洞窟へ進んでいった。気配はそこから漂ってくる。

 その洞窟に今まで足を踏み入れたことはなかった。しかし、漂ってくる濃厚な気配に道を違えるはずもない。炭谷はまるで目印が書いてあるかのように迷うことなくその場所へと向かっていく。


 腹立たしい。


 “奴”がここに来たことも腹立たしければ、戦いを始めたことも腹立たしい。しかし、何よりも腹立たしいのは炭谷自身がこれほどまでに気配を発しているのに“奴”は全く気づきもしないことだ。


 今までは少し気配を漏らしただけで()()()()()()()尻尾を丸めて逃げていたというのに。


 洞窟の奥に青い毛むくじゃらのモンスターが伏せているのが見えた。よく見ると、その下に人間が組み伏せられているのがわかるが、炭谷の眼中にはない。


「……ふん」

 全くつまらないものを見るような目でモンスターを見て、腰にぶら下げた鞘から剣を抜く。片刃で湾曲したその剣――刀は刃こそ落とされているものの、立派な日本刀で、剣術の試合で一般的に用いられるものだ。


 炭谷がモンスターの背後に立ってもなお、モンスターは炭谷に気づいていない。目の前の獲物を前に興奮しているからなのか、所詮その程度のモンスターなのか。


 炭谷がふわりと飛び上がる。その動きはまるで重力を無視したかのような緩やかなものだ。

 放物線の頂点で刀を振り上げた。そのまま、空中で刀を振る。刃が落とされているはずの刀は何の抵抗もなかったかのように振られ、そのまま何事もなかったかのように炭谷はモンスターの背中に着地した。


 次の瞬間、音もなくモンスターの首が地面に落ち、続いてモンスターの身体から力が抜けてどうと崩れ落ちた。

 少しして切り口からモンスターの血が勢いよく噴き出していく。そのあと、モンスターの死体の下から血まみれの人間が這いだしてきた。


 炭谷はその人物をちらと見る。

 これが、()()……。


「雑魚どもが」

 思わず口に出た。あまりの卑小さに反吐が出る。炭谷は汚物を見るような目でその場にいる生徒達を見下した。


 右手に持つ刀に力が入る。力を入れすぎて手が震えた。怒りに我を忘れそうになる。


「炭谷!」

 その時、後ろから彼を呼ぶ声が聞こえた。その呼びかけがなかったら彼は目の前の生徒達全員を切り捨てていたかもしれない。


 炭谷は刀を一回ぶん、と振った。刀についていたモンスターの血が払われ、炭谷は刀を鞘に戻す。


 そのままモンスターの上から降りて、炭谷の後ろを追いかけてきた剣術部部長、秋山雅治あきやままさはるに「後は任せる」とだけ告げてその場を立ち去る。


「おい、炭谷!」

 秋山が立ち去ろうとする炭谷を呼ぶが、炭谷の心はすでにそこにはなかった。




「大丈夫か?」

 秋山は遅れてやってきた剣術部部員達とともに事切れた犬のモンスターの身体から這いだしてきた男子生徒に手を貸してやった。彼の全身は炭谷に跳ね飛ばされた犬の首から出た血で真っ赤に染まっている。


「はい……。ありがとうございます」

 その男子生徒は精神的にも肉体的にも疲れ切ったような様子だ。無理もない。剣術の心得もない生徒があんな大きなモンスターと戦ったのだ。


 それにしてもどうして一般生徒がこんな所に……。そんな疑問を覚えた秋山に声をかける人物がいた。

「雅治さん……!」

 憔悴したような表情で駆け寄ってくる男子生徒はよく見知った人物だ。


 栗山徹くりやまとおる。秋山が幼少の頃から通う剣術道場の息子で、共に剣術を学んできた同胞であり、ライバルでもある。

 今は諸事情により剣術は休止しているようだが、いずれ彼は戻ってくると秋山は考えて――信じている。


「坊ちゃん……!?」

 秋山は徹のことを“坊ちゃん”と呼ぶ。徹と、その後ろから駆け寄ってくる数人の生徒達の姿を見て、彼らが何者か理解した。


「そうか。君たちは〈竜王部〉か……」

 秋山の脇では剣術部員達がモンスターの死体を撤去している。




 秋山は後の処理を部員達に任せ、〈竜王部〉部員達をかれらの“部室”へと案内した。もともと部外者に隠すつもりもなかったし、彼らの内の一人――一匹といった方がいいのかもしれない――であるコボルトの治療が途中だったこともある。


 〈竜王部〉の五人と一匹を連れて廃墟を抜け、木々の間を進んでいく。コボルトを背負っている森斉彬(もりなりあきら)――彼とは何度か顔を合わせたことがある――や、モンスターの下敷きになっていて、肩を負傷している浅村と名乗る一年生に配慮してその歩みは遅い。


「…………」

 徹はその列の最後尾を無言で歩いていた。目の前にはゴンをおぶった斉彬とモンスターの血を頭からかぶった浅村慎一郎あさむらしんいちろうがいる。しかし、彼の頭の中に彼ら〈竜王部〉の仲間のことはなかった。


(雅治さん、どうしてここに……?)

 徹の表情は険しい。いつも明るくてお調子者の普段の徹とはかけ離れた表情だ。もしこの場にいる誰かが徹の顔を見たら驚くだろう。




『生徒会だか何だか知らないが、おれ達のことはおれ達で決める!』




 あれは確か港高剣術部の部長だと言っていた。生徒会長の方針に反発して体育館を出て行った港高の剣術部。対外試合に出てこの封印騒ぎに巻き込まれたのだ、苛つく気持ちもあったろう。その港高剣術部に負い目があったのかもしれない。秋山率いる北高剣術部が彼らに追従したのもわからなくはない。


 だが――




『何で誰もいないんだよ!!』




 部室棟にある本来の剣術部の部室には誰もおらず、こんな所にいた。


「そりゃあ、俺は部外者だけどよ……。でも、一言くらい言ってくれても良かったじゃないか……」

 そう、つぶやいた。


 剣術部の多くは徹の家である〈栗山道場〉の門下生である。少なくない部員は小学生、あるいはそれ以前からの付き合いだ。秋山やマネージャーの岸瑞樹(きしみずき)などは生まれた頃からの付き合いと言ってもいい。


 自分勝手な話だということはわかっている。剣術を捨てたのは、秋山や瑞樹から離れていったのは自分の方なのに勝手だということは百も承知だ。それでも――


「あれが俺たち、剣術部の新しい部室だ」

 その声に徹の思考が中断される。


 秋山が指さした先には、コボルト達が作り、そして〈犬神様〉に壊された旧コボルト村よりもはるかに立派な丸太の建物が四棟造られていた。

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