窮鼠猫を噛む1
聖歴2026年5月9日(土)
「氷の礫よ!」
徹のかけ声とともに、彼の腕の太さほどもある氷柱が三本、ネズミの群れへと飛んでいき、ネズミの群れに突き刺さる。それで何体かのネズミが吹き飛び、別の何体かは氷付けとなった。
――キキッ!
それまで警戒していたネズミたちの意識は一斉に敵意へと転換する。まるで鉄砲水のように圧力を伴った無数のネズミの群れが一行に飛びかかるが、その多くは徹の二の矢によって氷付けにされるか、氷柱によって身体を引き裂かれるかの二択を迫られた。
「あまり張り切りすぎるなよ。少し休んでいてくれ」
「わかった、助かる」
魔法による先制攻撃で敵の勢いを減じたところで慎一郎が踊りでる。両手に装備した剣で飛びかかってくるネズミを一体一体、なぎ払っていく。その動きに無駄はない。
元来、戦士の動きというものは基本の型を数千回、数万回とこなして自分のものにするものだ。これは“身体に覚え込ませる”とも言われるが、実際には無意識下で身体を動かすことができるようにするという意味で脳に記憶されるものである。
慎一郎にはもちろん戦士としてのキャリアはなく、まともに剣を振るようになったのはここ半月でしかないが、〈副脳〉に接続されているメリュジーヌが“身体に覚えさせた”記憶を呼び出すことで初心者とは思えないほどの身体の動きを実現させることができた。
もっとも、完全に自分の動きになっているわけではないので、メリュジーヌ本来の動きにはほど遠く、あくまで“初心者にしては良い動きをする”程度であるが、それでもこの乱戦で役に立っているということに変わりはない。
「たあっ!」
右手の刀で飛びかかるネズミを打ち払い、視界の端に入った別のネズミを左手の刀でたたき斬る。ネズミたちの勢いは当初と比べると明らかに落ちていた。
「しかし、すごい数だ……」
最初は苦戦したネズミも今では危なげなく倒すことができる。しかし通路を埋め尽くさんばかりのネズミを前にして意気揚揚とはいかない。
右から襲いかかってくるネズミをたたき落とし、左のネズミに睨みをきかせる。後方からは徹や結希奈の攻撃魔法が飛んできて援護してくれる。ネズミたちの戦意は明らかに喪失しており、こちらが一歩を踏み出すごとに波が引くようにネズミの群れが下がっていく。それでもネズミの攻撃は断続的に続いており、慎一郎の体力と気力を削り取っていく。
「はぁ、はぁ……。くそっ!」
飛びかかってきたネズミを二匹まとめてなぎ払った。しかし、そこに集中していたせいか、右から襲いかかってきたネズミに対処するのが一瞬遅れた。
噛みつかれれば指の一本はちぎれてしまうであろう巨大な前歯が慎一郎の目の前に襲いかかる。思わず手で頭を庇い、目をつむった。
「……!」
しかし、直後にやってくるであろう衝撃と痛みはやってこなかった。代わりに起こったのは重いものが何かをたたきつけたような鈍い音。
こよりが腕にまとった岩のかたまりでネズミを殴り飛ばしたのだ。その威力に思わず息をのむ。
「大丈夫? 怪我はない?」
こよりは慎一郎にそう声を掛けると、後ろに控えるゴーレムに対して突撃命令をかける。
「わたしに任せて。浅村くんは少し休んでて」
そう言って年上の錬金術師は腕にまとった岩を解除すると地面に手を当て、ごにょごにょと呪文を唱えた。先ほどまで腕に纏っていて、今は粉々に砕け散った岩が光り、そこから新たなゴーレムが生まれ出でる。
「レムちゃん二号、行って!」
こよりの命令にレム二号と呼ばれたゴーレム――ご丁寧に胸に「2」と書かれている――は小さく頷くと、先ほどのゴーレムが戦っているネズミの群れめがけて突撃した。
こよりは続けて三体のゴーレムを創りだし、計五体のゴーレムを前線に投入した。ゴーレムはそれ一体でもこの辺りのモンスターなど相手にならないほど強力だが、それが五体ともなるとさらに強力である。文字通りねずみ算式に現れるネズミたちをもろともせず、疲れることもなく通路のネズミたちを排除して突き進んでいく。
時折討ち漏らしたネズミを慎一郎が処理したり、後方から魔法の援護を受けたり、また壊れてしまったゴーレムをこよりが補充したりして、少しずつネズミの群れを押し返していく。
通路は少しずつ下りながら右に湾曲しており、先がどうなっているのか見えなかったが、ある程度進んだところでネズミたちがまるで水を引くようにいなくなっていった。
「……?」
突然の状況の変化に警戒する一行だが、少し待っても何も起こらないので、先に進むことにした。




