戦士と巫女1
聖歴2026年4月27日(月)
「うん、そう。そっちは? ……なるほど。わかった。それじゃ」
ぷつりと言う音が脳内に響く。〈念話〉が切れたときの音だ。
放課後、体育館裏。先週、地下迷宮の入り口を見つけたほこら跡へはここから入っていくのが近い。
体育館からはバスケ部だろうか、ボールを弾ませる音と生徒達の声が聞こえてくる。少し離れた校庭からは陸上部のスタートの笛や野球部の金属バットの音などが響いてくる。校舎の方から聞こえてくるのは吹奏楽部の練習だろうか。
放課後の今、ここ体育館裏にやってくる生徒はいない。〈念話〉を終えた慎一郎と、長物を三本、持ちにくそうに抱えてやってきた徹を除いては。
「高橋さん、自分の仕事があるから別行動だってさ」
「そりゃよかった。ま、元々別行動前提で〈竜王部〉に入ったんだから当然っていや当然だけどな」
そう言いながら徹は持ってきた長物――ロングソードを三本近くの木に立てかける。剣術道場である自宅からメリュジーヌの指示で持ってきたものだ。
剣を鞘から抜いて、剣身を確かめる。刃こそ落とされているが、鋼を鍛えて作られた剣は夕日を浴びて鈍く輝いている。これが剣術で使用する剣だ。
「結希奈の作業ってなんなんだろうな?」
「さあ……? バイトだとは思うけど、学校に届け出て部活動登録しなきゃいけないバイトだなんて想像もつかないな」
「う~ん……。芸能活動だったりして?」
そう言われて結希奈の顔を思い浮かべる。目つきはきついが、確かにかわいらしい顔をしている。しかし、芸能人と言われると……。
「まさか。芸能人ならわざわざこんな田舎の高校に入学したりしないだろう」
「そりゃ、そうだ」
そう言って二人でけらけらと笑う。
「……。結構、様になってるな」
自宅から持ち込んだ剣を検める徹を見ながら慎一郎がぼそりと言った。
「……まあな。本意じゃないけど物心つく前から躾けられたからな。……よし、剣は問題ない」
三本の剣を確かめた徹が鞘に戻す。その姿は慎一郎の言うとおり様になっており、『剣士』という言葉を想像させる。
「で? 言われたとおり家から剣を三本持ってきたけど、これどうするんだ?」
『うむ、大義である』
それまで近くをうろちょろしていたメリュジーヌがとことことこちらへとやって来た。
『その前に、前回迷宮に潜った際のおさらいをしておこうと思う』
「それ、先週ファミレスでやったぞ? もしかしてお前、聞いてなかったのか?」
『素人の分析が何の役に立つ? アイテムや呪文を用意するなど基礎以下過ぎてわしの出る幕なぞないわい』
といいながらやれやれと首を振る。召喚したての時と比べて表情が豊かになり、ジェスチャーが多彩になった。〈念話〉を利用した自分のビジュアル制御に慣れてきたのかもしれない。
『先週の探索で何を差し置いても解決しておかねばならん問題があったじゃろう? トオル、覚えておるか?』
突然話を振られた徹が慌てふためく。
「えっ、俺!? えっと……ネズミに苦戦した?」
『違うな。シンイチロウ、わかるか? わかるであろう?』
慎一郎の顔が険しくなる。思い当たる節はある。
「おれが……」
『お主が?』
「おれが魔法を使えなかったことだ。今のままだとおれは確実に足手まといになる」
あの後、家で何度も魔法を使ってみたが、〈念話〉や時計アプリなど常時展開しているいわゆる〈生活魔法〉以外の魔法はどんなに簡単なものでも――小学生でも使えるものでも――使うことができなかった。
これは、魔法全盛のこの社会で生きて行くには致命的とさえ言える。
『そうじゃ。結論から先に言えば、シンイチロウ、お主はこの先、一定以上の〈領域〉を使う魔法は使用できない』
「な……!」
「…………」
驚く徹とどこか覚悟していた様子の慎一郎。
〈領域〉とは、魔法を行使する際に使用する脳の容量である。
魔法は所定の手続きさえ行えば発動するが、現代魔術、特に黒魔術は〈スクリプト〉とも呼ばれる『呪文』を脳内で高速展開する方向に大きく進化している。これは魔法の一般使用を飛躍的に伸ばすというメリットをもたらし、魔法需要の増加が魔法技術――魔術の発達を加速するという、産業革命以降の魔術発展サイクルの原動力ともなっている。
「ど、どういうことだよ……。慎一郎が魔法を使えないなんて、そりゃ……」
『ふむ……。わしも最初は気づかなかったのじゃがな、トオル、お主が魔法を行使するとき、どのようにする?』
「どう、って……前回は攻撃用の魔法なんてインストールしてなかったから呪文を唱えたけど、今日はそれ用のスクリプトをいくつかインストールしてきたから、〈副脳〉でそれを回して……あっ!」
『気づいたようじゃな。六百年前とは魔法の実態がかなり変わっている上に授業中でのスクリプト使用は禁止されておったのでな。わしも気づくのに時間がかかった』
「そうか。つまりジーヌは……」
『うむ。わしはシンイチロウの〈副脳〉に居候しておる。一定以上の〈領域〉を使う魔法も〈副脳〉を使う。すでに使用している脳の〈領域〉に、新しい〈スクリプト〉は展開できん。簡単な話じゃな』
「そ、そんな……! だったら、スクリプトに頼らず、呪文を唱えれば……」
『迷宮で敵に遭遇するたびに呪文を唱えるか? 先週のように? ネズミ一匹にも苦戦しておったではないか』
「あのときはネズミ一匹だから良かったけど、もっと強いモンスターが出てこないという保証はどこにもない」
慎一郎が苦悶の表情で言う。
『まあ……わしが召喚される前の時代ではそうしておったから、やろうと思えばできんこともないと思うが、未熟な魔法使いなど、足手まとい以外の何物でもないぞ』
「そんな……。じゃあ、どうすればいいってんだよ! このままじゃ、慎一郎は……!」
「簡単なことさ。おれが迷宮探索から――」
「慎一郎……いくらお前でもそれ以上言ったら怒るぞ」
「徹……」
「俺は! お前と! 他の誰でもないお前と! 高校生活を過ごしたいんだよ!」
がん、と徹は剣が立てかけてあった木の幹を殴ると、その衝撃で立ててあった剣が倒れた。
『というわけじゃ。お主の抜けるという希望は却下じゃな、シンイチロウ』
「なら……どうすれば……」
ぎり、と歯を噛む慎一郎。自分が足手まといであることは先週の迷宮探索で嫌というほど味わった。自分が原因で徹を危険な目に遭わせるくらいなら……
『じゃから今日、トオルに剣を持ってこさせたのじゃ』
「……?」
『まずは一本からじゃ。剣を持て』
「ちょ、ちょっと待てよ、ジーヌ!」
『……? どうしたトオル?』
「もしかして、この剣で戦う気じゃないだろうな?」
『そうじゃが、それが何か?』
「何かって……そんな無茶苦茶な。だいたい慎一郎は剣なんてほとんど持ったことないだろう?」
『そうなのか、シンイチロウ?』
「小学生の頃、お祭りの時に触ったことはあるけど、それくらいかな……」
『なんじゃと! わしがおった時代ではこんな小さな子供でも普通に剣を持って外を出歩いておったぞ!』
「そりゃ、六百年前だからだよ……」
人類の歴史は外敵との戦いの歴史でもある。外敵とは人間だけに限らず、人間よりもさらに強大なモンスターや亜人、さらにはドラゴンやジャイアントも含まれる。
二十一世紀の現在、人類が世界で支配的な勢力を獲得しているのはその戦いに勝利したからであり、そのために剣と魔法が果たした役割は無視できないほどに大きい。
しかし、社会が発展し、剣の持つポジティブな側面より、犯罪などのネガティブな側面が目立つようになると、徐々に剣の所持というものが忌避されていくようになり、現代では日本を始め多くの国々で剣は〈剣術〉など文化的な意味を持つか、治安維持のためなどの限られた範囲内での使用が許されているのみである。
『事情はわかった。じゃが、剣を取る以外にシンイチロウが迷宮内でモンスターと戦う方法はあるまい。一緒に潜りたいのじゃろう?』
「そりゃ……そうだけどさ……」
ため息をつきながら徹は慎一郎を見る。
「こいつがまともに剣を振れるようになるまで、どれくらいかかると思うんだよ。うちの道場で新しく入門した門下生が競技会に出られるようになるまで、最低三年は修行しなきゃいけない。三年だぞ? 三年後なんて俺たち、卒業してるじゃないかよ……」
徹の家は〈剣術〉の道場だ。徹はそこでの経験を語っているのだろう。
『いいから、剣を持て。シンイチロウ』
「わかったよ……」
言われるままに剣を持つ。刃を落としてあるとはいえ、剣身が鋼でできた本物の剣だ。想像よりはるかに重く、ずしりとその重量が肩にのしかかってくる。
『ところでシンイチロウ、トオル』
「……なんだ?」
『わしの『二つ名』、知っておるか?』
「ジーヌの二つ名……? 確か……」
〈竜王メリュジーヌ〉については小中学校の歴史の授業で軽く学んでいる。その他、映画やゲームなどの題材にもなっているので、六百年後の世界の人間である慎一郎や徹にも馴染み深い竜である。
「〈舞い降りる白い竜〉〈調停者〉〈剣の乙女〉〈百剣の使い手〉〈剣聖〉。あっ……!」
『ふふ。〈竜石〉に本体を封じ、人の形をとったわしはな、史上最高の剣の使い手でもあったのじゃ。そのわしに剣を師事してもらえるのじゃ。剣の道を志すものが見たらよだれを垂らすじゃろう。のう、トオルよ?』
「お、俺は剣の道は捨てたんだよ……」
『わかっておる。わしが指示するのはシンイチロウじゃ』
メリュジーヌはにやりと笑う。
『そういうわけじゃから、迷宮探索の前に少し剣を振っていくぞ。シンイチロウ、剣をしっかりと握れ』
「わ、わかった……」
その不敵な笑みに押されたのか、そう答えることしかできなかった。




