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群羊を駆りて猛虎を攻む4

聖歴2026年9月3日(木)


「反時計回りのツノ、反時計回りのツノ……」

 向かってくるヒツジの群れを前に、徹は呪文のように巽から事前に教わっていた〈守護聖獣〉を見分ける方法を口の中でつぶやく。


「くそっ、目がチカチカしてきた……!」

 ぼやきながら徹は昨日のミーティングでの結希奈の話を思い出していた。


 演劇部から文化祭で使う衣装に使う毛糸が欲しいと相談されたという結希奈は、〈竜王部〉がちょうど“ひつじ”の〈守護聖獣〉を目標としていることに気づいたのだという。


『でかしたぞ、ユキナ!』

 羊毛の売却価格を聞いたときのメリュジーヌの喜色が思い浮かばれる。メリュジーヌにとって結希奈の弁当は日中における彼女の興味の八割を占めると言っても過言ではないだろう。この話は弁当のおかずに直結する話なのだ。


「ま、俺も塩むすびよりは肉や野菜があった方がいいからな……いた!」

 二十数頭の群れの中ほど、やや右前方にただ一頭だけ、他のヒツジとは異なりツノの向きが逆回転のヒツジがいた。それ以外は全く他のヒツジと同じである。


 ヒツジは徹の姿を認めて少しずつ進路を変えつつあった。それと並行になるように走りながら〈副脳〉に今朝セットしたばかりの魔法を選択し、手をツノが逆方向のヒツジに向けた。

 〈副脳〉に命令を出すと、インストールしてある〈スクリプト〉が起動して右手に魔力が集中してくる。そして叫ぶ。それによって魔法が完成する。


「水よ!」


 次の瞬間、徹の手のひらのすぐ先、何もない場所に水の球体が発生した。その球体はまるで絵の具を入れてかき混ぜたかのように赤く染まっている。


 間髪を容れず球体は徹の手から射出された。


 射出された赤い水のボールは徹が思い描いたとおりの曲線を描いて彼と平行に走っているヒツジの群れへと飛んでいき、中ほどの一頭――ツノの向きが唯一異なる〈守護聖獣〉――の背中に命中した。


「でかした、栗山!」

 ヒツジの背がペンキをこぼしたかのように真っ赤に染まるのを見て斉彬が歓声を上げた。

 水の球を射出する魔法に色をつけるアレンジを効かせた魔法。錬金術を得意とするこよりのアイデアだ。


「今井さん!」

「はいっ!」


 〈守護聖獣〉が見つかった事を認めた慎一郎がすかさず楓に指示を出す。すでに楓はその背丈ほどもある長弓を構え、極限にまで集中力を高めていた。


 しゅっ。風を切り裂く音とともに引き絞られた弓からすべての力を受け継いだ一本の矢がまっすぐ飛び出していく。

 それは先ほどの徹の魔法とは異なり、まるで吸い込まれるかのように白い毛で覆われているヒツジの黒い眉間に命中した。


 ――ンメェェェェェェェェェェェ!!


 ヒツジ――“未”の〈守護聖獣〉が痛みによって暴れ出す。それはこれまで一糸乱れぬ、まるでひとつの塊のように動いていたヒツジのダンスの終焉だった。


 ボスが暴れ出したことに驚いた周囲のヒツジたちはまるで蟻の子を散らすかのようにボスから逃げていった。


 そうしている間にも楓の第二射が寸分違わず先ほどと同じ場所に命中する。

 ヒツジは更に悶絶するが、その動きは目に見えて鈍くなっている。


『今じゃ、とどめを!』

「応!」

 逃げていくヒツジたちと入れ替わるように、メリュジーヌの号令に呼応した斉彬が猛然と〈守護聖獣〉に突進していく。


 ヒツジの毛は魔法で守られており、容易に刃を通さない。だから毛の生えていない頭部を狙うのはセオリーだが、それも周囲のヒツジたちに守られて簡単なことではなかった。

 だから〈守護聖獣〉だけを狙い撃ちにして暴れさせ、周囲のヒツジたちを遠ざける必要があったのだ。

 そしてそれが成功した今、斉彬の突進を止める術を“未”の〈守護聖獣〉は持たなかった。


 ――ンメェェ……ェェ……。


 〈デュランダルⅡ〉のひと突きを顔面に食らい、“未”の〈守護聖獣〉はか細い鳴き声を最後に発して絶命した。




「ふう、手こずらせやがって」

 〈デュランダルⅡ〉を引き抜く斉彬の元に皆が集まってくる。


「まあ、これまでの他の〈守護聖獣〉に比べたら楽だったかな」

「楓ちゃんのおかげだよ。楓ちゃんが入ってくれてから、ずいぶん戦いが楽になった気がするもの」

「おれもそう思うよ。ありがとう、今井さん」

「えっ、私ですか? そんな、私なんて……。でも、ありがとうございます、こよりさん、浅村くん」


『さあ、そんなことをしている場合ではないぞ。早速ヒツジの毛を刈り取るのじゃ』

「ふふっ、ジーヌってばお弁当がかかるとなると動きが速いんだから」

『当たり前じゃ! ユキナよ、わしを侮るでないわ!』

「はいはい」


 部員達は手分けして残ったヒツジたちの毛を刈る作業に移った。ばらばらに逃げ出したヒツジたちはそういう習性なのだろうか、いつの間にか一カ所に固まっておとなしくしている。そのあたりは普通の羊とは異なるようだ。


 このために姫子が大急ぎでつくったハサミでヒツジの毛を切っていくが、先ほどまで刃を通さなかった羊毛が面白いように刈れる。


『ボスがいなくなったせいじゃろうな』

 とは、メリュジーヌの見解である。群れを統率する者がいなくなり、ヒツジはなすがままの状態になっているようだ。


「またしばらくしたら生えそろうんだろ? なら定期的に来て刈ってやれば俺たち、大金持ちなんじゃね?」


 徹の言葉に結希奈は首を振る。

「そううまくはいかないわよ。今回だって文化祭の衣装に必要なだけだし。冬になれば別かもしれないけど」


「冬かぁ……寒くなる前に出られるといいんだけどな」

「これで七つめか。結界を全部修復したらどうなるんだろうな」

『わからぬ。この地を覆っている封印は鬼を封じている結界を利用しているのは間違いないがそれとは別物じゃ。正直、この封印については何もわかっていないに等しい』


 慎一郎の疑問にメリュジーヌが答える。しかし竜王の叡智をもってしてもわかることは多くない。得られる情報があまりに少なすぎるのだ。


「みつけた! ほこらを見つけたから、あたしはほこらの再建をするわ」

「結希奈ちゃん、わたしも手伝う」

「ありがとう、こよりちゃん!」

「じゃあ、おれ達はヒツジの毛を集めてる。何かあったら呼んでくれ」

「たのんだわよ、慎一郎」


 結希奈とこよりがヒツジと戦った部屋の中央部に向かって走っていった。その後ろをこよりのゴーレムがいくつかの木材を担いで走っていく。木工部との協力で最近開発された簡易ほこら建設キットだ。


「文化祭か……」

 黙々と羊毛を刈っている時、ふと斉彬がつぶやいた。それに楓が反応する。

「私たちも参加するのでしょうか? 弓道部は不参加だと聞いておりますが」

「弓道部は例外だが、一応、すべての部が参加が基本らしい。ただし、今年は校内の人数が少ないから、一日目は校庭、二日目は校舎、三日目は体育館と場所を移して開催するらしい。交代で出展者と客をやるみたいだ。菊池もいろいろ考えてるらしいぜ」

 これはまだ決定じゃないから秘密な、と斉彬がおどけて言うと、楓はくすりと笑った。


 そのまま黙々と羊毛を刈り取り、それもほぼ終わりという頃、部屋の真ん中でほこらの再建作業をしているはずの結希奈の声が聞こえてきた。


「え? どういうこと……? よくわからないけど……うん。多分大丈夫。え? 落ち着いて。ちゃんと話して。え? あ……切れた」


「どうしたの?」

 不審に思った慎一郎は結希奈の所までやってきた。結希奈はこめかみに当てていた右手の人差し指を下ろした。それは〈念話〉をするときのジェスチャーだ。


「うーん、よくはわからないんだけど……」

 結希奈も首をひねる。


「外崎さん、なんかすぐに戻ってきて欲しいって。ずいぶん慌ててたみたいだけど……」

『部室で何かあったのかもしれぬな。ヒメコが心配じゃ』

「そうだな、羊毛もあらかた刈り終わったし、時間も時間だ。部室に帰ろう」

「わかったわ。じゃあ、〈転移門ゲート〉を設定するね」

 そう言って結希奈は再び部室で待つ姫子に〈念話〉をかけた。




 隔たれた空間を繋ぐ魔術の結晶である光の扉をくぐり抜けると、そこはいつも通りの部室であった。


「外崎さん?」

 最初に部室へと戻ってきた慎一郎が様子のおかしいという姫子の姿を探すが見当たらない。


「外崎さん?」

 姫子の名を呼びながら部室の中を見渡す。時に荒らされた様子はない。扉は閉まったままだが、反対側の窓は開いている。外から夜の涼しい風が入ってきてカーテンを揺らしている。


「……?」

 その揺れているカーテンの下に、小さな黒い影が見えた。いや、影ではない。それは――


「外崎さん!」

 窓際の部室の隅で小さくなって震えていた姫子に駆け寄る慎一郎。他の部員達も部室に戻ってきて次々彼女の元に寄ってくる。


『何があったのじゃ。詳しく話せ、ヒメコ』

 姫子は真っ青な顔で――いや、普段からお世辞にも血色が良いとは言えないが――固く閉ざされた部室の引き戸を指さし、震える唇を彼女なりになんとか制御して口にした。


「な、何かいる……のです。ぶ、部室の外に……。さっきからずっと……。うひぃぃぃっ……!」

 姫子はうずくまり、ガタガタ震えてそれ以上は何を聞いても答えようとはしなかった。

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