夏の終わりに3
日もすっかり暮れた。普段は二十人近い女子生徒達が暮らすこの高橋家もほとんどの生徒達が花火大会に繰り出してしまったのか、全く人気がない。
「…………あたしも、行こうかな」
徹や斉彬、こより、それに楓のようにそれほどまで花火にこだわる気持ちはなかったが、みんなが楽しんでいるときに一人家にいるほど意固地になっているわけでもない。家に一人残るのは寂しいではないか。
猫のアラシに夕食をあげてから結希奈は家を出た。
家の裏にある森から北高の方へと歩いて行く。探索が長引いて帰りが遅くなった日など、暗くなってから森の中を歩くことはあったが、そういうときでもいつもこよりが一緒だった。
今頃こよりは斉彬と合流している頃だろうか、結希奈は一人だ。
北高へ続く道はある程度整備されていて、動物よけの魔法もかけられている。とはいえ、心細くないと言えば嘘になる。
「ここよりもっと暗くて怖い地下迷宮の中では平気なのにね」
笑って誤魔化す。
やがて森を抜けた。校舎の脇を通って、今では全面が畑になってしまった校庭の方へと向かう。確か花火は校庭を挟んだ反対側、正門の方で打ち上げるらしいから、少し離れた本校舎前から見るのがいいだろう。
そう思って旧校舎から中庭を経由して本校舎に抜けたときに――驚いた。
「うわぁ……!」
校舎と畑になった校庭の間にある五メートルほどの幅の道、その両側にずらりと十軒以上もの屋台が並び、その間を多くの生徒達が行き来していたからだ。
今の北高には百名強ほどの生徒達しかいないが、そのほとんどがこの狭い場所に集まっているのではないだろうか、見たこともないほどの人口密度である。
そして何より驚いたのは、女子生徒達の多くは色とりどりの浴衣に身を包んでいるということだ。
正確には浴衣ではない。校外に出ることができない彼女たちが浴衣を手に入れることはできないからだ。
おそらく、カラフルな布に手芸部や演劇部などの心得のある生徒達が手を加えてそれらしく見せているだけなのだろう。それでも、彼女たちは夏祭りの場に浴衣で参加できたという事実に、満面の笑みを浮かべている。
結希奈は浴衣を着たことがなかった。神社の娘ということが大きいだろう。
竜海神社でも去年までは毎年、ちょうどこの時期に夏祭りを開催していた。その時には大抵妹とともに家の手伝いに駆り出されていて、浴衣を着て友達とお祭りを楽しむなどという経験など望むべくもなかった。
「いいなぁ、浴衣……」
思わず口に出てしまい、はっと口を押さえる。
だが、その呟きは屋台の呼び込みの声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。
「やきそば、おいしいよー!」
「金魚すくい、どうですかー?」
ソースの焦げた匂いが鼻につき、結希奈はつられるように屋台の方へと向かった。
そこには、焼きそばやお好み焼きなど定番の屋台はもちろん、金魚すくいやヨーヨー釣りなどの屋台もあれば、なんとお面を売っている屋台もあった。気になるのは“タコもどき焼き”なる屋台だ。“タコもどき”とはなんだろう?
「おひとつ、どうですか?」
ふらふらと歩いている結希奈の手に何かが握られた。
よく見ると、リンゴの実を飴でコーティングしたリンゴ飴だ。こんなものも校内で作られているのか……。
「あ、ありがとう」
「三百円です!」
お金取るの? と思ったものの、それを指摘する度胸もなく、仕方なく三百円払う。その成り行き上買わされたリンゴ飴をひとくちかじる。
水飴の甘さが口いっぱいに広がったあと、固いリンゴの実から溢れ出す。少し酸っぱいリンゴの果汁。
「おいしい……!」
「…………うぅ。買いすぎちゃった……」
気がついたら両手にたくさんの食べ物を持っていた。さすがにこれを持ったまま歩き回るわけにはいかないので、少し離れた本校舎の前まで移動してきて、花壇の脇に腰掛けた。
彼女の周りにはいくつかのトレイが置かれている。焼きそばにお好み焼き、イノシシ肉の串焼きやバレー部特製アイスクリーム。わたあめは置くわけにもいかないので、手に持ったままだ。最初に買ったリンゴ飴はもう全部食べてしまった。例の“タコもどき焼き”は売り切れで買えなかったのが残念だ。
木の枝を切り出して作られた箸でそれぞれ一口ずついただく。
どれも工夫が凝らしてあっておいしい。焼きそばやお好み焼きにはにはソースらしい調味料やマヨネーズみたいな調味料がかけてあったし、アイスクリームにはチョコレートみたいなものがかけてあった。わたあめなどは初めて食べたのだが、やみつきになりそうな食感だと思った。
北高の食事情は園芸部が初めて野菜を育てたときと比較して飛躍的に向上したといえるだろう。
あれこれ手をつけて、結希奈が傍らに置いてあった野菜のスムージーに手を伸ばしたとき、目の前の野菜畑の上から何か甲高い音が鳴ったかと思うと、その直後、夜空が一瞬赤く染まった。
それを合図としたかのように次々花火が打ち上がっていく。
「わぁ……!」
赤、青、黄、緑、紫……。色とりどりなだけではない。大きなもの、小さなもの。一発だけ打ち上がったり、夜空が白くなるほど多く打ち上げられたり、ただ放射状に広がるだけでなく複雑に花開くものや何と驚くことに犬や猫の形をした花火もあった。あれはコボルトを模したものだろうか。
ちょっと前にプールで見た、徹が最初に打ち上げた花火とは量も複雑さも段違いだ。
結希奈は手に持ったスムージーを口に入れるのも忘れて夜空を見入っていた。
腹に響くような低音で打ち上げられ、軽い破裂音で夜空に花開く花火。
次々現れては消える魔法の花。それは儚くもあったが、それ以上に美しく、結希奈の心に安らぎと感動を与えてくれた。
「結希奈……?」
声のする方に視線を下ろしてみると、いつの間にか目の前に一人の人物が立っていた。
背後では今も次々と花火が打ち上がっているので逆光になって顔はよく見えないが、男子生徒としては平均的な身長に最近、とみにたくましくなったと思える腕周り、そして何より、その優しげな声からそれは慎一郎だとすぐにわかった。
鼓動が一瞬高くなったのが自分でもわかった。