北高竜王部3
聖歴2026年4月24日(金)
終業の鐘が鳴る。今日の授業はこれで終わりだ。
「ローマのヨーロッパ遠征でのドラゴンとの戦いは、カエサルの『ガリア戦記』に……。ん、もうこんな時間か。今日はここまで。復習を忘れないように」
「起立、礼!」
号令を合図としてそれまで静まりかえっていた教室の雰囲気が一気に緩む。徹は待ってましたとばかりにまだ教科担任が教室にいるうちから席を立ち、慎一郎の席へとやってくる。
「部活申請書、朝イチで貰ってきたんだ。ほら」
そう言って徹が見せてきた書類には『部活申請書』と書いてあり、今日の日付と部の名称に『竜王部』、活動目的に『竜王メリュジーヌとともに中世ヨーロッパの歴史と文化を研究する』、そして部員のところには『栗山徹』と書かれている。
「あとはここにお前と顧問の名前を書いて、生徒会のはんこをもらってくれば晴れて〈竜王部〉の設立だ」
『おお、それはよい。シンイチロウよ、早く名前を書くのじゃ!』
制服姿のメリュジーヌがぴょんぴょん跳ねながらはしゃぐが、どうしても引っかかる部分があったので、聞いた。
「それはいいんだが、お前の指さしているおれの名前を書くところ、『部長』と書かれているのだが」
「それが何か問題でも?」
「お前が部長だろ? どう考えても」
「お前がジーヌを召喚したんだから部長じゃないか。どう考えても」
『部長とは騎士団長のことか? ならばシンイチロウを任命するぞ。ほら、早う書け。わしの名を冠した部じゃ。歴史に名を残すに違いない』
「……………………わかったよ。でも、名前だけだからな」
なんとなく、こうなるような気はしていたと、慎一郎はため息をつく。
「わかってるって。俺とお前、二人の部じゃないか」
『わしを忘れてはおらんだろうな!』
「そうだった。俺と慎一郎、それからジーヌの分な」
「ほい、書いたぞ」
『わしの名も書け!』
「お前はこの学校の生徒じゃないだろう。で? 顧問にあてはあるのか?」
じゃれつくメリュジーヌを無視して徹に聞いた。その問いに待ってましたと言わんばかりに胸を張って答える徹。
「まあな。今から話をしに行く。一緒に行くぞ」
そして、行き先も告げられぬまま徹の後について教室を出た。
白い壁、微かな薬品の匂い、白いカーテンの向こうには白いシーツが敷かれたベッド。教卓の前に座るのは白衣の女性。
徹が慎一郎を連れてやってきたのは保健室だ。
「〈竜王部〉、ねぇ……」
申請書を見ながらけだるそうに話しているのは辻綾子。北高の非常勤養護教諭である。
ウェーブのかかった髪に切れ長の瞳、そして同級生には再現不可能なナイスバディで男子生徒達からの絶大なる信頼を得ている北高のマドンナだ。
しかし彼女には大きな欠点があった。それは――
「〈竜王メリュジーヌ〉……」
むわっとする酒の匂いがあたりに立ちこめている。そう、この辻教諭、大変な酒乱……もとい酒豪であり、二日酔いで学校に来るなど日常茶飯事の困った大人でもあった。
この部屋の薬品の匂いはもしかしてアルコールなんじゃないかと慎一郎は思った。
「あ、それはこいつ……慎一郎が召喚した――」
「ああ、それは知ってる。今朝の職員会議で報告があったからな」
そう言いながら、ペットボトルに入った液体をグビグビと飲む。ただの水……のようには見えない……
「ただの水だ。気にするな」
というので、気にしないことにした。触らぬ神に祟りなし、だ。
「で?」
「で? って、だからさっきから言ってるでしょ、綾子ちゃん」
同級生のように馴れ馴れしく返事をする徹。
「綾子ちゃんはやめろ。辻先生だ」
「俺たちの〈竜王部〉設立に一肌脱いでくれよ、な?」
「お前はどうも教師に対する礼儀というものがなっとらんな、栗山」
「まあまあ、かたいこと言いっこなしで。フレンドリーが俺のモットーなんで」
「顧問……だっけか?」
そう言いながら机の上のスルメイカらしきものを口に放り込む綾子。
「うわっ! 何だこの味! 賞味期限三ヶ月前!? ……まいっか」
大丈夫なのかと心配になってくる。
「…………ま、なってやらんでもない」
「本当ですか!?」
「さっすが綾子ちゃん! 話がわかるぜ!」
「だが、わたしは顧問らしいことは何もせんぞ。厄介ごとはごめんだ」
「大丈夫だって。迷惑は掛けないからな」
『まるで名義貸しを迫る悪徳業者じゃな』
「どこでそんな知識仕入れたんだよ……」
「部長は浅村慎一郎。そうか、君が……」
書類を見つつ、尻を掻きながら確認する。なんというか……いろいろ残念な人だ。
「あ、はい。おれです」
「ひっじょーに面倒くさいんだが、浅村、お前の連絡先を聞いておくぞ。部長の連絡先を聞いておく規則だ。だが、わたしから連絡することはない。お前からも連絡するな。厄介ごとは勘弁だ」
「は……はぁ……」
〈念話番号〉でいいな、と綾子に言われたので、言われるまま〈念話番号〉の交換をする。……アルコール分まで伝わってきそうな気がした。
「それじゃ、わたしはこれから酒……じゃなくて仕事が……うわっ!」
突然綾子が大声を出して、椅子からずれ落ちた。
「……?」
「だ、誰だ……? 突然現れたぞ……。幻覚? 酔ってるのか……? いや、そこまでは酔ってないはずだが……」
綾子の視線の先にいたのは――
『む、わしのことが見えるようになったようじゃな? わしが竜王メリュジーヌじゃ。アヤコとやら、これからやっかいになる』
「うわわわっ! しゃ、しゃべった!」
そして、「飲み過ぎたらしい」と、綾子はそのまま保健室から出て行き、そのまま戻ってこなかった。後で知ったのだが、家に帰ってしまったらしい。
どうやら、慎一郎と〈念話番号〉を交換したことでメリュジーヌが突然見えるようになった綾子が飲み過ぎたと勘違いしたようだ。
『……あやつ、本当に教師なのか?』
「ははは……おれも自信がない」
ただ苦笑いするしかなかった。
顧問の署名と捺印が加わった部活申請書を持ち、慎一郎と徹、それにメリュジーヌは生徒会室の前にやってきた。
生徒会室は旧校舎1階の奥にある。旧校舎はかつて教室があった校舎であるが、近年新校舎が建てられたと同時に主に文化系部活動の部室として割り当てられた。
ひとつの教室を二つに分けて、それぞれ扉を一つずつ使用しているのがこの校舎での部室の使い方である。〈竜王部〉も部室を割り当てられた際にはこの形式になるはずだ。
「失礼しまーす」
がらりと引き戸を開けて中に入る。
生徒会室は左右に大きな本棚が置いてあり、そこには創立以来これまでの様々な資料が置いてある。奥には『生徒会長』と書かれたネームプレートが置かれた大きめの机があり、その上には書類が数多く積まれているが、今はその主の姿はない。そして、その手前には机が八個、まとめて置いてあり、生徒が三人向かい合って何やら書類に書き込んでいる。
「何かご用でしょうか」
その中の一人が顔を上げてこちらを見た。
とても目につく女子生徒である。
眼鏡が非常に似合う切れ長の瞳にすっと通った鼻梁、薄く小ぶりの唇と、整った造形の顔。左で分けたロングの髪はさらさらで今にも流れ出しそうだ。
しかし、彼女が目につくのはその整った顔ゆえではない。
その瞳は透き通るような赤、髪は夕日を浴びてキラキラと輝く金髪。そして肌の色は全く温度を感じさせないほど青白い――比喩ではなく、本当に青白いのだ。
「おおっ……。イブリース・ホーヘンベルク先輩だぜ、あれ」
徹が小声で耳打ちする。
「イブリース?」
「ああ。魔族だよ」
『魔族とな……?』
魔族――ヨーロッパ中部に存在する、〈魔界〉と呼ばれる国の国民を現代ではそう称する。狭義では異世界より侵攻してきた魔術に長けた人種のことを指す。
十五世紀、突如として異世界からヨーロッパへと侵攻してきた彼らは六度にわたる〈魔界大戦〉と呼ばれる戦いを引き起こし、〈第六次魔界大戦〉の末期、1945年に魔王が討ち取られることにより終結。今では平和国家として台頭している。
長年の魔族に対するわだかまりを解消するため、近年では留学生を世界各国に派遣し、交流を深めている。
イブリース・ホーヘンベルクは魔界からの留学生で生徒会副会長。彼女は品行方正な性格で人当たりも良く、また留学生ながら学年トップクラスの成績を収める。またその美貌もあって、校内での人気も高い有名人である。
「何かご用でしょうか?」
イブリースが訪問者に対していぶかしげな視線を向ける。
「あ……そ、そうだ。部活申請書を持ってきたんですよ」
慎一郎がポケットから申請書を取り出した。
「部活申請……新しい部活の立ち上げですか?」
「はい、そうです」
そう言って申請書を渡す。
「ふむ……書式に問題はないようですね。わかりました。これはこちらで受理します。部室抽選の結果は――」
「部室抽選? 部室って、部すべてに割り当てられるんじゃないですか?」
「いえ、すべての部に割り当てるだけの部室はないので、連休明け、五月六日に抽選会を行います。部員一人につき一票の投票権があるので、部員数の多い部の方が当選しやすい仕組みになっています」
「おい、話が違うじゃないか。部を作れば部室がもらえるんじゃないのか?」
小声で徹に聞いた。当の徹も寝耳に水だったようだ。
「ちょ、ちょっと撤回します! またあとで来ます!」
徹は申請書をイブリースからひったくり、生徒会室から出て行った。慎一郎も慌てて後を追う。