黒猫のアラシと二度の嵐2
その後、無事に保護をした黒猫はとても濡れていたので、とりあえず結希奈の部屋に運び、手頃な箱にタオルを敷き詰め、その中に入れてやった。
タオルで身体を拭いてやり、魔力ドライヤーで温風を吹きかけてやると子猫は気持ちよかったのか、安心したのか、眠ってしまった。
「寝ちゃった……」
「ふふふ、かわいいね」
結希奈とこよりは顔を見合わせてにっこり笑った。
「あたし、この子のご飯作ってくるから、ここで見ててくれる?」
「うん、よろしくね」
結希奈はこよりを部屋に残して台所へと向かっていった。
「と言ったはいいけど、猫のご飯なんて作ったことないしなぁ……。猫といえばお魚だけど、お魚なんてないし」
うーん、とキッチンの前で首をひねる。
「およ? 結希奈ちゃんじゃん。なーにやってんの?」
やってきたのは高橋家に部屋を借りる女子生徒のうちの一人、山川翠だ。
「翠さん、いいところに!」
結希奈の顔がぱっと明るくなる。家庭科部の部長である翠は、言うなればこの北高で一番の料理のプロフェッショナルだ。
「ん? あたしに用? っつっても、キッチンであたしに用っていえば、料理の話しかないか」
ウンウンと大きく頷く三年生。
「実は……」
かくかくしかじかと事情を説明した。
「何、にゃんこ!?」
翠の瞳が輝いたのが見えた。どうやら、彼女も猫好きのようだ。
そう、結希奈も猫は大好きだ。猫のご飯を考えながらワクワクしている。
今まで猫を飼ったことはない。彼女自身は猫好きだが、彼女の妹が猫アレルギーだったので飼いたくても飼えなかったのだ。
しかし、その妹は今は封印の外だ。これは猫を飼う千載一遇のチャンスなのではないか。もしかするとこの神社で祀っている神様があの子を遣わしてくれたのかもしれない。
「いや、うちで祀ってるのは巽さんなんだけどね……」
「猫は基本的に雑食だから、人間の食べるものをベースにすれば大丈夫」
翠は高橋家のキッチンで余り物の食材をつかって手早く調理する。
その手際は素晴らしいの一言だ。右手と左手が別々に動き、それぞれの手の速度も半端ない。これはちょっとやそっとじゃ真似できないなと結希奈はため息をつく。
「でも、濃い味付けは禁止ね。基本的に味付けはしない方向で。あと、ネギなんかも気をつけて」
切った野菜を茹でてる間にイノシシの肉を包丁で挽肉にしている。それを別にわかした鍋の中で軽く湯がいた。
「ま、こんなもんかな。あとは冷ませばオッケー」
ものの数分で皿の上には色とりどりの野菜と火を通した挽肉がきれいに盛り付けられていた。
「明日からはあたし達の食事と一緒に、味付けだけは別に作るのがいいかもね」
「ありがとうございます、翠さん! みんなのお弁当と一緒に作ってみますね!」
「うんうん。困ったことがあったらなんでもあたしに聞きな」
そう言っている翠はどうも様子がおかしい。何やらそわそわして、待ちきれない様子だ。
「それで、さ……」
「どうしました?」
翠から皿を受け取り、早速黒猫の所へ持っていこうとする結希奈を引き留めるように翠が言った。
「にゃ、にゃんこはどこ?」
ずい、と迫るように聞いてくる翠。「ち、近いです……」と引き気味の結希奈。
「何猫? 三毛? 茶? 白?」
「く、黒ですけど……」
「黒かぁ……! 黒もいいよね! で、どこ?」
「あたしの部屋にいますけど……。来ます?」
あまりの押しの強さに顔を背けながら言った。
「いく! いくいくいく~!」
今にも飛んでいきそうな勢いで結希奈の部屋に向かう翠だったが、どうやら運命は翠の味方ではなかったようだ。
「翠センパイ! 大変です! 家庭科室に雨漏りが……!」
「にゃにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
メチャクチャ困ったような表情で結希奈とやってきた家庭科部員の女子生徒を交互に見る。それがあまりに可哀想で――
「猫ちゃんはいなくなったりしませんから、また今度にでも……」
「そ、そうだね! 絶対行くからね、絶対だから!」
そう言い残して翠は暴風雨の中、雨合羽を着込んで後輩とともに学校へと戻っていった。
「おまたせー、ご飯だよ」
結希奈が戻ってきたとき、部屋の中ではこよりが猫の入った箱をのぞき見ていた。
「おかえり。まだ寝てるよ」
結希奈も箱をのぞき込んでみると、そこにはこよりが掛けたのだろうか、小さなタオルを布団のように上に掛けて丸くなって眠る子猫の姿があった。それがまた凶悪なほどのかわいらしさを演出している。
「そっか、じゃあ、これは起きてからにしようね」
そう話しかけて猫の餌を机の上に置こうとすると、猫の鼻がひくと動いて金色の目をぱっちりと開かせた。
「ふふっ、結希奈ちゃんのご飯の匂いに釣られて目が覚めたみたい」
「あはは、そうかもね」
箱の中で行儀良く座っている子猫の前に餌の入った皿を置くと、猫は今すぐにでも全部飲み込まないと気が済まないかのようにものすごい速度で食べ始めた。
「うわっ、食べてる食べてる!」
「よっぽどお腹が空いていたんだね。『結希奈ちゃん、おいしいよ』って言ってるみたい」
「これ、翠さんが作ってくれたんだけどね。でも、明日からはあたしが作るよ!」
「ねえ、結希奈ちゃん。わたしもお手伝いしていい?」
「そ、それはちょっと……」
「えー、お湯沸かすくらいいいでしょ、ね?」
そんな女子二人の会話など全く耳に入らない黒猫はただひたすら出された餌を食べ続けている。
こうして、一匹の黒猫が高橋家の新しい住人となったのであった。