SWEET SWEET LIAR
街から少し離れた、山の麓にある小さな洋菓子店。
決して交通の便が良いとは言い難い立地であり、店の佇まいもありふれたもので、何故わざわざこんな場所に店を構えるのかと、店を知った誰もが疑問を持つだろう。
そもそもこんな場所の、こぢんまりとした洋菓子店が、経営が成り立つものなのかと。
街から離れる大きな国道を、途中で山に向かって細い道に入り、更に舗装されていない道を少し進んだ場所に、その店はあった。
だが、そんな人気店とはかけ離れた条件の店が、常に客足が絶える事のない大人気店になっている。
店主曰く、ここでしか手に入らない食材が、レシピには必要不可欠であり、隠し味なのであると。
店の裏にある山にも、特別な食材が採れるような場所があるわけでもなく、特別な水が流れているわけでもなく。
一体隠し味の正体とは何なのか、一口食べた人々の興味はその一点に注がれる事になる。
洋菓子店らしく、一番人気なのはケーキだ。
だが特に、これといって趣向を凝らしたような作り方は見受けられない。
真っ白なクリームに赤い苺の乗せられたショートケーキ、そのクリームに上質なチョコレートを混ぜたであろう、茶褐色のチョコレートケーキ、とろけるようなチーズケーキに、ふわっふわのモンブラン……。
洋菓子店であれば、どの店でも一通り揃えているような基本的なケーキしか、この店には並べられていない。
デコレーションもオーソドックスそのもの、イラストでケーキを描いてくれ、と頼まれた人の、十人中十人が描くような外見である。
なのに何故、これ程までに人気なのか。
それは誰もが一口頬張れば理解できるだろう。
この店のクリームは、どのケーキに使われているものでも例外なく、極上の甘さで人々を虜にしてしまうのだ。
一体何を材料に使えば、この得も言われぬ甘美さが作り出せるというのか。
どんな一流店の菓子職人が、何十人と集まり、知恵と技術を振り絞って作ろうとも、この店のクリームには足元にも及ばないだろう。
それ程までに人々を惹きつけるクリームを味わえる店は、世界中どこを探そうとも、この店ただ一軒しかないのだ。
更にケーキの販売数も限定されており、予約は受け付けていない。
テイクアウトも不可能で、店内での飲食のみに限定して提供され続けている。
この店のケーキに魅了された、著名人や大富豪らが押し寄せ、とんでもない金額や破格の条件を提示した上で、テイクアウトや、あるいはレシピの開示を頼み込んだ回数も、もはや両手の指だけでは数え切れない。
だが店主は決まって薄笑みを浮かべ、こう告げるのだ。
「申し訳ありません。当店で召し上がって頂いてこその自慢の味なのです。この店以外では、ご提供ができないのです。」
その返事が、果たしてはぐらかすための常套句なのか、孤高の菓子職人を演じたいがための傲慢なのか、それとも真実をそのまま伝えているだけなのか。
最初は訝しむ人々も多かったと聞くが、その誰もが一切れのケーキを頬張った瞬間に、すっかり大人しくなってしまったという。
小雨の降る夕暮れ時、閉店時間を告げる鳩時計が鳴く寸前に、少し息を切らした紳士が入り口のドアを開き、吊り下げられたカウベルを揺らした。
「やぁ、すまないね。折角無理を聞いてくれたこの大事な日に、取引先と揉めにもめてしまってね。」
カウンターの内側に立つ店主は、紳士の姿を見て、いつもの薄笑みを浮かべる。
「お待ちしておりました。大事な常連様の身に何かあったのではないかと、心配していたところですよ。」
乾いたタオルを棚から手早く取り出すと、少し雨に濡れた紳士に差し出す。
帽子を脱ぎながら軽く会釈をした紳士は、タオルを受け取り、床を濡らさぬようにコートの水滴を拭いながら、脱いだものを軽く腕にかける。
「ぎりぎりの時間になってしまったね、本当に申し訳ない。きっといつか埋め合わせをさせて頂くよ。」
「ははは、どうぞお構いなく。ささ、こちらのお席にどうぞ。すぐにご用意いたしますので。」
店主は軽く手で促し、帽子とコートを紳士から受け取ると、小さなテーブル席に案内し、横の小洒落た木製のコート掛けに、丁寧に受け取ったものを掛けた。
店内を見回すと、既に他の客の姿はなく、店主と紳士の二人しかいない。
紅茶を淹れ始めた店主を眺めつつ、紳士は懐から懐中時計を取り出した。
かちり、と音を立てて蓋が開くと、その裏側で穏やかに微笑む女性の写真があらわになる。
少し目を細めて写真を眺めたあと、写真と向かうあうようにして、テーブルの反対側の席にそっと置いた。
「また今年も、お二人でお越しになられると思っていたのですが……、本当に残念です。」
ティーポットとカップを持った店主が、懐中時計の写真に視線を落としながら、テーブルに歩み寄る。
「今年で丁度、二十年目の結婚記念日になるはずだったんだがね……、先立たれてしまうのが、こんなにも早くなるとは思わなかったよ。」
ふう、と小さなため息をついた紳士は、そのまま写真を眺めつつ、悲しそうな笑みを浮かべた。
「この店でささやかなお祝いをさせてもらうようになってからは、丁度十年目になるね。初めて一口食べた時から、私は勿論、妻もこの店のケーキの大ファンだよ。何か小さな揉め事があっても、この店に連れてくるとすっかり仲直りしてしまうんだ。」
店主の顔を見上げながら、思い出を語る紳士の口元が、先程とは少し穏やかにほころぶ。
店主もまた、合わせるように微笑みを返した。
「早速いつもの品をお持ち致しますね。奥様の分もご用意してはおりますが、今日ばかりは独り占めしても、誰も咎めたりはしませんよ。」
少し悪戯に白い歯を見せた店主は、カウンターの裏に回り込むと、白い皿に乗せられたものを二皿、両手に持って歩み寄る。
「何の趣向も凝らさず、いつも通りのもので恐縮ですが……、シュークリーム、おひとつずつで御座います。」
紳士の前と、懐中時計の横にそっと差し出すと、軽くお辞儀をしてカウンター裏に戻っていく。
「いや、これがいいんだ。まるで幸せをそのままシューで包んだような、私と妻にとってはこの上ない贅沢なんだよ。」
紅茶を少し含んだ後、そっとシュークリームを手に取ると、一口頬張る。
誰もが見ているだけで美味しさを理解できてしまうような、うっとりとした表情で味わう紳士を眺めつつ、店主はうれしそうに目を細めた。
美味い!
長年通い続け、何度口にしようとも飽きないこの至高の甘さ!
一体どうすれば、このような究極とも言えるクリームが生み出せるのか!
頬張りつつも、思考を巡らせる紳士。
今まで誰一人として、その正体を突き止められなかった。
このクリームのレシピさえあれば、世界中の菓子に、いやクリームを利用した様々な料理に!
食文化そのものにすら革命が起こせると言っても過言ではない!
そんな食の覇権すら狙えるこのレシピを、こんな小さな店で終わらせてしまうのはもったいなさすぎる!
だが国家予算並みの金額を提示されようが、一国の長として迎えるなどという、耳を疑うような条件にさえ、彼は一切揺るがなかった。
そんな男に一体どうすれば、秘密を喋らせる事ができるのか?
答えは信頼だ。
私は十年通い続け、妻という存在も印象づけながら、あの店主とコミュニケーションを取り続けた。
そしてついに、それまで一度も店の方針を曲げた事のない店主に、結婚記念日にはシュークリームを二個、特別に用意してくれるという、特別な関係にまで進展させたのだ。
店のメニューには、オーソドックスなケーキしか並んでいない。
シュークリームが提供されるという事自体が、既に特権なのだ。
そして狙いすましたこの日、この時間。
二十年目の結婚記念日という節目であり、店にとっては十年目の常連客。
閉店ぎりぎりに店を訪れれば、必然的に客は私のみとなる。
そこに長年連れ添った妻の訃報だ。
妻は死んでなどいない、この十年かけた計画の仕上げのために、別荘に隠れさせているだけだ。
わざわざ偽の葬儀まで行わせ、店主の耳にも知らせが届くよう手配し、棺にすがって狼狽する姿を見せた。
店主には深い印象を与えたはずだ。
そんな私が、二十回目の結婚記念日になるはずだった日を、シュークリームで祝いたいと申し出れば、断られるはずもない。
そうして長年かけて、少しずつ、少しずつ信頼を勝ち得てきたのだ。
全てはそう、革命のレシピのために!
このクリームのレシピさえあれば、私の生涯、いや子孫に至るまで、食の覇権という強力な力を手にできるのだ!
そうなってしまえば、こんなちっぽけな店に用はない。
今日こそ聞き出させて貰うぞ……!
「奥様の分、いかがいたしましょう……?」
店主はそんな紳士の内心を知ってか知らずか、懐中時計に供えられたままのシュークリームの事を尋ねる。
勿論、食ってしまいたい!
だが我慢だ、今は、今だけはこらえろ……、愛すべき妻に捧げる、そう見せる事でより深く、奴の懐に潜り込むのだ……!
「あ、あぁ……、できることなら墓にも供えてやりたいが、それもできないしな……。かといって私が口にしてしまうと、あの世で妻に蹴飛ばされてしまうよ。」
紳士は笑いながら肩をすくめてみせた。
少し悲しげに、笑みを返す店主。
そうだ……、あと少し、もうひと押しで……!
「だが、墓にはせめて近いものだけでも、結婚記念日には供えてあげるようにしたいんだ。無理にとは言わないが、どうにかして天国の妻にも食べさせてやれる方法はないかな……?」
悲しそうに目を伏せながら、少し震えたような声で紳士が告げる。
困ったような、悩んでいるような表情を浮かべた店主は、しばしの沈黙の後、意を決したように話し始めた。
「貴方は本当に紳士で、愛妻家で、正直なお方だ。もし貴方が本当に、秘密を守って頂けるというのなら……、このクリームの本当の秘密を教えて差し上げましょう。」
(きたあああああああああああああああああああ!!!!!!)
思わず絶叫しながら椅子から飛び上がりそうになる衝動を、必死で抑えながら、紳士はハっとしたような表情で顔をあげる。
「ほ、本当かい!?でもいいのかい……?店にとっても、君にとっても何よりも大事にしてきたものだろう……?」
落ち着け……!
今がっついてしまっては警戒されてしまうかもしれん……!
十年間待ちに待った千載一遇のチャンスなんだ、不意にしてたまるか……!!
冷静であろうと必死な意識とは裏腹に、鼓動はどんどん加速していく。
溢れ出る鼻息も、悟られないように抑え込むのがやっとで、むせてしまいそうになる。
「本当に、誰にも言わないで下さいね……?」
店主が人差し指を口先に添えると、強めに二度頷く紳士。
「信じて頂けないかもしれませんが、実はこのクリーム……、クリームではなく、とある生き物の尿なんです。」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう紳士。
「尿……?って、おしっこ、って事かい……?」
予想外の内容に、目を白黒させながら聞き返す。
店主は至って真剣な面持ちだ、冗談を言っているような様子もない。
「驚かれて当然です、ですがそれこそが、私がこの場所でしか店を開けない理由なのです。」
理解が追いつかない紳士をよそに、店主は店の奥へと続く扉へ向かう。
「百聞は一見にしかず、と申します。どうぞこちらへ……、本当に特別ですよ?」
店主に促されるがまま、店の奥へついていくと、大きな業務用の冷蔵庫前に案内される。
店主がキッチンタイマーのようなものを操作すると、機械音と同時に冷蔵庫が左右に割れ、床板が一段ずつ沈み込み、地下への階段が現れた。
長い階段を降りながら、店主はゆっくりと語り始める。
「勿論、一般的な動物の尿は、単なる尿でしかありません。ですがこの地下には、一般的ではない生き物を、私の昔の伝手から匿うように頼まれているのです。」
曰く、かつては生物の研究機関に携わっていたこと、人工的な生物製造の研究がされていたこと、非人道的な実験も多かったために離脱を願うも、秘密を守る確証がないと許されなかったこと。
まるで三流のSF小説のような身の上話を語る店主は、階段より少し広い、正面にガラスが張ってある部屋へと紳士を案内した。
ガラスの内側には、もっと大きな空間があるようだが……、暗くてよく見えない。
「ここには研究過程で生み出された、特殊な性質を持つ生物が匿われています。この秘密を共有することにより、さる研究機関は私への口止めとしたのです。」
ガラスの前の操作パネルへ歩み寄ると、スイッチにかかった指を一度止め、紳士を振り返る。
「少々グロテスクな風貌をしております、どうかご容赦を……。」
ぱちり、と音を立ててスイッチがオンにされると、ガラスの内側からは強力なライトが点灯していく音が、バン、バン、バンと響いていく。
照らされて姿を表したのは……、およそこの世のものとは思えない、巨大な化け物だった。
ひっ、と声をあげそうになる紳士の口をそっと押さえ、人差し指を自分の口元に添える店主。
紳士は自らの両手で口を押さえながら、怯えたように素早く頷いた。
巨大な肌色の肉塊。
その中央に三叉に裂けたような部分があり、周りが粘液状の何かで汚れている。
呼吸をするたびに、ふしゅる、ふしゅると音を立てて震えている事から、おそらくあれが口なのだろう。
その上には無数の小さな黒い斑点……、と思いきや、そのいくつかが定期的に閉じている。
あれは全て目、なのだろう。
巨大な脂肪の塊のような丸い胴体には、幾重にも鎖が巻き付いており、部屋の随所に繋げられている。
肉塊の周囲からは、腸が飛び出たような赤い触手が、大小いくつも蠢いている。
その巨体の下には大きな器のようなものが用意されており、ぼたぼたと垂れ流されている白い液体が、横に空いた隙間に流れこんでいく。
絶句しつつも、おそるおそる声をだす紳士。
「ま、まさか、あの白いものが……?」
店主を見やると、少し申し訳なさそうに頷く。
「この生物は研究過程で偶然生み出された、いわば副産物であり、特殊な餌を与える事で独特の甘みを持った液体を排出します。その餌の調達の難しさや、見ての通りのあまりの巨体から実用性はないものと判断されましたが、排出される液体が惜しいと声を上げる研究者も多く、廃棄処分しかねていたものなのです。」
確かに、余りにも巨大で、グロテスクで、恐ろしい。
だがあのクリーム……、いや、白い液体のなんとも表現しがたい甘さは、とても自然のものやレシピの工夫などで生み出せるものではない。
この生物の見た目の嫌悪感は凄まじいものがあるが、十年間口にし続けてきた甘さとどちらが良いか、と比較しようとすると、甘さを選んでしまいたくなる。
それほどまでに美味なのだ。
だからこそ、そのレシピを望んだのだ。
だが正体がこれでは……。
そこまで思慮を巡らせたところで、ハっと何かに気づく紳士。
「そうか……、だからこの場所でしか提供できない、という話に繋がるのですね?」
「お察しの通りです。生物の構造上、あの白い液体は恐らく尿にあたるもの、のはずなのですが、排出されてから十二時間程で、土色に変色し腐ってしまうのです。」
紳士はこれまでの疑問の答え合わせが一つずつ、確実に現実として目の前に並んでいく事に、少し快感を覚え始める。
「変色した液体は、土に触れるとあっという間に浸透し、不思議なことに体積を一切変えないまま、土の養分として吸収されてしまいます。なので毎日大量に垂れ流される事になろうが、廃棄には困る事はないのです。」
そんな話を聞いていくうちに、冷静さを取り戻し、本来の目的を思い出す紳士。
そうだ、レシピではないのであれば、この生物を手に入れてしまえば良いだけの話なのだ。
だが店主にいくら金を積んだところで、こんなものを譲ってくれるはずもない。
ならばどうする?
そう、答えは既に出ているではないか。
信頼を勝ち得れば良いのだ。
この生物の秘密は既に共有している。
今、私が有利な立場にあるのだ。
だが事を急いてはいけない。
私がこの生物を託すのに問題ない人物であると、店主に思わせてしまえば、私の勝ちだ。
考えがまとまった紳士は、店主に切り出した。
「正直、驚かされましたが……、こんなにも大変な秘密を私に打ち明けてくれた事に、まずは感謝します。そして秘密の共有者となった私ができることは、共にそれを守ってゆくことだとも思います。」
店主は驚いたような表情を浮かべ、すぐに嬉しそうな表情で涙ぐんだ。
「何より、妻もそれを望むでしょうから。」
「……本当に、貴方に打ち明けて良かったです……。」
店主は取り出したハンカチで目元を押さえると、嬉しそうに切り出す。
「実はこう見えて、とても大人しくて人懐こい生物なのです。特に貴方のような正直者でしたら、きっと懐かれると思いますよ。危険はありませんので、一度近くでご覧になってみますか?」
まじか……、できることならガラス越し以外で接するのは御免被りたいが、目標までのひと押しだ。
ここで断るわけにはいかない。
「えぇ、そうおっしゃるのであれば是非。名前なんかつけてやるのもいいかもしれませんね。」
「ははは、喜ぶかもしれませんよ。さ、こちらのドアからです。」
奥にあるドアを開くと、重厚な鉄の扉が立ちふさがり、店主が横のパネルに何かをかざすと、ピッという電子音の後に扉が一枚、二枚、三枚と開き始めた。
店主に促されるがまま、おそるおそる中に入ってゆくと、もう一枚ひときわ頑丈そうな扉の前にたどり着く。
「この先です。最初は恐ろしいかもしれませんが、慣れてしまえば案外かわいいものですよ。」
にこやかに告げながら扉の横のパネルを操作し、カードのようなものを通すと、最後の扉がゆっくりと開き始めた。
ここまでくれば、もはや勝ったも同然だ。
私の未来永劫に渡る富は約束された!
紳士がそんな事を考えた刹那、まだ半開きの扉の隙間から、赤黒い触手が素早く飛び出し、紳士を絡め取ると、あっという間に中へ引き込んだ。
「ひいぃっ!?」
悲鳴をあげる紳士は、肉塊の上部へ高々と持ち上げられ、ガラス越しには見えなかった裏側を視野に捉えた。
人だ。
人間のような姿が、肉塊に半分埋もれるようにして、裏側に無数に蠢いている。
「うわああああああああ!?たっ!たすっ!たすけっ!!?」
悲鳴まじりの声で店主に助けを求めると、店主は残念そうな、そして酷く冷たい目で紳士を見ていた。
店主に触手が襲いかかる様子はない。
「貴方なら、と信じていたのですが……、嘘をついていらっしゃったのですね……。」
「はぁ!?こんなときに何を……、いいから早く助けてくれ!!」
溜め息まじりに、店主が語り始める。
「正直者でしたら危険はありません、とお伝えしたはずです。その生物は人の嘘を感じ取り、養分とします。なので餌の調達が難しいのです。」
触手から触手へと受け渡されるように、成すすべもなく前面側へ運ばれる紳士の悲鳴をよそに、店主は淡々と説明を続ける。
「多くの嘘をつき、騙し続けていた人物であればあるほど、この生物は強い食欲を見せます。そして不思議なことに、その人物がついた嘘によって、不幸に陥れてきた事象が多ければ多い程、長期間、濃厚な尿を排出し続けるのです。」
無数の目と、目が合う。
三叉に割れた口が、ゆっくりと開くと、中では赤黒い肉壁に、ミミズのような小さな触手が、びっしりと無数に並んでいた。
「すっ!すまなかった!!謝る!全部謝る!!償うから!!!頼む!!助け!!!助けてくれ!!嫌だあああああああああああ!!!!!」
紳士を絡め取った触手が、ゆっくりと口の中に押し込まれてゆく。
中の無数の触手が、紳士を求めるように我先にと絡みついてゆく。
「名前をつける、と先ほどおっしゃっておりましたが、所謂コードネームは既に御座います。研究体ナンバー1182、つけられたコードネームは“SWEET LIAR”、甘い嘘つき、です。」
頭から上半身を飲み込まれ、もごもごとうめき声をあげながら、肉塊の中へ沈んでゆく紳士。
やがて完全に姿が見えなくなると、肉塊の下部から白い液体が勢いよく垂れ流され始めた。
店主はゆっくりと歩み寄り、指先で液体をすくうと、一口舐める。
「人の不幸は蜜の味、とは、よく言ったものですねぇ。」
部屋を後にする店主の背後で、肉塊の一部が蠢き……、苦悶の表情に満ちた、先程の紳士とよく似た姿が、背面にニョキニョキと生えてきた。