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出立

「連中が戻ってくる前に町を出る」


 戦闘に参加できず、仕方なくアリシアの手を取って立ち上がると、イリシオスが戻ってくるなりそう告げた。

 ここ数年なりを潜めていた奴らがこの町を嗅ぎつけたとなれば、確かに長居は無用だった。否やはない。のだが。


「何でこいつだけ連れて行くんだよ?」


 コリアスと街道の中継地点となる比較的大きな町の市門が見えてきた辺りで、アフィは改めて隣を歩くイリシオスを見上げた。


 すぐ後ろには、露店でイリシオスが買った無表情な少女と、いつも以上にはしゃぐティスがいる。振り返らなければ、ティスが延々と独り言を喋っているようにしか思えない。

 それくらい、少女は存在感もなかった。


「他の子供(ガキ)みたいに、教会に預ければ良かっただろ」


 イリシオスが旅の途中で子供を保護するのは、珍しいことではなかった。長らく拠点にしていたあのコリアスの町にもおんぼろながら教会があり、戻るといつもそこに子供を預けて、色々と世話をしたりもしていた。

 だからこの少女も、出発前に預けるものだとばかり思っていたのだが。


「お前は、彼女がなぜお前と同じ指輪を持っているのか、気にならないのか」


「それは……なるけど」


 バンダナの下の鋭い眼差しにちらりと一瞥され、アフィは小声で唸りながら服の下に隠した首飾りに触れた。


 先程スリに切られて短くなってしまった革紐を結び直したそこには、女物の指輪が通っている。歪みのない金の円環に、月と星の意匠が施されたそれは、どう見ても一級品と分かる。


『それはお前の物だ』


 こんな高価な物が自分の物だとはいまだに信じられないが、あの石牢からアフィを連れ出したイリシオスは、確かにそう言った。

 この指輪はアフィの母親から預かった物で、この世に一つしかない特別製だという。だから、あの露店であの指輪が取り合われていた時、もうスリが売ったのかと思って飛びついたのだ。

 まさか、あんな露店で売買されるような孤児の持ち物だとは思わなかったから。


(まぁ、それはオレも似たようなものだけど)


 アフィも、両親の顔を知らない。自分の名前すら覚えていない。それくらい幼い頃から、アフィはあそこにいた。

 だからあそこから逃げ出して、イリシオスが人を探して旅をしていると聞いた時、一緒に行くと決めた。自分も、自分の両親と、本当の名前を取り戻そうと。


「単純に、一つじゃなかったってことじゃないのか?」


 いまだ納得できなくて、安易な可能性を口にする。だがイリシオスは相変わらず謎の確信と共に「それはない」と否定した。


「その指輪には、お前の母親のイニシャルが入っている」


 その言葉通り、指輪の内側には「C」の文字が刻まれている。イリシオスは露店でのいざこざの内に、そこまで確認していたということだろうか。


(相変わらず抜け目のないヤツ)


 剣や武術や生きる術を教えてくれたのはイリシオスだが、こういう所は相変わらず不気味なくらいだ。


「気になるなら、お前もアリシアと会話をすればいい」


「会話って言っても……」


 ちらりと後ろを振り返る。ずっとティスの声しか聞こえなかったが、やはり横にはアリシアがいた。


「髪長いねぇ。もうどれくらい切ってない? 一年くらい? あたしがあとでお手入れしてもいい?」


 伸び放題でろくに手入れのされていない髪を、ティスが嬉しそうに右から左から回り込んで眺めている。今まで男しかいなかったからか、余程女の子が嬉しいらしい。


 だがティスの輝くような銀髪と並ぶと、アリシアの灰色の髪は一層惨めに見えた。表情がないせいで濃紫の瞳は陰鬱(いんうつ)さに拍車をかけるだけだし、ぼろぼろの簡易服(チュニック)から伸びる枯れ枝のような手足は、貧弱の一言に尽きた。


(まぁ、逃げ出した時のオレも、あんなもんだったろうけど)


 ガリガリに痩せていた頃に比べれば、剣の訓練と長旅のおかげで十五歳並みに筋肉もついてきたし、短く切った金の髪も青色の瞳も健康的で、孤児には見えない。

 あとはイリシオスの背を追い抜くだけだが、拳二つ分近い差は中々埋まりそうにない。


「あいつ、全然喋らねぇじゃん――たっ」


 視線を前に戻して、率直な感想を口にする。と、後頭部にごんっと何かがぶつかった。


「こらアフィ! なんてこと言うの!」


「文句言う前に物ぶつけんなよなっ」


 痛みの走った後頭部を押さえて後ろを振り向く。と、可愛らしい犯人は自分の周りに更に幾つもの小石を浮かべて威嚇体勢をとっていた。

 ぷりぷりと怒っている。


「アリシアは喋りたいことはいっぱいあるけど、事情があって感情を上手く表せないのよっ。知りもしないのにそんなこと言っちゃダメでしょ!」


「いつの間にそんなことまで聞き出したんだよ! ってかその石を下ろせ、危ないだろ!」


「人のこと悪く言う子はお仕置きです!」


 言いながら、ティスの周りに浮いていた小石がふわりと動き出す。その顔は、今しがた怒っていたのが嘘のように悪戯っ子のそれになっていた。


「バ、バカ! こんな所でッ」


 小石の一つが顔面すれすれをバシュッと横切り、アフィは慌てて道の先に向かって逃げ出す。


 ティスは呼吸をするのと同じ感覚で、水や風を操る。干渉できるのはどうやら、創世神話に出てくる原初の神の一つである四元素だけのようだが、頑張れば風を伝って遠くの気配を追ったり、水を鏡のようにして遠見することもできるとも聞いた。

 説明だけ聞けば少しはご利益のありそうな能力だが、こういう時の悪乗りはいつも怪我と紙一重だった。


 ダーッと市門めがけて全速力で駆けだしたアフィと、それを楽しげに追いかけるティス。


 それをイリシオスはいつものように見送りながら、同じく取り残された少女を見た。

 よくよく注意して見てみれば、長い灰色の前髪の下で、アリシアの濃紫の瞳が僅かに見開かれているのが分かる。

 それを確認すると、イリシオスはほんの少し目許を緩めた。まるで彼女が何に驚いているか承知しているように、横に並ぶ。


「ティスは、ひとの気持ちを推し量るのが得意なんだ」


「…………」


 その言葉に反応するように、アリシアが長身のイリシオスを見上げる。その瞳はけれど、物言いたげのようにも、何も感じていないようにも見える。

 遠目に見ていたアフィは顔を(しか)めた。


(オレからすれば、どっちもどっちだけどな)


 ティスは確かに人の機微に鋭く、アフィの些細な感情のぶれにもすぐ気付く。だがイリシオスだとて、いつも全てを見通すような達観した風情で、動揺したところなど見たことがない。

 その先見性は、まるで隣国のパゴニス神教国に時折現れるという予言者のようだと思うことさえある。


「イルがあたしを褒めてくれた気がする!」


「あっ、ティス!」


 どんどん大きくなっていた石をぽーんと投げ捨てて、ティスが文字通りイリシオスの元に飛んでいく。急に放り出されたアフィはけれど、助かったと安堵する前に、別の面倒に対応する羽目になった。


「何だ、お前。一人で慌てたり石投げたり」


 そう呆然とした声を上げたのは、すぐ後ろでそれを見ていた門番だった。アフィは慌てて誤魔化す。


「すいません。ちょっと変な虫がいて、投げて追っ払ったんです」


「虫ぃ? でもさっきの石、変な方に飛んでなかったか?」


 門番の疑問も当然だった。

 石はティスの手元からアフィに向けて投げられる寸前だったのだから、あの動きは不自然だ。だがティスが見えていない門番にそれを説明しても伝わらないのだから仕方がない。


「まさか。どこかの王様じゃないんですから、魔法も魔術も使えないですって」


「そうだよなぁ。その身形でパゴニス神教国の王子様は……ないよなあ!」


 ガハハッと豪快に笑い飛ばされた。笑って誤魔化したのはこちらだが、あまりの遠慮のなさにちょっと顔が引きつる。


(まぁでも、これが普通なんだよな)


 ティスは、何故かイリシオスとアフィにしか見えない。そのうえ水や風を自在に操り、滑るように飛ぶから、ずっと神話に出てくる精霊か何かかと思っていた。

 その証拠に、もう七年は一緒にいるが、その容姿はずっと少女のまま老いることがない。


 旅を始めた頃には、素直に疑問をぶつけたこともあるが、


『ティスって……なんなの?』


『あたしは永遠の十五歳よ♪』


 満面の笑みで意味不明の回答をされて以来、気にすることはやめていた。


(でも、アリシアにはティスが見えている)


 何故かと考えても、ティスのことがそもそも分からないのだから、答えの導きようもない。それに、指輪のこともある。


(やっぱイリシオスの言う通り、一度ちゃんと話した方が良さそうだけど)


 二人に両脇を固められてこちらに歩いてくるアリシアの瞳は、やはりどこか眠たげで、覇気がない。


(できる気がしねぇ……)


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