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名前 Ⅱ

 エイレーネが額が床につくほどに頭を下げるその横で、アフィはアリシアに向き直った。


「アリシア。……大丈夫、だよな?」


 アリシアの気持ちを聞かずに答えてしまったが、今のアリシアならもう揺らがないような気がしていた。

 エイレーネの目的が何かは分からないが、もうこれ以上危害を加える気がないことだけは分かる。


「うん。大丈夫」


 案の定、アリシアはどこか晴れやかな笑みでそう答えてくれた。


「じゃあ、扉の向こうにいるから」


 そう言って、アフィもまたグレクの後に続いて部屋を出る。

 扉を閉め、書斎で待っていると、すぐにエイレーネのすすり泣くような声が聞こえてきた。

 それは聞いてはいけないような気がして、アフィは徒然にグレクに話しかけた。


「その無精ひげ」


「ん?」


「顎の傷を隠してるんですか?」


 特段興味があったわけでもなかったが、先程の『戦場』の単語を聞いた時、ふと思ったのだ。もしかしたら、この男はあの内乱に従軍していたのではないかと。

 カロソフォス城の近衛などは要人警護で前線には出ないだろうが、門番や衛兵ならば駆り出されることもあるだろう。


 だが男は気にした風もなく「別に」と顎をさすった。


「気にしちゃいねぇよ。今更近衛に戻るでもないしな。ただの面倒くさがりなだけだ」


 やさぐれるでもなく言ったその言葉に、けれどアフィは別の所で引っかかった。


(近衛に戻る? ってことは)


 元は王族付きの精鋭だったのか、と考えて、それは少々違和感がある、と気付く。


「もしかして、何か失敗でも?」


「お前、ちょいちょい失礼な奴だよな。ちょっと配置が悪かっただけだ」


 配置、というと、内戦後に宮廷を去らざるを得なかった陣営ということか。


(ん? それってつまり……)


 サロリナ王妃派ではないのか、とまで考えて、ふとグレクの顔を見た。妙な既視感が、今更込み上げる。


「あんた、過去にどこかで会ったことがないか……?」


「あ? まだ気付いてなかったのか」


「は?」


 あっけらかんと言われて、アフィは一瞬何のことかと思った。

 しかし次の瞬間、十一年前の牢獄でのことが刹那に想起されて、まさか、と思った。


 グレク。元近衛。王妃付きの。


「まさか、ルカス王子誘拐事件の時、牢獄にきた王妃の後ろにいた……」


「そう、あの時王妃の護衛として側にいたうちの一人だ」


「な……」


 あっさりと告白された事実に、しかしアフィは呆気に取られて言葉もなかった。

 成る程、王妃付きだった護衛を嫌って、王母コーラリアが彼らを遠ざけたということか。戦場に送られたのも、王妃を陰ながら援助、支持する派閥をなるべく減らしたいと考えたのかもしれない。


 そしてそうと分かれば、納得できる部分もある。


 この男が初対面の時、アフィの名前を聞いて見せた反応。指輪を見せた時の動揺。何より、城への侵入者を追っていた名目なのに、教会での捕り物に瞬時に切り替えた理解の早さ。


 そして更にその先にある、一つの可能性にも思い至る。


「ならあんたは……王妃の亡命先についても、何か知ってるのか?」


 しかしこれに、グレクは一瞬で空気を変えて否定した。


「それを知りたきゃ、先にルカス王子の居場所だ」


 それは当然の要求だった。

 教会でエイレーネを追うとなった時も、アフィは追いつけば分かると言ったのだ。


 しかし実際にはルカス王子とアリシア王女は時を超えて十五年前の過去に現れているはずだ。エイレーネの言を信じるなら、二人を呼び戻す手立てもない。グレクの理解を得るために説明しても良いが、体験していない人間に納得してもらうのは至難だろう。


 だが今この時を逃せば、サロリナ王妃に繋がる手掛りは消えてしまう。それだけは出来ない。

 たとえ親子の名乗りが出来なくても、アリシアに王妃と会わせてやりたい。


「分かった」


 と、アフィは苦い声で首肯した。


「俺が知っている限りのことを話す。但し、どんなに突飛で現実離れしたことでも、全て事実だと思って聞いてくれ」





 全てを説明し、額のバンダナもとって痣を見せても、グレクの顔には信じられないとありありと書かれていた。さもありなんだ。


「それが事実だとして……」


「残念ながら事実だ」


 強張った顔で言葉を紡ぐグレクに、アフィは冷酷と分かっている言葉で肯定する。するとグレクは、大きく息を吐き出して髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。


「だったら、妃殿下はもう二度と、二人の子供に会えないということか」


 その言い様は、アフィの説明を殆ど信用したということ以上に、サロリナ王妃の想いに寄り添っていると、確かに感じられた。


「あぁ。俺たちは間違いなく本人だが、こんなにも年の違う人間を受け入れることは難しいだろう」


 再会した我が子が変わり果てた姿になったと知れば、その心痛はいかばかりか。


「やっぱり、会わない方がいいのかな……」


 ルカス王子もいない今、王妃を探すのは自己満足だ。

 諦めるべきなのかと、寂莫とした感情が首をもたげた時。


「あたしは、会いたいな」


 背後の扉が開いて、アリシアの明朗とした声が飛び込んできた。驚いて振り向くと、目許をかすかに赤くしたアリシアが、いつもの元気を取り戻したように莞爾かんじと笑んでいる。


「アリシア」


「あたしがお母様に拾われた時、指輪を持っていたと話したでしょ?」


「あぁ」


「あたしの名前をつけてくれたのは、お母様なの。世界に一つしかないはずの指輪を持っていた理由を――真実(アリシア)を、いつか教えてって」


 そう言ってはにかむアリシアの双眸を前に、アフィはまた自分が勝手に自己完結して結論を導き出そうとしていたことに気付かされた。


 アフィは、申し訳ないと同時に、確かに恐れていた。

 しかしアリシアは、育ての母との約束を果たすために、希望を捨てない。

 そしてサロリナ王妃は……どうだろうか。

 その気持ちもまた決めつけていたが、本当の所は本人に聞かなければ分からない。


「……そうか」


 気付けば、苦笑が漏れていた。


「そうだよな。約束は、守らないとだよな」


 アリシアの晴れやかさが伝染したように、アフィも肩に入っていた力がすとんと抜ける。


「俺、別にまだいいって言ってないぞー」


 グレクが隣で拗ねるような声を上げていたが、アフィはもう少しアリシアの美しい笑顔を見ていたくて、さらっと無視した。


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