ありえない再会
◆ ◆ ◆
娘を取り戻すことは、叶わなかった。
けれど娘への愛を取り戻すことはできたと、フィリアの――アリシアの言葉を聞いた時にエイレーネは感じた。
(わたくしが、自分の愛を信じられなくても)
アリシアは、形のないはずの愛を、確かに感じていたと言ってくれたから。
それだけで、エイレーネは十分だった。
何より今、かたく抱き合う二人を見て思うのは、深い慚愧の念と、愛する二人を自分のせいで引き離してしまわずに済んだことへの、大きな安堵だった。
(あんなにも辛く苦しかった思いを、わたくしは娘にも味わわせるところだったんだわ)
それは自分の切願を叶えるためであろうと、あまりに皮肉なことと言えた。
愛する人がそばにいて、生きていることの価値を身をもって知っているエイレーネにとっては、何にもまして。
(エラスティス様……)
愛していたと、彼に伝えたい。二人を見て、切なく甘く、胸が疼いた。
コンコン、と扉が叩かれたのはその時だった。
「は……」
いつものように返事をしようとして、エイレーネは思い留まる。
エイレーネの私室を訪ねるのはサマラスだけだ。彼にはアフィに伝言を頼んだこともあり、道案内役もするだろうとは思った。だが別れ際の言葉もあり、彼はもうこの部屋には踏み込んでこないような気がしていた。
(こんな状況で……一体誰?)
一瞬で室内に緊張が走る。と思ったのに、扉に向かったアフィはなんの躊躇もなく扉を開いていた。
え、と思う間もなく、次には実に間延びした声が飛んできた。
「よォ。生きてたか」
見たことのない男が、そこに立っていた。
ぼさぼさの髪に無精ひげを生やした姿は、王都で見かける衛兵と同じ格好をしていなければ、ただの穀潰しのようにやる気が感じられない。
だがアフィの肩越しにエイレーネを認めたその目は、うだつの上がらない木っ端役人というにはあまりに鋭すぎた。
(誰……?)
「あんた、盗み聞きしてただろ」
場違いな男の呼びかけに、アフィが開口一番文句を付ける。
アフィはエイレーネが感じた諸々の不安を知らないが、その指摘は図らずも答えを提示していた。
つまり、彼らもまたサマラスと共にこの屋敷に来ていたのだろう。教会で拘束されていた時、アフィはもうすぐ衛兵が来ると言っていた。敵の本拠地に乗り込むのだ。確かに単身では危険と考えるのは道理だった。
「安全を確認していたと言ってくれ。通報じゃ、不思議な術を使う連中だとあったんでね」
一瞬見せた鋭さをさらりと隠して、男が飄々と嫌味で応じる。つまり、この部屋が危険かどうか見極めるために、エイレーネたちの会話に耳をそばだてていたということか。
「屋敷はこの部屋を除いて全て制圧した。お前の瀕死具合で全員で突入か一旦撤退かを決めようと思ったんだが……、大分ご機嫌のようだな?」
意味深な間を空けて語尾を上げた男に、アフィの耳も首筋も真っ赤になったのが、後ろにいたエイレーネからもよく見えた。
「この部屋も完了した……ました。用がそれだけなら下で待っていてください」
大分間を取ってから、アフィが忘れていたらしい敬語を取り戻して応じる。だが男は「それがな」と再びエイレーネに視線を滑らせた。
「一つ問題が発生してな」
「問題? 先程は完了したと」
「対処に困るって意味だ。サマラスに確認したら、そちらの女性が分かるのではというのでな」
その物言いたげな視線に、アフィやアリシアもエイレーネを振り返る。しかしエイレーネには全く心当たりがない。
その疑問を見透かしたように続けられた言葉は、予想もしないものだった。
「関係者でない人間がいたんだが――死んでるんだ」
男の不穏な言葉に、全員がエイレーネを疑う眼差しを向けた。
けれどエイレーネにはやはり皆目見当がつかない。男の言葉が事実だとしても、サマラスがそんなことをするはずはないし、無実の罪をエイレーネになすりつけるとも考えられない。
「伺います」
男の無言の威圧に、エイレーネは覚悟を決めて頷いた。だが高まる心音に反し、着いたのはサマラスの部屋だった。
『全てが終わったら、私の書斎へ行ってください』
別れ際の言葉が甦る。
(ここに、何があるのかしら)
恐怖というよりは困惑で眉尻を下げるエイレーネの前で、男が見張りに立っていた若者に声をかけ、戸を開ける。ちなみにサマラスと他の衛兵は、見付かった残りの信者とともに前庭にいると、アフィと男が話していた。
「こちらです」
男に導かれ、書斎の奥の寝室に入る。示されたのは、意外にも寝台だった。
「どういうこ、と――」
目の前の掛布を剥ぐ男に、エイレーネは困惑を強めて問いかける。しかしその下から現れた顔を見て、全て掻き消えた。
サマラスへの疑問も、男の敵意のような視線も、娘にどう思われるかも、何もかもが刹那の内に塵のように彼方に消えて、価値を失った。
現れたのは、精悍な顔つきに濃い亜麻色の短髪の男性だった。
閉じられた瞼の下には子供のような栗色の瞳が眠っていることを、エイレーネは知っている。
「――――エラスティス、様……?」
見付けられなかったと聞かされていたはずの最愛の人が、そこに横たわっていた。




