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真実 Ⅱ

 エイレーネが泣き止むのを待って、アフィは残っていた幾つかの質問を再開した。


 一つは、過去に飛んだ二人を呼び戻せるのかということ。エイレーネ自身がそれを行っていないのだから望みは薄かったが、それでも確認したかった。


 案の定、答えは否だった。


「時を超えるのは、恐らくパゴニス王家の限られた者が持つ魔法の一種で、生命の危機から脱するために本人の危機回避本能で行われた結果です。ですから、本人が強く望まなければ、不可能だと思います」


 だがこの説明に、アフィは謎が解決するどころか新たな疑問が出来てしまった。


「ま、待ってくれ。パゴニス……王家?」


 確かに導きの友愛(オビディアフィリア)がパゴニス神教国と近い関係にあるだろうとは思っていたが、王家とは初耳だ。


 まさか国の後ろ盾があるのかと嫌な汗が背筋を伝うアフィに、エイレーネが初めて穏やかな笑みを口元に浮かべて否定した。


「先程教会に現れた、赤子を抱いた女がいましたでしょう。あれが、パゴニス神教国で謀反の疑いで追われていた王女エイレーネ――十五年前のわたくしです」


 その説明に、思い出したのは城門で行われていた検問だった。町で聞いた噂と総合すると、確かパゴニスの犯罪者だか謀反人だかを探しているという話だった。


(それであの教会にパゴニスの神兵が現れたのか)


 そこまで考えて、すっかり彼らの存在を忘れていたことを思い出した。恐らくグレクの指示で衛兵たちがどうにかしただろうが、何人無事でいるだろうか。


 それはともかくとして。


「じゃあ、あんたも……アリシアも、王族だから、色んな魔法が使えたのか」


「ええ。今の時代ではありませんけれど」


 その肯定に、アフィは二つの意味で納得した。

 ずっと予言者の正体が掴めなかったのは、エイレーネもまたこの時代の人間ではなかったから。そしてその理由は、背中を焼かれ、命の危機を感じた赤子が、やはり十五年前の過去へと逃げ込んだから。


(……ん?)


 そこまで考えて、また新たな疑問が生まれた。


「そもそも、アリシアは……あの赤ん坊は、なんでサロリナ王妃のもとに現れたんだ?」


 先程の説明を信じるなら、十五歳のアリシアが無条件で自分を守ってくれる王妃がいる時代に向かったのは何となく分かるが、赤子のアリシアには無関係のはずだ。


 だがこの疑問に、エイレーネは弱々しく首を振った。


「それが……分からないのです。何故カロソフォス城だったのか」


 その呟きは悔恨に満ちたものだった。


 現象を理解して考えれば、赤子が警備の厳重な場所で保護されたことが、そもそもの悲劇の始まりと言えた。

 もし、何でもない市民にでも拾われていれば、エイレーネはもっと簡単に娘を取り戻すことができたかもしれない。


 二人が、何とも言えない苦さを噛み締めて押し黙る。

 それを破ったのは、こちらもまた悲しげな声をしたアリシアだった。


「それは、あたしのせいだと思う」


「! 違います。あの時あなたはまだ歩くことも出来ない赤ちゃんで、」


「ううん。そうじゃないの。あの時、あたしが指輪を落としたから」


 言い募るエイレーネを遮って、アリシアが長い睫毛を伏せる。


 確かに、アリシアは教会でパゴニス神兵に邪魔された時、アフィの指輪を落としてしった。だがそれと赤子と、一体何の関係があるというのか。


「アリシア」


 きっと良くないことを考えている。

 そう思えて、アフィは表情を翳らせたアリシアの前で膝を折り、屈んでその瞳を覗き込んだ。


「あの教会で、アリシアが守ってくれなきゃ、俺はきっと死んでた。俺も、ずっと君に感謝してる」


 思えば二人の前にはいつも走っても追いつけない問題が沢山あって、あの日の感謝の気持ちをずっと言えていなかった。


 アフィはアリシアの温かな両手を丁寧に掬い取ると、万感の想いを込めて口付けした。


「俺を、守ってくれてありがとう。そして……母に会わせてくれて、ありがとう」


「アフィ……」


 (すべ)らかな手の甲から唇を離せば、アリシアの瞳がうるりと歪む。そこに宿る感情はあまりに複雑で、朴念仁のアフィにはとても読み取れない。けれど、喜んでいるとは、とても見えなかった。


「アリシア?」


「……違うの。違うの、アフィ。本当は、全部あたしが悪いの」


 宥めるようなアフィの声に、アリシアがついに堪えきれなくなったように涙声で否定する。

 それは、アリシアが一人気付いてしまって以来、アフィに言わなくてはならないと思いながら、ずっと言えなかったことだった。


「アフィが両親と引き離されたのも、ずっと追われてたのも、過去に飛ばされて、二度とお母様に会えないのも……全部! 全部あたしがいたから……!」


「フィリア……」


 罪悪感で、アフィの顔が見れなかった。

 エイレーネにどんなに否定されても、事実は揺らがない。

 アフィは、アリシアが現れたために全ての波瀾(はらん)をかぶる羽目になったのだ。


 その原因を、アリシアは知っている。


「赤ん坊だったあたしは、拾われた時、指輪を持っていた。だから、サロリナ王妃様はあたしを育てることにしたの」


「指輪……月と三つの星の、金の指輪」


 それは、十五歳のアリシアとアフィが出会うきっかけになったモノ。二人が持っていた、年代の違う同じ意匠の指輪。


「まさか……」


「多分、指輪同士が惹き合ったのだと思う。それに、お母様のお母上は元々パゴニス王家の方だから」


 震えそうになる声を必死に堪えて絞り出す声に、アフィが思い出したのはカロソフォス城の牢獄で聞いた不思議な言葉だった。


『三つ目……』


 アフィが信じてもらうために差し出した指輪を見て、サロリナ王妃は確かにそう言った。あれは、そういう意味だったのか。


「血と(えにし)、その二つが最も近くで揃っていたのが、あの場所だったということなのね」


 傍らで、エイレーネもやっと解を得たという風に息を吐く。だが二人の了解に比例するように、アリシアの顔は見る間に白く強張った。


「ごめんなさい。本当は、もっと早くに言うべきだったのに……あたし、怖くて……」


 握り締めた両手から、言葉以上の震えが伝わる。それがアリシアの隠し切れない恐れを、罪悪感を表すようで。


「アフィに嫌われてしまうのが、怖くて――!」


 もうそれ以上は言わせたくなくて、アリシアの後頭部を引き寄せ、自身の胸に押し付けていた。

 ぽす、と気の抜けた音が、アリシアを傷付ける言葉を押し留める。


「……バカだな」


「――――」


 たった一言に、幾つもの想いを込めて呟く。

 閉じ込めた胸の中で、アリシアがゆるゆると大きな瞳を更に大きくするのが、なぜか分かった。


(本当、バカだ。お互いに)


 こんなことで悩んでいたなんて。少しも気付いてやれなかった。


「嫌いになんか、なるかよ」


「!」


 ハッ、とアリシアが息を呑んでアフィを見上げる。その顔があまりにいとけなくて情けなくて、まだ青白い頬にそっと触れる。


「アリシアが指輪を落としてくれなきゃ、俺の所に来てくれなかったってことだろ? それはさ……怖いよ。アリシアに会えないことの方が、俺は何倍も怖い」


「アフィ……」


 声の震えが、僅かに収まる。けれどその大きな瞳にはじわりと涙が盛り上がり、ついにぽろりとその頬を転がった。


「でも、アフィ、あたしのしたことは……」


 罪は。


「決して消えはしないもの」


「…………」


 バカだなと、今度は心の中で呟いた。

 そんなものが罪だと言うのなら。


「だったら、俺がアリシアを守れなかったのも罪だし、もしかしたら、サロリナ王妃が赤ん坊のアリシアを拾ったのさえ、罪かもしれない」


「! ち、ちが……」


 ずっと蓋をしてきた告解に予想外の切り返しをされて、アリシアが驚いて首を振る。それを敢えて遮って、アフィは続けた。


「それが本当の罪なら、どうだろうと周りが裁く。でもな、アリシア。そんなもの、本当は俺たちの中にしかないんだ」


 それが、善く在ることのできない自分に対するただの罪悪感だとまでは、アフィは言わない。


 自覚してしまえば、当人にとってそれは贖いようもない罪になる。

 だからそれはアフィの中にも無数にあるし、贖う方法はやはり分からない。


 けれど一歩引いて見てみれば、そんなものはどこにもないのだ。もしかしたら、周りにさえも。


「俺がアフィに全てを黙っていたのも、王妃がアリシアを育てたのも、アリシアが俺を守って指輪を落としたのも」


 もしかしたら、エイレーネが娘を取り戻そうとしたのも、サマラスがエイレーネのために望みを叶えようとしたことさえも。



「アリシア。罪があるとしたら、それはきっと、優しさのそばだ」



「……アフィ……ッ」


 両手で手挟んだ頬に、次から次へと涙が零れた。

 指先を濡らす雫が温かくて、とても綺麗で、アフィは拭うのが勿体ないような気さえした。


 その瞬間に唐突に込み上げた衝動に、アフィは自分自身で驚き、けれど堪えきれなかった。


 そっと顔を落とし、砂糖水のような涙を舌で舐めとる。


「……え?」


 アリシアが、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げる。


「……アリシア」


 アフィが、唾を呑みこんで掠れた声で呼ぶ。


 アリシアもまた、その可愛らしい唇を開く。


「ア――」


 その前に、自分の唇で塞いでいた。ふぃ、の声が二人の口の中で音もなく溶ける。


(……愛しい)


 初めて触れる唇は、十五年ぶりに触れた体の何倍も熱くて、柔らかくて、そして涙の味がした。


(愛しい)


 体の奥底から突き上げる情動のままにアリシアの唇を奪い、細い体を抱く腕に力を込める。

 このまま、二人の心を隔てる体ごと溶けて混ざり合ってしまえばいいのにと、アフィは思った。

 そうすれば、アリシアが抱えている苦しみも隠している悲しみも、全部分かち合うことができるのに。


 名残惜しく唇を離すと、視界いっぱいに美しい濃紫の双眸が広がっていた。

 涙にきらきらと光る中に、間の抜けた面をした男を映している。


 それが自分だと気付いた途端、アフィはやっと現実を認識した。

 羞恥が瞬間的に駆け上って、顔と言わず体中を熱くする。


(……と、突然すぎるだろ俺っ!)


 あまりの脈絡のなさに、アフィはアリシアの視線から逃げるように顔を背けた。これで更に泣かれたら、アフィはどうしたらいいか分からない。


 どうしたら、と一人あたふたしていたら、ふと天啓のように指輪の存在が閃いた。

 アリシアから僅かに体を離し、懐から取り出す。


「それ……」


「あぁ。ずっと、アリシアから預かってた……と思ってたけど、元を辿れば、俺のだってことになるんだよな?」


 十五年前のあの日、教会を埋め尽くした火と瓦礫の中で失くしたと思っていた、母から託された指輪。


「うん……、うん。ごめんね。返すのに、こんなに時間がかかっちゃったけど、やっと……」


 笑顔を作り、アリシアが何度も頷く。だがその言葉が終わらない内に、アフィは今度はアリシアの左手を取った。


「ずっと、返さなくちゃって思ってたんだ。でも、今は違う」


 穏やかな表情とは裏腹に強い言葉で返さないと言うアフィに、アリシアの笑顔がかすかに強張る。

 その様子が、本当は指輪を手放すのを寂しがっているように見えて、つい苦笑が漏れた。


(二人して、こんなに不器用なんて)


「……アフィ?」


 戸惑うアリシアの左手を持ち上げて、細く、けれどとても綺麗な薬指に、傷だらけの指輪を通す。

 顔を上げれば、アリシアの瞳が零れそうなほどに見開かれていた。


 自然、笑みが深まる。


「返すんじゃなくて、贈ることにした。俺から、アリシアに」


「…………ッ」


 ぽろりと、音がしそうな程に大粒の涙がアリシアの頬を転がった。

 涙を止めたかったのに、また泣かせてしまった。


「ア、アリシア?」


 どうやら何をやっても泣かせてしまうらしいと、アフィが一人おろおろする。その胸に、アリシアが涙を散らして飛びついた。



「……アフィ、大好き……っ」



 感極まった涙声に、アフィは一瞬驚いて、それから改めてその細い体を抱きしめる。


「うん、俺もだ」


 腕の中の温かさが、肌を通って心の奥底にまで届く。

 瞼を閉じると、アリシアと出会ってからの幾つもの出来事が蘇ってきたが、額の痣はもう痛まなかった。


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