捜索
『少女の心と魂、そして体を求めるならば、屋敷にて待つ』
それは、アフィから言葉を奪うには十分だった。
心と魂という言葉は、成程パゴニスの教えを基にしていると考えられる導きの友愛ではおかしくはないかもしれない。
だがそこに体を付け加えられれば、それは「知っている」と言っているも同義だった。
「アリシアの体の行方を、知っているのか!?」
ずっと、十五年前から探し続けていたアリシアの体。教会の周囲にも王都のどこにもなく、探しに出られる範囲にも見当たらなかった。
四年の間に、アリシアの体だけは過去に来なかったのではと仮に結論付けたが、先程教会の中をさっと改めた中に、それらしき姿は見付けられなかった。
但し、瓦礫に押し潰されて見る影もなくなったとしたのなら、アフィには一生確かめられることではないかもしれないが。
「予言者様は……エイレーネ様は全てをご存じだ」
そう応じたサマラスの声は、なぜか微かな自嘲を含んでいた。それがいかにも投げやりに聞こえて、腹の底で煮詰め切って凝った憎悪が火を噴き返すように、アフィはサマラスの首を万力で締め上げていた。
「ッ……」
「殺すな」
「!」
それを止めたのは、アフィについてサマラスたちを追ってきた男だった。
「そいつは重要な容疑者だ。一つも聞き出さない内に死なれちゃ困る」
「…………」
それは、冷静になれば至極当然の理屈だった。
実際、予言者が向かったという屋敷の場所を、アフィは知らない。サマラスを殺してしまえば、辿り着くのに余計な時間がかかるだけだ。
だがそれをどんなに思考しようとも、アフィの焦げ付きそうな憎悪に歯止めをかけるものではなかった。ともすれば、目の前の男すら邪魔者のように斬り捨てようとするほど、その目には敵意が凝っていた。
そのまま一触即発とならなかったのは、男の泰然とした冷静さ、そして第三者の声のおかげだろう。
「グレク隊長!」
新たに森から現れた年若い男が、目の前の男に呼びかける。それで男――グレクの視線は外され、アフィの気も僅かに削がれた。
足元のサマラスに意識を向けたまま、周囲に視線を巡らせる。
馬の繋がれている車を探すと、少し離れた位置に荷車が見えた。ぐったりとしたままのサマラスの襟を力任せに掴んで立ち上がらせ、引きずるように荷車まで歩く。
「屋敷まで案内しろ」
「…………」
応えはなかった。だがアフィは構わず荷台に強引に押し込んだ。そして自分も馭者台に足をかけようとした時、「おいこら」という声が追ってきた。
「勝手に何してる」
振り向けば、部下からの報告を聞き終えたらしいグレクがこちらに歩いてきていた。後ろに先程いた部下はいない。
他の祈祷者たちの拘束と、教会の鎮火が完了したことを報告していたのは聞こえていた。だがそれらはもうアフィには関係ない。無視して馬に鞭を入れようとすると、スッと目の前に白刃をさし込まれた。
「…………」
「そもそも、お前も重要な参考人だ。勝手に行かせることはできない」
「俺は……私は、行かなければいけないのです。邪魔しないでください」
馭者台から見下ろして、懇願というには強く敵意の滲んだ声で拒絶する。だが男はやはりそれに感情を動かすこともなく、呆れたような声で目を眇めた。
「『屋敷』だろう。一人で向かっても想定外の事態に対処しきれない。今別動隊を呼びに行かせている。それまで待て」
「…………」
反論の余地もない正論だった。女が残した伝言は、得体の知れない宗教結社の本拠地に来いというものだ。普通に考えれば、罠と捉えるのは当然だった。
(アリシアの全てが、そこにあるのだとしたら……)
女を捕まえることとアリシアの心・魂・体を取り返すことを同時に行うのは、あの不思議な力のことを考えれば難しいだろう。男の提案はアフィにも必要なことだった。
「……お願いします」
結局、アフィは絞り出すような声で協力を求めた。
先程の部下が戻ってくるのに、さほどの時間はかからなかった。
結局グレクは中堅どころや新人臭さが消えていない青年など、計四人を連れてサマラスの隣に乗り込んだ。
馬が走り出した後も、グレクは部下からの報告を受けていた。城に残った本隊への連絡に、全員を連行するための増員の要請、教会の管理者の確認等、他にも幾つか聞こえてきたが、どうやら全て先程のやり取りの間に済ませていたらしい。
この男がいればこのまま屋敷の制圧も可能かもしれないと考えたアフィが唯一頼んだのは、やはりアリシアのことだった。
「一人……奴らとは無関係の女の子がいるはずだ。その子だけは、絶対に傷付けないでくれ」
青灰色の髪と濃紫色の瞳という特徴も伝える。女の子、と言ったのは、アリシアの体だけは現代に取り残されたのではという希望的観測がずっと頭にあったからだ。
教会の崩落と同時に過去に飛んだアリシアの肉体を、あの騒ぎのいつ確保し連れ去ったかという筋立てについては何も浮かばなかったが、あの女の伝言が意味のない方便でないことだけは、確信があった。
果たしてサマラスの単語だけの道案内に従い荷馬車が辿り着いたのは、王都のすぐ隣に広がるさほど広くない子爵領地の山の奥だった。
「ここが……」
半分以上を蔦に覆われた赤茶色の煉瓦造りの館を見上げて、アフィが小さく呟く。
随分と古い建物だった。外壁の煉瓦は所々ひび割れ、車宿りがあったらしい玄関前の一帯は、素人仕事だろうが撤去された跡がある。そこに、無人の馬車が一台、ぽつんと取り残されていた。
(あれに、女が乗っていたのか)
館の前には、轍の跡と開けた空間がある。往時には美しく整えられていただろう庭園は荒れ果て、伸び放題となった樹木は四方を囲む鬱蒼とした森とほぼ同化している。
その中にあって、育てるのが難しいはずの薔薇だけが、色鮮やかに咲き誇っているのが余計に異質さを際立たせていた。
だがそれも、薔薇の向こうに建つ古めかしい教会を見れば、意図が察せられる。建築様式もパゴニス風のようで、元々この周辺の村がパゴニス神教に寛容だったのだと分かる。
「元はどこぞの貴族の別荘か何かかもしらんな」
すぐ後ろでサマラスに改めての尋問を続けていたグレクが、横に並んで感想を零す。だがそれも一時のことで、すぐに仕事の顔に戻った。
「中に残っているのは非戦闘員だけで、活動内容も知らない一般の信者ばかりだそうだ。パゴニス人の可能性が高いから、なるべく穏便に、負傷者を出さないで済ませろ。――但し、武器を持って抵抗する者には容赦しなくていい」
「はっ」
グレクの下知に、サマラスを拘束した者を先頭に部下たちが一斉に動き出す。
一方アフィは、一階から捜索を開始するグレクたちに背を向け、迷わず二階へと駆け上がった。
階段の手すりに僅かだが土汚れがあったからとか、人ひとりを隠すなら書斎よりも寝室などがある上階だろうなどという思考は、ほとんど後付けだった。
(アリシア……アリシア!)
初めて覚えた恋を諦めなければならないと知った時、アフィは彼女を妹として、家族として愛すると決めた。けれど今、この胸を激しく急き立てる感情がそうだとは、とても言えなかった。
(手放すんじゃなかった。離すんじゃなかった……!)
ずっと後悔していた。
十五年前、燃え盛る炎と襲いかかる瓦礫の雨の中、アリシアに庇われていたあの時、彼女の細く小さな体を力の限り抱きしめ返さなかったことを。
(アリシア、無事でいてくれ!)
その為だったら、他の何を犠牲にしても構わない。
それほどの哀願はけれど、二階の一番奥の部屋の扉を開けた瞬間、虚しく掻き消された。
「……お待ちしておりました」
簡素な机と椅子、そして二つの寝台が置かれただけの殺風景な部屋には、二人の女性がいた。
けれど十五歳の姿をした愛しい少女は、どこにも――中空にさえ、見付けることはできなかった。




