伝言
アフィたちがのぼってきた王都へと続く道から、衛兵姿の男たちが三人、四人と姿を現した。
(やっと来たか)
王母コーラリアの元から逃げ出す時、わざと見つかるように城内を逃げ回った。途中、仲間が大勢いるような声を聞かせてきた甲斐もあり、その数はまだまだ増えるようだった。
「この騒ぎは何だ! 城に忍び込んだ賊がここにいることは分かっているぞ!」
先頭に立った体躯のがっちりした壮年の男が、崩壊は止まったもののいまだ火が燻る教会と、その周囲を取り囲む白い祭服の人間を見比べる。そして一つ頷いた。
「どうやら、密告は事実だったようだな――拘束しろ!」
遅れて辿り着いた衛兵に目配せして、男が腕の一振りで命令する。それだけで、背後に集まった同じ制服を着た十人近い男たちが統率の取れた動きで散開する。悲鳴や抵抗はなかった。
衛兵たちが倍以上の人数を手際よく一ヶ所にまとめ上げる中、それを見守っていた男がアフィに目を留める。
傷と火傷と土にまみれたアフィは、この中では明らかに異質だった。お前は何者だと、視線だけで問われていることを察する。だからアフィは男が動く前に、その正面に移動して片膝をついた。
「信憑性もない通報を信じて動いていただき、深く感謝します」
「名無しの手紙と、昨日今日と続いた密告と、どちらの首謀者かをまず聞こうか」
部下の報告を受けながら無精ひげを撫でていた男が、泰然とそう応じる。それだけで、この男がアフィの準備した情報の半数以上を把握しているだろうことが理解できた。
(どうやら、当たりを引けたようだ)
アフィはこの時のために、細々ではあるが王都の衛兵や城下の治安維持、照灯持ちに宛てて、宗教結社導きの友愛に対する警告文書を送っていた。
特に衛兵に宛てては、パゴニス神教国の神兵と水面下で繋がっている可能性があることや、神兵が現れた時には特に警戒した方が良い旨を記していた。
最初の内は悪戯程度にしか扱われなかっただろうが、少しでも職務に忠実な者が目にすれば、パゴニスの神兵が現れた時点で何かしらの動きはしてくれるかもしれない。
そして昨日、下町でも城の門兵にも、それとなく接触して導きの友愛に不穏な動きがあると耳打ちした。
一つひとつは小さな種でも、数多く蒔いてその内の一つでも芽を出せば御の字だった。そして極め付きが、今日の城への侵入騒ぎだ。
その点についてだけは、導きの友愛にとっては完全な冤罪だが、水遣りとしては完璧だった。あちこちにばらまいた種がその騒ぎを吸って、簡単な誤誘導であっさりと怪しげな宗教結社を疑った。
そしてアフィの残した足跡を追い、見事この教会へと辿り着いてくれたのが、この男なのだろう。
「手紙は、間違いなく私が出しました。ずっと、あの妙な集団を懸念しておりましたので」
物語の騎士のように頭を垂れながら、アフィは男の声に頷く。
「ふむ。どうも誘われた感がするが……ひとまずは、そういうことにしておこう」
男は、少しもアフィの言葉を信じていないような声音でそう応じた。
「それで、お前は誰だ」
「はい。私はアフィリオスと申します」
「……この状況は、説明できるのだろうな」
名乗りのあと、一拍を空けて声を低くした男に、アフィは再度首肯した。
「ここにいるのは導きの友愛を名乗る集団で、過去には前国王シルウェステル陛下御嫡男ルカス王子殿下誘拐や、アリシア王女殿下誘拐未遂の容疑者です。そしてここでは、パゴニス神教国兵士と共謀して謀反を企んでいた疑いがあります」
「ほう。それはまた随分と大事だな。それはお前の希望か?」
「――証拠がございます」
男の嘲笑うような声に、アフィは一瞬の躊躇いを嚥下して、そう告げた。
「見せてもらおうか」
「……これを」
アフィは懐深くにしまい込んでいたものを右手で取り出すと、丁寧に手の平を広げて見せた。そこで初めて、男の声調が変わった。
「その指輪は……」
「サロリナ前王妃殿下のものです。ルカス王子殿下捜索の際に預かり、導きの友愛に拘束されている時に確かにお渡ししました」
「ではルカス王子もご一緒なのか」
「それは……」
初めて自分から一歩距離を縮めた男に、アフィもまた初めて言葉を濁した。その質問は当然予想できたものだ。だが当の本人は先程目の前で過去へと消えてしまった。指輪だけが残っているのは不自然極まりない。
だがアフィには、他に証拠として出せるものなど何もない。
だからアフィは、卑怯な逃げをとった。
「いいえ。ここにはいません。ですが、寸前で逃げた女――予言者であれば、あるいは」
「逃がしたのか」
「私の仲間が追っています。彼女なら、決して逃がさない」
アフィは顔を上げ、確信を持って断言した。
アリシアの力は、呪符などとは比べるべくもない。特に予言者は弱っていたし、アリシアには風でも土の檻でも、足止めの方法はいくらでもある。
ただ一つ、アリシアが見えていた様子なのが気がかりだが。
(今すぐこの男を連れて行けば、それで片は付く)
男を次の行動に移させるための言葉を操りながら、内心では刻一刻と過ぎていく時間に焦りを覚える。だがそれを表に出せば勘付かれる。
あとから思えば、その冷静さこそが仇になったのかもしれない。
大切な女性を手放した瞬間からみっともなく足掻き、慌て、助けを乞い求めれば、あるいは違う結果を得られたかもしれない。
だが、それを考えることが無駄であることだけは間違いなかった。
「……どういう、ことだ」
ルカス王子の行方を確かめるために、逃げた予言者の女と信者筆頭の男を捕まえる必要があると、アフィは早口で捲し立てた。そして隊長格の男を追い立てるように後を追ったアフィが見たのはしかし、全く予想外のものだった。
「なぜお前だけしかいない!」
森を抜け丘を下って行った先に現れた、畦道のような細い街道に停まった幾つかの馬車。その間に、体中を血と泥で汚した男が一人、ぽつねんと佇立していた。
その姿を見た瞬間、アフィのメッキの冷静さは剥がれ落ちた。
「答えろサマラス! 女は……アリシアをどうした!」
あの男がそうか、と隊長が確認する声に、応える余裕もなかった。アフィは道の彼方を力なく眺めていたサマラスの体を乱暴に掴んで地面に引き倒す。
周辺には、確かにアリシアが居た証拠のように、木々が傾き、折れた枝が飛び散り、地面が抉れている。馬車を倒したのもそうだろう。ここで何かがあったのだ。
だが馬乗りになって襟首を掴み上げても、サマラスは何の抵抗も示さなかった。
「答えろ! アリシアはどこだ!」
叫びながらも、言葉にならない不安ばかりが込み上げてアフィの胸を掻き毟った。最早主犯格の女がどこにもいないことなど二の次だった。
(やっぱり、行かせるべきじゃなかった……!)
あの女が、アフィたちを過去に飛ばしたのだ。だから、あの女が再びアリシアを過去に飛ばす可能性も当然危惧した。だがそれでも、今ここで決着を付けなければ、二人は再び出口の見えない苦しみに囚われ続けることになる。
そう思って、決断できたと思ったのに。
(なんで俺は、何度でも何度でも間違えるんだ……!)
サマラスの首を締め上げても、虚しさばかりが胸を占めて、苦しかった。もう何年も感じていない熱さが目頭に湧いて、ぎゅっと目を閉じる。
「……お前もまた、ただ一人の女のために生きるか」
低く掠れた声に、アフィはカッと目を見開いた。真下からのサマラスの声が憎悪よりもなぜか同情を感じさせて、余計に腹立たしかった。
サマラスが神と信仰のためという顔をしながら、どこか男として予言者に執着している気配は、アフィも感じていた。だがこんな奴に人間的な感情など求めていないし、理解したいとも思わない。同情など、屈辱でしかなかった。
「御託はいい。アリシアはどこだ!」
「……私は知らん。だが、伝言がある」
怒れるアフィの手を振り払うこともせず、サマラスが淡々と告げる。だが続けられたその内容に、アフィは裏腹にその手を放さざるを得なかった。
「予言者様は……エイレーネ様はこう仰った。『少女の心と魂、そして体を求めるならば、屋敷にて待つ』と」




