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襲撃

 振り返ると、ヒヨコを思わせる金髪に青い瞳を持った少年が立っていた。

 アリシアよりも、頭一つ分程大きい。

 長めの前髪に隠れた額には、薄く(あざ)のような模様が見え隠れしている。


 少年は指輪を持った男の手首を掴み上げると、アリシアの前に立ちふさがった。


 そのさまは、まるで指輪を取り上げられた少女を颯爽と助けに現れた騎士のようでもあったが、次の発言でそれが全くの見当違いであることが知れた。


「な、なんだお前!」


「その指輪はオレのだ。返せ」


「は、はあっ?」


「なんなんだこいつ! アリシア、お前の知り合いかっ?」


 腕を取られたまま、男が素っ頓狂な声を上げる。

 前の主人も訳が分からないとアリシアの肩を掴むが、アリシアは無感情に首を横に振るだけだった。


「この指輪は俺が買った子供が持ってた物だ! だからこれも俺のだ!」


「馬鹿言うな! 売ったのは子供だけだ! それは元々うちのだ!」


「なに関係ないこと言ってんだ! 今さっきそこでオレからスッただろうが!」


 再び勝手な言い分を始める大人二人に、しかし割り込んだ少年は更に不可解な理由で指輪を奪おうとする。

 少年が一体何者なのかは皆目分からなかったが、少なくとも困っているアリシアを助けに現れたわけではなさそうだった。


 そうと分かって、アリシアは再び、あの抑揚のない声で、こう言った。


「返して」


 と。けれどその声は張り上げるわけでもなく、言い争う三人の耳には少しも届かない。

 そのまま、苛立った男が少年に拳を振り上げようとした時、



「それは彼女のものだ」



 柔らかな男性の声が、頭上から降ってきた。


 喧々囂々(けんけんごうごう)言い合う三人を軽やかに出し抜いて、新たに現れた手が男が持つ指輪を静かに引き抜く。


 声を上げる余地もないほどの手際の良さだった。


 理解が追いつかない三人の視線を受けながら、指輪がアリシアの眼前に差し出される。


 指を差し出したのは、その四人の中でも飛びぬけて長身の、額にバンダナを巻いた男だった。

 くすんだ亜麻色の髪と淡々とした表情に反し、宝石のように澄んだ碧色の瞳だけが、不思議な存在感を放っている。


「な、何なんだ、次から次へと!」


「なんだこの盗人は! 返せ!」


「…………」


「…………」


 周囲の怒声などまるで聞こえていないように、男は真っ直ぐにアリシアだけを見つめている。


 会話はなかった。

 だがアリシアは、気付けば両手を椀の形にして差し出していた。

 そこに、ぽとり、と指輪が落とされる。


「…………」


 少し離れていただけの指輪を、アリシアは束の間見つめたあと、ぎゅうっと両手でかたく握りしめた。

 その様子はやはり終始無表情でありながら、強い安堵を示すようでもあった。


 それを同じく淡々とした表情で見つめていた男はけれど、一瞬だけ口元を綻ばせた。

 だがそれに誰かが気付く前に、伸びてきた腕がその肩を掴んで引き戻した。


「こら、イリシオス! 後から来てなにしやがんだ!」


 ヒヨコ頭の少年だった。


 大人二人の不審な眼差しとともに抗議をするが、イリシオスと呼ばれた男はしかしまるで動じる様子もなく、剣だこのある長い指で通りの向こうを指し示した。


「お前のは、あっちだ」


「は?」


 少年がぐるりと首を回して指の先を見やる。

 途端、「あーっ!」と叫んで突然駆けだした。


 大人二人は突然の奇声にびくっと体を揺らし、嵐のように消えた少年を見送った。


 アリシアも僅かにその背を見ていたが、すぐにイリシオスに顔を戻すと、深く腰を折った。


「ありがとう、ございました」


 その声は変わらず機械的で、一見すると心が籠っておらず、ただ儀礼的に述べたようにも聞こえた。

 けれど深く長く下げられた頭が、その感謝の度合いを確かに示していた。


「……あぁ」


 イリシオスの声が、少しだけ優しくなって頷く。

 しかしそれに続くかと思われた声は、呆気に取られていた二人の大人が正気に戻ったことで遮られた。


「い、一体何なんだあんたは!」


「そうだ! 突然横から口を挟んで、人の物を勝手に、」


「勝手なのはあんたらだろう。この指輪は、明らかに彼女のポケットに仕舞われていて、所有がはっきりしている。それを奪うのは窃盗と同じだ」


「ぐ……っ」


 イリシオスの言い分に、大人二人は完全に負かされていた。

 それはどこまでも正論で、そして子供が大人相手に振るっても無意味なはずのものだった。


 それが分かったからこそか、大人たちは利は自分にあるとばかりにアリシアに手を伸ばしてきた。


「それでも、子供(これ)は俺が金を出して買ったんだ! 部外者が口出しするんじゃねぇ!」


 その手がアリシアに届く寸前、


「だったら更に俺が買おう。あんたの買い値の倍出す」


 イリシオスが、アリシアを守るようにその胸に抱き寄せた。


「……え」


「なん……っ?」


「金はもう渡したのか? 俺はどっちに支払えばいい」


 驚く主人たちに、イリシオスは反論の余地を与えず話を進める。

 この瞬間、結託していたはずの前の主人が呆気なく裏切った。


「まだだ! 倍出すならあんたに売ろう!」


「はあ!?」


 買い手となるはずだった男が、信じられないと目を剥く。

 そこからはまた醜い争いだった。


 イリシオスはそんな二人の言い合いにはまるで興味がないように、その足元にぽんっと代金を放り投げる。

 男二人が慌てて奪い合う中、イリシオスは胸の中のアリシアを導くように、その細腕を掴んでさっさと歩き出した。





 つんのめるようについていきながら歩いたのは、大した距離ではなかった。


 不意にイリシオスが、通りの脇に伸びた路地に向かって呼びかけた。


「ティス」


「あっ、イル! こっちこっち~」


「イリシオス! 何で分かってたのに捕まえなかったんだ!」


 ぱっと花が咲いたような明るい少女の声と、不機嫌な少年の声とが同時に返ってきた。


 路地に入ると、先程のヒヨコ少年が、なぜか足下に見知らぬ男を踏みつけている。

 イリシオスは、物騒な少年の方に歩み寄ると、相変わらず淡々と応じた。


「俺は手は貸さない」


「またそれか! このけちんぼがっ」


 少年ががおうっと吠える。

 と、その油断を待っていたように、男が慌てて逃げ出した。


「あっ、待――」


「やめろ。指輪は取り返したんだろう」


「それは……そうだけど!」


「イルがいいって言ってるんだからいいの! ねぇ、それより、その子!」


 納得いかない顔をする少年を押しのけて、ティスと呼ばれた少女がずいっとアリシアの目の前に迫る。

 紫がかった瞳をきらきらと輝かせる様子は子供のような好奇心に満ちていて、美しい銀髪と整った白貌と相まって、創世神話に出てくる悪戯な精霊を思わせた。


「だぁれ? どうしたの? 奪ってきちゃった?」


「あぁ。奪ってきた」


「きゃんっ」


 額面通りに答えたイリシオスに、ティスが頬に両手を当てて喜ぶ。

 ティスがあまりに明るいからか、そのやり取りはどこか芝居がかっているようにさえ見えた。


 けれどアリシアが言葉を発したのは、別のことについてだった。


「同じ、色」


 それが何を指すものか、イリシオスもティスもすぐに理解したようだった。

 確かに、色味や輝きこそ違うが、アリシアとティスの持つ髪色や瞳は珍しく、少なくともこの町にはいない。


 しかしそれについて二人が口を開くよりも前に、更に別のことに驚いた者がいた。


「お前、ティスが見えるのか!?」


「?」


 少年が、目を見開いてアリシアの両肩を掴む。

 アリシアは、少しの間を空けてから、小さくこくりと頷く――瞬間、


「伏せろ!」


 イリシオスが叫ぶのと、少年がアリシアを抱きしめるのとは同時だった。


 アリシアを胸に抱き込んだまま横に転がった少年の頭上で、ガガッと何かがぶつかるような削れるような音が上がる。


「奴らか!?」


 アリシアの頭を守るように腕で庇いながら、少年が首だけを持ち上げて路地の奥を見る。

 奥は更に細い路地が入り組み、薄暗く、人影は確認できない。

 だが確信はあった。


「こんな失礼な挨拶するの、あいつら以外にいるわけないで、しょ!」


 飛ぶように高く跳ねていたティスが、着地と同時に両手を振りかざす。

 その瞬間、まるで風が可視の塊になったようにティスの手から放たれた。


「ッ!?」


 ドン! と爆発音に似た音が上がり、と同時に人の動揺する気配が伝わる。

 それが何人かと考えるよりも前に少年の膝が浮き、


「すっこんでろ」


「そうよ、アフィはその子を守るのよ!」


 両脇をすり抜けた二人に容赦なく足止めされる。


「は、はぁあっ?」


 なんでだよ! と叫んだ時には、路地裏に盛大に土埃が充満し、複数の足音が反対の通りへと消えていた。


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