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導きの友愛

 出口のない日々を終わらせたのは、それから二年もの月日を浪費した頃。贖罪のように夜な夜な探していた娘の気配が、どうしても王城の付近で途絶えてしまうことに気付いたことだった。


 それをサマラスに話したところ、カロソフォス城には今、王妃と血の繋がっていない王女がいるらしい、という噂を聞かされた。

 貴族の間でも内々にだが親探しが行われたとかで、一時期には王族との縁を強めようと、数多くの貴族が親だと名乗り出たという。


(フィリアだわ)


 それは奇妙な確信を伴って、エイレーネの胸を震わせた。

 なぜ物心もない赤子がそこを選んだのかは分からないが、王妃に保護されたのであれば、その衣食住は完璧に保証されたようなものだ。赤子は本能で、そこを選んだのだろう。


 そして何度探しても見つからなかったのは、城自体に何かしらの術が施されていたからだと考えられた。


 まだパゴニス以外の王族も魔法をよく扱えた時代には、よく用いられた防備の一つだ。特に建造が古ければ古い程、城や庭園、それを囲む壁にも魔法を退ける古代の魔法が組み込まれていることがある。

 現代には無知な人間により行われた増改築のせいで、物理的な攻撃にはほぼ意味をなさなくなっている場合が多いが、それでも弱い魔法程度にはまだ有効だったということだろう。


(フィリア……わたくしのフィリア……)


 娘の居場所が判明したその瞬間、まだ二か月だった首も座らない乳飲み子の体温が腕の中にありありと蘇り、胸の中に渦巻いていた葛藤はさめざめと色褪せた。


 エラスティスはどんなに目の前にいても、エイレーネの愛した男ではない。触れるごとに、笑いかけられるごとに降り積もる罪悪感は、幻だと知っていたに他ならない。


 けれどこの腕の中に蘇ったあの温もりは、本物だ。この手が生々しく渇望するあの熱い程の温もりは、小さくも確かな命なのだ。


(もう一度、この腕の中で、あの子の心音を感じたい)


 けれどエイレーネが城に上がっても、容易に王妃と会えるはずもない。サマラスの話では、王妃は名乗り出る者が揃って権力のために虚言を弄するからと、まず身元の確認とその出生関係などの調査報告をしてからでないと面会はしないと決めたそうだ。


 エイレーネは実の母だが、身元は証明できないし、調査報告にはこの時代では嘘しか書けない。信じてもらえる理由はなかった。

 だから、エイレーネは罪に手を染めると決めた。


 魔法で奪われたものは、魔法で取り返す。


 そう決意したその日のうちに、エイレーネは愛しい人の面影を日に日に濃くする少年にも、別れを告げた。





 それからは来る日も来る日も怪しげな魔法書を読み漁り、正しいかどうかも分からない術に傾倒していった。

 サマラスに頼んで様々な国の魔法や呪術に関する書物を掻き集め、代わりにエイレーネが知る限りの神識典や王家の秘密について話した。サマラスがそれを報酬の代わりにすると言ったからだ。


 サマラスがどんな意図をもってそんなことを聞いたのかは分からないし、追及する気もなかった。今思えば、サマラスは自分を裏切り使い捨てにした故国に復讐しようとしていたのかもしれないが、それもまたエイレーネには些末なことだった。


 自分が話したことで滅ぶ国なら、とっとと滅べばいいとすら思った。アルワードやパゴニスでこれから起こる出来事についても、問われれば構わず話した。それがどんな意味を持つのかを考える時間も思考も、もうエイレーネには残っていなかった。


(全ては、フィリアを取り戻すため)


 しかし本の通りに呪符を作り、血を混ぜたインクで術式を書き上げても、思った通りの力を発揮することは難しかった。それでも防備を無効化する術を組み込み、娘が屋外に出てくる時を待ち、入念に準備を進めた。


 そして娘が四歳になる頃、ついに計画を実行に移した。

 けれど狙いは逸れ、手元に引き寄せることが出来たのは娘の心ばかり。肝心な肉体の方は、見も知らぬ少年のものだった。どうやら、少年の手首に巻かれていたリボンに娘の気配が残っていたために、術が誤作動したようだ。


「……違う……」


 全ての魔力と精神力と血を使い切って、エイレーネは倒れた石床から起き上がることも出来ぬまま、悄然と呟いた。


「三年半……三年半も探して、やっと見つけたのに……」


 その日を境に、エイレーネの心は益々病んでいった。


 娘を取り戻すために、サマラスが少年を利用すると言ってきた時も、何とも思わなかった。

 気付けば住む家が代わり、地下にある酒蔵から時折泣き声や悲鳴が聞こえるようになった。胸が掻き毟られる程罪悪感に苛まれる日もあれば、淡々と呪符を書き溜める日もあった。


 サマラスが不在の日には、遠巻きに少年を眺めることもあった。この子供が邪魔しなければ、と憎悪を掻き立てられることもあれば、同い年の少年に娘を重ねて、懺悔するように泣きじゃくる日もあった。


 少年が八歳になり、王都にいたエラスティスもついにパゴニス神教国に旅立ってしまったと知った数日後、城からの追手が現れた。少年を取り戻された時、恐ろしさもあったが、同時に安堵もあった。


 フィリアの心を失ったことだけは悲しかったが、心も魂も、どんなに離れていてもいつか必ず肉体の元へと戻る。何より、これでもう少年の姿に苦しむこともなくなる。また娘を堂々と探せるし、エラスティスにも顔向けできる。


 それからの七年は、全てをサマラスに任せた。最早王都に拘る意味もなかったエイレーネは、言われるがままに再び新しい屋敷に入り、部屋に籠った。最初の一、二年は、何もしない時間の方が長いくらい無気力に過ごした。


 サマラスはその間に再び屋敷に出入りする同郷者をまとめ、組織立って系統化し、戦闘と間諜と内仕事で人を分けた。エイレーネの力を攻撃用に転用できないかと言われて、術式を組み替えて何枚か作った。人を傷つけると承知で、自分の血をインクに混ぜた。


 罪を手放したはずなのに、また罪を重ねていると分かっていた。けれど、もう誰にも――神にも父祖にも、エラスティスにさえ、祈りはしなかった。



 もうすぐ、自分が元いた時代がやってくる。そう意識すると、この七年ずっと停止していた思考回路が、錆を落としながらぎしぎしと動き出すような気がした。


 サマラスとは、これから起こることを定期的に聞かれる以外、話すこともなくなっていた。それ以外で話したのは、いつだったか、出入りする人数が増えたため便宜上の名前が欲しいと言われた時くらいだ。


「名前……」


「えぇ。あなたが神へ求めることは、何ですか」


 今更になってなぜそんなことを聞くのかとすら、思わなかった。神に望むことも求めることも、何もない。それでも言えと言うのであれば。


(フィリア)へ……導いて……」


 そう答えたことすら、次の日には忘れていた。

 けれどいつの間にか導きの友愛(オビディアフィリア)と呼ばれる奇妙な集団が出来上がり、そこにはパゴニス神教国の伝説にしかない予言の巫女がいるという噂が流れたが、エイレーネの耳にはついぞ届かなかった。


 けれどある日、唐突に思い立って階下のサマラスを呼んだことがあった。

 その時居合わせた人々が驚いたように予言者(マディス)様と呼び、揃って平伏し祈りだした時には、流石に状況が分からず困惑した。

 逃げるようにサマラスを連れ出してお願いしたのは、エラスティスのことだった。


「助けてほしい人がいるのです」


 ずっとサマラスに助けられ、頼りきりだった上で、こんなことをお願いするのは厚顔無恥な行いだと、重々承知している。それでも、気付いてしまったからには、何か行動しないではいられなかった。


「もうすぐ……これから二か月以内に、ある男女が追手をかけられて国境を越えてきます。パゴニスとの国境があるリンドスの町を出て、ネメア川を越えた所です。その二人を、追手から逃がしてほしいのです」


 もしかしたら、助けられるかもしれない。


 そう気付いた瞬間、眠っていた全ての感覚が沸騰するように目を覚ました。あの川で彼を助けることが出来たなら、エイレーネは彼を喪わずに済む。そうすれば娘と三人、どこかでひっそりと平和に暮らせるのではないか。


 それは今まで見た夢想の中で最も清く手堅く、そして実現可能に思えた。逸る心のままアルワードの地図を引っ張り出し、二人で通った町や道の名前をなぞった。


 あの頃は自国の地理にさえ疎く、アルワード国内の位置関係など皆目把握していなかった。エイレーネは何も考えずエラスティスに手を引かれて逃げていただけで、倒れて出血した時に助けてもらった家族のいる村の場所も分からない。


 それでも、十五年前の記憶をどうにか引きずり出し、何度も何度も確認した。魔法で二人の気配を探ることは遠すぎるためか出来なかったが、それでも二人は今、謀反人として追われ始める頃だ。


 今なら――これから起こることを知っているエイレーネなら、助けることが出来る。


「……それもまた、予言、ですか」


 まるで十五年前に戻ったかのような必死さで訴えるエイレーネに、サマラスはいつもの仏頂面でそう問い返した。否、正確には質問という形を取りながら、断定的な命令を求めているように、エイレーネには感じた。


 感じてやっと、気付いた。

 自分の一言一言が持つ意味と、その大きさについて。


「――えぇ」


 気付いて、そして首を縦に振った。


 それが、エイレーネが自らの意思を持って導きの友愛(オビディアフィリア)を動かした最初だった。



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