始動
結論から言えば、アフィはそれから半年近く、カロソフォス城の一室に留め置かれた。
王妃の保護下に入ったことで拷問こそなくなったが、元々王妃はヴェルギナ王国から嫁いできた異国人であり、立て続けに男児を失った不吉な妃として、その発言力はほとんどなかった。
それでも国王に繰り返し説得を試み、その間にアフィも何度も現場検証や事情聴取を受けた。
身元を証明できないのが一番厄介ではあったが、治安維持や照灯持ちとして働いていた時の評判が、どうにかアフィの信用を守ってくれた。
この時ほど、真面目に働いていて良かったと心底思ったことはない。
だが釈放されてからも、導きの友愛の手掛かりは少しも掴めなかった。
王子失踪の件は緘口令が敷かれた上で、王命として王都内の石造りの建物は全て調べられたが、一年経っても王子へ繋がるものは出てこなかった。
二年が経つ頃には、一向に成果を上げられないことに不信感を募らせたガブラス大臣一派が、再びアフィを城に拘束した。
拷問までいかなかったのは、ひとえに王妃と、陰でアリシアが働きかけてくれたからだった。
だが他方では、王子がこうまで見つからないのは噴水の仕掛けに巻き込まれた事故死か、本人の意思による出奔ではないかという噂もあった。
両親に愛された四歳の子供の一体どこにそんな必要があるのかとアフィが怒り狂ったのは言うまでもないが、それもまたガブラス大臣の意図的な情報操作であることは明らかだった。
孤立無援となったアフィが、宗教結社ではないが、よく当たる占い師がいるという噂を掴んだのは、結局三年が経過した辺りだった。
その間に、アリシアの肉体を探すことはほぼ諦めていた。肉体はあの時、イリシオスたちの所に残ったのではないかという、確証も得られない空しい期待だけを残して。
アリシアの外見が十五歳のまま止まってしまったようだ、というのが、根拠の一つだった。一方、アフィは二十二歳になり、背もイリシオス並みには伸びた。
そして、内乱までついに一年をきった。
その間に、宮廷では次々と慶事があった。王弟殿下に第一子が誕生し、先々代国王の孫――つまりシルウェステル国王の年若い従弟が、パゴニス神教国の王女と正式に婚約した。
城中の人間が今後の勢力争いと新たな権力への画策を秘めて慶賀をばらまく中、アリシアは国王を守るために、カロソフォス城につきっきりになった。
王弟殿下の訃報が訪れたのも、この頃だった。領地を巡察中の事故死だったという。しかし幸か不幸か、この件を受けて国王の身辺警護はより厳重になった。
シルウェステル国王は御年三十五歳。頑健な肉体を持ち、健康状態にも不安はないと王妃は言っていた。アフィは真っ先に反国王派による毒殺を疑ったが、蓋を開けてみればそれは穿ちすぎだった。
「アフィ!」
王都内で調査を続けていたアフィのもとに、アリシアが今にも泣き崩れそうな顔で飛び込んできた。しばらくは呼吸さえ辛くなるほどに声を詰まらせていたアリシアが、どうにか事情を説明できるようになる頃には、アフィも覚悟が出来ていた。
(城には……しばらく近寄れそうにないな)
国王の崩御ともなれば、城中が儀式を始めとする様々な手続きや処理に奔走される。数日以内には、国中の城でも崩御を報せる弔旗が上がるだろう。
(王妃も……小さなアリシアも、きっと泣いている)
だが、今のアフィには、何もしてやれない。何も。
「侍医の見立てでは、毒の可能性は極めて低いだろうと」
唯一の懸念については、城の御殿医が王妃にそう告げたという。
考えてみれば、王妃が次子を産まなければ、王位継承権は国内には高齢となる前国王の王妹か、亡き王弟の忘れ形見しかない。わざわざ危険を冒してまで国王を弑する必要などないのだ。
だがどんな事情だろうと、ずっと人知れず側にいて、国王が倒れる瞬間も見てしまったはずのアリシアには、関係がない。
「何も、できなかった……」
アフィに伝えるべきことを伝え終えると、アリシアは再び崩れるようにしゃがみ込んだ。現れたときの激しさとは一転、まるで全ての気力を奪われたように眼差しは虚ろになり、そんなことばかりを口にした。
涙が流せないからこそ、そのさまは余計に痛々しかった。
けれどそれも当たり前だ。防げると思っていた父の死を、すぐ目の前でただ見ているしかできなかったのだから。
「アリシア……」
病気や寿命を前に、医師でもない人間が出来ることなど何もない。そんな正論で諭しても、アリシアの哀しみは薄れはしない。彼女は二度も、最愛の父を目の前で失った。その事実が残るだけだ。
「アリシア。オレは……オレたちは、無力だな……」
「……アフィ……ッ」
アリシアが弾かれるように顔を上げ、くしゃりと顔を歪める。一瞬アフィの胸に飛び込もうとして、けれどすぐに自分の膝を抱えて蹲った。それが、今の二人の距離だった。
触れる真似は出来ても、体重も体温も預け合うことはできない。
あ、あ……と、アリシアの掠れるよう弱々しい嗚咽を聞きながら、小さなちいさな体を両腕で包み込むようにして頬を寄せた。
魂の温もりと震えが伝わるようで、たまらなかった。
◆
その日から、アフィは一人で行動を再開した。アリシアには、落ち着くまで下町で間借りしている部屋で休むように言ってある。
まずカロソフォス城の王妃宛に、王妃に今後起こるであろうことを手紙に記した。
王女は次期国王として議会に認められないこと。王位請求者として、隣国パエストゥムに嫁いだ王姉と、亡き王弟の長子が上がること。それを理由に、残るヴェルギナ王国とパゴニス神教国も支援に乗り出すこと。
内乱は二年に渡り、その間に王妃と王女も命を狙われること。亡命を迫られる可能性が高いから、その準備をしてほしいこと。
そして最も重要なこととして、亡命先が決まったら、なるべく早く教えてほしいことを念押しした。
その後は再び王都内を捜索し、まず占い師を洗うことから始めた。その占い師が内乱を予言し、王都にも少しだが被害が出ると言った噂を掴めば、あとは拍子抜けするほど簡単だった。
王都内と思い込んでいた潜伏先は王都の外に広がる村の一つで、それが分かれば忌まわしき石牢もすぐに見つかった。一見すると普通の民家だが、その地下に造られたものだった。
その日のうちに王妃に報告に上がったが、やはり多忙を極めているようで、面会は叶わなかった。信用のおける侍女にルカス王子の奪還作戦の伝言を頼んだが、その返事が来るまでに一月近く空いた。
その間、アフィはというと、自分以外のイリシオスなる男が現れるのではないかと、監視の間中、複雑な思いで待ち続けた。
だがそれらしい人物は近寄りもせず、時間だけが過ぎた。
そしてやっと下町の家に届けられた書簡にはしかし、作戦が成功しても、落ち着くまでは城に近寄らないようにとしたためられていた。
(まだ王位が定まらない今は、戻ってもみすみす殺されるだけか)
アリシアの隣で書面を読みながら、アフィは仕方ないと納得する。四年間行方不明だった王子が帰還するには、時機がある。
そして読み進めた最後には、必ず迎えに行くことの証として王子に渡してほしい、と書かれてあった。
割れた封蝋を退け、改めて中をのぞけば、案の定、金の指輪があった。
「な、なんで、二つも……」
驚いて確かめれば、片方は古く傷だらけではあったが、やはり全く同じ物だった。四年前、釈放の担保として王妃に渡した、アリシアの指輪。
「良かった……」
そう口にしたのは、ここ数か月、めっきり口数の減っていたアリシアだった。アフィの手元を覗き込み、随分久しぶりに表情を緩めている。どうやら、アリシアにはその指輪の意図がすぐに分かったらしい。
しかしアフィには、何故このタイミングで指輪が返されたのか、さっぱり分からなかった。
(まだ王子は王妃の下に戻っていないのに)
一人首を傾げていると、アリシアに手元の書簡を指さされた。見れば、もう一枚、続きがあった。そこにあったのは。
『約束通り、あなたは王子を見付けてくれました。この指輪を、あなたにお返しします。』
短いけれど確かな、アフィへの感謝の言葉だった。
「……不思議な指輪だな」
四年ぶりに戻ってきた指輪をしみじみと眺めながら、アフィは呟く。
思い返せば、本当に不思議な縁を持つ指輪たちだ。
始まりはイリシオスとの出会いで、この指輪がなければアリシアとすれ違っても気付きもしなかっただろう。
そして今、触れることも、名乗る事すらできない母親から、今度はアリシアのこの指輪を贈られた。
『それはお前の物だ。誰にも見せるなよ。そして決して失くすな』
初めて会ったあの時、イリシオスがそう言った意味を、やっと深い所で理解できた気がした。言葉に反し、自身の指輪は教会で失くしてしまったけれど。
それでも、この手の中にはまだ指輪がある。
それはまるで、形ある希望のようで。
「アリシア」
隣に座る、輝きを取り戻した紫の瞳をまっすぐに見つめ、名を呼ぶ。
「取り戻しに行こう。全てを」
「うん」
 




