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王子

「最初に失せ物に気付いたのは、いつ頃ですか?」


「それが……二か月程前かと思っていたんですが、よくよく考えれば、半年くらい前にもこんなことがあったような気がして」


 城門で愛用の剣を預けたあと、城内の北に建つ使用人たちの宿舎の玄関口で、アフィは依頼者である小間使いの女性から話を聞いていた。

 失せ物と言っても、城内の仕事はそれぞれに細分化されており、どこで何が無くなったかを細かく監視するのは難しい。実際、女性も目の前にあったはずのものがふと気付くとなくなっていた、ということが度々あり、初めて不信感を抱いたという。


「無くなった場所と時期、品物は?」


「最近だと、先週、王子様の誕生日の祝宴が終わった後、片付けている途中で姫様のリボンとナプキンが一つずつ無くなっていることに気付いて」


 彼女の担当は主に東翼の王子王女の衣装や小物の管理で、その日も洗濯室に運ぶ途中だったという。他にも、王女のドレスを仕立てた際の端切れや、王女が拾ってきた木の実など、価値のあるものもないものも関係なく、ふと見ると無いということが度々あった。


 最初は物盗りかとも思ったが、明らかに一人の時にもその現象は起き、次第に気味が悪くなって、城下の知人からアフィのことを聞いて打診したのだと、彼女は言った。


「もしや、王女の物ばかり?」


「私の担当が姫様の身の回りなので、結果的にそうなってしまうだけとは思うのですが」


 だが周りに聞いたところ、そう感じている者は少なかったという。


「分かりました。何日か調べてみます」


「では、出入りにはこの許可証を使ってください。お帰りの際に返して下されば結構ですから」


 消えたという内容が内容だけに、衛兵は少しも本腰を入れてくれないのだとぼやきながら、女性は用意しておいた手の平ほどの木版を渡してくれた。


「どう思う?」


 小間使いの女性が仕事に戻ったあと、アフィは真っ先にアリシアに確認した。王女の身の回りの物ばかりが無くなっているというのは、そのまま王女の心を奪おうとする下準備なのではと思ったのだ。


 けれどアリシアはゆるゆると首を横に振った。


「分からない。物がなくなっていた記憶は、ないから」


 それもそうかと、アフィは腕を組む。四歳頃だとまだ所有物の管理意識は乏しく、王族であれば余計に気付かないかもしれない。

 そもそもの問題として、なぜアリシアは心を奪われ、アフィは誘拐されたのかという観点からも調べていたが、どちらも理由は皆目見当がつかなかった。


 ルカス王子は、このまま問題なく長じれば、王太子になることは確実だ。そのために王位継承権に影響があるのは王弟だが、現在宮廷内で派閥の対立が起きているという話は聞かない。

 結婚もつつがなく終了し、爵位と共に賜った直轄領での暮らしでは王女が生まれたばかりと聞く。


 しかし王女に至っては、心だけを奪う理由が少しも思い当らない。


「とにかく、今回ので何か手掛りでも掴めるかもしれない。アリシアは無くなったという場所を一つずつ見て来てくれるか?」


 藁にも縋る思いで、アリシアに頼む。


「オレは先に外を見てくる」


「うん」


 そうして、二人はそれぞれに手掛りを求めて調査を開始した。





 衛兵に止められるたびに許可証を見せながら、アフィは前庭から中庭、北の噴水庭園と見て回った。

 東翼周辺を重点的に歩いて確認したが、不審者や侵入した形跡などはやはり見付けられなかった。


(全然、覚えてねぇなぁ)


 当たり前だと苦笑しながら、色づき始めた木々を見回す。

 所々落葉もある道を歩いていると、不意に茂みの向こうからくすくすと笑い合う声が聞こえてきて、足を止めた。


(誰だ?)


 首を伸ばし、人の気配のする方へと足を向ける。噴水周辺の道から外れた、奥の木立へと続くくねるような小径の先に、数人の侍女の姿があった。


(あれは……まさか)


 侍女の色とりどりのドレスの中心に、三年前に見たきりの美しい金髪が見えて、アフィはドキリと足を止めた。王妃様、とか王子様が、という単語が聞こえてきて、先程の可愛らしい笑声の正体を知る。


(親子で散策でもしてるところか)


 さすがに国王はいないようだが、それでも近くには近衛兵も十分配置し、とてもアフィが近寄れそうにはない。


(これなら、安心か)


 勿論、母に会いたいという感情は、どうしようもなく根深く在る。

 けれどこの時代の王妃はアフィの実の母ではないし、そもそもアフィの身分で王妃に会うのはほぼ不可能だ。

 何より十五年も余計に成長している自称息子など、信じてもらえないどころかただの不審者でしかない。


(下手な郷愁は、目的を見失わせるだけだ)


 情熱や感情だけでは、どうにも出来ないことが増えてくる。特に何もかもを承知し、見通していたようなイリシオスの不在が、時々じわりと無力さを痛感させて、アフィを苦しめた。


 アフィは八歳の頃から、生きることも強くなることも、全てをイリシオスから学んだ。イリシオスは親切な師ではなく、いつも冷めた目でアフィを突き放していた。それでも、言われたことは十分でないながらこなしてこられたはずだ。


 けれど今一人になってみれば、何もかもが思うように出来ない。王子たちを守ると言いながら、近寄ることすら叶わない。


(イリシオスは、どんなやり方をしたんだろう)


 それは、ろくでもない考え方だった。何の道標にもならない幻影を、バンダナを触ることで追い出す。

 思考を切り替え、仕事に戻ろう、と踵を返した時、がささっと茂みを揺らして、目の前に何かが飛び出してきた。


「!」


 バチッ、と音がしそうな程に目が合ったのは、真夏の空のようにきらきらと輝く青色の瞳だった。

 アフィの腰ほどの背丈ながら、まるで臆することなく背の伸びたアフィを見上げている。


 自分だ。


 と、アフィは理論で思考するよりも前に、そう直感していた。

 だが相手はそんなことはどうでも良かったらしく、足を止めたのもほんの数秒で、再び跳ねる小鹿のように噴水に向かって駆けだした。


「おい、待っ――」


「まって、にいさま!」


 咄嗟に引き留めようとしたアフィの声に、小鳥が囀るような愛らしい声がかぶさる。王子を追うように現れたのは、同じ年頃の少女だ。その後ろでは、子供の突飛な行動についていけなかった近衛兵たちが慌てて動き出している。


(出し抜いたのか)


 四歳前後といえば、大人を驚かせたい年頃だろう。そう考えれば何となく子供の目的が読めて、あとは本職たちに任せるかと体の力を抜いた時、


「アフィ!」


 唐突に東翼の一階の窓から、アリシアが飛び出してきた。

 魂だけとなったアリシアには問題ないと分かっていても、こういった行動にいまだ慣れずにぎょっと目を剥くアフィ。

 だがそんなことにも構う余裕がないように、アリシアは続けた。


呪符(カリス)の気配がする。すごく濃い!」


「な!?」


 反射的に腰に手を伸ばす。だが馴染みの感覚が空振りに終わり、そう言えば入城の時に預けたのだったと思い出す。


「どこだ!」


「噴水の方」


 アリシアへの問いを周りに聞かれることも構わず、叫んで走り出していた。


(嫌な予感がする)


 だが伸ばした手は、あらぬ所から伸びてきた腕に捕まって捻じ伏せられた。


「誰だ貴様!」


「王妃様、お下がりください!」


 近衛兵だった。突然王子たちを追いかけだした不審者の頭と背中を、容赦なく踏みつける。


「待ってくれ! それよりも、二人を噴水から遠ざけてくれ!」


「何を言って――」


 アフィの背中に乗ったままの近衛兵が、険しく眉根を寄せる。だがその声も、次に上がったアリシアの悲鳴の前に、呆気なく掻き消えた。


「逃げて!」


 ハッと頭を上げる。

 見れば噴水に辿り着いた王子の横に、王女もすでに並んでいる。その表情が、おかしい。


(何を見て……?)


 疑問は、一瞬だった。

 王女の瞳は、すぐ下の噴水の水面を見ていた。秋の日差しを映してゆらゆらと揺れる水面の、そこから伸びてくる何か――人の手のような、白い何か。


「逃げてぇ!」


 アリシアの悲痛な叫びは、けれどアフィにしか聞こえない。

 あるいは、王女には聞こえたのかもしれない。けれどその表情はどこか魂が抜けたように虚ろで。


「逃げろ!」


 叫ぶ。

 けれど白い腕は水面から生え出て、ついに王女の小さな胸に届く――瞬間、


「動けぇぇえ!」


「ッアリシア!」


 アフィの怒号に弾かれたように、隣で眉根を寄せるばかりだった王子が王女に抱きついた。


「!?」


 驚いたように白い腕が一瞬後退し、次にはうねるように噴水の水ごと二人の頭上に伸びあがった。


 それまで何かが起きていることにも気付いていなかった近衛兵たちが腰を浮かし、その瞬間を逃さずアフィは駆けだす。


「あっ、こら――」


 背後の声など塵だった。駆けると同時に手を伸ばす。

 そんなに遠い距離ではない。けれど水は二人の目の前だ。まるで自分の両足に(おもり)がついているかのように体が重かった。


「なっ、なんだあれは!?」


「その手を放すなよ!」


 近衛兵を無視して叫べば、王子の青色の瞳と目が合った。あと少しで王女の幼い右肘にアフィの手が届く、という瞬間、


「ッ!」


 水の怪物が王子の半身を飲み込んだ。


「ッルカス! アリシア!」


 更に後方で、女性の絹を裂くような悲鳴が上がる。けれどそれは何の(くさび)にもならなかった。

 少女を抱きしめていた少年の腕は水の勢いに逆らえないままもがれ、そのまま噴水の中に引きずり込まれる。


 少年の右手が、助けを求めるように最後まで水の上に出ていた。

 その手首に巻かれた深紅のリボンが、血のように水面に尾を引き、抗えぬまま没して、


 消えた。


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