幕間
短いです。
左右対称の幾何学模様に刈りこまれた美しい庭園を歩いていた女性は、聞き慣れた泣き声とは様子の違う声が聞こえた気がして、ふと足を止めた。
「王子……では、ないわよね?」
息抜きにと、共に散策に付き合ってくれていた侍女を振り返る。
「はい。王子様は先程ついに泣き疲れて、今はベッドで泥のように眠っております」
「そうよね。こんなにささやかで可愛らしい泣き声ではなかったものね」
先程まで数人がかりで愚図る赤子を宥めて寝かしつけたことを思い出し、女性はくすりと眉尻を下げて苦笑した。
初めての赤ん坊も男児だったが、泣き声も静かで、三歳になる前に儚くなってしまった。あの時には随分泣いたが、待望の二人目はいかにも元気がよく、女性だけでなく側付きの皆が、疲れた顔をしながらも嬉しそうだった。
「でも、あなたにも聞こえたということは、わたくしが育児に疲れて幻聴が聞こえだした、ということではないようね?」
「そのようでございます」
二人は小さく頷き合うと、軽口もそこそこにして奥の並木道へと急いだ。どんどん小さくなる泣き声に焦りを覚えながら、木々の間に目を凝らす。
「いたわ」
白い布にくるまれた小さな体を見付けて、慌てて駆け寄る。両手で抱き上げようとして、
「お待ちください」
追いついた侍女に制止された。
「どうして」
「布に焼けた跡が見えます。王妃様の手が、」
「だったらすぐにわたくしの部屋に水の用意を。あと侍医の手配も。早く!」
「は、はい!」
一切の躊躇もなく赤子を抱き上げると、女性はそう命じると同時に自身も走り出した。
確かに抱き上げた布はまだ熱く、所々がさりがさりと嫌な音を立てて焼け落ちている。なるべく赤子の背中を触らないように抱き締めながらも、気になって振り返った地面にはけれど、焦げたような痕跡など一つもなかった。
「今、侍医に診て頂いていますが」
自室に戻り、大慌てでやってきた侍医に赤子を渡した後。侍女に手を洗われていると、先程の侍女が困ったような顔をして戻ってきた。
「まさか、助からないの?」
「いえ、命に別状はないとのことですが」
嫌な予感に思わず血の気が引いたが、侍女はすぐに否定した。しかしその次を切り出さない。
「どうかしたの?」
「それが、何やらずっと左手を硬く握りしめていたものですから、侍医が開いてみたところ……これが」
訝しむ女主人に、侍女はついに言い淀みながらも右手を差し出した。そっと開かれたそこにあったのは、ぼろぼろの皮紐に通された古びた金の指輪だった。
「この指輪……」
「少し年代を感じますが、それを除けば、王妃様の物と全く同じもののように見えて……」
侍女が戸惑っていた理由を知り、女性もまた息を呑む。
「金の円環に、三日月と三つの星の意匠、そしてわたしくのイニシャル。信じられないけれど……間違いないわ」
なぜ、と困惑しながらも自身の右手中指を見る。
そこには結婚が決まった時、母が祖国の意匠を取り入れて作ったという、世界で唯一の指輪が確かに嵌っていた。但し、こちらの方はまだ数年しか経っておらず、きらきらと輝いているが。
「どういたしましょうか」
盗んだわけでも、複製したわけでもない、指輪の謎。それを持っていた赤子の処遇について、いつもは冷静沈着な侍女もすっかり困り果てていた。
「そうねぇ。指輪のこともそうだけど、火傷のことも、それにどこから現れたのかも……不思議なことばかり」
清めたばかりの手を頬にあて、うーんと唸る。赤子の親探しはすぐにでもするつもりだが、不思議とあの赤子とはこの先も縁があるような気がしていた。
「……魂は、体と心のある所に顕れる」
「はい?」
突然脈絡のない言葉を口にした女主人に、侍女が思わず聞き返す。この国の生まれである侍女には耳馴染のない一文を、女性は優しく諭すように噛み砕く。
「わたくしの母が生まれた国では、魂と体と心は、それぞれがあるからこそそれぞれが存在するという考え方があるの。転じて、必要な物は、必ず必要な場所にやってくる、という意味の諺よ」
「はぁ……」
女主人の密かな決意に早速気付いてしまったというように、侍女が複雑な顔を作る。
二人は互いに顔を見合わせると、分かっているというように密かに微笑みあった。
この二人のやりとりが、なぜか異様に好き。




