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過去

ここから、シリアス多めになります。

 奇跡的に取れた宿は、外郭の端も端、娼婦宿に近いおんぼろだった。それでも一階の酒場には人が溢れ、活気に満ちていた。


「祭りは明日までだよな」


「明日が目玉だろ?」


「そうそう、教会で礼拝と(こっ)(かい)をして、丘の上の墓地まで行進するんだって」


 酒場の丸テーブルのあちこちで酒をあおりながら、男たちが雑談に興じている。話題はやはり明日最終日を迎える祭りのことが多い。

 だが他にも白い祭服や、昨日民衆の前に姿を見せた幼王と王母について話す声も聞こえていた。


「五年目で初めてお姿を見たが、まだまだ子供だな」


「全然前の国王様とは似てなかったな」


「母親似なんだろう。ほら、隣にぴったりとくっついてた」


「内乱が始まった時、まだ旦那を亡くして一年経ってなかったんだろ? よくやるよ」


 王都とはいえ、貧民街に近い区域では王侯貴族の醜聞などかっこうの酒の肴だ。他の席でも、パゴニス神教国で起きた謀反騒ぎだったりと、話す内容は似たりよったりだった。


「評判は良くも悪くもって感じだな」


 よく煮込んだトマトと挽き肉を何重にも重ねて焼いた料理(ムサカ)をつまみに、酒をちびちびと飲んでいたイリシオスが、ぼそりと呟く。


「どうでもいい。まともな金額でまともな飯が食えれば」


 それをぶっきらぼうに受け流しながら、アフィはトマトで煮た肉と魚の肉団子をばくばく口に放り込んでいく。実際、王権よりも今日の食事の方が大事な庶民にとっては、新国王に対する意識などその程度のものだった。


「じゃあな」


 一番多い量を一番早く平らげて、アフィが席を立つ。それから店を出た。アリシアがついてこようとしたが、押し留めた。




 街路に出ると、一気に空気感が変わる。酒場独特のすえた匂いは消え、石畳特有の整然とした景色に切り替わる。両側に伸びる店の軒先にはあちこちに火が入り、まだまだ多くの人が賑やかに行き交っている。


 その中にそっと気配を消して紛れ込みながら、アフィはそぞろ歩いた。


「平和な町だな」


 そしてぽつりと零れたのは、そんな言葉だった。とても、この町のどこかに狂信者がいて、世間も知らない馬鹿な餓鬼を監禁していたとは思えない。


「この町のどこかに、あの石牢があるのか」


 イリシオスは一度も明言したことがないが、アフィが閉じ込められていた石牢が、城と同じ都市内か、その近郊にあることは何となく想像がついた。

 四歳の頃には空しか見えなかったあの高い窓も、逃げ出す直前には屋根や人の頭らしきものが見える時があった。人の住まない森の中、というのでないのは確かだ。


「ここに……」


 知らず呟いて、服の下の指輪に触れる。

 この町で、アフィはイリシオスから指輪を渡された。母に繋がる唯一の品。


 その数日後に発生した火事で、アフィは混乱のどさくさに紛れてそこから逃げ出した。人間を気絶させる方法も、気配の殺し方も、鍵の開け方も、全部訓練の通りにできた。


 ただ、走って逃げることだけが、八歳の体に最も負荷をかけた。ずっと石牢にこもっていたせいで、筋力と持久力という点では幼児並みだったのだ。


 それでも走って走って、裸の足が血塗れになり、呼吸が苦しくなって、視界が白く明滅するまで走り続けた。後ろを振り返る余裕などなかった。一瞬でも躊躇(ためら)えば、今まで自分を教育してきた連中に捕まって、再びあの暗く冷たい石牢に連れ戻されるのは瞭然だった。


 今思えば、振り返って自分のいた場所を確認すれば良かったのかもしれない。そうすれば、すぐに残党を潰すことができたから。

 けれどアフィを見付けたイリシオスでも、あの場所を探し出すのには随分時間がかかったという。何も知識のない子供が一瞬見ただけでは、何も得られるものもなかったかもしれない。


 とにかくがむしゃらに逃げ込んだ山中の森で倒れたアフィのもとに現れたのは、あの連中ではなかった。


『無事逃げられたみたいだね』


 追手かと思っていたアフィは、そのあまりに可愛らしい声に驚き、追手でなかったことに安堵し、ついに気を失った。

 目を覚ましたのは知らない場所で、目の前にも知らない人間がいた。それがイリシオスとティスだった。


 気絶する前に聞こえた声で、ティスは開口一番、こう聞いた。


『名前は何ていうの?』


 目を細め、口角が上がったその顔を、アフィはその時初めて見た。怖くない、良い顔だった。だから、疑問も警戒も体中にいっぱい溢れていたけれど、素直に答えた。


『……知らない』


 と。すると、それまで黙っていたイリシオスが初めて口を利いた。指輪をくれた声だとは、すぐに気付いた。


『名前は必要だ。思い出せないのなら、自分で決めろ』


 その時の衝撃と感情を、アフィは今でも覚えている。


 名前。自分を示すもの。誰もが持っている、けれど自分にはないもの。

 忘れてしまったそれを考えては、いつも寄る辺ない思いに飲み込まれそうになっていた。

 それを、自分で決める。


 真っ先に思いついたのは、石牢の中で読まされた本の中にあった古い言葉の一つだった。


『……アフィリオス』


『不屈、か』


 自分の中の自分を、見失いたくなかった。連中が毎日自分という人間を否定し、洗脳し、操ろうとしてきたけれど、負けたくなかった。

 だから、自分が何か、と問われた時、望みを込めて、そう口にしていた。


『じゃあ、アフィだね!』


 ティスが、またあの良い顔でそう言った。あの時から、何者でもなかった少年はアフィになったのだ。




「オレはもう、あの頃のオレじゃない」


 ぐっと指輪を握り締めて、いつの間にか止まっていた歩みを再開させる。


 腕を組んで歩く男女の横を、子供たちが楽しげに駆けていく。男たちは露店の前で木杯を掲げ、女たちは明日の告解と昼飯について話し合っている。

 昼には見えていた白い祭服は、日没後は外での活動はしないのか、どこにもいなかった。巡回兵が僅かに行き交うだけで、パゴニス兵もいない。


「こんな町中ではさすがに襲ってこないかな」


 それでも警戒は怠らずに、アフィは町の中心地へと足を向けた。旧城壁の城門をくぐり、貴族街へと向かう内郭も過ぎれば、その見事な城壁はすぐに視界に捉えることが出来る。


「何度見てもでっかいな」


 感想はしかし、上滑りするように心が籠っていなかった。

 頭の中では上町を回る巡回兵の経路と時間が勝手に浮かび、何度も覚え込まされた城からの脱走経路の整合性を確かめる。

 躊躇など一瞬で、次には強い意志で足を踏み出していた。


 正門のある南から城壁伝いに北へと回り、使用人や商人が使う裏門を目指す。


 本来の計画では、アフィは行方不明だった王子として正面から訪れるはずだった。審議には数日かかるが、王子を名乗る者が門前払いされたことはなかったからだ。


 つまり侵入経路はないのだが、逃走経路ならある。そしてカロソフォス城でも丁度、晩餐が催されている時間のはずだ。特に今日は先日の記念祭からの宴が続き、貴族の出入りも激しい。紛れ込むのは容易だった。


 廊下の各所に建つ衛兵の目を盗んで記憶通りの城内を進み、厨房や酒蔵、洗濯室を通って、東翼を目指す。王族の居室は主に二階にあり、いくつもの寝室や図書室が並ぶ中に、目的の部屋はあった。


「……ここだ」


 その部屋の前に、衛兵はいない。だから簡単に侵入できた。

 そっと扉を閉めて、薄暗い室内を見回す。人はいない。使われている気配もなかった。けれど日々の掃除は欠かさないのか、隅々まで手入れが行き届いているように見えた。


「ここに、救世主(ソティル)がいたのか」


 無人の部屋は、声が良く響いた。アフィは然るべき時がきたら、王子を名乗って入り込み、ここで眠る王女を攫って逃げるはずだった。


「何も、ない」


 けれど今、部屋の中央にある天蓋付きの寝台には、誰もいない。役目を果たせない寝台は、虚しさばかりを横たえていた。


「まるで、オレみたいだ……」


 無意識に零れた言葉に、勃然と悪寒が走った。自らの腕を両手で掻き抱き、今にも喉から迸りそうになる激情をどうにか噛み下す。

 でなければ、この胸の奥から湧き出るどうしようもない怒りや憤りに任せて、室内をめちゃくちゃに荒らしてしまいそうだった。


「こんな……こんな下らないことで……!」


 衝動に任せて振り上げた拳を、強くつよく握りしめる。爪が手の平に食い込み、歯を食いしばりすぎて奥歯が潰れそうだった。額の痣が、割れそうに痛い。

 けれどどんなに言い聞かせても、四年という歳月以上のものを奪われたその価値がここにあったとは、到底思えなかった。


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