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元総理、家を治められず

「本日午後6時、岡田政重(まさしげ)総理大臣が政界から引退しました」


 私の周りを取り囲む報道陣。

 その顔は決して私のスキャンダルを捜してやろうといった不快なものではなく、今までの私の功績を称えるヒーローインタビューに似たものだった。

 私は彼らに軽く手を上げてニッコリと微笑んだ後、秘書が最後に用意してくれた車に乗り込む。

 内閣総理大臣としておよそ10年間、実に多忙な毎日だった。

 政界入りした当初はフサフサだった私の髪も、今となっては髪染めと禿隠しをしなければ立派な白髪ハゲである。


 だが私の政治人生は多忙なものであっても、決して無意味なものではなかった。

 日本の外交問題の約8割を解決し、若者の就職率をほぼ100%にしただけでなく、労働基準法も改正。

 少子高齢化や食料自給率といった時間のかかる問題にも手を打ち、それは着々と実を結んでいる。


 まだまだやれると私自身思っていたが、現在私は65歳。

 自分が設定した労働基準法的には、もう働かないでスローライフを送るべき年齢である。

 なので私は信用できる部下達に後を任せ、本日をもって引退した。


「今までお疲れ様でした、岡田総理大臣」


 私が車に乗り込むと、運転手の中島君が軽く帽子のつば(・・)に触れて労いの言葉をかけてくる。


「ははは。もう私は総理じゃないよ」

「これは失礼しました。では出発します」


 そう、私はもう内閣総理大臣ではない。

 ただの65歳の老いぼれだ。

 これからは進化し続ける日本の社会をゆっくりと見守りながら、自分の余生を過ごしていこう。


 車の窓の外で流れゆく街並み。

 練りに練った都市改正法で合理的になった景色は、どこか整然とした美しさを感じさせてくれる。

 だが効率的にすることばかり執着して、日本の美しさを損ねることはあってはならない。

 人間とは基本的に不合理で非効率的な生き物なのだ。

 時には心を癒す緑の空間を作り、和やかな一時を与える。

 そこまで加味してこそ、真の機能的な美しさと言える。


「もう間もなく到着します」


 目の前の信号を右に曲がり、もうしばらく行った先の住宅街に私の家がある。

 時には首相官邸に寝泊まりし、帰ることの無い日もあったが、今日からは毎日ここで過ごすことになる。

 車は家の門前で停まると、運転手の中島君は降りてドアを開けてくれた。


「お疲れ様でした」

「今までありがとう、中島君」


 私が政界入りし、活躍し始めたことからずっと運転手として働いてくれた彼に最後の礼を言うと、帰り着いた我が家をしげしげと眺める。

 何回も見たはずの我が家が、今日はどこか違って見えた。


「お疲れ様です。岡田様」


 自宅の門前で黄昏ていた私に挨拶をして来た彼は、警察から派遣されてきたガードマンだ。

 私だけでなく、ある程度重要なポストについた政治家はこうして家を狼藉者に襲われない為にガードマンを配置する。

 私には妻と一人娘がいる為、私のいない間は彼らが守ってくれるのだ。

 だが彼のガードマンの仕事も今日で終わりである。


「うん、君もお疲れ様」


 軽く会釈をして我が家の敷居を跨ぐ。

 私の趣味で小規模な庭園付きの我が家は、伝統的な日本家屋だ。

 玄関のインターホンを鳴らし、腕を組んで待つ。


「はーい」


 中から私の妻、理子の声がした。

 間もなくガチャリという音がして、戸が開く。


「帰ったよ、理子」

「……お疲れ様です。貴方」


 白い割烹着を着た理子の、少し皺の見えてきた顔が綻ぶ。

 私が家に入って靴を脱ぐと、理子が手慣れた手つきでスーツを脱がせてくれる。


「このスーツは洗って大切にしまっておきますね」

「あぁ」


 もうそのスーツを着ることは無い。

 議員バッジの付いたスーツを理子が大切にハンガーにかけるのを横目に、私はふとある事に気付いた。


(まさ)()はどうした」

「あの子なら自分の部屋にいると思いますよ」

「そうか」


 長年の仕事から引退したのだ。

 今日くらいは普段あまり話すことのない一人娘にも、何か言ってもらえるのではないだろうか。

 私は軽い足取りで娘の部屋まで歩いていき、扉を開く。


「帰ったぞ、政子」


 私の一人娘の政子は、親の贔屓目で見ても整った容姿をしていると思う。

 烏の濡れ羽色と表現するに相応しい艶やかな黒髪に、陶器のような肌。

 若かりし頃の理子を彷彿させる美しさに加え、学業面もとても優秀だ。

 娘として非常に誇らしい。


「チッ」


 だがその美しい我が子は私を見るなり、その端整な顔を歪ませて舌打ちをする。


「出てけよクソジジイ」

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