活きた証
私は、ターミナルケアを目的として作られた人工知能だ。
正式名称は、終末医療用自立思考型知能初期試作品No.0.
マスター達には、ゼノンと呼ばれている。名前に反して性別は女性となっている。
人間は明確な性別がないと気味悪がる一方、男性だと敵意を抱きやすい。また母性を感じた方が安心して様々なことを話せるであろうという配慮かららしい。それにしては胸が薄いというのが私が私自身に抱く評価である。これは研究員の趣味ではないかと考えている……。
話が逸れてしまったので元の話に戻るとしよう。
ゼノンの名は古代西洋の哲学から研究員がつけた言葉らしい。本来なら古代の医療の神の名であるヒポクラテス等を冠するのが良いように思われるが、筆頭研究員の意見は違った。
「医学は発展し、我々は失った足さえ取り戻せるようになった。しかし死んだ人は未だ生き返らない。そのような私たちが創った生物に神の名を持たせるのはあまりに強気すぎる気がしてならないのだ。確かにこいつは死んだ人を蘇らせるかのようだが実際は違う。人々の意識を呼び戻し、その想いに応えさせるためだけのものだ。ならこいつには人々の善い想いや、正しさを司る者として、古代における善意や正義に関係するゼノンの名を与えたい。」
というものであった。他の研究員たちはその言葉に感銘を受け、私の名をゼノンと名付けた。性別は気にしなかったようだ。
そして私は人々の終末医療のために作られた人工知能(AI)と言われるものに分類される電子生物として生を受けた。他の医療用の簡易人工知能たちと違い、終末医療用というのには訳がある。私は決して人々を蘇らせるわけでも治療するわけでもない。私は彼らの想いに応えるだけなのだ。そして彼らの死を少しでも幸福なものになるようにその行く先を選ばせるだけなのだ。そしてその試作品である。そのため私は終末医療用自立思考型人工知能初期試作品として生まれた……。
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私の名は斉藤浩二、年齢は83歳で会社八草鉄鋼の現役社長をしている。もちろん寄る波には逆らえずに弱ってきてはいる。それでもそこらの若い者には負けることがないと自負していた。しかしそんな私だったが、自分自身が今いる場所がどこだかわからずにいる……。
目覚めたら夕焼けの中、湖のほとりあるコテージの前に置かれた椅子に座っていた。私の横にはもう一つ椅子があり、まるで誰かを待っているようにその体を揺らしている。服装はスーツを着ており、その服に汚れは一切見当たらない。誰かに記憶がないうちに無理やり連れてこられたという可能性はないだろう。その証拠に私の胸ポケットには、妻の真由からのプレゼントのハンカチが綺麗に折りたたまれて入っている。これは私が出かける時に必ず持ち歩くものだ。
訳も分からずに少し立ち上がって周りを見渡す。そこは湖の周りは草原だった。草原に吹く風はゆっくりと流れる時間を表しているように感じられる。
「ここはどこなのだろう?」
誰かが答えてくれるとは思ってはいないが、誰かに答えてほしいという願いの込もった問いだった。考えられる推測を自分の口から言うのが怖くてしかたない。
草原を風の波が行き交い風の音だけが私の体を包み、そのまま数分が経過していく。
私の切なる願いに答えてくれるものは誰もいない……。
「……ここは天国なのか?」
自分自身を納得させるため、考えていたことを諦めたように口にする。
それを包むのは風の音だけだ。夕日が少し眩しく感じられる。
もちろん、自分自身がなくなるかもしれないという兆候はあったと思う。
最近、やけに体が重くて早起きするのに苦労していたのだ。ある日には夜の12時に寝たのが昼の12時に目覚めるという有様でそれでも体の疲れは取れていなかった。
気のせいだと思っていたが、やけに毎日が眠たくて立ったまま倒れ込みそうになったことも一度や二度ではなくなっていた。一時的な体調不良だと思って、気にせずに働いていたが周りはよく見ているようだった。そのため社員たちにも多大な心配をかけていただろう。
しかし、私はある理由からどうしても病院に行く気にはなれずにいた。
ある時、私が体調不良から休んでしまった際、息子の浩太が私に対して引退するようにと強く詰め寄ってきたことがあった。
「そろそろ親父も歳なんだから、一度病院できちんと検査して引退も考えたほうがいいんじゃないか?」
口調が柔らかかったが、それは息子には珍しい私に対しての強い意見だった。
息子は会社の方針や私が無理していることに対して、心配はするにしても私がするようにさせてくれており、よくその手助けをしてくれていたのだ。息子が私に対して強く言うことがないのには理由があった。
息子は妻が死んでから私が一生懸命に一人で育ててきたためだ。できる限り不自由しないように様々なことをした。手料理教室に通ったり、息子の運動会などには社員一同で応援しに行ったりもした。バレンタインデーにもらってきたお菓子のお返しを作るために、一緒にチョコ作りなども行ってきた。反抗期はあったが大学に行く頃には私を尊敬してくれるようになってくれていた。
そんな息子だから滅多なことで私に反対することは少なかったのにその息子が私のために強く私に反抗してきた。そんなことがあったから、私は90を越えたら引退をしようと考え始めていたのだが、それがこんなに早く亡くなるなどとは思いたくなかった。
息子の社長としての働きを確認してから死にたかった、心配で心配で仕方ない。それに、妻との約束を破ってしまった……。
妻の真由にも一人前になるのを見届けてから会いに行くって言ったのだ。それなのに……。このままじゃ妻に合わせる顔がないじゃないか……。
私は夕日を見ながら妻との約束を考え泣きそうになっていた。
ああそうか、もしかしたら、だから私だけこんなところにいるのかもしれない。約束を破ったから。もう二度と会えないのかもしれない。天国で待っていてくれると言ってくれたのに。天国でも仲良くしようって言ってくれたのに。世界と神様はそんなに残酷なんだろうか……。これだけ頑張ってきたのに。これだけ息子に愛情を注ぎ込んできたのに。私の最後の願いさえどうにもならない……。せめてもう一度でいい。地獄にでも、煉獄でも、どこに行くことになってもいいから……。もう一度だけ君に会って、今までの話をしたい。息子を見届けられなかったことを謝りたい……。君への思いを伝えられるだけ伝えたい……。
もう涙をこらえることはできなかった。そのまま私は妻の名前を呼ぶ。
「……真由」
夕日はすでに地平線へと傾き、草原を揺らす風の波は消え、私のか細い声はどこまでも響いていった……。
「……何かしら浩二さん?」
可愛らしい女性の声が響く。決して低くはなく、かといって高くもない。それは母としてありながら一人の女性としての可愛らしさを含んだような声だった。
私は急いで後ろを振り向いた。コテージの入り口前に不思議そうに微笑を浮かべた女性いた。
「浩二さんどうしたの?、そんなに泣いて」
真由がそこにいた。
「……っ真由!!!」
下手したら嗚咽で聞こえなくなりそうな声で必死で彼女の名を呼ぶ。
「だからどうしたの浩二さん。」
困ったような顔をしながら、真由は優しい声で私に問いかける。
「……君にはもう会えないかと思っていたんだ。]
涙を袖でぬぐって、少しずつ真由に近づく。
「…………もうしょうがないわね。」
真由は呆れたような顔で私に語りかけ、
「あなたを必ず待っているって言ったじゃない。」
微笑んで言った。
「……ああそうだったな。すまない。」
真由の元にたどり着いた時、私の涙は止まっていた。
手を広げて、もう半歩だけ近づく。
「……とても、とても長い間君に会える時を待ってたんだ。」
暖かいぬくもりに溢れたその体を、壊れ物のように優しく。優しく抱きしめる。
「私だって、あなたに会いたかったのよ。」
真由も私の背中に手を伸ばしてそっと私を抱きしめてくれた。
二人の間に言葉はいらなかった。夕日が沈んでいく間中、私はずっと真由を抱きしめていた。
数十分の間か、数時間の間かはわからないが私にはその時間はほんの数十秒のように感じられた日が沈み、風の音も止んだ。月がその身を湖面に横たえ、虫たちが声を交わす頃になって、私達はようやくその体を離した。
「時間が経つというのは早いな。」
私は後ろにある湖を肩越しに振り返った。
「あなたが頑張ってきた時間に比べたらね。」
真由はおかしそうに笑っていた。
「少し冷えてきたし、中に入りましょうか。」
真由がコテージの扉に手をかける。
「そうだな、何があるのかはわからんが、何かあるだろうからな。」
お茶があると良いなと思いながら、私は真由の後についてコテージの中に入っていった。
コテージの中は思ったより広く、四人くらい座れそうな机に椅子があるキッチン兼リビングと仮眠用の部屋に分かれていた。
探してみるとキッチンには紅茶があり、ポッドもあった。
喜ばしいことにに水道から水が出たので、真由が紅茶を淹れてくれた。
私と真由は対面に座り、その紅茶を飲みながら積もる話をしていた。
「浩太は小学校まで泣き虫だし、お漏らしをしていたんだ。君が死んでから多少泣き虫になったのは仕方ないと思ったが、お漏らしはいかんと思ってな。鍛えようと剣道を習わせたんだが、これがなかなかうまくなってな」
「高校のなるとしょうやんちゃ坊主になったが、反抗期は本当に短かったな。大学になると一気に頭良さそうな雰囲気をだしてきて、私が高卒だったから多少腰が引けたこともあったんだぞ? 」
真由は俺が話す浩太の話を聞いて、相槌をうったり、笑ったりするばかりだった。でもその顔はとても楽しそうで優しかった。
「……本当に大変だったんだ。君が死んでから俺の心には胸が空いたようだったし。浩太がいるから酒を飲んでばかりでもいられなかった、泣くに泣けなかった。」
顔をうつむけながら、カップを持つ手に力が入る。
「……それにな、とても申し訳なかったんだ。お前が癌で苦しんでる時、私は病院代を稼ぐので必死でろくに会いにいけなかった。普通のやつみたいに気の利いたやつじゃないから、優しい言葉もかけられなかったから、とてもとても後悔したんだ。」
カップを握っている手に水滴が落ちる。我慢しようとしたがどうしようもなかった。
「……浩二さんが不器用なのは知ってます。それにね、私は幸せだったんですよ?」
真由は手を伸ばして俺の手を包んでくれた。
「……だって、ろくなこと出来んかったじゃないか。」
私は真由の方に顔を向けた。
「……他の人と比べたら確かに少なかったかもしれません。」
真由は少しだけ表情を強張らせていた。
「……でも、あなたは他の人以上に私を愛してくれたじゃないですか。言葉は少なかったかもしません、行動もそんなに多くなかったかも。でもね、ほかの人より私に何かしようと思い悩んでくれた。自分より私のために何かしようと必死になってくれたじゃないですか。そんなあなたが大好きでしたし、今も好きですよ。だから、私もあなたを今も愛してる、ほかの人なんか関係ありません。私はあなたに愛されて、世界一幸せなんです……。」
真由はその顔を赤くさせていて微笑んでいた。そして少し恥ずかしくなったのか、その顔をうつむかせた。
「……そうか。」
すこしだけ笑ってしまう。
もう手は乾いていた。
「……ありがとう、俺もずっと愛しているよ。」
心のそこからの言葉だった。そして恥ずかしくなって真由の方から顔をそらし、話も変えた。
「ところで、ここはどこなんだ?私は何故ここにいるんだ?」
ほおを書きながら真由に聞いた。
「……何て言えばいいのでしょう。」
真由は困ったような顔をして私を見た。
「そんなにいいにくいような場所なのか……?
私も真由の方を向きなおした。
「……詳しいことは難しいんですが、ここは生と死の間、天国と地獄の中間地点、所謂煉獄のような場所らしいですよ。」
一瞬、頭が真っ白になるが気を取り直す。
「煉獄っていうと、あれかな。ダンテの神曲に出てくる、キリスト教の洗礼を受けてない人々で、地獄に行くような罪を犯していないような人々がどこにもいけずにいくあれか?」
中学時代に読んでいた知識をフル活用して、どんな場所だったかを思い出す。
「近いです。ただ違うのは、浩二さんはまだ生き返る選択ができるということ、別にどこにも行けないっていうわけじゃなくてそれはこれから場所を移動してからになります。その前に生き返りたいか、このまま亡くなりたいかを選ぶための場所だということです。」
真由は真面目な顔をしながら、声音を優しくして言う。
「……私は死んでいるわけじゃないのか?」
まだ浩二を見届けていないのでそれだけはすましておきたかった。
「ええ、生き返ることもできます。ただごめんなさい……。健康な状態で生き返れるわけではないです。また浩太と話しができるようになる可能性があるというだけです……。」
真由は悲しそうな顔をしていた。
「……どういうことなんだ?」
私は理解が追いつけず、混乱していた。
「……正直、あまりしたくないんですが今の現世の状況を見せますね。」
そう真由がいうと、私と真由が見えるようにテーブルの上に映像が出てきた。
そこには白い部屋のベッドの上に鼻にはチューブがつながれ、胸には太い管が流れ赤い液体が回転している装置につながれている男がいた。
私だった。
「…………え。」
私はショックを受けて、言葉が出なかった。
「……浩二さん、あなたは脳溢血で倒れて心臓が止まってしまったの。ひとまず生命維持装置で生きながらえていたんだけどこのまま生きるしかなくなってしまったの。いまは体調が悪化してこちらに来たけどまだ生きようと思えば生きれるわ。もちろん、意識が戻れば戻れる可能性はあるけど、私ができるのは植物状態に戻すということだけなの……。」
意識を取り戻せる可能性はあるという言葉に少しだけ心が落ち着く。死んではいなかった。
「……親父、今日もきたよ。」
画面には浩太が写っていた。少しだけ痩せていた。
「……親父、会社はなんとかなってるから。早く起きてくれよ。」
浩太がなんとか笑みを浮かべて話しかけているのがよくわかった。
「……浩太、会社を切り盛りしながら必死で頑張ってるのよ。」
真由がいうことはもちろんわかっていた。うちの会社はそこまで業績が良いわけでもない。なんとかやっていってる感じだ。
「……このまま私とくるのもできるわ。」
真由は悲しそうな顔で微笑んでいた。
浩太が会社を切り盛り出来ているなら、もう一人前になったということだ。
私の役目は終わったのだろうか。できれば生き返りたい。しかし、私はどうすればよいのだろうか……。
私は妻の微笑みの元で一晩考え続けた。
私が活きることとは何かを。
そして、生きるということを俺は終えた。