第二夜 夜の窓辺
夜、そのヴァンパイアは優しいエメラルドグリーンの瞳で私を見つめた。その瞳を見ると、何か落ち着いた。目を擦って私は言う。
「なっ…泣いてなんかいないわ。ほっといて」
「…あのさぁ、泣いてるから聞いてるんじゃん。もう一回聞くよ、なんでいつも泣いているんだい?」
ここまで言われてしまうと、さすがに言い返すことが出来なかった。ふっと、あたりが陰で暗くなった。振り返ってみると、ヴァンパイアが後ろに立っていた。
近くで見ると、エメラルドグリーンの瞳と血のように真っ赤な髪はとても綺麗だった。私は思わずそれに見とれた。ヴァンパイアが私の髪に触れようとした時、私は昼間の殿下を思い出してヴァンパイアの手を叩いた。急に怖くなった。またなるんじゃないかって…。ヴァンパイアが叩かれた手の甲を見て言う。
「…ごめん、嫌だった?」
はっと我に返る私。
「…別に。反射的になっただけよ。ヴァンパイアに触られるなんて嫌」
私は思わず息をのんだ。さっきまで優しい顔をしていたヴァンパイアが恐ろしい獣のような顔つきになっていた。後退りをした。一歩下がれば一歩近付いてきた。私は足をひっかけてベッドに倒れた。その上にヴァンパイアが乗ってきて、私の手首を動かないようにぎゅっと、強く握りしめた。
「お前…今何て…」
目を瞑る。さっきとは違う恐怖が私に襲いかかる。
「…やっ…痛い…やめて…殿下やめて下さい!!」
ふと、殿下が浮かぶ。ヴァンパイアがはっとして私の手首を放した。私はすぐ起き上がり、泣き顔が見えないように後ろを向いた。手首には赤く痣の出来そこないがある。
「…あっちへ行って…もう来ないで。私を…今以上に苦しめないで……お願い………………」
殿下の事ですら嫌なのに、ヴァンパイアが絡んでくるなんてまっさらごめんだった。でも、悲しそうなヴァンパイアの顔を見ると、これは私の本音ではないとすぐわかる。
「…もう来ないよ…」
ヴァンパイアが窓から外へ出ていく。私は窓に向かって思わず叫んだ。
「まって!!…リッド……」
朝になると、昨日と同じように国王様と殿下がやってきた。殿下の言葉が頭に過る。
《次は覚悟してね》
背中がぞくっとする。それを感じたのか、殿下が私の耳元で囁いてきた。
「今日はここに父上と共に泊まるんだ。昨日言った通りにするつもりだから、楽しみにしていてね、クラリス」
殿下はそう言うと、笑った。私は殿下を睨んだ。
話し合いが進む。もう、自分が何のか分からなくなってきてしまった。愛する人との結婚を許されないこの家に生まれてきた自分が憎い。政略結婚なんかして、なにがいいのだろう?それを拒まない自分はなんなのだろう?なにもかもが分からなくて、椅子に座っているただの人形のようだった。このまま家を飛び出したかった…
話がまとまったようだ。どうやら、パーティの最後に発表をするらしい。でも、飼われている私が何を言っても、三人とも聞いてはくれないだろう。父上と国王様は、書斎へ、私と殿下は大広間に残った。カツンと、靴を鳴らして殿下がやってくる。青くなった顔を見せないようにする。
「クラリス、約束は守ってもらうよ」
ぐっと、手を掴んで私の部屋へと足を急がせる。でも、私は抵抗をする気にもならなかった。このまま、殿下のやりたい放題になっちゃうのかなぁ?
部屋に入り、鍵を閉めると、殿下は私をベッドに放り出す。15歳の私には何が何だか分からない。と、その時。殿下が私の顎をくいっと上げて唇が重なる。私はいきなりの事で頭が真っ白になる。舌が入り込んできて、ぞくっとする。慌ててそれから離れようとするけど、男性の特権。力で女が勝てるわけがない。殿下が一度離れる。
「僕は20歳だから、クラリスには大人の世界を分かってもらわないと困るんだよね。」
「…え?」
答える暇もなく、また唇が重なる。私の目から一滴の涙が零れた。初めて思った。リッドに助けてもらいたいって。まだ2日しか会った事はないけど、心からそう思った。
朝日がさす。ベッドの上には服がはだけた私と殿下がいた。そっか…私、夜は殿下に…思い出すと涙が溢れる。15歳の私の知る事じゃなかった。いや、知らなくてよかったんだ、あんなもの。
お昼になると、殿下は帰って行った。次あの人が来るときは、またなるのだろうか。目の下を真っ赤にして、戻る。誰かにぶつかった。
「…?!クラリス、どうしたんだ。その顔…」
「あ、クラウド兄様。別に、何でもありません。心配をおかけしてすみません」
「殿下に何かされたのか?」
昨夜を思い出すと、言葉も出てこなくなるほど怖くなった。
「…ふぇっ……兄様…兄様…」
夜が訪れた。本当にリッドは昨日来なかった。もう来ないのかな…私があんなひどい事を言ったから…。目を瞑って聞こえないほど小さな声で呼んだ。
「…リッド、来て」
カサっと音もしない。本当にこなくなっちゃったんだね、私のせいで、リッドは傷ついてしまったんだね、ヴァンパイアって差別をしちゃったから。ごめんね、リッド。だから、お願い。一瞬でもいいから来て…。
「リッド…リッド…」
「やっぱり君は毎晩泣いているね。悲しいことがいつもあるのかい?」
顔をあげる。雲が晴れて、人の形が見える。月は彼を幻想的に映し出した。思わず名前を呼んだ。
「…リッド」
「名前、やっと呼んでくれた。君の名前を教えて」
「クラリス」
「いい名前だね、古代語で『清き娘』君にぴったりの、名前」
私は、クスッと笑ってリッドに言った。
「それで私を口説いているつもりかしら?まだまだ甘いわね」
「なっ?!そんなつもりは多分ない!!うん、多分」
私はこの時わかった。人を好きになるっていう気持ちを。流れゆく時の中で感じた。無性にドキドキして、相手の顔を見るのが少し照れ臭い。初めて話したのに、前から知っていたかのように話せる。私は初めてしっかりリッドを見て、一目で恋をした。これは、どうしようもなく儚くて、淡くて…もどかしかった。
今となって私は思った。リッドは私の最初で最後の恋人だった。そう、『だった』…