第31話 黒い物質 2
「あ・・・」
芽衣が目を開けると、目の前には心配そうにこちらを見る天藍星葉と琥珀がいた。
「芽衣さん!・・・良かった・・・」
琥珀が安堵の表情をした。
(一体どうしたの?)
「あ、私・・・っ」
「大丈夫?」
起き上がろうとしてなかなか力の入らない芽衣に、琥珀が手を貸した。
(たしか、黒い物質が本の番人から出てきて・・・)
「あ、あの・・・私は一体・・・?」
(あれ、誰か、足りない・・・)
まだぼんやりとした視界で琥珀を見る。
床に手をつくと、金色の粉が少量散らばっていた。
足元を見ると、未だ硝子の靴が芽衣の足を覆っていた。
(修理はどうなったんだろう)
琥珀が上体を起こした芽衣の肩を、両腕でしっかりと支えた。
(あれ、こういう事をしてくれるのはいつも黒曜だったはず・・・)
そう、ぼんやりと考えていたが・・・
「黒曜は!?」
芽衣は急に意識をはっきりとさせた。
そう、彼が見えないわ。
少し後ろめたそうに琥珀が口を開く。
「黒曜ならそこだよ」
琥珀の視線の先を見ると、少し離れた場所に黒曜が横たわっていた。
「―――――こ、黒曜!?」
芽衣の顔が青ざめる。
黒曜に駆け寄り彼の手を取る。
(あたたかい)
「大丈夫。眠っているだけだ、ちゃんと息はしているし、怪我も無い」
(あ・・・)
芽衣が勘違いしないように琥珀が説明する。
その言葉にホッとした。
ほっとしたものの、琥珀の言った事は、一体どういう事だろう。
「まあ、正確には、起こしても起きない状態じゃのお」
それまで黙っていた天藍星葉が口を開く。
「お前さんと黒曜さんは、本の番人の黒い物質の毒素に当てられ、意識を失ったんじゃ。傷を負ったわけではない。精神的な部分をやられたんじゃ。金の粉をお前さんたちに振りかけてみたら、お前さんが目覚める事に成功した」
「あ、ありがとうございます・・・」
やっぱり目覚める前のあの金色の光は金の粉で、天藍星葉さんが助けてくれたのね。
「そしてお前さんを庇おうとした黒曜さんが、より強力にあてられたようじゃ。だから起きないのかもしれん」
「そんな・・・」
(また、私は助けられた・・・)
「目覚める直前にお前さんが叫んでいたのじゃが、すると黒い物質の威力は弱まったようじゃ」
芽衣が宙を見上げると、そこにはまだ番人が鎮座していたが、そこから出てくる黒い物質の量は、少なくなってきているようだ。
銀の焔の次は黒い物質。
一体あとどのくらい私たちは攻撃されるのだろう。
芽衣にはまったく予想もつかない。
「黒い物質とは何ですか?」
「悪の心じゃよ」
天藍星葉が即座に答えた。
「悪の心・・・?じゃあ、私がさっき目覚める前に聞こえた、あれは・・・たしか、琥珀さんに教えてもらった・・・」
「僕?」
予想外の芽衣の発言に琥珀が目を丸くする。
「黒曜の過去の話の・・・」
「ああ、あれか。―――――まさか、あの場面でも見たの?」
琥珀は最後トーンを下げた。
やはり見てはいけないような悲しい場面だったのだろうか。
芽衣はかぶりを振る。
「見てはいないです。でも、声が聞こえて。悪いことを考えている、その人の心の声」
「そうか、本の番人の中に蓄積されているのだろうか。その悪意たちが」
誰に問うでも無く話す琥珀に、天藍星葉が相槌を打つ。
「そうかもしれん。そして本の番人の中にある悪意が飽和状態になり、おまえさんの、芽衣さんの人を想う心に反応して混乱し、蓄積されたものが黒い物質となって放出された、と見るのが正しいかもしれん」
「なるほど。これならつじつまが合う。今までの疑問が全て解決される」
納得し、少し興奮気味に早口で琥珀が言った。
(じゃあ、じゃあ、もう大丈夫なのね?)
「修理は終わったんですか?」
「ここまで来れば、あとは元の、初期のような状態に戻すだけじゃ」
本の番人の件はもう大丈夫なのね?
芽衣は天井を見上げる。
本の番人からは銀の焔は出てこない。
やっと本の番人の脅威から解放されるはずなのに、芽衣は全く喜べない状態だった。
(黒曜は・・・)
そばで眠りつづける黒曜を再び見つめる。
「天藍星葉さんは治す、というか彼を起こすことはできないの?」
少しためらいがちに芽衣がきいた。
天藍星葉は難しい顔をした。
「お前さんが眠っている間に試してみたんじゃが、駄目じゃった。体に傷があるわけではないので駄目なのじゃろう」
「そう・・・」
(唯一の希望なのに)
芽衣は落胆の色を隠せない。
(じゃあ、どうすれば)
黒曜を見る。
「黒曜、ねえ、目を覚まして、お願い」
芽衣は大粒の涙を流し黒曜に語りかける。
彼の動かない手を握り締め。
「お願い、黒曜!」
その時。
(え・・・)
フラッシュバック?
一瞬、自分の住んでる家が見えた。
(なに・・・)
黒曜を握り締めていた自身の右手を見ると、透けていた。
(きゃっ・・・)
ゾッとする。
しかしそれは一瞬で終わった。
(なに今の)
琥珀がそれに気づき慌てる。
「もしかして、強制帰還・・・?」
「え・・・?」
芽衣は一瞬で青ざめた。
体が震えだす。
まさか、今?
芽衣は今まで気にも留めなかった外の景色に目を向けた。
明らかに、夜が明けようとしていた。
(時間が・・・!)
心の中で、悲鳴にも似た叫びをあげる。
芽衣の焦燥感は極限に達していた。
(もしもこのまま黒曜の目覚めなかったら、私は)
私は・・・、
(黒曜にもう会えない)
「そんなの嫌ーーーー!」
芽衣の感情のたがが外れた。
力のかぎり叫んだ。
その瞬間。
ドっと芽衣の中から何かが溢れてきた。