第29話 硝子の靴
銀の焔がいつまた降り注いでくるともわからない状況のなか、芽衣は不安ばかり募らせていく。
「ねえ、黒曜。この先どうするの?」
「うーん、彼を頼りにするほかは無いな」
「そうね・・・」
芽衣の横で黒曜は山積みの本を眺め腕組みをする。
彼とは天藍星葉のこと。
そう、魔力も持ち合わせていない、琥珀の結界も無い今、唯一頼りになるのは天藍星葉だけである。
「修理できれば、銀の焔が落ちてくることは無いかもしれない」
(どうやって修理するのだろう)
本の番人は図書室の天井に鎮座している。
直接触れるのであれば、あの高さまで登っていかなければならない。
「あっ」
天藍星葉がおもむろに歩き出した。
そのまま歩を進める。
(大丈夫かしら?)
芽衣が心配そうに見ていると、ふいに足が止まった。
そして持ってきていた小瓶を取り出した。
(修理するの・・・?)
トピアリーガーデンから持ってきた数冊の本も、天藍星葉の周りでふわふわと浮いていた。
*****
天藍星葉が振り向く。
「もしもそちらに火の粉がいってしまったらすまぬ」
え・・・?
どういうこと・・・
「あ!」
すると天藍星葉が浮いた。
正確には、彼の周囲で浮遊していた本たちが彼を下で押し上げている状態だ。
なるほど、修理する時に本たちはこうやって天藍星葉を手助けしているのか。
芽衣が感心している間に、彼らはぐんとスピードを付け一気に天井まで―――――――本の番人の所まで到達した。
「すごい、もう着いた・・・」
見上げると、天藍星葉たちは、本の番人の体内へ入ろうとしたいた。
そう、芽衣が一度入って落下したその場所。
背中がぞわり、とした。
もう、あの場所へは行きたく無い。
ギュッと手に力を入れていると、黒曜が肩を抱いてきた。
「黒曜・・・」
彼を見上げるとにっこり笑う。
「大丈夫だ。彼を信じよう」
「うん・・・」
とても温かい黒曜の手。
芽衣はそのまま黒曜の厚い胸に頭を預けた。
****
黒曜は芽衣を手近な机の下に隠した。
天藍星葉の予想どおり、銀の焔が落ちてきたのだ。
しかし、焔の大きさが前より小さく、威力が弱まっているように見えた。
「修理が順調にいっているようだな」
黒曜が天井を仰ぐ。
芽衣は机の下から上をのぞきこむ。
あまりよく見えないが、金の粉を振りかけているようだった。
(ああやって、修理するのか)
本の番人の白い雲のような実体から、金の粉が漏れ出し、夜の図書室をキラキラと光りの粒が舞う。
暗い暗い深海に、陽の光が差し込めるような錯覚。
しかしそれも束の間。
番人が体内で修理されているのに気付いたのか、
銀の焔の威力が増した。
「これは・・・!」
琥珀が焦る。
黒曜も天井に視線を集中させ、両足を踏ん張っている。
今までで一番威力が強いのではないかと思うほどの火の粉が降ってきたのだ。
「危ないわ!」
焔は結界で守られた山積みの本へ向かう。
ドオン・・・!
大きな音とともに結界に着弾する。
連続して、何個も。
「結界が弱まっているぞ!」
黒曜が叫ぶ。
何度も攻撃され、はじまりの書の結界の威力が限界にきているようだ。
「結界が・・・!」
芽衣が悲鳴にも似た声を上げると、体内にいた天藍星葉も気づき、一瞬手を止めた。
しかし意を決して作業を再開した。
やがて結界が、完全に消えてしまった。
「そんな・・・」
また、本たちが焼かれていくの?
(もう、見たくない・・・!)
(でも、私にはどうすることもできないなんて・・・!)
なんて、もどかしいの!
(私が本の番人を変えるかもしれない?)
―――――――そんなの、嘘よ。
私にそんな力なんてあるわけない。
現に、今何もできていないわ。
私は、大好きな本を前に、何もすることができないの?
「あ!」
完全に結界が消えむき出しになった山積みの本の中、芽衣は思い入れのある本を見つけた。
遠目でもわかる、あの表紙、覚えているわ。
あの本は。
(あれは私がここで最初に借りた本!)
その本たちめがけ、銀の焔が今まさに降りかかろうとしていた!
「やめて!!本が!!」
―――――――これ以上本を傷つけないで!
芽衣は叫びと共に体が自然と動き出していた。
足がもたつき、転びそうになりながら無我夢中で本の山へ向かう。
「芽衣!」
黒曜たちの声などもう聞こえない。
ドオン!
「あ・・・」
焔はどうにか山積みの本をはずれ着弾した。
(助かった・・・)
「――――――この馬鹿!」
山積みの本を前に茫然と立っていると、黒曜に怒鳴られ、そして抱きしめられた。
「黒曜」
驚き、黒曜を見ようとゆるゆると顔を上げるが、黒曜にきつく抱きしめられ、彼の顔を見る事はできない。
「どうしてそんな無茶するんだ」
かわりに頭上から悲痛なかすれ声が聞こえてきた。
(あ・・・)
芽衣はその声でやっと我に返った。
(私、また黒曜を心配させた・・・)
「ごめんなさい・・・」
何度目のごめんなさいだろう。
ぼんやりと考えた。
すると。
「まだ焔が残っているぞ!」
後ろから琥珀が叫んだ。
芽衣たちは顔を上げ、目の前にある本の山を見る。
床を見ると、銀の焔が着弾し床が燃え、その近くにあった本に燃え移っていた。
「本が!」
「芽衣っ」
やめろ、と黒曜が抱きしめる腕に力を込める。
「離して!」
「駄目だ!」
「どうして!?」
なぜ否定するの。
「俺が行く」
「駄目よ。私、私が助けなきゃ!」
黒曜は首を振ってかたくなに拒む。
「これ以上は無理だ」
「いやよ、黒曜」
芽衣は瞳を涙で滲ませる。
黒曜をのけようと腕の中で必死でもがくが、強い力で押さえつけられて抜けられない。
芽衣の瞳から涙が止めどなく溢れてくる。
「私ならなんとかなるかもしれないって、黒曜も言ってたじゃない」
ごめん、と黒曜があやまる。
一段と抱き締める腕に力がこもった。
「お前が好きだ」
悲痛な声が、芽衣の頭上から聞こえてきた。
(え・・・)
「お前が好きなんだ、芽衣」
「うそ・・・」
「嘘じゃない。だから、心配で仕方ないんだ・・・」
「・・・信じられない・・・だって、だって、私も好きだから」
涙が、とまらない。
「芽衣」
黒曜は芽衣の頭をかき抱いた。
黒曜は芽衣の涙を拭い、頬を両手で優しく包んだ。
涙の隙間から見えたのは、彼の優しい微笑み。
その笑顔が、近づいてくる。
(あ・・・)
芽衣が思わず目をつぶると、黒曜は芽衣の唇に優しくキスを落とした。
(黒曜に思いを告げたわ、私・・・、しかも両想い・・・)
しばらく黒曜の腕の中で夢のようなひと時の余韻にひたり、まどろんでいたが、本は今も燃え続けている。
(ああ、私ってばタイミング悪い・・・、これじゃ、駄目ね・・・)
黒曜もそれは気になるようで、視線をそちらに向ける。
勿論、黒曜だって本を助けたいのだ。
「やっぱり、俺が」
「黒曜」
黒曜の言葉を遮り、腕の中で顔を上げる。
「最後のお願いよ、黒曜」
(どうしても、私が、助けたい)
芽衣がもう一度頼んだ。
そう、最後。
もう時間は残されていないのだから。
せっかく両想いになれたのに、私は欲張りね。
黒曜を守りたいだけじゃなくて、本も助けたいのだから。
(魔力のある本もそうだけど、私が今まで読んできたたくさんの本に、助けられてきたから)
だから。
黒曜は、はーっと大げさにため息をつき、押さえていた腕の力を緩めた。
すぐさまするり、と抜けて芽衣が本へ近づく。
「熱い!」
「芽衣!?」
銀の焔の熱により、その近辺の床は温度が上昇していた。
床に足をつくと熱い。
(どうしよう。火傷しちゃうかも・・・?)
でも、私が行かなきゃ。
そして一歩踏み出そうとしたその時。
「あれは・・・」
後ろにいた琥珀が目を見張った。
彼は何かの気配がして頭上に目を遣ったのだが、それは意外なものだった。
本の番人の体内――――――天藍星葉がいた場所から、小さなキラリと光るものが落ちてきたのだ。
金の粉が入っていた小瓶だ。
それが、落ちてくる過程で変形し、
――――まるで粘土のようにぐにゃぐにゃに形を形成していったのだが―――――それが芽衣の足もとに降りて来た。
そして、芽衣の両足をすっぽりと包んだ。
それは、透明に輝く硝子でできた靴。
「硝子の靴・・・?」
芽衣は不謹慎にも少しだけときめいた。
だって、ガラスの靴といえば、シンデレラ。
もしかして、また私だけ『シンデレラの靴』に見えているのだろうか。
それに気づいて黒曜もうなづく。
「硝子の靴だろうね」
今回は黒曜にも同じものが見えているらしい。
しかし少し面食らっていた。
まさかあの小瓶が硝子の靴に変形しようとは。
勿論、芽衣が思わずときめいてしまった事はお見通しだろう。
でも、見た目は滑稽だ。
芽衣の、ところどころ破れてしまった黒いストッキング、そして茶色いローファー。その上から硝子の靴を履いている状態なので、間抜けに見える。
でも、とても綺麗な硝子の靴。
「あ、熱くない」
硝子の靴を履いて以降、床の熱を感じることは無い。
熱で割れそうなイメージだったが、割れるような気配も無い。
はた、と芽衣が気づく。
「そういえば硝子の瓶って、所有者以外の人が触ると割れるって言ってたよね?」
たしか、琥珀さんに実験させられて。
「ああ。確かに。これは、割れてなそうだよな・・・」
黒曜がまじまじと硝子の靴を見る。
よし、後で天藍星葉に訊いてみよう。
彼はまだ修理を続けているようだった。
天井の本の番人の体内の入口の隙間から、かすかに見える人影。
(硝子瓶を落としてくれたのは、彼の意志?それとも魔力を持った本たちの協力?)
なんにしても、助けてくれたのは確か。
(ありがとう)
なんだか急にとても心強い気持ちになれた。
芽衣は自身を取り戻し、歩を進める。
「よしっ」
無事に本を取る事ができた。
本の面積の半分に焔が回っていた。
「あちち」
本を掴んだ手にも焔の熱が伝わってくる。
(早く、火を消さなければ)
バンバンと床に打ち付けて焔を取り払おうとする。
「消せないっ」
(こういうのって、どうやって消すんだっけ?)
芽衣は焦った。
すると黒曜が芽衣から本を取りあげる。
すぐさまハードカバーを剥ぎ取り、火のついた部分のページを破る。
足もとに落とし、少々荒々しいが足で揉み消すように踏みつける。
「黒曜っ!やめてっ」
熱いだろうに。
この硝子の靴はなんのためにあるの。
自分が情けない。
そして火はなんとか消すことができた。
黒曜は足を離す。
「破れてしまったが、こうでもしないと、全て燃えて消えてしまうからな。まあ、あとは天藍星葉が直してくれるだろう」
どうしてそんなに平気な顔で言うの。
「ごめんなさい・・・。足、痛いでしょう?私が消せないばっかりに・・・」
黒曜はぽんと頭に手を置く。
「大丈夫だよ」
ほら、と自身の黒い靴の裏側を見せてくれる。
たしかに、なんともないようだが。
琥珀も駆け寄ってくる。
「大丈夫か、二人とも」
「ああ、なんとかな」
「・・・・・・」
黒曜は苦笑しながら芽衣を見る。
「ったく、とんでもないシンデレラ姫だな、お前は」
「!」
ありがとう。黒曜。私の我がまま許してくれて。
「ふふ。じゃあ王子様は黒曜?」
「俺が王子ってガラかよ」
「まあ、僕の方が王子様ってかんじに見えるけどね」
「なんだよ、それ」
三人は笑い合い、その場が和やかな空気に包まれた。
それも束の間。
本の番人から、黒い物質が溢れだそうとしていた―――――――。