第11話 そして日常へと
帰ってきてしまった。
まるで華やかな舞台から、魔法がとけて灰かぶりに戻ったよう。
ガラスの靴は落としてきてはいないが、その手には一冊の本。
これが黒曜と私を繋ぐ、唯一の私にとってのガラスの靴。
見慣れた光景。
私の部屋。
ただひとつだけ、カボチャの馬車がいない事が今の私にとって違和感だ。
この部屋から消えてしまった。
一体いまはどこにいるんだろう。
見えないだけで、近くにいるの?
「ねえ、黒曜」
声に出して呼んでみる。
勿論返答はない。
心の中がズキリと痛む。
もう、彼は私の世界にいない。
これから私は、異空間ではなく、現実世界に向き合わなければならない。
カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
朝になろうとしていた。
芽衣はそこで制服のままだった事に気づく。
昨日家に帰ってきてそのまま。
家族はどうしているだろう。
芽衣はおそるおそる一階の居間に降りて行く事にした。
やはり家は大騒ぎになっていて、
お風呂に入らない私を呼びに来た母が私がいないことに気づき、探したが見つからないので警察に捜索願を出そうとしていた時だったらしい。外泊だって数回しかした事も無い、勿論無断外泊などした事も無い、そんな娘が突然いなくなって、それはそれは気が気じゃなかっただろう。とても心が痛い。
ひどく怒られたが、私は疲れてしまって、部屋へ戻りベッドへ横になった。
でも、眠れなかった。
―――――――黒曜。
彼は今どうしてるの。倒れてるんじゃないの。
横になったまま考えてみる。
どうしたら、彼の傷を治す事ができるのか。
琥珀に早く会いに行って、『最果ての書』を探し出すしかないのか。
心配でいても立ってもいられない。
早く――――早く。
重い体を起こそうとしたが、起きられない。
芽衣はそのまま力尽きて、眠ってしまった。
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え?
本がたくさんある。
本の海?
違う。
ここは―――――――――
海ではない、緑色の景色。
草原?
たくさんの本が草原の中を蝶のように舞っている
ひらり ひらり
とても、楽しそうに。
(・・・まだ、探さなくては)
・・・え?
とおくから、声が聞こえる。
誰?聞いたことの無い声。
(そろそろ、起きなければ――――――)
誰なの?
―――――――その瞬間、
『本たち』が一斉に、飛び立った――――――――――
「・・・あ」
芽衣はそこで目が覚めた。
今のは夢?
おかしな夢。あれはどこで、誰の声だったのだろう。
本がたくさんあった。
そうだ。黒曜から無理矢理持たされた貸し出し用の移動図書館の本―――――。
芽衣は枕元に置いた本を手に取った。
これを返却すればまた黒曜に会える。
そこからが勝負よ、芽衣。
今度は私が彼を守りたい。
とりあえず芽衣は、応急処置できる包帯等を用意しようとした。
朝になり、これ以上親に迷惑をかけても申し訳ないので、学校へも行かなければならなかったが、午後から親には内緒で早退して、買い出しに行こう。あとは、応急処置の仕方がわからないので、それ関連の書籍を購入しよう。
時間はあまり無いわ。
きっと黒曜は今も苦しんでいる。
それを思うと胸が張り裂けそうだ。
早く、行ってあげなきゃ。
****
学校へ行くと、いつもと何も変わらない光景だった。
そして昨日と同じく接してくれる友達。
教室へ入ると、芽衣の友人たちが駆け寄ってきた。
「うちのところに夜に電話きてたよ、芽衣が来てませんかって、大丈夫なの?」
芽衣が帰って来ないので親がクラスの友人たちに連絡したらしい。
申し訳ない。色んな所に迷惑をかけてたのね、私。
「ほんとにごめんっ!なんでもなかったから、大丈夫だよっ」
隣のクラスの富永真琴が芽衣の教室に顔を出した。
彼女のところにも、親しい事を知っている親が連絡したらしい。
「何かあったの?」
「ごめんね、真琴。ちょっと出かけてたらおおごとになっちゃてて」
てへへ、と笑ってごまかした。
嘘をつくのも気分が悪いものだ。でも、夜に起こった出来事は、たとえ友人でも、話せるようなものではないと思った。
何より、今は時間が無い。
「笑いごとじゃないよ~。いなくなったって聞いてドキドキしちゃってたわよ?」
「ほんと、ごめんね~」
ひとしきり話し終えると、
真琴は神妙な顔つきになって、ひそひそ話しはじめた。
「ねえねえ今日も図書室に行くの?なんかさ、今日はますます視線をかんじるっていうか、重い空気なんだよね、あそこ。私今日はパスね」
真琴の感覚はやはり鋭い。
昨日の夜の出来事のせいだろうか。
「じゃあ私一人で行くね」
芽衣が言うと、真琴はきょとんとする。
「なんか、芽衣、変わったね」
「そう?」
「昨日会ったばかりで変な事言うけどさ。なんか、目力が強くなったかんじ?」
「えへへ、そうかな?」
笑うと、いつもの芽衣なのに。
「何かあった?」
不思議そうに真琴は訊く。
芽衣は目を伏せて言う。
「―――――何も無いよ」
朝のホームルームを終えると、一目散に図書室へ向かった。
図書室の鍵が職員室にあったから、まだ誰も入っていないのだろう。
芽衣は胸をなでおろした。
(そういえば、昨日はどうやって図書室の鍵を開けたんだろう)
誰かが昨日の惨事を気づいていないか不安だった。
図書室を開けると、そこはいつもと変わらない雰囲気だった。
あんなに大荒れになったのに、ペンや紙が飛び交い、机や椅子も乱れていたのに、今は何事も無かったかのように元通りになっている。
(ほんとに、ここで、起こった出来事なんだよね?)
夢じゃないよね?
大丈夫。大丈夫。
芽衣は、お守りのように肌身離さず手に持っていた移動図書館の本を持つ手に力を込めた。
そして一時間目の授業のチャイムが鳴りはじめ、芽衣は図書室を後にした。