3.神経図太いやつが何を言う
ベランダで虫と戦おうとしている縁を窓越しに後ろから私は見守る。彼はとても一生懸命に今目の前のことに取り組んでいる。それなのに私は、私は何をしているのだろうか。
この当てのない嫌がらせを受けていることは誰にも言っていなかった。なのになぜ、バレたのだろうか。まあ、すべてはあのノートに書いてあったのだけれど。
心の人格はどうやら、心との記憶の共有は一方的なようで、彼女自身は気づいていなかったようだし、だとすると、なんで飛び込む必要があったのだろうか。もしかして……。
『あ、あの……』
私が考え込んでいると、心の裏人格が消えそうな声で話しかけてきた。思ったよりも私は難しいかおをしていたようで、彼女はとても怯えたようにしていた。私は慌てて、これ以上できる限り警戒させないように優しい笑顔を作りながら受け答える。
「なに?」
すると、彼女は私に頭を下げてこういってきた。
『心ちゃんの命を奪ってごめんなさい』
私は目を見開き、息をのむ。まさか彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。というか、どういうことなのだ? 何で、彼女はそう言ってきた。
彼女の言葉は続く。
『私は……、私は心ちゃんの闇から生まれたんです。本当に心ちゃん……いろんなことを抱え込んじゃってて……、そしていつの間にかそれを自分ではない誰かの所為にして……、のほほんと……生きていて、でもそんな自分が許せない……そんな思いから、いつのまにか……私が生まれたんです……。
昨日……? は、なぜか私いつもは……いつもは、夜中にしかいないのですけれども、あの昼の時間に出てきてしまって……。偶然、あの人に会ってしまったのです。あの……、あの』
「私に嫌がらせをしている人に、か。そして、耐えきれなくなってしまった貴女は授業が始まる時間に合わせ、飛び降りてしまった。そして、飛んでいる最中に心と人格が入れ替わり、心のままで地面にたたきつけれらた。そういうことかな?」
私はきいているのが耐えきれなくなったので、裏心の言葉を遮って持論を始めた。あっているかどうか不安だったが、彼女は首を縦に振ってくれた。
本当はこんなこと信じたくないのだけれど、分かっていることと認めているとこは違うのだ。
自分の言葉が胸に刺さる。苦しい。
『あ、あの、あなたに執拗に嫌がらせしている人って誰がかわかっているのですか? あのノートには書いていなかったような……』
それと共に質問が投げかけられてきたので私は苦しい笑みを浮かべながら答える。
「うん、解っているよ。だから、超えたらいけない一線を越えてきたときに対抗する手段だっていろいろ用意していた。警察とかに渡せる資料も沢山……。用意……していたんだ」
言ってくれればよかったのに。あなたの所為じゃなかったのに。それなのに、あなたは抱え込んでしまった。耐えられないぐらいに、新しい人格を生み出してしまうほどに、辛い思いをさせてしまった。
「相談しなくて……、ごめん。ごめんね、心……」
この事柄は謝って済むものではない。人ひとりの人生をなくしてしまった。これは、変え難い事実なのだ。
私が泣きそうになると、ベランダへと続く窓が開かれた。私は立ち上がり、部屋に上がり込んできた人物を見る。
「心結、お前こんなのよく耐えられてたな。俺だったらこんなの自分あてに送られてきたら、短期間で人格破綻する自信しかないぞ」
彼はやれやれと溜息を吐きながら私に向かってそう言ってきた。どうやら害虫駆除が終わったらしい。私はお気楽に返事をする。
「おー、害虫駆除お疲れさまー。どうだった? 刺されていない? 大丈夫?」
「大丈夫。無傷だよ」
「あ、待ってゴミ袋あるから。それに直で捨てる」
私は台詞と共にゴム手袋を外そうとした縁を静止させて、一応調理用のゴム手袋をはめた手で縁の掃除などに用いられるゴム製の手袋を外し、そのままごみ袋にいれてから、自分のも一緒にその中に入れ、縁が駆除した奴らも一緒に突っ込んで、ゴミ袋を頑丈に閉めた。
「ああ、ありがとう」
私の用意周到さにおとろいたのか、彼は感嘆の声を上げながら礼を言ってくる。それに私はさも当たり前のように告げる。
「別に、何かあったら嫌だから」
「俺が死んだりとか?」
「冗談でもそんなこと言わないで」
彼が冗談半分でいったことに私は顔を顰めた。本当にそんなことが本当になっていまったら私はどうすればいいというのだ。一人ぼっちはなれているけど、嫌だから。
「それで、手紙見たの?」
私は彼が持っている茶封筒に目を移しながら問う。そして彼は首を縦に振ってきた。
「これはさ、警察に届け出た方がいいと思う。それにこれ、この中身の手紙から察するに、毎日に来ているんだよな。ということは消印が昨日になっているからたぶん郵便に言えばまた違うものが手に入るし、それを警察に突き出せば立派な証拠になると思う。というか、これを書いたやつお前に逆恨みしてんのな」
「そうだよー。逆恨み。いつも心と一緒過ぎるから話しかけるすきがないじゃないか!! って怒って私に向けて嫌がらせしてきてるの。毎日毎日こんな偽装した手紙なんて送ってくださって」
「え? 偽装? 何が?」
私の一言に引っかかったのか、縁は首を傾げてくる。まあ、見ただけではわからないし、しょうがないか。
「んー、それ郵便局経由じゃなくて直で郵便受けに入れられているんだよ。だから差出人の名前なんて書いて無くとも、そんな嘘っぽい消印さんがついていても、普通に届いてきている。まあ、これ見た方が早いか。テッテレー! ブラックライトー」
私は某有名な猫型ロボットの真似をしながら、ポケットからあらかじめ忍びこませていたブラックライトを取り出して、封筒にあてる。なにも浮かび上がらない。
「? 何がしたいんだ?」
『?』
二人が私の今の行いに首を傾げてくる。これって知っている人ってあまりいないのかな。かなり常識的だと思うのだが。
「うーん。ま、見ててって。えっと手紙手紙ー」
私は物置の上に置いてあった教材の勧誘ハガキを数枚とった。そして、宛名が書かれている方にブラックライトを当てる。すると、ある物が浮かび上がってきた。
「え、なんだこれ」
「手紙の偽装を見破る術ですぜ。郵便局側は、もしもの時の為に消印を押すときに同時進行でこのブラックライトとか特殊なライトを当てた場合のみ発色するインク塗料を塗っておくの。そして、なんかこの浮かび上がってきているバーコードみたいな柄にも意味があるらしいよ。まあ詳しいことは忘れたけど。だからほら」
私は茶封筒と勧誘レターを並べてライトを当てる。やはり、茶封筒は何も反応は無いが、勧誘レターはバーコードみたいな何かが光っているのが見受けられる。
そして、ライトを消し、茶封筒を軽く彼に向かって突き出した。それを彼は迷いもなく受け取る。そして、茶封筒のあて名書きの部分をまじまじと見始めた。
「これは郵便局には行っていない。偽装された嫌がらせの手紙なんだ。まあ、これだけで相手は国共の定め事を守れていないことを理由に、警察に突き出すことができるってわけですよ」
「でも、お前はそんな理由で警察に突き出すわけないんだろうな。お前の精神の異常な強さはよく知っているから、たぶん明日というか、今日にでも本人の目の前で告白するんだろうな」
彼はとても後ろ向きな顔で言ってきた。しかし、私のすべてを見透かしているような顔でもあった。
「んー? そんなに私は精神強くありませんぜ?」
さっきの様子を見ていたら、私がただの後悔ばかりして落ち込んでいるか弱き女の子みたいな感じだと思うのだけれど。他の人から見ればそれは普通の子とか、凄い事なのかもしれない。
人とは、価値観が違うのが当たり前な生き物なのだから、すれ違いがあって当たり前なのだ。
「こんなカップラーメン汁も残さずに完食していた人が良く言うよ。それで、お前はあいつからこの嫌がらせを受けているのか」
ひらひらと茶封筒を泳がせながら私に落胆と疑問を彼は抱いてくる。しかし、この様子か見るに、どうやら彼は誰が私に嫌がらせをしていたのか、わかっているようだった。
彼は茶封筒を開く。そして、手紙を私に見せてきた。
「…………。ねえ、縁はさ、クルクマの花言葉って知ってる?」
私はその出てきた文章に薄ら笑いを浮かべながら問う。そして思った通り、彼は首を傾げてきた。
「解らない。なんなんだ?」
私はその手紙を受け取りながら答える。
「あなたの姿に酔いしれる、だよ。あの人にピッタリの言葉だよね。名字と同じ名前の花の言葉がこんなのとか凄い確率だと思うよ。酔いしれすぎてその思いを向けている人の気持ちすら思えなくなってしまう。いい大人が。一人の教師が。……笑ってしまいたくなりますなあ」
全く笑えないが。逆に一筋の温かいような冷たいような、よくわからないものが私の頬を通って落ちた。小さな水たまりがフローリングに誕生する。
すると、ポンッと何かが頭に乗っかる感覚があった。そしてわしゃわしゃと私の頭を掻きまわすような感覚がよぎる。それを触ると、暖かくてごつごつとしたものだった。縁の手だ。
「……ねえ、私がもっと違う対処の仕方でこのことに立ち向かっていたのならば、……心は、生きていたのかなあ、まだ笑って暮らしていたのかな」
手紙には私を責めるような、それでいて崇めるような言葉が並んでいた。一番最後に、『俺のものにしてくれてありがとう』と書かれていた。私はそんなの絶対に認めない。
けれど、縁の行いに思いが少し軽くなったのか、暖かいような冷たいような何かがたくさん頬に線を作っていく。
私が人の前で涙を流したのはいつぶりだろうか。かなり懐かしいような気がする。
彼は真剣に私のほうを見てきていた。目つきの悪い目が私を優しくも厳しくとらえてきている。なぜだか、ものすごく守られているという感じがした。
「んー、解らねえ。もしかしたら、そうだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。だけれど、そのことは実際に体験してみないとわからないし、言えないことだ。だから、そんなこと考えるな。過ぎたことは変わらない。だから、ちょっと行こうか」
「……行くってどこに」
「病院。変えの制服どうせ持ってんだろ。それに着替えてからいこうぜ。どうせあそこにもいくんだろ?」
「……わかった」
私は唐突のことで驚きながらも、涙で腫らした目を擦りながら頷いた。
「縁さん久々の私の涙にやられました? さっき随分優しかったではないですか」
着替え終わり、いろいろと突っ込んだリュックサックを揺らしながら居間で待っていた縁と心に合流した後、私たちは家を出た。時計は午前七時をまわっている。しかし、私も縁も不思議と眠気を一切感じられなかった。
「いつも通りだろう。それと、心はあの手紙を実際に見てどうだった?」
『んー? すごく恐ろしいものだと思った。というか、いつの間に私あそこにいたの? もしかして瞬間移動でもした?』
「うわっ、人格が戻ってらっしゃる」
縁の質問に答えた心はいつもの心だった。あの、私が大好きなおっとりとした女の子だ。なぜだか懐かしく思える。綺麗な花は慌てたように私に聞いてくる。
『え? え? え? 何のこと?』
それに私たちは顔を見合わせた後、知らないと言ってみた。たぶんさっきの出来事はどうせ後で知ることになるのだから。