01.私は何で自殺をしたの?
よろしくお願いします。
「きりーつ、れーい、ちゃくせーき」
いつもの如く、やるの気ない号令により、授業が始まる。見馴れた光景だ。けれども、その見馴れたものとは違うところが一つだけこの時間のなかに存在した。
その直後、教卓の前に飄々と立っている身なりがしっかりとなっていない二十代後半の男性が、私たちのいる空間を見渡し、首をかしげる。
「あれ? 七竈さんはいないのか、朝はいたけれど。誰からも連絡来ていないし……。誰かどこに行ったのか知ってる?」
そう、七竈――七竈 心がこの場所、とある高等学校の三階に位置する教室に存在していなかったのだ。
七竈心という人物は、これまでの高校生活二年間を通して無遅刻無欠席を貫き、おまけに授業態度が飛びぬけて良いという人物で、そんな彼女がこの空間にいないというものは異常ともいえる光景だった。だから、先生が思わず口にその名前が出てしまったのもしょうがないことだと私は思う。
余談だか、その七竈心は見た目も良く、よく男共を虜にした。彼女のことを幼少の頃から知っている私からすれば、そのことに関しては溜息をついてしまうほどのものだった。しかし、彼女のおっとりとした天然な性格のおかげでその花に恋した者は皆等しく心を砕かれていった。そんなことで、その高嶺の花を昔から知っている人間は、陰で彼女のことを恋心ブレイカーと呼んでいる。
そんな彼女が居ないだなんてどうしたのだろうか、幼馴染であり親友の私でも彼女の行方を知らない。
さっきけだるそうに号令をかけた右隣の席の人の顔を見ても、私と同様のことを思っているように見えた。そして隣の人も同じことを思ったのか、目付きの悪い目を私の方に向けてくる。目が合った。特に気にすることもなく私たちは目を前に戻す。
そんな事を私がやっている時、教室の中では「わかりませーん」「私も知らなーい」「俺もー」とそんな言葉が飛び交っていた。どうやら彼女は行方不明ということになるらしい。心配だ。
私は気分転換という名目でなんとなく外の景色を見ようと、顔を隣の人とは反対の左側の窓のほうに向ける。
私の席は、一番窓側の前から四番目にあった。後ろから三番目と言い換えてもいいだろう。まあそういうわけで、外に景色はよく見える。絶景だ。だから──見覚えのある華奢な身体が落ちていく姿も、目を疑うぐらいに良く見えた。
あまりにも予想外のものが目に映ってしまったあまりに、がたっと私の周りを囲っている椅子と机を倒す勢いで、私は思わず席を立ってしまった。
「おい、宮下どうした」
私が所属しているクラスの担任であり、今の授業の教科担任である久瑠隈久輝先生がいきなりの私の行動に驚くと同時にいかにも不機嫌そうなしかめっ面を私に向けてきた。無機質な髪と顔が私を視線で刺してくる。
しかし、そんなことはどうでもよかった。耳にはいってくる気配もなかった。
「心が……」
そう呟きながら私は勢いよくその近くにあった窓を開け、下を見下ろす。そこには目をふさぎたくなるような光景が一面に広がっていた。
「……っ!!」
そのあと私は勢いよく教室を後にし、階段を駆け下りた。
私のあとを追いかけてきていると錯覚してしまうような、勢いある先生の怒鳴り声と、私の後に興味本位で窓の下を覗き見てしまった人たちの共鳴が私の耳をかき乱してくる。しかし、そんなことは私にとってどうでもいいことだった。
でもまあ、多分あれを見てしまった人たちは何人か明日、学校には来ないだろう。
教室から見た光景の下に足を下ろすと、そこには真っ赤なひどく醜く、しかし恐ろしいほど奇麗な花が咲いていた。真っ赤過ぎて目を瞑ってしまいたくなるほどだ。
その真っ赤な物からは一瞥過ぎて鼻を覆いたくなるような匂いが出ており、私の身体を包み込んでくる。逃げたくなったが、その中に彼女の匂いも混ざりこんでおり、私はこれから逃げられないということをそれが訴えてきていた。
無意識に息が荒くなっていくのを感じる。
私の目の前に咲いている一輪の花は、生を失っていることは触らなくとも確認できた。
それは、その花の軸がありえない方向に曲がっていたからだとか、花の花弁の部分が半分散っていたからでもない。ではなぜか、こういうことである。
『あ、その真っ黒い夜の星空みたいな長い髪とすらっとした手足、そして見たものすべてを虜にしそうな大きな瞳に、ひとくちアイスもひとかぶりできそうにない口は心結だね』
宮下 心結──これが私の名前だ。心と名前の読み方が同じなのはたまたまだ。それがきっかけで彼女とも仲良くなれたし、私は気にしていない。
私は溜息交じりに花の生に問いただす。
「ねえ、なにやってるの……心」
『うーん、それが私にもさっぱりなんだよねぇ。あ、そういえばさっき目あったよね。私が屋上から飛び降りて落ちてくとき。ちょっと嬉しかったりしたよ』
私は全く嬉しくなかった。目を瞑っただけでフラッシュバックしてきそうな勢いで。そう言おうとしたが、次の彼女の言葉で私の思考は止まることになった。
『というかさ……ねえ、なんで私は自殺をしたの?』
「え? は?」
いきなりの唐突な一言に私は我を失いそうになる。何を言っているのだ、この子は。私はこの子が落ちているところを見たからここに来たというのに。
『私は、生きたかったよ、心結』
彼女の目は真剣そのものだった。生きたかった。もっと生を謳歌したかった。そんな思いが溢れ出ていた。半透明の身体からは哀愁さえ感じられる。
「え、じゃあ誰かに押されたの? とんって」
さっき彼女の口から自殺というワードが出たが、一応そう聞いてみた。が、彼女は首を横に振る。
『いや、自分で飛び降りた。だけれど、なんでそうしたのかわからないんだよ。言うならばそうだね……誰かに体を支配されてその誰かが私の身体を動かした感じ、かな?』
「…………言っている事がさっぱりわからん。とりあえず断言できることは七竈心──」
私は幼馴染であり、この世で一番私の存在を知っていて、知られている存在の名前を口に出す。
とても可憐で華奢で溜息が無意識に出てしまうほどかわいくて、半分は肩までで半分は腰までの長い髪を下で二つ縛りをしているという謎の髪型をしていた、とても大事な、大事な人。そんな人は今日、今をもって……。
「あなたは……自殺をして死んだんだね」
『うん、そうみたい』
半透明な可憐な花は、苦しそうに申し訳なさそうに頷いてくれた。
それからほどなくして、私の耳に地面を駆けぬける音と聞き覚えのある声が届けられてきた。
「心結ちゃん!! 心ちゃんは……!? うっ……」
が、その声の主はいきなり顔を顰めて足の動きを急停止させる。それと同時にポケットからハンカチを取り出して自分の鼻にこすりつけた。
「て、鉄の臭いが……」
私はその行動を見て溜息を吐いた。強面の顔のくせにこういうものにめっぽう弱いのだからこやつは……。
私はたぶん私の挙動不審な行動を見て心配になり、追いかけてきたのであろう、教室で目が合った私の席の右隣の目つきが悪い幼馴染の男に溜息交じりの言葉を飛ばす。
「本当、縁ってこういうのだめだよね。縁の顔ってどちらかというと血を求めてそうなのに。すっげー顔と似合わない」
うんうんと心が私の言葉に賛同し、首を縦に振っている。
「本当に無理……それで、こ、心は…………」
「……触らなくても見れば一発で解るよ。首の骨が折れているどころか、半分ちぎれている。よって即死」
私は赤い花畑に躊躇なく足を踏み入れ、心の折れ曲がり肉が裂けて機能しなくなった首を触ってみる。すると花の水分が私の手をまんべんなく濡らしてくれた。
彼女の魂はそれを物寂しそうに見つめて来てくる。たぶん今私はとてもひどいことをしているんだ、彼女の死を冒涜するようなそんなことを。
だけれど確認してみたかったのだ。自分で触って。彼女の有り様を口でいっても、それが私の脳が受け止めたとは限らない。けれども、現実は変わってはくれない。現実は私の掌に冷たくものを伝えてきた。
それを慰めるように心地よく落ち着く暖かい風が私たちを包み込んでくる。それにつられ私の髪は煽られ、引き込まれるように花の下へと落ちていく。
「……ねえ、縁」
「なんだ」
私が冷たく無機質な今にも消えそうな声で縁に呼びかけると、彼は私とは反対に力強く答えてくれた。
「心は、なんで自殺なんかしたのかな」
「さあ、解らないな。当の自殺した本人にでも聞いてみなくちゃ分からないことだ」
「それが当の本人でもわから無いようで」
「あ、そうなの」
彼はあっさりと私の言っていることを受け止めた。そこで私はあることを察する。
「もしかして……、心のこと見えてる?」
すると彼は首を縦に振りながらさも当たり前のように言ってきた。
「うん、見えてる」
『おお、お二人さん凄いねー』
その話題の中心である人物にあたる心は私たちに拍手を送りながら笑ってきた。ごめん、心、全然嬉しくない。
それから少しして、教師たちはやってきた。対応が遅いと思って何をやっていたのか聞いてみたら、生徒を教室にいるように押さえつけてから来たということだった。
ちなみに縁は先生に教室に押さえつけられる前にあそこから出てきたのだそうだ。教科担任をしていた久留隈先生が彼に向けて無言の圧力をかけていた。
この対応はまず心の下へ誰かを送ってからやるのが賢明な事だと思ったが、心は即死だったから、どんな対応をしても結果は同じとのことで私と縁は言葉を飲み込んだ。
救急車はもう呼んだとのことで、とりあえず彼女を動かそうと馬鹿な教師たちが言ってきたが、私たちはそれを強く拒んだ。無理やり動かしたところで彼女の体の形がもっと歪になるだけだ。この花の花弁はもうほんの少し触っただけでも完璧に取れそうなほどだった。だから、下手に触るのはよくない。これ以上彼女の首を千切りたくない。
それに、この体の持ち主だった少女は今、私の隣に浮いているのだ。そんな子の目の前でもしも、あれがとれたらと思うと吐き気が止まらなかった。
そうしているうちに救急車が来た。さすが救急隊の皆様、馬鹿な教師共とは違い、この場の現状を見て即座に警察に電話をしてくれた。
それからは流れるようにことが進んでいった。
警察が来た後、少し心の身体が弄られ、命の灯が完全に消え失せていることが確認された心は、救急隊員によって丁寧にゆっくりと救急車両に乗せられて、久瑠隈先生が引率して病院に連れていかれた。私たちも行きたいと強く願ったが、それは受け入られることなく逆に私の身体には大量に彼女の血がついていたため、気が遠くなるほどの質問の嵐を受けることになってしまった。