何故、一人称なのか
《人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。》
坂本竜馬
「『異世界』『転移(転生)』『チート』そして『ハーレム』。お前の言う『テンプレ』要素についてつらつらと話したわけだが、自分が書くべきヴィジョンは見えたのか?」
可愛い女の子に容姿を叩かれて地味に傷心中の俺は、健気にも話しを勧める為に話題を振った。目的や目標が辛い現実を乗り越える為には、一時的にその原因から目を逸らすこともまた必要なのだ。
ややネガティブに表現すると、現実逃避である。
「いや。話し合いが進むにつれ、異世界テンプレの難易度の高さが見て来たから正直しんどいね。簡単そうに見えるからこそ、技量が問われると言うか。わざわざ競争率の高い所に飛び込まなくても、自分のスタイルを貫くのが一番だと思うよ、うん」
現実が非常と言うか、墓守が非情なことを言った。こんだけ人に喋らせておいて、容姿に文句をつけておいて、『やっぱやめようかな』はないだろう。
天子とか可愛らしい名前の癖に、鬼か。もっとも、天使の類が本当に清く正しい存在であるのかどうかと訊かれても、俺は反応に困るけど。
「何で良い話のようにまとめてんだよ。書けよ。血で書けよ」
「冗談さ。ただ、もう一つだけ、悩ましい点があるんだ」
「…………お前って、図々しい奴だよな」
こんなことなら、コーヒー奢ってもらえば良かった。
「己の胸の価値とトントンだ」
愉快そうに、組んだ腕で自分の豊かな押し上げる墓守。まあ、そうだよな。視線で相手の動きと思考を読むのなんて、武術の基本と言えば基本だ。素人でも、多少の気配くらいは読めてもおかしくない。
よって、女性が男性の視線に気づいていると言うのは、普通にありえる話だろう。
だから、俺はこういうのだ。
「ありがとうございます」
と。
「さて、馬鹿な話はここまでにするとして、己は一言申したい」
それは俺に申して意味があることなのだろうか? もしかして、胸を見た代金とか取られるんだろうか? そうなったら恥も外聞もなく走って逃げようと決意して、黙って俺は頷く。
「どうして大抵のテンプレは一人称なんだ、と」
どうやら俺の心配は杞憂に終わったようだ。
「一人称って言うと【吾輩は猫である】とかか?」
訊くまでもなく、そうに決まっている。
分かりやすく言えば、特定の人間の主観によって書かれた小説のカテゴリを指す用語だ。
「その通りだよ」
「それは文句を付ける所なのか? 小説を書く上でのテクニックみたいなものだろ?」
古典と呼ばれる様な作品にすら散見されるその書き方は、わざわざ槍玉に上げる様なポイントには思えない。
「勿論、そうなのだけれど。しかし、その利点は何処にあると思う?」
一人称の利点? 小説を書きたいわけでもない俺にそんなことを聴かれても困る。
「わかりやすさ、みたいな物はあるよな。登場人物が驚いているから、ここは驚くべきだとか。感動しているから、泣くべきだ。みたいな? そうだな。感情移入の話しはさっきもしたけど、感情移入しやすいって所か?」
「うん。悪くない意見だよ。主観を通じて物語を見ることで、感情移入がしやすい。誰が主人公であるのか一目瞭然なのだからね。それに、転移や転生との相性も悪くないんだ。読者が知らないことを、主人公も知らない。だから、説明するにも自然になりやすい。まあ、少々くどく感じることも多いから、序盤の説明ラッシュは諸刃の剣とも言えるけど」
なるほど。読者と主人公の知識量の同一化、と言うのは強い武器だろう。
某人気大作ゲームの造語ばかりが並ぶあらすじで敬遠してしまう人がいたように、自分の知らない話ばかりされて面白いと思える人間は少ない。特に、娯楽としてラノベを読もうとしているのだから、生物や歴史の授業の如く、専門用語を阿呆みたいに覚えるのは面倒臭い。
その点、何も知らない主人公と一緒に覚えて行く、或いは感じて行くと言うのは便利そうだ。感情移入以上に、情報や境遇の同一化が行われており、よりキャラクターを身近に感じやすいのかもしれない。
「って、おい。便利じゃないか」
最初の拒絶は何処へやら。墓守の説明は明確に一人称を肯定するものであった。
「便利な物が、必ずしも人を良くするとは限らないだろう?」
「それはそうだが、有効ならば使うべきだ」
「問題は、そこだよ。有能だからと言って、万能ではないことにも目を向けて欲しい」
素直に表現するのであれば、一人称の欠点と言った所か。
こう言う時、真っ先に考えるべきは長所だと相場が決まっている。利点がそのまま欠点になると言うことは、お約束とも言えるだろう。
主観の場合は、客観。つまり一人称は客観性に欠ける。
「その通り。視点が固定されているからこそ、実感できる範囲は極めて少ない。身の回りの話しばかりで、遠くの大国での出来事や、主人公の預かり知らない場所での出来事の描写ができないのは、大きなマイナスだ。広大な異世界を、個人の感覚で矮小な物にしてしまっている」
「その場合は、別の人間の視点を使うのは駄目なのか?」
「群像劇であるなら、良いだろう」
説明するまでもないかもしれないが、多数の登場人物を描く物語のことを群像劇と呼ぶようだ。人間ドラマや、複雑なストーリーとなることが多く、初心者が手を出す手法とは言い難い。
「しかし大抵のテンプレ物はそうではない。あくまで主人公を中心とした冒険活劇であったり、恋愛劇であったりする場合が多い」
「でも、使っちゃあ駄目ってわけでもない」
「勿論。効果的に使うことができれば、これはかなり魅力的な手法だ。が、そもそもの問題として、視点が移り変わると言うのは非常にわかりにくい。このキャラはアレをしっているけど、あのキャラは知らない。そんな事情の把握を常に読者に求めなくてはいけないんだ」
因みに、俺は小説を読む時にメモを取るタイプである。
無論、全員がメモを取る人間ではない。
「特にテンプレ物は登場人物が時間の経過と共に増えていくから、それが顕著になる」
「読者に対する配慮としての、複数人の一人称反対か」
「ああ。最初から一貫して一人称の方が、すっきりするだろう? 主人公から見えない物語は、やはり描写する必要はない、己はそう思うんだ。何もかも説明するのが小説ではない。想像の余地を残すのもまた作者の使命だと思うのだよ」
その辺りは、好みが分かれそうな話ではある。俺としては、曖昧な部分を残して、適当に考察の余地がある方が好きだ。そう言うのを語り合えたりしたら最高だ。
「あと、一人称の視点変更でどうしても許せない物があるんだが、聴いてくれるか」
俺の「ああ」と言う返事を待たずに、墓守が続ける。
「他のキャラクター視点で、同じシーンが掲載されることがあるだが、それが嫌いなんだ」
「ん? 焼き直しがあるって理解で良いのか?」
「焼き直し、と言うと微妙に違う。別の人間の視点で、同じシーンを書くんだ」
「俺から見たシーンと、墓守から見たシーンを書くってことな。別に、悪くなさそうだけどな。同じ物を見ても、同じように感じるとは限らない。そんな当たり前のことを理解させてくれる」
「それならばまだ、マシかもね。大抵の場合、この手の手法が取られれば、それはもう主人公の株を上げる為だけの話しだよ。主人公が如何に凄いことをしたかを描写するんだ。本人だけの主観だと、物事の凄さがわからないからね」
説明の意味や、墓守が嫌悪する理由は今一わからなかったが、同じシーンを二回も書くと言うのは、単純にテンポが悪そうだし、一人称での描写力がないと言っているにも等しい気がしないでもない。
何度か出た話題だが『大量生産による技量の低い人間によるテンプレ物』の存在を裏付けているように思える。
「そう言えば、ふと思ったんだが…………」
「ん? 何でも歓迎だよ」
「戦闘描写とかってどうなるんだ? あんまり一人称の作品を読んだことがないんだが、一々殴られた場所の説明とか、向かって来る攻撃の種類を解説したりするのか?」
どうやらアクション寄りに成りがちらしいテンプレ物ではあるが、華である戦闘時の描写はどうなるのだろうか? 戦闘と言うのはやはり疾走感がなくてはならない。一々主観による動作の説明なんてしていたら、あまりにも億劫な文章になりそうなのだが。
「まあ、大抵は説明するね。と、言うか、例えば君の場合はどうなんだい? 実際に試合のような物をするとして、その時の君は何を考えているんだい?」
「兎に角、無数のパターンを考えるな。頭の中にパターンを浮かべておいて、なるべくそれ通りになるように動く。現実と理想の差はその場で即時に修正すると同時に、直ぐ様に底から次のパターンを模索するんだが…………口で言うのは難しいな」
漠然と何かを考えているのは間違いない。それは掴もうとすると、煙のように手の中から消えて行ってしまう。あの不確かな世界を、ただ世界と捉える感覚を言葉にするのは難しい。
「何かに似ているとかはないのかい?」
言う傍から、無茶を言ってくれる。語弊を前提にして、俺はなじみ深そうな物に例えて見る。
「強いて言うなら、早押しゲームか? ほら、あるだろ? 画面に『押せ!』て出たらボタンを押すゲーム。違うのは、指示には種類があって、それぞれボタンが違う。いつでもどのボタンが来ても良いようにするって感じだな」
「へー。それは中々興味深い話だね。『考えるな、感じろ』じゃあないんだ」
「考えるし、感じる。と言うか、その二つに差があるのか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「だろうな」
「しかし、戦闘時の表現における一人称の不利は考えたことがなかったな。やっぱり、殴られると痛いのかい?」
あたりまえです。強く頷いておく。
「俺個人の感覚としては『熱い』って感じが強いけどな。『痒い』の強化版も近いけど」
「…………仮に、ナイフで腕を刺されたらどうなるんだい?」
うーん。当たり前だが、俺もナイフで刺された経験なんて十回もない。基本的にどんな攻撃だろうと、まともに受けるのは馬鹿のやることだ。特に刃物と言うのは、刺された場所が即急所に変わる。失血によるコンディションのダウンは免れないし、痛覚を無視することに意識を裂くのも大変だ。
「まず、普通に痛いな。で、刺されたと気が付くと、一気に火が入る。燃え上がる痛みに、その場で飛び跳ねて叫び声を上げたくなる。心臓の鼓動と共に繰り返す鋭い熱さと、流れ落ちて行く血の暖かさ。悲鳴を上げる脳を無理矢理に捩じ伏せて拳を握る頃には、もう一箇所、切り傷が増えている。あの時、爺が来なければ、俺の顔にはストロー専用の口ができていただろうな」
「どの時だよ。君はこの平和な日本の何処でそんな経験を積んでいるんだ」
いや。この作品はフィクションですよ?
「兎に角、痛みを抑えるって言うのは、凄く大変なことなんだよ。俺の戦いを一人称にしたら『痛い! 止めろ! 痛いって! 危な! この! ボコッ! 相手は死んだ(ちーん)』って感じになる」
「文才なっ!」
俺に文才がないのは認めるが、そっちじゃねーよ。
「それだけ戦うっていうのは難しいんだよ。因みに、今の戦闘はかなりの激戦だった。三時分以上に及ぶ激闘。長名作だ」
「まったく伝わって来ないんだが」
「やっぱり、一人称は戦闘には向かないだろうな」
「一人称とかじゃあなくて、完全に君が悪いだろ」
「そんなこと言ったら、結局相応しいとか向いているなんて個人の腕次第の話じゃねーか」
「う」
図星を突いたのか、墓守は言葉に詰まる。
結局の所、面白いだとか退屈だとかは作者の腕と、読者の個人的嗜好が大きく左右する。
どれだけ面白い物を書いても、需要がなければ読んで貰えない。
逆に多少退屈でも、ニーズに適っていれば商品は売れる。贋物としって、贋物を買う人間はこの世に幾らでも居るのだから。