何故、チートなのか
《力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である。》
ウインストン・チャーチル
「チート?」
語彙にない言葉を、俺は鸚鵡返しに訊ねる。日本語ではなさそうと言うことだけは伝わって来るのだが、日本語でない以上、その語感から意味を類推するのも難しい。
墓守はそんな俺を見て、意外そうに「知らないのかい?」と目を丸くした後にその単語の意味を教えてくれた。
「チートは騙すって意味の英単語だよ。」
そう説明されると、何となく聞いたことがあるような気がしてくるから不思議だ。確か一〇〇年くらい昔のアメリカの映画に、そんなタイトルの物があった気がする。日本人が主演していたとか、国辱的だとかなんとか。
まあ、今回はその豆知識を披露する必要はないだろう。間違いなく、関係がない。
「それはつまり、作者が読者を騙す。叙述トリック的な意味か? 【猿の惑星】みたいに、異世界だと思わせておいて、実は…………みたいな?」
「いや。この場合のチートはゲーム用語で【不正行為】って意味さ」
「不正行為?」
思わぬ言葉に、やはり俺は彼女の台詞を繰り返してしまう。
「君は疑問に思わなかったかい?」
理解の追いつかない俺に、墓守は更に疑問を被せた。元々答えは求めていなかったようで、彼女は俺のリアクションを待たずに続けた。
「『現代人なんて異世界に役に立つのかよ』ってさ」
残念ながら、俺は疑問に思わなかった。転生の仕方のなんというか、一種の投げやりさに戸惑い、そこまで思考が回らなかったと言うのが正確な所だろうか?
「勿論。思ったさ。山口多聞だとか、シモ・ヘイヘが行くならともかく、俺が異世界に行っても何の役に立つか」
「いや。君なら普通に魔法使いと戦えそうだけど。その腕とか、己の腰より太いよね?」
魔女となら戦って勝ったことあるしな。流石にそれを口にするのは憚られるので、ふざけた調子で後半の台詞にだけ答える。
「なんだ? 俺の筋肉を評価してくれるのか? 見るか? 脱ごうか?」
「見たくないし、脱がなくても良い、セクハラで訴えるぞ」
恐ろしいほどに感情の籠っていない返事をありがとう!
「君の肉体美(笑)は置いておくとして、君の疑問に答えるのが『チート』なんだよ。反則的な能力が、転移者には与えられるんだ」
まるで何事もなかったかのように、墓守は話を戻す。本当に、ありがとう。
「与えられる? 銅の剣と五〇ゴールド以外に何か貰えるのか?」
「君は幾つだよ。破壊神を破壊した男は、まあチートと言えなくもないけどさ」
「魔力もない戦士なのに?」
「チートって一口に言っても、色々と種類があるんだ。まず『単純に強い』ことを指す」
単純に強いことが、どうして不正行為になるのだろうか? 仮にも武芸者である俺には、今一納得しかねる表現である。強さと言うのは、そもそも根本的にそう言った卑怯さとは無縁な物のはずだ。
いや、そうでなくてはならない。
「己の様な人間から見たら、君みたいな人間は十分にチートと呼べるよ」
しかし俺の意志を無視するように、彼女はまったく不本意なことを言ってくれた。
「二メートル近い巨漢。幼い頃から修練した武術。多分、教室中の人間が刃物を持っていても、君は傷一つ負わずに、与えずに、勝利することができるだろ?」
「そんな妄想したことないけど、銃火器でもない限り、そうだろうな」
因みに、本当はある。電車に乗る度、そんな妄想をしている。エレベーターで突然服を脱ぐ妄想と同じくらいの頻度で、妄想している。悪いか?
「はっきり言って、その強さは卑怯だよ。己から見たらね。あまりにも理不尽だ。どうしようもなく不条理だ。一定のラインを越えた時点で、強さって言うのは卑怯になってしまうんだよ」
強さが卑怯。
それは絶対に認めたくない台詞ではあったが、理解できてしまう理屈でもあった。
もし仮に墓守の言った妄想が実現してしまったとして、その際に俺が一人でも殺してしまったら、俺は凄まじい批難を受けるだろう。もう少し現実的な例えにすれば、男が女に暴力を振るうのはタブー視されているのに似ている。両者に圧倒的な差が存在する場合、上位者が下位者に圧力をかけることは、法的な罰則すら有り得るのだ。
強いと言うことは、弱い物には余りにも脅威で、どうしようもない厄災でしかない。
「転移者や、転生者は、大抵そう言った隔絶した強さを持つことになる。魔力だったり、特殊能力だったり、軍事力だったりするけどね。現代のように平和ボケした世界じゃあないからね、異世界は。強さはそのまま社会的なステータスに直結するよ」
「ちょっと待ってくれよ。もしかして、話しの流れからすると、その強さを貰えるのか?」
「ああ。特に苦労もなく最強の力を手に入れる。これも『チート』の一面さ」
銅の剣と五〇ゴールドとは比べ物にならない恩恵だ。王子は泣いて良い。
しかし、これは退屈な話しになってしまった。
誰よりも強い力を与えられたから、最強? チート?
俺には認められない発想の仕方だ。考え方は人それぞれだし、他人が何をどう感じるかなんて興味もないが、これは酷く強さを馬鹿にした話しだ。
しかしもしかしたら、俺が勘違いをしているかもしれない。念のために訊ねる。
「本当に、そんな話しが受けているのか?」
「おや? 気に喰わないと言う様子だね。転移の話しは理解できない風だったけど」
「ああ。その通りだよ」
「もしかして、武芸者として、何の努力もなく強くなるのが許せないって奴かな?」
「いや。それ以前の話しだよ。俺には『強くなる』って言う表現がそもそも肌に合わねぇ」
虎が子供から大人になることを、強くなったと表現するだろうか?
ナイフを手にした不良を、素手よりも強くなったと言うだろうか?
少なくとも、俺は言わない。
子供だろうと、大人だろうと、虎は虎だ。刃物を持っても人が、変わらないように。
「考えたことがあるか? 墓守。どうして世の中には弱い人がいるか」
「己としては、世の中に強い人がいる、って感じだがね。統計的に見れば、弱い人間の方が多いだろうからね」
意図してか、彼女は俺の質問には応えなかった。
「答えは、大抵の人間は強いと言うことに耐えられない程に脆弱だからだ」
強い奴は、最初から強い。弱い奴は、どうあがいても弱い。
チート能力を得て、最強だと嘯く。俺から言わせて貰えば、あまりにも的外れだ。
虎の意を狩る狐ですらない。
高校生が幼稚園児相手に砂場で威張り散らしているような滑稽さを覚えてしまう。
「如何にも、強者らしい理屈だ。好感が持てる。一切、同情的じゃあない」
墓守は少しだけ困ったように笑い、「君はそう言う奴だった」と頷いた。
ん? 『だった』? 『だと思った』の言い間違いだろうか? 言葉尻を捕まえたり、上げ足を取ったりするのは好きじゃあないが、なんとなく気になってしまう。
「じゃあ、この小説のように、生まれ変わって新しい力に目覚めた場合はどうなんだい?」
しかしそれを訊ねるよりも早く、墓守が次の問を口にしてしまう。質問のタイミングを潰され、俺は会話を合わせることにした。なに、大した問題でもない。
「そいつの前世による。馬鹿は死んでも治らないからな。文字通りに生まれ変わったとしても、人の性質が変わるなんて俺には信じられないね」
「永劫回帰もそうだけど、君は変化その物を認めていないみたいだ」
「太宰だったか? 芥川だったか? 『時代はちっとも変らない』って書いていたな」
答えにもならないことを言って、肩を竦める。
「それで? 俺のことはどうでもいいとして、チートってのは、そう言う強さのような物、って言う認識で良いのか?」
「と言うか、話しを効率良く進める為のツールだろうね。ほら、ゲームでもあるんだろう? キャラクターのレベルをいきなり限界にしたり、レアな装備を初期状態で持っていたりする改造コードが。ストーリーだけ気になる人とか、戦いを面倒だと思う人は、躊躇わずやるんだろう」
躊躇があるかないかはわからないが、いないわけではない。まあ、楽しみ方の違いだ。
「それの顕著なチートの種類が『情報チート』だよ。己が思うに、転生や転移する意味がもっとも大きいチートだろうね。武力のチートはどうしても『最初からその住民にその力与えれば良いんじゃあないか?』と言う疑問が付き纏うからね」
確かに、その弱点は俺も考えた。トラックに撥ねられて異世界に移動して、そこで凄い力を貰うと言うのは無駄な工程が多過ぎるきがする。それなら、最初から異世界人が強ければ良いだけの話しだ。
ならば、その情報チートとやらはどんな物なのだろうか?
まあ、想像はできる。
「現代知識の利用だよ」
今の知性のまま小学生になれば天才なのに! と言う、誰もが思う妄想の異世界番だ。
「科学的な知識は勿論、そこにあるように料理の知識での活躍や、近代の内政知識を利用する作品も多いね。これはどうだい? 転生する意味があるし、中世と言う舞台を上手く活かしている。テンプレ物では一番好きなパターン何だが」
確かに、転移や転生、そして異世界を舞台とする意味が、この情報チートにはあるような気がする。
が、真っ先に思ったことは、『小学生に戻った所で、結局は自分の知識量が変わらない』と言う点だった。これは致命的だ。
俺が仮に小学生に戻ったとしても、調子に乗って勉強なんかせず、高校生になる頃には普通の男子生徒になっている確率が非常に高い。仮にアインシュタインが異世界に言って情報チートを振るうならその心配はないだろうけど、普通の高校生程度だったら間違いなく一年も持たない気がする。
むしろ、その知識を応用できる位の頭の良い人の引き立て役になるんじゃあないだろうか? 世の中、賢い奴は多い。
が、それはそれで、そう言う展開で話しが書けそうではある。主人公は完全に脇役だが。
「面白そうではあるけど、内政チートは頂けないな」
「その心は?」
「そんな物が簡単にできるなら、世界は平和だし、アフリカに募金する必要もないんじゃあないか? 今の社会が成熟し切った完璧な世界だなんて、お前も思わないだろう? 『民主主義は最悪の政治体制である。過去に試みられたそれ以外の政治体系を除けばだが』」
「チャーチルだね。しかしそれは皮肉だろう? 『民主主義最高』と解釈するべきでは?」
「政治が最高なものかよ。義賊みたいなもんじゃねーか」
「君の政治批判は、また別の機会に聴こう」呆れた様な墓守。「うーん。しかし今までもそうだけど、チートについては特に、君を納得させられる様な必然性と言う物は見えてこないね」
「かなり私見が入っちまったからな。参考にならなくて、すまんな」
「いや。まあ、名前からして『反則』なわけだし、君みたいな人間が素直に好きになれるとは思っていなかったよ。ご都合主義満載のテンプレ物の中でも、ご都合主義の象徴みたいなものだ。合わない人は、とことん合わない」
俺から言わせて貰えば、ご都合主義でない小説なんてないと思うのだが、その辺りの線引きも気にならなくもない。極論を言えば、地球だって人間が住むにあまりにも整い過ぎた舞台だ。都合が良すぎる世界だ。
何者かの、不正行為を疑ってしまえる程に。
だから、合わないのはご都合主義ではなく、思想だ。或いは、哲学か?
どちらにせよ、対立するには十分な理由になってしまう。
「まあ元々、チートはあまり入れるつもりはなかったから構わないさ」
「そうなのか? 結構、お前は肯定気味に感じたけど?」
「難しい所でね。テンプレ物の一番の目玉であり、癌でもあるんだよ。結局、作者側にキャラクターを成長させる技量のなさの誤魔化しや、戦闘描写を省く意味合いが強い要素だと思っているからね。香り付け程度には必要になるだろうけど、メインディッシュには相応しくない」
確かに、最初から反則技に頼るって言うのはフェアプレイ精神に欠ける。別にフェアである必要はないんだけど、やっぱりそう言う弱さは決して強さには成りえない。
「そして、チートと同じく賛否両論あるであろう、テンプレ物要素がもう一つある」
「なんだったけ? 横文字だったよな?」
最初に墓守が言及したことは覚えているのだが、結構長いこと話していたからか、上手く思いだせない。まあ、忘れてしまうと言うことは、別に大した要素じゃあないんだろう。
「『ハーレム』だよ」
「それは必要だろ」
俺は喰い気味に即答していた。