何故、異世界なのか。
《「生き残るのは…………」「この世の『真実』だけだ……」「真実から出た『誠の行動は』…………」「………決して滅びはしない………」》
ジョルノ・ジョバーナ(荒木飛呂彦)
異世界。
読んで字の如く、この世とは異なる世界。
俺が思うに、人類はそもそも異世界が好きなのだと思う。
恐らくは文化が発生するのに少し遅れて、最初の異世界ができた筈だ。
「つまり『神話』が異世界の発端と言うわけだね?」
もったいぶる俺の考えを先読みして、墓守が答えを口にする。テンプレの話しをしている時は聴き上手だったので、掌返しを喰らった気分だ。もっとも、さっきはテンプレに対する嫌悪感から、わざと口を出さないようにしていたように感じたので、これが本来の墓守の態度なのかもしれない。
クラスメイトとは言え、別段親しいわけでもないので、キャラが良く分からん。
己っ子って時点で、意味不明だ。
「…………そーですね」
良好な人間関係の為に、取り敢えず自分の不満を言葉に出してみる。
「ふてくされるな。君は子供か。そして、全然可愛くない」
「ちっちゃい頃は、女の子に間違われたんだぞ?」
「何処で成長を間違えたのかは気になるけど、話しを進めよう」
あらら。けんもほろろ。いや、話しを逸らした俺が悪いんだけど。
「最初の異世界は『神話』の世界ってことが君は言いたいのかい?」
「ああ。ついでに言えば、世界で最初の物語でもある」
『どうして雨が降るの?』
『死んだらどうなるの?』
『人は何処から来て何処へ行くの?』
知性と言葉を手に入れた人類が抱いた素朴な疑問。その答えが『神話』である。
『向こうの山で神様が暴れているから雷が起きる』
『太陽の神様が寝たから夜になる』
『死後はその罪に応じて罰を受ける』
現代を生きる俺達にしてみれば、噴飯物の説明ではあるが、『ここではない何処か』そこで起きる人智を越えた存在の物語こそが、当時の人達の真実だった。いや、個人的なことを言わせて貰えば、当時の人が納得していたかなんてかなり疑わしい気がするけど。
だって、見えないし。幾らなんでも、真剣に信じていたとは思えないんだよな。渋々、納得していたんじゃあないだろうか?
その証拠に『神話』の時代は終焉を迎える。人間の探究心が、神を必要としなくなったのだ。
ニーチェ曰く『神は死んだ』だ。
「…………ニーチェ、好きなのかい? 君は」
と。一通りの説明を終えると、墓守は最後の件に興味を示した。確かにニーチェは好きだが、今は関係がなくないか? 蜘蛛の巣を見る様な問に俺は「まあ」と答える。
「『まあ』ね、か。いや。本筋には関係ないね。最初の異世界物は『神話』。なるほど。面白いし、納得できる意見だよ。それだと、人類は根本的に異世界物が好きなのかもしれないね。始まりから、己達は異世界に答えを求めているのかもしれない」
しかし。と、墓守は困ったように腕を組み、首を傾げた。
「それを異世界物と呼ぶのは少し抵抗がある気がするね」
「そうか?」
「ああ。だって、結局は『この世界』の補完世界であって完全なる異世界って感じがしないじゃあないか」
感じがしないって、お前…………が、確かに言わんとするところは何となく伝わる。言われて見れば、天国や地獄、仙人界やらアースガルズは、現実の延長線上の世界であり、まったく異なる世界かどうかと言われれば微妙かもしれない。
「勿論。君の意見を否定するわけじゃあないよ? 確かに異世界と言う概念は神話に起源があるんじゃあないかとも思う。が、やっぱり、異世界と呼ぶにはなんだか違和感があるんだよ。精々が『別世界』であって、異なる世界とは言い難いよ」
「あ、そう言えば」
と、今のやり取りに、突然に俺はとある蘊蓄を思い出す。
「そう言えば?」
「いや【指輪物語】は知ってるか? ネタバレって言うか、裏知識みたいな話なんだが」
「読んだことはないけど、構わないよ。知っていても面白いのが名作の条件だろうしね」
なんだか名言染みた言葉で許可をもらってしまった。が、至言でもあった。【百万回生きた猫】とかな!
「じゃあ、遠慮なく。【指輪物語】は俗に言う剣と魔法のファンタジーなんだが、実は舞台は過去の地球って設定なんだ」
「へぇ」
「で、そのことを知ったファンは、作者にこんな手紙を送ったらしい。詳細は覚えてないから肝心な所だけ言うが『別の星が舞台だと思っていた』って書いてあったんだそうだ」
今であれば、間違いなく『違う世界の物語』だと記す所を、『別の星』と表現する。その意味を墓守は特に説明なくするでも気が付いたようで、「ふむ」と小さく呟いた後に、「つまりその当時に『異世界』と言う概念はなかった?」と続けた。
「一般的ではなかった、程度が妥当かもしれないけどな」
「うん。でも、そうなると異世界と言う概念は何処で一般化したんだろうね?」
暫くの間、沈黙が流れる。いや、沈殿すると言うべきか? 意外と話が盛り上がっていたので、二人して何も喋らない時間と言うのは初めてかもしれない。不思議なほどに、話していて違和感がないと言うか、気が置けない。
本好きと言う共通点がそうさせているのだろうか? 小説について他人と語り合うと言うことをしたことがなかったので、それが楽しいのかもしれない。
「エヴァレットの多世界解釈」
だからだろう。大した時間もかけずに、すんなりとその発想は頭の中から出て来た。
「知っているか?」
「量子力学の解釈としては『シュレディンガーの猫』の方が有名だけどね。乱暴に言えば『違う選択肢を選んだ場合の世界』が存在すると言う量子力学の観測問題に対する解釈の一つだったよね?」
偉そうに言っておいてなんだが、詳しく説明する程の知識が俺にはない。なので、ここは大人しく頷いておく。要するに『パラレルワールド(平行世界)は存在するかもしれない』とどこぞの科学者が真面目な顔をして発表したのだ。と、思う。
神話と同じく、これも現実世界で説明のつかない現象に対しての答えの一つだと行ってしまえばそれまでかもしれないが、『異世界』と言う言葉にはより近いのではないだろうか?
墓守も同意のようで、少しだけ調子を上げて同意してくれた。
「そうだね。それは己の思う異世界に近いよ。なにせ『平行世界』だ。平行する二つの線は、決して混ざり合わないのだからね」
しかし。と、墓守はそこで気持ちをフラットな物に戻す。
「異世界の話しをしていたら、SFチックな結論に纏まってしまったね」
それの何処が悪いのだろうか? 俺はその疑問を口に出しかけて、辞めた。先程例として上げられた五冊は、どれも『ファンタジー』――正確には中世ヨーロッパに魔法や魔物と言うゲーム的な要素を足した世界が舞台になっていた。
もっとも、ファンタジーの語源は夢の神オネイロスの内面の一つ、不可解を意味するパンタソスであると言う説もあるので、不思議がそこにあるのならば、それはファンタジーなのだけれども、
「いや。テンプレ作品での『ファンタジー』と言えば、剣と魔法の世界だよ」
墓守は俺の認識を修正する。
「兎に角、剣と魔法の世界が人気なんだ。そりゃあ、まあ、例外はあるだろうけどね。少なくとも、近未来や現代を舞台にした転生物と言うのはメジャーな作品とは言えない」
「じゃあ、どうして剣と魔法の世界が人気なのか? って話になるわけか」
勿論、作者側の理由と、読者側の理由を考えねばなるまい。
一人の読者として言わせて貰えば、異世界が舞台になっている作品の目玉は、やはり異世界その物だろう。この世界とは違う法則や常識に従う世界。まずはそれその物が魅力だ。
だから、異世界物が流行っているなら、別に剣と魔法の世界である必要はないのだ。例えば、文明が崩壊した後の地球だとか、本当に天動説だった世界だとか、哺乳類ではなく菌類が支配する惑星の話しだとか、そう言ったアプローチでも異世界を楽しむことは不可能ではない。
だと言うのに、どうして剣と魔法と言う異世界を求めてしまうのか?
「作者的に、中世ヨーロッパ舞台ってどうなんだ?」
「己はまだ書いているわけではないが、正直、全然興味がない。馴染みもない」
そんなことを、墓守は真顔でいった。俺は彼女の分まで……と言う殊勝な気持ちは微塵もなかったが、必要以上に驚いた顔をしてしまった。
興味ないのかよ。いや、そうか。こいつは別に好きでテンプレに興味を持っているわけじゃあなかったな。
「いや。勿論、最低限度の世界史の授業で習う程度の知識はあるし、興味もある。が、それを舞台にして書く為の労力が、凄そうじゃあないか。私が書きたいテーマは、異世界環境でないと表現できない物でもないし、それならば理解の深い現代を舞台にしたくなるのが人情と言うものだろう?」
墓守の説明に「なるほど」と俺は相槌を打ち、阿呆みたいに素直に納得する。
確かに、異世界一つを書こうと思えば、凄まじい量の知識を必要とするだろう。
簡単に『天動説の世界』なんて言ったが、もし仮にその世界を書こうとしたら、高度な物理学の教養が必要だろうし、そのうえでそれを無視して成立する法則を考えなくてはならない。それに伴う生活の変化や、矛盾のない環境や生態系も必要になって来る。当然、そうなれば神学や哲学も現代とは大きく異なるだろうし、道徳や価値観も独自の物を用意しなければならない。
それは並の人間にできることではないだろう。
異世界を一つ創ると言うのは、口で言う程に簡単な話ではないに違いない。
しかし逆に言えば、それらの点をどうにかできるのなら、異世界は簡単に創れる。
例えば、現実の歴史を参考にしたり、不都合な所は魔法のせいにすることで。
墓守は労力が過ごそうと言ったが、中世の歴史や文化を調べると言うのはそれほど難しいことではないだろう。研究者は沢山いるだろうし、あの時代が好きな人も多い。ネットを使えば、最低限度の情報は簡単に収集できるはずだ。
それに、剣と魔法の世界には、絶対的な先輩がいる。雛形の原型とでも呼ぶべき本物が。
例えば、J・R・R・トールキン。【ホビットの冒険】【指輪物語】の原作者である彼は、言語学者でもあり、独自の言語体系を作り上げ、長編名作は、その中の二つを使いたいが為に書かれたと言う話はあまりにも有名だ。『エルフ』や『ドワーフ』『ホビット』達『亜人』のイメージの殆ども、彼が固めた物だと言っても過言はない。また、あの有名過ぎる架空金属『ミスリル銀』も彼の創作である。
この本物の異世界(墓守曰く、テンプレな異世界ではないらしい。納得いかんが)は、世界中で認められ、様々な作品に影響を与えている。もしエルフを知能の低い化け物として描写したとしたら、そいつはファンタジーの知識がないと思われても仕方がないだろう。今やエルフをフェアリーやトロールの様に描写する人間はいないし、それが当然であるようにゲームにはミスリルが登場する。
はっきり言って、それは『パクリ』なのでは? と思うが、これらに一々目くじらを立てる人間はいないだろう。偉大過ぎて、それが当たり前となっているのだ。
要するに、テンプレートである。雛形であり、常識であり、当然である。
恐らく、今後の百年に彼以上にファンタジー世界に衝撃を与えられる人間はいないだろう。もしも仮に【指輪物語】を知らない人間がいたとしても、その影響から逃れられはしないだろう。
他にも、ゲームではあるが【ドラゴンクエスト】の世界観は広く受け入れられているし、【ダンジョン&ドラゴンズ】のようなTRPGの設定も流用させやすい物が多いだろう。
墓守には悪いが、そう言った前例が無数に溢れている剣と魔法の世界は、やはり書くのが難しいジャンルではないのかもしれない。
「ふむ。では、剣と魔法のファンタジーは作者として書くのが簡単だと?」
「そこまでは俺にも言えないけど、馴染み深いから手を出しやすいんじゃあないか?」
「つまり、テンプレ異世界が流行っているのは、作者側の都合だと?」
「そもそも、頼まれて書いてるわけじゃあないんだろう? 書きたい奴が好きに作品書いて投稿しているんだから、ジャンルの偏りはあって当然だと俺は思うけどな」
「それはその通りなんだろうけど、同じような世界ばかりで読者側は飽きないものかね?」
読者視点としての異世界物。特に剣と魔法の世界が人気の理由、ねえ。
これも、やはり剣と魔法の世界に対する憧れだろう。
テンプレの時にも思ったのだが、読者とか作者と言う区別は、作者側には関係のないことじゃあないだろうか? 結局の所、作者も読者の一部である以上、動機は根本の所で同じになっても不思議はない。
突き詰めてしまえば、人は面白い物を読みたいし、面白い物を書きたい。
しかしそれはとても難しい。
だから、人は人の真似をする。本物を模倣する。
「話も長くなってきたからまとめるが、剣と魔法の異世界物が多いのは、面白い作品が既に幾つも存在しているから。で良いか?」
「それこそ退屈な答えだけど、それが一番それらしいか。人気商品が出たら、それと似たような商品や、パチ物が出るのは当然の通りだからね」
果たして、テンプレ物を『偽物』と言い切るのはどうかと思う(明らかに、個人的な嫌悪が滲んでいる)が、この机の上の五冊が五〇年先まで読み継がれて、三部作映画になって、一億部以上も売れるとは到底思えないので、クオリティとしては数段劣ると言うのには同意だ。
もっとも、それはそれで良い。ファストフードが身体に悪かろうと食べたくなるように、時間の浪費だと知りながらも惰眠を貪るように、それが必要な時と言うのは必ずある。所詮は暇潰しなのだから
偽物と呼ばれても、模造品であっても、一山幾らの存在であっても、テンプレ物もれっきとした本物には違いないと俺は思うけどね。
「しかし、書くのが簡単と言った所で、今更己が異世界物を書いた所で受けると思うかい?」
話が一段落したところで、墓守は自分の小説の舞台についてそんなことを訊ねて来た。
「難しいんじゃあないか? 少なくとも、中世を舞台にする作品を書こうとすれば、墓守の知識はあまりにも足りなさそうだしな。お前が他の連中のテンプレ物を退屈だと思うように、丘の連中はお前のテンプレ物を退屈だと思う可能性の方が高いだろうな」
「はっきり言ってくれるじゃあないか」
「他人事だからな。だが、普通に考えたら少し外すべきだろうな」
「外す? つまり異世界を剣と魔法の世界じゃあなくすと言うことかい?」
「ああ。中世じゃあなくてもいいしな。剣と魔法のまま発展した近未来でも良いわけだろ?」
「【スターウォーズ】みたいな作品と言うことかい?」
「うーん」と、俺は腕を組んで微妙に否定染みた態度を取る。「SFは人気が分かれるジャンルだからな。どうしても専門知識がいるしな」
「確かに。最近は色々とバリエーションがあるしね」
「そうなのか?」
似通った作品ばかりが並ぶようになれば、そりゃあ意表を突こうとする作品も出てくるだろう。
「例えば?」
「そうだね。代表的なのが、ゲームの世界や、漫画の世界に入ると言う物かな? ダンジョン物とか、内政物もジャンルとしてはかなり人気だと思うよ。やっぱり、一口にテンプレと言っても、かなり種類は細分化できるのかもしれないね」
墓守が上げたのは、やはりと言うべきか、既存の物の亜流であった。
まあ、それは良い。
「なあ。一つ質問していいか?」
ずっと疑問に思っていたことを訊ねるタイミングが訪れたことに感謝しよう。
「どうやって、主人公は異世界に行くんだ?」