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フリー・ワンライ企画

もう一度

作者: 八束

 しなびたヒヨコ豆を皿の上で選り分けていた。水で戻して茹でるには古すぎて、そのまま家禽の餌にするつもりだった。

 都じゅうが祭りの雰囲気に浮き足立つなか、彼女だけが日の当たらない屋敷の隅でいつも通りの雑用をこなしている。姉妹たちはこぞって目に綾な衣装を押し付けてはともに出かけようと口々に誘いをかけたが、アウラはすべからくそれらを断った。しみひとつないミルク色の肌と、曇りガラスのような複雑な色合いの目、日に灼けることを知らぬ金の毛髪。どれひとつ取っても街じゅうの男がお前を褒めるだろう、そう云われても彼女は首肯しなかった。

 なぜならば、彼女らに世話を焼かれずとも、アウラには自慢の恋人がいたからだった。がちょうのオルト、と周囲の者たちには呼ばれている。家禽飼いの息子で、生来の知恵遅れとされた。かれの目に正気を戻すことはどんな薬師にできまい、と近所の医師にさえ匙を投げられたかれの青い眸が、アウラは好きだった。

 きょうだいのなかでもっともうつくしく生まれたアウラが、よりによって市井のそんな男と恋に落ちたことを、両親のみならず家の者のすべてが好ましく思っていないことを、聡い彼女はよく理解していた。だれも喜ばぬ恋であろう。だれも祝福しまい恋だろう。

 そして既にだれもが、その恋は終わりを告げたものだと信じている。

 水分が蒸発して一回りも二回りも小さくなったひよこ豆を指先で摘みあげ、嵌め殺しの窓からこぼれる西日にそれをかざす。窓を覆う薄手のレースから射すかぼそい陽の光のなかで、ふたつの豆の輪郭がくっきりと浮かび上がった。どちらもしなびて歪んだかたちをしている。

 しばらくふたつの豆を見澄ましてから、アウラは長椅子から腰を上げた。屋敷の外からひっきりなしに、都に住む者たちの楽しそうな声が響いてくる。今日は祭りなのだ――この砂漠の王国で年に一度執り行われる、太陽神を祀る盛大な祭り。

 そして今年にかぎっては、すべての穢れが払われる日だった。

 アウラは夜を待った。姉妹たちは一晩中戻ってこないことが知れていた。

 長い髪を一本の太い三つ編みにすると、祭りの夜には似つかわしくない、厚手の外套を羽織った。屋敷の蔵から持ち出しただれのものとも知れぬ、膝下をすっかり覆ってしまう長靴を履く。より分けたひよこ豆を包んで荷のなかに入れると、それを背負い、彼女は家の外に飛び出した。


 オルトにすら告げてないことが、ひとつ、あった。

 それはアウラには前世の記憶があるということだ。いつからかは知らないが、それがそういうものであるということを、彼女は随分と幼い頃から知っていたように思う。前世でもアウラは砂漠の国に住んでいた。大きな門のある、岩塩鉱床と金脈のために栄えた国だった。アウラは後宮の女のひとりで、豪族の娘だったが、王からもその存在を忘れ去られる程度には見目も器量も凡庸であった。オルトは後宮に仕える宦官の青年だった。そんなかれらが、何の因果か恋に落ちた。欠けたもの同士、うまが合ったのかもしれない。そして国が遊牧民の奇襲を受けて滅んだとき、オルトはアウラの手を引いてともに逃げた。

 石の宮殿のなかをめぐるあつい火と、それ以上に握り締めた手が熱かったことを、アウラはひどく印象深く覚えている。

 オルトにはじめて会ったとき、彼がかれであると、アウラにはすぐ分かった。

 澄んだオアシスの泉のような青の眸。オルトの目。

 かれとこの生でふたたび出会ったことは、運命だ。アウラはそう思った。


 色とりどりのランプが軒先で光り、都の通りは人々で埋め尽くされていた。その誰であっても小汚い外套で顔を隠したアウラなど、見向きもしない。ふるまわれる菓子や酒精の甘い匂いを嗅ぎながら、彼女の足は人気のない方向へと進んでゆく。やがて辿り着いたのは、アウラが生まれる前には閉鎖されたという都の裏門だった。中心の光もここには届かず、星々の光だけが青ばんだ闇を掻き乱していた。しんとした静寂しじまのなか、アウラは崩れかけた門の柱の影に身を隠す。

 しばらく待つと、数人の足音が聞こえた。同時に、何か重い荷袋のようなものが引きずられる音も。やがて下卑た掛け声とともにそれが放られる。それを運んできた兵士たちが闇のなかに消えるのを待って、アウラは柱の影から姿を現した。

 オルト、と名を呼んで、青年を簀巻きにする布を取り払う。そして縋るように伸ばされた青年の腕に腕を掴まれ、アウラははっと弾かれたように形のよいおとがいを起こし――オルトの顔面を注視した。なんてことだろう、と息を呑む。青年の両目は無惨にも潰されていたのだった。

 アウラの好きなきれいな青い目が。傷ついたかれの両目に触れて、痛い? と問いかける。オルトは痛いよ、と答えた。

 今年の夏に、雨が降った。砂漠の雨は時としてひどい脅威となり、今年はそれで集落のひとつが流された。自然災害が起きるのは、霊験あらたかな王の力が弱っているとき。その原因は穢れとされる。王の身代わりを都から追放することで、その穢れを雪ぐという慣習がこの国には存在した。身代わりの多くは罪人が使われたが、運悪く、今年はオルトがそれに選ばれた。権力者である父がそう働きかけたことを、後にアウラは知った。

 ――けれどもそれは、逆に好機ではないか。アウラはそう考えた。

 あのときのように、そして今度は自分がかれの手を取って、逃げ出すのだ。

「アウラ? どこ? どこにいる……?」

 オルトの腕を握って、アウラはゆるりと頭を垂れた。深くかぶったフードの隙間から、編みこんだ金の髪がこぼれる。

「ここに」

 ちりりと脳裡を焦がす記憶の断片。

 それは明確なイメージとなって、アウラの前に現れた。そうだ、あのときは火のなかで二人とも息絶えたのだ。どこにも逃げられないまま。

 けれども今度こそ、自分たちは自由だ。かつてのように彼は流暢に喋らないし、青い目も失われてしまったけれども。アウラは何も恐ろしくなかった。

 たとえ自由というものが、永遠に砂漠を流浪する旅であっても。

「ここにいます、オルト。あなたのそばに」

 手をつないで、オルトを立たせる。アウラは崩れかけた門を見上げてから、彼の手を引いた。

 夜の砂漠はおそろしいほどの静寂に充ちて、都の喧騒はひどく遠いものになっていた。


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