表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

06.安価離婚相談所

長年連れ添った妻にうんざりしている男は何時もの様に居酒屋で酒を飲んでいた。


「すいません、すいません、あぁ、そこのお方。真っ赤な顔のお方で御座います」


そんな彼に珍しく声を掛ける者がいた。のっぺりとした顔をした細身の男だ

表情はニコニコとしているが、細い目の奥はどこか笑っていない。

名うてのセールスマンの様だと男は思った。油断も隙も見せたら取り込まれそうな


こういう輩は関わらないほうがいい。


「すいません、すいません、あぁ、そこの真っ赤なお方。言葉は聞こえているでしょう?」


無視を決め込んだ男にセールスマンは再び言葉を付け足した。

すいません、すいません、慇懃無礼な音色が居酒屋に妙に響く。すいません、すいません。


「うるせぇな! 聞こえている、聞こえているから黙れ!」


その奇妙な光景に次第に周囲に目が集まっていき、男が根を上げるまで五回程響いた。

声に動じることもなく、セールスマンはぺこりと頭を下げた。


「あぁ、よかった。私は佐藤様からの紹介された者です」


セールスマンは名刺を男性に渡した。シンプルなそれには【安価離婚相談所】とあった。

夫婦共通の懐かしい友人だ。だが。と男性は怪訝そうにそれを眺めているとセールスマンは言葉を重ねる。


「最近夫婦関係にうんざりしてらっしゃるとか?」


「もしよろしければその悩み、僅かな賃金で解決させて頂きましょう」


「あなた様は──絶対安価至上法というものをご存知でしょうか」


そしてセールスマンはニコリと再び笑みをこぼしたのであった。


……

………


「絶対安価至上法ってか、まったくお国というやちゃ変なもんばっか増やしやがる」


怪しげなセールスマンと出会ったあの夜から三日が過ぎた。

書斎で男は一人、珍しく妻が買っていた安酒を煽りながら、あの男に渡された書類を眺めている。

その艶やかなコピー用紙には絶対安価至上法と今回の作戦について、と書かれていた。


「悪ふざけも出来ないこんな世の中じゃぁ。ってか」


【1】電子掲示板で行動を指定する書き込み(安価と呼ぶ)をした場合、行動主は必ず指定された行動を行わなければなりません。

【2】もし何らかの事態でその行動が行われなかった場合は、行動主には刑事的処罰(死刑又は無期懲役相当)に課せられます。


一言で言えば掲示板上で指定された行動をしなければ罪に問われる法律である。

世間を騒がしたはずの法律であったが基本的にPCに関わりがなかった男は知らなかった。


「まぁいい、全くこの法律のおかげで俺は今日解放されるんだからよぉ」


男は再び安酒を煽る。今宵の酒はなぜか体によく回っていた。目が次第に細くなる。

はっと彼は息を吸った。揺れ始めた視界を元に戻すと目の前にあるPCの画面を撫でた。


「………ったく、今日はやけに酔うのが早いな。安酒はこれだからいけねぇ」


目を擦りながら再び用紙を確認する。


【3】今回はその法律を利用します。午後11時丁度に支給したPCを使い事前にお伝いした合言葉と共に安価スレを作成してください(作成方法は2枚目の用紙参照)

【4】その後は我が社の優秀なスナイパー(安価を狙う名人の公称)達が依頼内容通りに書き込みをします。(万が一失敗してしまった場合の補償などは2枚目の用紙参照)


ちらりと彼は時計を見た。時計の針はその時刻がもう目の前にある事を示している。

最後に彼は安酒を飲み干し、指の震えを止めるとその時を…5…4…3…2…1


かちりと時間が揃った。硬いエンターキーがかちりと押し込まれた。

終わった。明日には自由になれる。と安堵した男は誘うかのような微睡みに包まれた。


……

………


──誰かがチャイムを鳴らしたのか、安っぽい電子音が家の中に響いた。


男はハッと目を覚ます。書斎を見渡せば窓からは光が溢れていた。

机の上のPCは静かに眠っている。昨日の結果は電源をつけなければ見ることは出来ない。

だが男にそんな時間は無かった。どこか遠くから聞こえてくるのは警察という響きだ。


安価を必ず実行させると噂の監査員ってやつだろう

リビングに向かうと妻は男を見つめていた。見慣れた見慣れ飽きた顔だ。


「はいはい、今開けますよ。朝からご苦労なこったねぇ」


これでこいつともおさらばだ、と男はニヒルな笑みを隠し着ることもなく

ゆっくりと扉を開いた。差し込むのは朝日、扉の先にはスーツ姿の女が一人、そして


ぱぁんと、紙吹雪が男を包んだ


「珍しく良い安価を取れましたね。おめでとうございます」


女は満面の笑みで手には薄く煙を上げるクラッカーを持っていた。


だが男はその笑顔に悪寒を覚えた。何かが違う、と。それは何だ?

良い安価とは一体どんな安価なのか、少なくとも自分のはとても言えない


そしてリビングに置かれた物に男の視線が止まった。


そこにはどこかで見たことがある艶やかなコピー用紙

どこかで見たPC、画面に写っているのは、誰かに言われて打ち込んだスレット名


昨日見ることが無かった指定された安価は──


そういえばココに来る途中にこれを届けてくれと頼まれましたよ?

女から分厚い封筒を受け取りながら男は、冷や汗を流しながら思考はぐるぐる回っていた。


夫婦で共通の友人の紹介で突然現れた男、とても都合のいい案内、

昨日は何故すぐに寝てしまったのか、そもそもあれは妻が買ってきた酒だったような


「安価の通り【末永く何時までも夫婦一緒に暮らす】ようお願いしますね」


男は青い顔で背後の妻を見た。彼が持っていた離婚届を奪いそれをぐしゃりと丸めながら

彼女はとても幸せそうに微笑んでいた。それはとてもとても綺麗な笑みであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ