03.絶対安価厳守法の諸原理
……以下の文章はヘルガ・フォン・ブーロー著『PRRSを読み解く12の事例』の序文および第一章の執筆に使用された草案である。
絶対安価厳守法の諸原理
絶対安価厳守法は、日本人民共和国(People's Republic of the Rising Sun)――通称PRRSで2084年から滅亡の2148年までに施工された法律であり、つまり旭日社会主義党(Japanese Socialism)の奉ずるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたものであった。
博識賢明なる読者諸君が知らないことはないだろうが念のためPRRSの台頭までの軌跡を記しておく。
PRRSはかつての日本がその原型であり、2050年代の世界大戦後による経済的困窮でマルクス経済の流行他、様々な内外的要因により支持を伸ばした共産党によって樹立された一党独裁体制の国家である。
権力を得た党は革命的政権交代によって秩序が一時的に不安定になっているとし、中央集権化を図り、徹底した国民の管理を行った。
経済に限らず、人民の生活、教育その他まで党が統制した。
人間性の堕落などを理由に、快楽目的の性行為や賭け事等の娯楽は禁止された。しかしインターネットなどの情報娯楽家電は所持自体は許された、がやはり使用に関してひどく規制された。直接禁止しなかったのは、インターネットにおいて利用される技術は労働の大部分を請け負っていたことがあったし、民衆の不満のはけ口として、ネット上の海に期待したこともあると考えられる。
電子掲示板上などにおいて現政権を批判する内容を書き込めば、深夜には家のドアがノックされた。秩序の維持、人民のため――実際には言論、思想統制のため――として様々な法案が通されたためである。
その中で、ひときわ特質的でユニークな法、それが絶対安価厳守法であった。
具体的なことは省くがその内容は「電子掲示板上に置いて安価は絶対である。実行できなければ死刑」ということだった。
この法律制定の具体的目的はひとまず置いておくとして、実際にこの法律が適用された時の監査人の記録が残っているのでご覧いただきたい。
――――監査人の記録――――
安価スレッド延いては電子掲示板を直接禁止せずに実質的廃止に追い込む為にあの法は作られたわけだが、やはり馬鹿はどの時代どの地域に置いても一定数存在する。
そう、安価スレッドを立てる人間はいまだ存在する。
ここにも馬鹿が一人。名は佐藤。男。工場労働者、プロールである。
さて現在の我々の役目は佐藤の監視および安価決定とともに接触を図り、実行する意思が見られない場合、愛情省へ連行することである。
……スレッド名は『安価で>>10するwwwwww』、なんとも安価な名称だ。
本文には『意気地なしのお前らに変わって安価してやんよ なんでもこい』と書き込まれていた。
なんとも哀れで救いようのない馬鹿だ、とは思うが私にも監査人としての義務がある。考えるのはやめよう。
スレッドはすぐに伸びる。『死ぬ』『ちんこうp』など如何にも便所の落書きらしいことが書き込まれた。
結局10レス目には『42.195キロフルマラソンをノンストップで突っ走る』と書き込まれたのた。
安価が決定されたことを確認すると私は佐藤に接触した。
呼び鈴を鳴らすとすぐに彼は家から出てきた。私が安価法に付いて詳しく説明をすると、すぐ彼は恐怖を顕にした。安価法を知らないことはないだろう。おそらくだが勢いでやったことか、望まぬ選択だったのではないかと思われた。……まあいい。そういった事を考えるべきではないだろう。
期限は10日。コースは指定された場所を走るよう決定が下された。
安価法を適用して行われる事柄は映像に残され、党中枢の人間の娯楽となる。まれに地上波でも流され、一般層に視聴されることもあった。なかなか人気があった。
彼はどうなるだろう。42キロを走りきるか、失敗するのか。失敗したときはどうなるだろう。素直に連行されるか、必死に抵抗するだろうか。……哀れだ、と思った。
――中略。1日目から10日目の期限まで、彼の監視記録が監査人の私感を交え綴られている――
今のところ、彼が逃げようとする素振りはない。何としてでもやり遂げようとしている。
我々から逃げるより、42キロを走りきる方が簡単だと彼はわかっているだろう。
だがもう無理だ。期限はギリギリ。彼の体力はつきかけている。
ああ、倒れた。
期限は過ぎた。彼を連行しよう。何も考えず私は動く。
助けてくれ。お願いだスレッドを立てたのは私の意志ではない。逃がしてくれ頼む。
彼は最後、必死の抵抗と命乞いをしていた。私は何も聞かなかったことにした。
これから彼はどうなるだろう。ああ、省へ連行されたあと、尋問を受けるだろう。何年もかけて尋問される。そして彼は変わるだろう。そして釈放されるだろう。
陽光の中、彼が歩いていると後ろから武装した人間がついてくる。全てを許されて、白いタイルを歩きながらずっと待ちわびていた弾丸が頭を貫くだろう。
――――――――
以上である。一部監査人の感情が含まれているが資料としてはまあ問題ないだろう。
さてこの文章から読み解けるものは多い。まず党の絶対権力。このような法律を夢の僧院の中だけに留めず実際に施工したのは驚くべきことである。そしてそれを60年以上維持し続けたこと。
またこういったことを言うのもどうかとは思うが、やはりあの時代は異常であった。ということを私はあえて主張する。あの法律の内容自体もそうだし、またあの国で行われていた残虐極まる行為もそうである。……いや、これはあくまで私の意見である。
そして国内において、体制に対して反感的な人間も存在していること。この監査人も、自らの行為に抵抗を少なからず感じているのだろう。と言える。
まあ皆が皆、心から党に忠誠を誓ってることなどありえないことではあるが。
さて、安価法のさらに詳しい事情は後述するとして、話を進めるとしよう。
ここまでの文章は読者諸君に興味を持ってもらうための前座に過ぎない。
これより12の章と34の事例を持ってPRRSと云う具象化されたイングソックの悪魔を読み解いていく。
――以下の文章は同作のエピローグ執筆に使用された草案である。
…………彼らは、かつてちょうどあの迷宮を作っておきながら、最後の日までその中をさまよい歩くよう運命づけられた妖術師に、あるいは、見知らぬ人を裁き、その人に死刑を宣告し、そののち『汝がその者なり』という啓示を聞く預言者に比べられるだろう。また自らの鍛えた剣によって討ち滅ぼされたナチスドイツにも。
そしてあの画家は1945年の巣の中で、その円環を閉じ完結したが、ある意味で1991年の勝利を準備していたと言える。歴史によって導かれたと言ってもよい。
ナチスドイツ、ソビエトロシア、そしてPRRS。これらは確かにロマン主義に堕落したが、それこそが彼らの意義だったと私は思う。自身がそれを知らないでいた、ということは問題ではない。鉄床が彼らで、大英帝国やUSAが鉄槌であった、それだけである。
彼らの行き着く先が地獄であってもよいから、天国を存在せしめよ。
ですが彼らこそ、あなたが命じるままに裏切りの神秘を達成したのです。彼らこそ、皆の中で最も小さい者だったのです。彼らはあなたのみかたでございました。
主よ、来てください。主の恵みがすべての者とともにあるように。
神よ、地上に救いを。光を。主なる神よ、大いなる寛容を、どうか彼らを憐みたまえ。エイメン。