一章 対峙
塗装されていない道を歩いていると、突如、空気が変わっていった。秋の季節にもかかわらず、風も吹いていないのに空気がやけに生暖かくなり、足から微弱の電流が走り出す。明らかに広範囲に結界が張られていた。
満月はそこで足を止め、鼻で空気を吸い込む。鼻から吸われる空気は、緑の匂いと、錆びれた鉄の匂いが感じられた。この地の匂いだけということだから、匂いで戦闘、又は結界を張る、いわゆる調香師の線は消えた。残る可能性は、魔術師や退魔師、そして同じ職業である、陰陽師ぐらいだった。
旧市街地には間違いなく魔術師がいる。満月は足取りを速め、場所を目指す。
しばらく歩いていると、看板が見えた。
『キケン!この先、旧市街地につき立ち入り禁止』
と、書かれている看板があり、工事現場でよく見られる黒と白の一本のロープで、木と木で結ばれ、道が塞がれていた。
安易なロープの張られ方だったので簡単にまたぐことができた。その道を突き進むと、やがてコンクリートで塗装された道になり建物が見えてきた。四方に立ち並ぶマンション群、スーパーや酒場などの生活するうえで必要な店の看板が見受けられ、とても人が住めないとは思えない店の数だった。しかし、よく見ると、建物からはコンクリートがひび割れ、転々と続く街灯が破損していて、街の風情が損なわれていた。明かりは月の光だけで、人は誰も住んでいないのだと改めて感じられた。
街に入ってから一段と、人を遠ざけるように嫌な気配が漂わしていた。おそらく普通の人が入っていたら、恐怖で霊がみえているのだろう。
しばらく進むと、中心まできた所で広場についた。広場の真ん中で、はっきりと目立つように白く輝いている場所があった。光る場所を近づくと、紋様陣が光っていた。
――五芒星の陣、か……。
その紋様陣は、初歩的な呪印で魔術師なら誰でも出来る結界陣だった。
満月はその紋様陣を解呪しようと更に、光り輝く場所に近づき、白いチョークで五芒星をなぞった。なぞり終わると、新たに右手で空を切り五芒星を描く。そのあと、両手を合わせ、人差し指と中指を立てた。
―開―
掛声一声。突如、満月の前に五芒星が白く光り輝き、地に描かれている五芒星と共鳴する。
満月はそれを見ると、
―封―
と、更に掛け声をあげる。
五芒星の紋様陣が消えたと同時に突如、背中から頭にかけて悪寒が走る。それが、殺気だと右脳が感じ取る。
刹那、
「いやーーーーー!」
怒声にも似た気合を込めた声を発しながら、外套を被ったものが鞘に納めた日本刀を握りしめ、疾風の如く特攻をかけてくる。
満月は、月光を背に携えて悠然と向かってくる者の方へ体を向けると、後ろへ飛び、後退しながら相手を近づけさせないように風の術を唱えようと、頭の中で術式を練り込む。
発動条件である九字の印を踏む。
臨、兵、闘…。
その姿を見て取ったのかその者は懐から急遽、何かを投げつける。それは一直線に満月の右横に飛んできた。それがこれから起こるよりも速く、満月の思考が瞬時に駆け巡った。
赤い札、これは呪符……。
この状況を不味いと判断した満月は、印を踏むのはそのままに急遽、頭の中で唱えようとしていた術式を変える。
…者、皆、陣、烈、在、前。
満月の周りに、九字の印が地面に緑深く輝く。その瞬間、全方位にかけて豪風が吹き荒れる。
《芦屋流風華乱舞之術》
その術によりフードを被っている者は突撃を止められ、更には呪符すらも吹き飛ばした。その後吹き飛ばされた呪符は、満月から離れた場所で能力が発動された。
呪符が閃光、爆発、衝撃をもたらす。爆音が鳴り響き、満月の術に負けないほどの突風が吹き乱れた。
術と呪符の風により、広場を囲むような廃ビルのガラスは、粉々に砕け散りながら上空に舞う。舞っていたのはガラスだけではなかった。ホコリやチリ、砂も辺りを舞い散り、満月の視界を遮っていた。
完全に何も見えない状況の中で、これからの戦い方を模索する。まず、完全に不意打ちなのに突撃を仕掛けてきたのは、術はあまり得意ではなく、あくまで近接戦闘、つまりあの日本刀での攻撃が主体だという事。そして、奴も同じく視界を奪われているという事。
――ならば近づかせないようにし、且つ、居場所を特定する。
満月は再び九時の印を踏む。すると、今度は満月の周りには茶色の光が輝く。
《芦屋流土振探知之術》
満月の足が地面と共鳴する。辺りの地面を踏む振動を探知できる術。ただしこの術は、地面と張り付いてしまう為、避けることが出来ない、いわば諸刃の剣。
――居場所を特定したら、渾身の術を喰らわす……。
そう思い、足に全神経を集中させる。
しかし満月は絶望に直面する。
「な、何故だ!」
声を出したら居場所がばれてしまうが、あまりの衝撃に、咄嗟に声が出てしまった。何故ならば、南の方に一キロばかりの所に微弱ながら探知できたのだが、なぜこんなにも離れているのか理解できなかった。逃げるにしても、こちらは防戦一方なのだから逃げる理由がない。様々なことを考えていると、砂埃が晴れ、視界が元に戻っていった。満月は術を解き、四方八方と見渡す。
月光が明るいことで、影が映る。
――上か!
見上げると、敵が被っていた外套だけが眼前に迫っていた。満月はそれを左手で掴み、そのまま左の方へ投げると上の視界がようやく見えた。
その先には……。
……少女が、飛んでいた。
身長は低いが黒髪は長く、白装束を纏い、その上には桜色の羽織が風に靡かせてこちらに近づいている。日本刀は鞘から抜いており、刃は深緑に輝いている。少女からは風が吹いているのか、満月との距離が急激に速まる。その速さは、避けることも、九字の印も結ぶのは不可能な程の速さだった。
――意味がわからなかった。
あれだけ離れていたのに、何故こいつはこんな所にいるのか。自分が出会ったことのない未知の術でもつかったのだろうか。満月は、この状況が理解できなかったが、兎にも角にも、この状況は非常にまずい為、目の前の状況を集中することにする。
少女は、眼前まで迫ると、天高く日本刀を振り上げる。
満月は、致し方なく緊急防御である、五芒星を少女の方へ右手で描く。
少女が振り下ろすと同時に、五芒星が宙に出来上がり、満月は、両手で魔術を叩き込む。
日本刀に込められた魔術と、五芒星に込められた魔術同士の鍔迫り合い。火花散り、雷光渦巻いて、両者は拮抗する。しかし、それも長くは続かなかった。
所詮は、緊急防御に過ぎない満月の印が薄れていくのが目に見えて分かった。
「ハアアアアアアアアァァァァ!」
それを見て取った少女の刀に力が入る。
このままではまずいと感じ取った満月は、五芒星を少し角度を右に傾けた。すると力を入れ過ぎていたのか、鍔迫り合いが解け、少女は前のめりになる。満月も少女の右側にするりと前に移動する。
体と体が交錯する。
満月は、相手の顔を見つめる。近くにいて分かったことは、温和な顔立ちをしていて、目はパッチリとしていた。戦っている敵に対してこんなことを思うのは無粋だと思ったが、満月は美しいと思った。だがそのあとに思ったことは、以前にどこかで会ったことがあるような気がした。
両者は体制を整え対峙する。少女の刀が二、三歩ぐらいで間合いに入るような距離となっていた。さっきまで鳴り響いた、爆音も、風の音も聞こえなくなる。静寂を保ち、この空間が二人の言葉を待っているようにも思える。
「おまえだな」
「あなたね」
両者は初めて、対話する。この後に続く戦いで、もう二度と聞くことが出来なくなってしまうかもしれないのでお互いに相手の素性を尋ねる。
「この街の神様を封じているのは」
「この街に妖魔を作っているのは」
風の音が聞こえる。
「・・・・・・・はぁ?」
「・・・・・・・えっ?」
しばしの沈黙。両者は、頭の中を整理する。必死に頭をフル回転で考えた結果、奇しくも二人は同じ答えに到達する。
(おもいきり、勘違いしたかもしれない……)
(勘違いしちゃったかも……)
どちらもなかなか声が出てこない。いつしか風も吹き荒れ、虫の声も鳴きだし、早く『何か話しかけろ、こいつら』と言わんばかりに、空間が騒ぎだす。
「俺は、この街を守護している、芦屋家二十二代.当主、忠満の子、満月だ。お前は誰だ?」
たまらなくなり、満月は素性を明かす。すると、少女は呆然と立ち尽くし、大きく美しい瞳から一筋の雫が流れだした。
「あ、芦屋、く、ん……?」
ふっ、と少女は力が抜け、膝から地面に倒れ込む。
「お、おい!」
満月は、少女の方へ駆け寄ると、そのまま抱きかかえた。少女は、気を失っているらしく起こそうとしても深い眠りに入っている。
満月は少女の顔を見つめ、先程の会話を考え込む。
「俺を……知っていた?」
それは満月も同じだった。どこで会ったのだろう。過去の記憶を紐解いていく。その答えは、二年前に通っていた、魔術学校で少女と出会っていた。
「奏…ちゃん?」
その少女は、二年前、魔術学校で、一緒にパートナーを組んでいた、神楽 霞の妹、神楽 奏だった。