再戦の兆し
フヴェル大陸一の大国である『ニヴルヘイム』に帰還したグリム・ハザードは、現魔王が構える王城内の玉座前で一人の男から罵声を浴びせられていた。
「ヒャハハ! てめえよくノコノコ戻ってこれたなぁ? ぇえ? グリムぅ?」
「…………」
グリムの目の前に立つ男の名はニーズ・フィヨルド。
現魔王であるニドルク・フィヨルドの息子であり、魔軍第一部隊の隊長を務める魔族であった。
「やっぱり俺様が出向くべきだったなぁ。せっかく獣王を仕留められるってところだったのによぉ…………このオトシマエ、どうつけるつもりだ? ぁあ!?」
「……申し開きのしようもございません。いかような処罰も受ける覚悟です」
ニーズに責め立てられるグリムの顔には一切の焦りも恐怖も浮かんでいない。
ただ言葉の通り、今回の一件による処罰を甘んじて受けるという意志のみがそこにはあった。
しかしその態度だけではニーズの腹の虫は収まらない。
「そうかぁ……だったら俺様の手で直々に――」
「まあまあ、いいではありませんか。今回失敗したなら次成功すればいいのです。何の問題もありませんのよ」
「…………っ!」
ニーズがグリムに向かってガントレットを装着した拳を振り上げたその時、一人の女性が丁寧な言葉を静かに発した。
黒いマントで身を包んだその女性は魔族ではない。
彼女の肌は白く、目と髪は黒であり、百人に訊ねれば百人が美しいと答えるであろうという美貌を持つ人族であった。
「ルヴィ。何度も言ってっけど俺らの問題に口だすなや」
そんな女性――ルヴィにニーズは忌々しいというような表情を向ける。
「あら、いいではありませんか。魔王様もそう思いますよねえ?」
「……ああ、そうだな」
「…………チッ」
しかし玉座に座る現魔王、ニドルクの許しがあってこそルヴィはここにいる。
その事を再認識させられたニーズは舌打ちしながらもグリムの方へと視線を戻した。
「とにかくだ、これ以上グリムに任せる気なんざ更々ねぇ。獣王の首は俺様が頂くぜ」
ニーズはそう宣言し、今後は魔王の方へと目をやった。
「親父もそれでいいだろぉ? 俺様はグリムみたいに人族一匹に後れをとるマネなんかしねえぜぇ?」
「む……そうだな。ならば――」
「なりません。あなたはこの魔王城を警護する役目がありますし、次代の魔王候補なのですよ? もし戦で死なれでもしたら大変です」
「むぅ……確かに。ニーズ、行ってはならんぞ」
「親父ぃ……」
途中までは自分の主張を肯定していたらしき魔王がルヴィの言葉であっさり覆す様を見てニーズはやりきれない気持ちを抱えた。
どうして自分の親はこうも骨を抜かれてしまったのかとニーズは思う。
しかしそんな魔王の変化には心当たりがいくつかあった。
一つ目は魔女と名乗るルヴィの存在。
彼女は10年前に魔王城へと訪れ、魔王をたらしこんだ。
その結果、魔王はルヴィの言うことであれば、その殆どを受け入れるようになってしまった。
二つ目はニーズの兄であるニルグの急死。
ニーズよりできのいい兄は次期魔王として有望視されていたにもかかわらず、謎の奇病を患って3年前に亡くなってしまった。
考えてみると、その頃から更に父はルヴィの言葉へ耳を傾けるようになったとニーズは感じていた。
他にも理由はあるかもしれないが、大きな理由としてこの二つが挙げられるだろうとニーズは頭の中で整理し直し、目の前にいる女性へと声をかける。
「……あんま調子乗るんじゃねえぞ? 親父のお気に入りだからって俺様がてめえを殺さないっつぅ保証はないんだからよぉ」
「あら怖い。その睨みだけで私は失禁してしまいそうです。流石は《狂乱中将》」
ニーズは射殺すかのような視線を向けるがルヴィはそれを軽く受け流した。
口元を両手で覆う仕草をしているルヴィは怖がっているというよりもおちょくっていると言ったほうが正しい。
そんな彼女の様子を見たニーズは怒りを抱く。
魔族の中でも一位二位を争うほどの実力者であるニーズにとって、侮られることは許せる事ではなかった。
「…………」
しかしここでルヴィをひねり殺そうとするほどニーズは分別を弁えていないわけでもなかった。
ルヴィが魔族にとって明確な害を及ぼした事はなく、人族ではあれど魔王が彼女の存在を認めている。
なのでニーズは勝手に彼女を殺すわけにもいかなかった。
自分は次期魔王として理にかなった行動をしなければならない。
けれどそれでこの話を終わらせる気もニーズにはなかった。
「でも俺様は行くぜぇ。城の警備なんざ他の奴らにでも任せりゃいい。そして俺様を殺せる敵なんざもうどこにもいねぇ。獣王だろうが剣王だろうが法王だろうが、今や俺様の敵じゃねぇんだよ」
ニーズは玉座に背を向けて歩き始めた。
己の敵を打ち倒しにいくために。
「これだから血気盛んなボウヤは……魔王様、あの子だけでは心配です。なのであの子の持つ戦力以外の軍も同行させるべきかと」
「そうだな……グリム。ニーズの事は頼んだぞ。お主の処罰については此度の戦果によって決定する事とする」
「ハハッ!」
そして魔王はルヴィの助言を聞きいれ、玉座の間で跪いたままでいたグリムをニーズの補佐として指名した。
こうして魔軍は再び獣族へと攻撃を仕掛けるべく動き始めたのだった。
魔王城のとある一室。
ルヴィは全身を映す鏡を見ながら一人の男と会話をしていた。
「なかなか難儀しているようですね、ルヴィさん」
「ええ、それもこれもあなたのせいですよ。カミカゼ」
椅子に座ってティーカップに注がれたハーブティーを優雅に啜るその男、カミカゼは柔和な笑みを浮かべてルヴィに反論を行う。
「あれは仕方がなかったんですよ。迷宮でいきなり腕を捕まれて僕も動揺していたんです。だからあの時咄嗟に魔族と獣族が争っている戦場へ飛んだのも、そこで《ビルドエラー》が猛威を振るったのも僕のせいではありません」
「まああなたが動揺していたかは置いておきますが、《ビルドエラー》が私達の予想以上に厄介な相手であるという事は確かなようですね」
《ビルドエラー》がここまで脅威となるとは思ってもみなかった。
ルヴィはそこで「はぁ」とため息をつき、カミカゼは更に言葉を続ける。
「折角僕が妨害工作をせっせと行っていたというのに、《ビルドエラー》とその仲間は平然と迷宮攻略を続けているんですもん。参っちゃいますね」
迷宮攻略を目立たない程度に妨害する役目を任されているカミカゼにとって、《ビルドエラー》と呼ばれる少年の存在は疎ましいものであった。
しかし内心でそう思うものの、表情は笑顔を絶やさない。
常に笑顔でいることは彼の処世術であった。
「そういえば今も迷宮攻略は進んでいるそうですが、そちらについてはどうなっているのですか?」
「いやあ、あれはもう僕の力では止められませんね。どうも開発局はアースにおけるアンチアビリティを完成させたようで、迷宮内にそれを大量に設置しているみたいです。しかも生徒達全員にそれの簡易版を携帯させている上に迷宮内の警備をするという名目で調査員クラスのプレイヤーも何人か巡回しているようなので、相手によっては僕でも返り討ちにあうかもしれませんよ」
男は綺麗にセットされた頭を軽くかき上げながら、ルヴィに現状の報告を行う。
その内容は迷宮内におけるPKの犯行を示唆するものであった。
「中高生以外のプレイヤーが迷宮内に入るということで組合の方も動かしてみたんですが、どうも入るのはレベル80越えの一流プレイヤーであるらしく、迷宮の利権と絡める事も難しいという理由から上手く止められませんでした」
地下30階そこそこしか攻略できていない現状でレベル80オーバーのプレイヤーが地下迷宮内に潜る利点は無い。
完全な警備目的である以上、異能者共同組合はこの提案を強く否定する事もできず、迷宮内での妨害工作は非常に行いにくくなったとカミカゼはルヴィに説明した。
「あらそう。ならもっと直接的な妨害が必要になるということですね……たとえば迷宮の道をどうにかして塞ぐとか……リアルアタックも有効かしら?」
「それはなかなかリスクが大きいのでは? 一応僕達はあまり目立ってはいけないことになっているでしょう?」
「けれどそうでもしないと迷宮が攻略されてしまいます。背に腹はかえられません」
これまでもMPKやFPK紛いの手段を用いて中高生プレイヤーの迷宮攻略とレベリングを遅らせてきたカミカゼであるが、《ビルドエラー》はそれを全て掻い潜った。
故に《ビルドエラー》の排除、それに最近また迷宮攻略を活発に行い始めるようになったギルド【流星会】への妨害工作の手段を新たに模索する必要があった。
「しかしまだ攻略されたと言っても地下30階層程度です。焦る必要はありませんよ、ルヴィさん」
「……そうですね。なら今後の活動についてはサードやヴォルス達と相談して決めなさい」
「わかりました」
とはいえ、彼女たちは特に焦っているわけでもなかった。
地下迷宮の最下層まであと70階層近く存在する。
しかも現在、異能開発局に所属している地球人の最高レベルは84。
地下100階層を攻略するために必要なレベルは100を超えると予想しているルヴィ達は、まだリアルアタック等のリスクが高い行為をする段階ではないと判断した。
「私達をお導き下さった魔女様のために今できる事をしましょう」
「そうですね。僕達は魔女様の忠実なる手足として、己に課せられた使命を果たしましょう」
そしてカミカゼは立ち上がり――その瞬間、部屋の中から消え去った。
するとルヴィは「うふふ」と薄く笑い声を上げ、カミカゼが先ほどまでいた椅子を見やる。
「全ては魔女様のため……ええ、そうです。全ては魔女様のためなのですよ……」




