獣王との会談
「獣王……ですか」
「その通り。あのお方は48代目『獣王』、ガルガンド・スフィンシス様であらせられます」
アイテムボックスからフィルを出した後、俺達はガイウスという獣族の男に連れられてとある野営地へとやってきた。
先程までいた戦場から離れたところにある大きな天幕が密集したこの空間は獣族が今回の戦で使うために作った物らしい。
俺は一つの天幕に招かれ、そこで出された紅茶らしき物を飲みつつ、ガイウスからあの右腕を失った男についてを聞いていた。
しかしそこで耳にしたのは俺にとって信じがたい人物の名だった。
獣王。
俺の記憶に間違いがなければ、その人物はアースで超がつく大物だ。
八大王者だなんて呼ばれている存在が何でこんなところにいるんだよ。
いやまあ俺のパーティー内にもちゃっかりその八大王者が1人紛れ込んでるけど。
とはいえ、死霊王と獣王を同列には語れないだろう。
なんといっても獣王といえば1000年前からブイブイいわせていたわけで、その半分の歴史しかない死霊王とは格が違う。
ん?
でもクレールはまだ1代目の死霊王だから48代目の獣王よりも年季が入っていると言えなくもないのか?
そう考えるとどっちが上とかよくわからなくなってくるな。
「……もしやあなたはそれを知らずに戦場へ入ってきたのですかな?」
「あー……えっと、はい」
ガイウスは俺が獣王だとは知らずに助けたのだと理解すると、若干悩ましげに額へ手を触れた。
ここで変に嘘をついても仕方があるまい。
それで俺の立場が不利になるわけでもなし。
「俄かには信じがたいですね……では一体何のために戦場へ介入を?」
「それはですね、ええっと……」
「あまり不躾な問いかけはよせ。客人が困っているだろう」
と、そこへ例の獣王が俺達のいる天幕へ入ってきた。
獣王の右腕が普通に繋がっているのを見て少し驚くが、多分上位の回復魔法で再生したのだろうと思い直し、今はその疑問を口の中に止めておく。
「さて、まずは名を名乗ろう。我輩はガルガンド・スフィンシスという」
「……シンと申します」
俺は自分の名を告げる獣王にキャラネームを告げた。
本当は偽名を名乗った方がよかったのだろうが、この男に下手な嘘は通じないと、目を見た時思えてしまった。
「シン……か。貴殿は見たところ人族……というよりも地球人であるように見えるな」
「…………」
そして相手を正確に見抜く力を持っているようだ。
アース世界では、黒髪黒目の人間は地球人以外にもある程度存在する。
とはいえ、黒髪黒目なら地球人かもしれないと予測する事は可能だろう。
だがこの男はどうも俺を地球人であると断定しているような雰囲気があった。
「な……ち、地球人!? ならばこの者は――」
「よせ、ガイウス。この者が何者であろうと恩人である事は変わらぬ。それに我輩がそう思っただけでこの者は自分が地球人であるなどと肯定したわけではあるまい?」
「そ、それはそうなのですが……」
……どうやら俺が地球人だと獣族にとって微妙に都合がよろしくないようだ。
それは俺も同じ事が言えるからこの件についてはだんまりの方がいいな。
「……お待たせしました」
「おお、フィルか」
また、そこへ別の天幕にて着替えを済ませたフィルもやってきた。
とはいっても、いつも履いてるホットパンツと同じようなので代わり映えはしないが。
「シンさん……さっきはごめん……なさい」
「別に謝らなくてもいいさ」
俺は18禁VRFPSゲーム(年齢的にアウトである)でああいうグロい描写にはそれなりに免疫があるものの、フィルにはそんなの無いだろうからな。
「もう中学生なのに……恥ずかしい……」
「それは……あんまり気にするな」
更にフィルは若干赤くなっている顔をマフラーで隠し始めた。
恥ずかしいというのは十中八九、戦場でお漏らしをしてしまった事を言っているのだろう。
しかしあれは不可抗力なのだから俺はあまり気にしない。
流石に大の方を漏らしていたら気まずかったかもだけど。
「連れの方も怪我は無いようだな」
「はい、まあ」
フィルはちょっと精神的ダメージを負ったかもしれないが、肉体的なダメージは一切無い。
争いが終わるまで俺のアイテムボックスの中にいたのだから当然ではある。
「それにしても……皆呆気に取られておったぞ。我輩は直接その戦いぶりを目にしたわけではないのだが、なんでも貴殿の周りに立つ者は例外なく全員謎の攻撃でその場に倒れ伏していったのだとか」
「はあ……」
と、そこで獣王からさっきまでの戦いについてを俺に向けてしゃべり始めた。
「周りで見ていた者達からは何が起きていたのかさっぱりわからぬという報告しか得られなんだが、これについては詮索せぬほうが良いか?」
「あーはい、まあ、そうですね」
実際はただの回復魔法なんだけどな。
けれど聞かないでくれるというなら素直に頷いておこう。
「しかしあの魔軍中将のグリムを単身で退けるとはな。我輩でなくてはあの男を止める事などできんと思っていたのだが」
「……グリムってあの魔族の軍を率いていた人物ですか? 肌が緑色で巨体の」
「そうだ。あの男は魔族の中でも五指に入るほどの強者。今回は我輩が負傷しているのを見て奥に篭っていたようだがな」
「へー……」
あいつ何気に魔族内でトップファイブの実力があったのか。
今回は初見じゃ対処不可能なダメージヒール+異能であっという間にHPを半減させたが、普通に戦っていたらどうなっていたかわからないな。
まあどうでもいい。
俺は魔族と事を構える気もないからな。
中将だかなんだか知らないが、もう会う機会もないだろう。
しかしあの時はちょっと予想外の反撃を受けて、うっかりあいつを止めてしまった。
一応数日もすれば動けるようになるだろうけどあれは俺の失態だ。
もっと精進しないといけないだろう。
「奴が前線に上がっていれば此方も危なかった。貴殿の助力には感謝だ」
「いえそんな。むしろ戦士の戦いに水をさすなと言われるかもしれないと思いましたよ」
「そんなことはない。魔族共は此度の戦においてその誇りを汚したのだからな」
「?」
誇りを汚した。
獣王がそう言うと、後を次ぐためかガイウスが口を開いた。
「魔族側は我ら獣族の飲む川の水に毒を流したのです。それも容易には解毒できない厄介なものを」
「毒?」
「はい。それを我らが知った時には獣軍全体のおよそ半数が床に伏せることとなりました。そのせいで今回の戦は劣勢を強いられたのです」
「へえ」
飲み水に毒、か。
アースではわからないが、確かにそれは戦争において忌避される手段の一つだ。
戦争に綺麗も汚いも無いとは思うが、そんなことをされたらあまり良い気分にはならないだろう。
「そして先ほどの戦の折、病に伏せった獣王が指揮を取らなくては持ち堪えられない敗色濃厚の事態にまで発展したのです」
「……ん? 病? 毒とは別に?」
今の言い方では獣王が病に瀕しているように聞こえる。
目の前にいる獣王の様子からはそんな気配など微塵も感じられないのだが。
「なんだ知らんのか。まあよい。それは些事である」
「はあ……」
「そんな事よりもだ。我輩は貴殿に何か褒美を与えようと思っているのだが」
と、そこで病の話題に触れられたくないのか、獣王はやや強引な形で話題を変えてきた。
「そんなものいりませんよ。俺は褒美が欲しくて戦ったわけじゃありません」
「フッ、まあそう言うな。礼を茶の一杯で済ませたとあらば獣王の名が低く見られてしまう」
とは言ってもな。
あまりここで関わりを持つような事は避けたい。
なら今この場で簡単に貰えそうなものを貰うのが最良だ。
しかしそうなるとどんなものを要求したらいいものか。
「……ではミレイユの町まで移動する手段を頂けませんか?」
「……何? ミレイユだと?」
「? はい」
俺が獣王の確認するような声に反応して軽く頷くと、獣王はガイウスの方へと目を向けた。
「ミレイユはウルズ大陸の中心部にある町ですな。ここからですとおよそ一年程かかるかと」
一年。
その言葉を聞き、嫌な予感が的中したと俺は悟った。
まあここへ来る前に通話機能やメッセージ機能でミナ達と連絡がつけられないという事は確認していたからなんとなく察しはついていたんだが。
それに獣族と魔族が両方いるということはおそらくここがウルズ大陸ではない、もしくは世界の中心と呼ばれる三大陸が繋がった場所、『ヴァルハラ』辺りにいるのかもしれないと予測していた。
なので大陸中心部にある始まりの町まで戻るには相当長い道のりとなるだろうとは思っていたのだが、まさか一年もかかるとはな。
とはいっても実際はウルズ大陸にある大きな町に行きさえすれば、俺達はウルズの泉を経由して始まりの町に戻る事ができるけど。
「貴殿はミレイユまで行く旅の途中であったか」
「ええ、まあ」
「ならば貴殿には足を用意しよう。それをもって獣族からの礼とする」
足か。
それだけの距離を歩きでというわけにはいかないからな。
馬か何かが借りられたり貰えるのであればありがたいことだ。
そんなのに乗った経験なんてVRでしかないけど。
こうして俺達は獣王から足となるものを受け取る事になった。
「それじゃあフィル、頼んだぞ。8時間後にまた出すからそれまでに話をつけろよ」
「ん……いってきます」
獣王達との会談を終えた俺とフィルは一つのテントを借りてその日を終える事にした。
話をしていたら夕方になってしまったから、今日のところは泊まっていくようガイウスに配慮されたからだ。
実際これはありがたい。
俺達は迷宮探索から今まで碌に休むことなくここまでやってきたんだからな。
流石にへとへとだ。
また、テント内で食事を取った後、フィルはそんな休憩の時間中にログアウトして一度地球に戻って俺達が現在置かれている状況を学校に報告するという提案をしてきた。
俺達がログアウトする時はログアウト可能エリアにいく。
そのエリアとはウルズ大陸ならどの町にもあるウルズの泉周辺の事を指す。
しかし一応泉周辺でなくてもログアウト自体は可能だ。
だがそれには大きなリスクを伴う。
「…………」
メニュー画面を操作していたらしきフィルが俺に肩を捕まれたまま目を瞑り、寝息のようなものを立て始めた。
泉周辺以外からログアウトした場合、俺達クロクロプレイヤーは今のフィルのように完全無防備状態となる。
眠っているようにしか見えないが、この状態になったらログアウトした本人がログインし直さない限りは何があっても起きる事は無い。
植物人間のような状態と言える。
こんな状態ではあまりに無防備すぎるので、フィルはログアウトしたらアイテムボックスの中へしまっておいてくれと俺に頼んだのだ……が。
「しっかしなあ……」
そんなことを言って俺に体を預けていいものなのか。
勿論それだけ信用してくれているって事なんだろうから俺もそれに応えるけどさ。
でもこうして目の前に何をしても起きない女の子がいるというシチュエーションに思うところが全く無いというほど俺も純粋ではない。
勿論だからといって何かするわけじゃないけどさ。
「やっぱ俺がいけばよかったかなあ……」
俺は邪念を振り払いつつ、フィルの体を自分のアイテムボックスに収納した。
今回の話はフィルが提案したことだから自分でやると決めたのだろうが、だからといって女の子が男のいるところで無防備な姿を見せていいことにはならない。
いや本当に勿論俺は何もしないんだけどさ。
ただ、俺よりフィルがログアウトしたほうが今の状況的に安全ではある。
無いとは思うが、魔族が奇襲を仕掛けてきたり予定外のアクシデントがあったりするかもしれない。
そんなことまで心配するなら獣族が出した茶や飯にも手をつけるなという話にまで発展しかねないんだけどな。
だが食料となる物の持ち合わせがあまり無いのだから仕方が無い。
あるかどうかもわからない危険性を考慮して関係を悪化させたくもないし、ここで空腹のまま外に放り出されても困る。
まあなんにせよだ。
もしも戦闘で解決しなくちゃいけないような事態が発生した場合、俺の方がフィルより上手く対処できることは確かだ。
突発的な危機を乗り越える能力なら俺は誰にも負けない。
「とにかくウルズ大陸の町までいかないとだな……」
俺は今現在置かれている自分達の立場を認識しつつ、これからについて思案し始めた。
おそらくあの覆面プレイヤーの異能によるものだろうが、俺達はウルズ大陸からミーミル大陸まで飛ばされてしまった。
ここからミレイユまで戻るには、少なくともウルズ大陸にある主要な町まで行く必要がある。
ウルズ大陸の町まで着けば、転移陣を使ってミレイユに戻る事ができるからな。
それにウルズ大陸に入ったら通信機能も復帰するはずだ。
連絡さえつけば多分どこかで誰かが保護してくれるんじゃないかと思う。
その辺はログアウトしたフィルの報告で変わるだろうけど。
とはいっても、保護してもらうのをここでずっと待ち続けるというわけにはいかない。
最低でも俺達は自分達の力で近くの町に行く必要がある。
なら外のMOBと戦うのは必至だ。
「……せっかく順序良くレベリングしてたのになぁ」
この辺りのMOBはどれほどの強さだろうかと想像して憂鬱な気持ちを抑えられず、俺はベッドの上へ倒れこむ。
そして自分の思考を停滞させ、フィルが戻ってくる時刻まで俺はそのまま待機しているのであった。