戦場
俺とフィルは戦場にいた。
周りにいるのは頭に動物の耳のようなものを生やした毛深い男達や、頭にツノが生えている上に皮膚の色が紫だったり赤だったりする男達。
そいつらは全員剣や槍、斧などで武装し、その武器で目の前にいる人を斬り、貫き、叩き割っている。
血が吹き、首が飛び、絶命していく。
人の命が容易く奪われる、そんな空間に俺達2人は取り残されていた。
「どういうことだよ……」
初見殺しにも程がある。
ゲーム序盤の町にいたら運営という名の敵がそこへ容赦なくボスモンスターを送り込みました的な理不尽さだ。
こっちは準備も何もできてやしないっていうのに。
いきなり戦場に放り込まれた俺達にいったい何ができるというんだ。
「ひっ……」
「…………」
……しかしだからといって俺がここで匙を投げるわけにはいかない。
俺の傍には顔を青くしたフィルがいる。
彼女だけはなんとしても守らないとだ。
にしてもここはいったいどこだ。
アースでは初めて見るものの、目の前で戦っている奴らは学校の授業で軽く教えられた知識から推測しておそらく魔族と獣族だろうから、もしかしたらここはウルズ大陸ですらないのかもしれない。
獣族のテリトリーはミーミル大陸だし、魔族のテリトリーはフヴェル大陸のはず。
それにどうしてこの二種族が争っているんだ。
魔族も獣族も400年前に停戦条約を結んでいて戦争はしないんじゃなかったのか。
「なんだ貴様らは! そこをどけ!」
「…………」
俺がこの状況を理解しようと思考を回していると男の声が聞こえてきた。
なので俺はその声がした方向へ振り向く。
そこにはフィルとは違って正真正銘青い皮膚の男が剣を俺達に向けていた。
皮膚の色だけでも察せられたが、ツノを生やしていたり目の白い部分が黒かったりしていることからコイツは魔族であるのだろう。
「どかぬのなら斬る! 覚悟!」
「……ちっ」
いきなり斬ると言われてはいそうですかと斬られるわけにもいかない。
俺はその男に対して無詠唱で『ヒール』を当てて牽制する。
「ぐあっ!? く……な、なんだ今のは……貴様一体何をした!」
「さあ? なんだろうな」
案の定というべきか。
俺の全力ダメージヒールでは目の前の男を倒しきれなかった。
まあこいつはザイール達より明らかに格上というような雰囲気だったからこれも想定内ではある。
しかし今の攻撃で無傷というわけでもない。
ただ、目の前にいる男が俺達を警戒して無闇に手を出してこなくなればそれでいい。
「グオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」
「!?」
が、そう思っている俺のすぐ近くにいた別の魔族がフィルに向かって剣を振り上げていた。
フィルは未だに今の状況を理解しきれていないのか、その攻撃に対して全くの無防備だ。
「グルアァッ!!!」
「!!!!!」
そしてそんなフィルを大盾で庇おうとしたその時、彼女に剣を向けていた魔族は一際大きい獣族の男の持つ大斧によって頭から真っ二つにカチ割られていた。
「あ……あぁ……」
「フィル!」
今の光景はフィルには刺激が強すぎたらしい。
彼女はその場にへたり込み、失禁したのかホットパンツを濡らしてしまっていた。
「フィル、大丈夫か?」
「あ、し、シンさん……オレは……だ、だいじょうぶ――」
「……お前はひとまず俺のアイテムボックスに入ってろ」
「え? ……あ」
そんなフィルを俺は問答無用で自分のアイテムボックスの中へと押し込んだ。
勝手な事をしたとして後で怒られるかもしれないが、今のフィルを庇いきる自信がない。
しばらくは俺のアイテムボックスに入っていた方が安全だろう。
未だアイテムボックスの中身が空に近い状態だったのが功を奏した。
「さて……と」
しかしこの後どうすればいいか。
明らかに部外者ですという俺の方へ向けられる周りからの視線も厳しいし、さっさとトンズラしたほうがいいのかもしれない。
でも今日はちょっと異能を使いすぎてるんだよな。
ザイール達を相手にした時は俺の制御できる範囲で全力を出したし、その前のレイドボス戦では長時間の使用を余儀なくされた。
その結果、現在の俺は非常に疲れている。
長距離走を無理矢理全力疾走したようなものだからな。
それにあまり間を置かずに多用し過ぎると異能が暴走しかねない。
常に異能が起動状態になってしまうというのは避けたい事態だ。
なので俺はできることならここを異能無しで切り抜けたいところなのだが……
「貴様! 俺を無視して何をしている! 愚弄しているのか!」
「…………」
しかし目の前にはさっきヒールをぶち当てた男がいる。
この様子だと見逃してはくれそうにないな。
他の奴らみたいにスルーしてくれればいいのに。
「はぁ……しょうがない」
俺はメニュー画面を開き、つい先程レイドボスを倒した事により取得が可能になった新たなスキルを手早くスキルスロットに入れた。
ぶっつけ本番だが、まあ知識としては知っているからとりあえず問題無いだろう。
「もういい! 貴様は我々の敵だ! 死ね!」
そしてそこへ丁度よく魔族の男が俺へと斬りかかってきた。
待っていてくれてどうもありがとう。
まあ待ってくれなくてもどうにかなっただろうが。
「『ハイヒール』」
「ぐ!? があッ!?」
だが折角スキルを獲得したのだから使わないのはもったいない。
俺は魔族の男が斬りかかる前に回復魔法スキル『ハイヒール』を唱えた。
この『ハイヒール』は消費MPが大きい代わりに『ヒール』と比べると3倍の効果があるという回復魔法だ。
ただこれも『ヒール』と同様にマイナス数値のMNDでダメージヒールとなるか不明だったのだが、やはりヒールをそのまま3倍にした効果と考えてもよさそうだな。
一応それでもHP的に死ぬ事は無いだろうと思って使用してみたが、目の前で苦しみ悶えている魔族の男の姿を見ればこの魔法の効果が俺にとって有益である事が窺える。
もっと早くに取得できていれば、ひたすらヒール連打だったレイドボス戦ももう少し楽だったろうに。
そんな事を考えてもしょうがないけどさ。
「くっ……くそっ……貴様……一体何者だ……」
「お前に名乗る名などないな」
魔族の男が何者かと問いかけてきたので俺は答えを濁した。
この戦場がどういう意味を持っているのかよくわかっていない状況で名を答えるのはあまりよろしくない。
地球人がアース人同士の戦争に介入してもあまり良い事はないだろうし。
「隊長! 大丈夫ですか!」
「俺は平気だ……それよりこの男を殺せ……」
「ハッ!」
けれどこれじゃきりがないな。
どうやらさっきまで俺に攻撃を加えようとしていた奴は雑兵ではなくそこそこ偉い奴だったようだ。
その魔族の命令で8人の魔族戦士が俺の方へと詰め寄ってきている。
「ぐああああぁぁッ!?」
「な……なんだ!? これは!?」
「がはっ……く……」
だが隊長と呼ばれている魔族の男よりも相当弱いみたいだ。
相手をするのは面倒なので無詠唱による『ヒーリング』を使って範囲攻撃をしかけると、俺の傍に寄ってきた魔族は全てその場に崩れ落ちた。
一応まだ息はあるようだが、HPゲージが軒並み3割を切っているこの状態ではしばらく立ち上がれないだろうな。
それを見て俺はこの場を離脱するべく走り始めた。
「なんだお前は!?」
「獣族の援軍か!?」
「ここから先へはいかせん!」
「…………」
が、どの方角に進めば戦場から抜け出せるのかわからず闇雲に走っていたら魔族側のテリトリーに入ってしまったようだ。
しかもさっきまでのやりとりを見ていたのか魔族側の連中の視線がかなり厳しくなっている。
そんな魔族の連中が俺の進む先々で斬りかかってくるのが鬱陶しい。
なので俺は必要最低限の動きでそれらの攻撃を回避し、どうしても邪魔だと思った相手にはヒールとヒーリングを使って牽制しつつ走り続ける。
そして無理矢理の遁走の先に魔族の密集していないところを発見したのでそこへ向かうと、ここまで見た魔族の中で一番大きな男が仁王立ちしていた。
「前線がやけに騒がしいと思ったら……貴様はいったいなんだ?」
頭の両サイドから突き出た角や毒々しい緑色の皮膚を持ったその男の着る鎧はそこらの雑兵とは一線を画す装飾が施されており、おそらくはこの軍の大将的なポジションにいるのではないかと俺に想像させた。
「ただの通りすがりだ」
「フッ……通りすがり、か。しかし私の前にノコノコと姿を出してしまったのが運の尽き。目障りだ、死ね」
「!!!」
緑色の大男は手に持っていた大剣を躊躇なく俺に向けて振るってきた。
それを見た瞬間、身の危険を感じて俺の異能、【時間暴走】による≪思考加速≫が勝手に発動してしまう。
……この攻撃は避けきれないし受け止めきれないな。
目の前にいる男は今の俺が敵う相手じゃない。
ゆっくりと俺の下へやってくる剣先を見てそう感じた。
なので俺は結局、≪身体加速≫を任意で発動させる。
倍率は――10倍だ。
「ヌッ!?」
俺の動きが突然早くなり、剣を避けたことによって目の前にいる男は驚きの声を上げている。
それを見ながら俺は普段より10倍早くクールタイムを終えた回復魔法を立て続けにその男へぶち当てた。
「グッギッガアアァァッ!? なんだ!? これは!?」
やはりこの男は強いな。
ヒール、ヒーリング、ハイヒールの3連発を食らって尚HPゲージが2割も減らない。
しかしそれでもダメージはある。
俺は再びクールタイムを終えた回復魔法を連続で当てて男の戦意を削ぐ。
「がっはあっ!?」
「ぐ、グリム中将!?」
HPゲージがおよそ半分になったところで男はやっとよろめき、膝をついてくれた。
それを見て俺はこの場における最大の障害に背を向けて走り出そうとする。
あんなのといつまでも遊んでいる気はないからな。
「グウウゥゥ! 私を舐めるなぁぁぁ!」
が、そんな俺の背後から緑色の大男が怒声を上げてきた。
俺はそれを聞いて後ろを振り返る。
「!!!」
すると緑色の大男が右手の爪を俺に向け、それを途轍もない速度で伸ばしている光景が目に映った。
――そして目の前まできたそれを見た瞬間、俺の危機意識はこの世界に来て初めて一定値を超えてしまった。
「ちゅ、中将!?」
「…………」
緑色の男は止まってしまった。
爪は俺の目の前で止まっているし、緑色の大男は微塵も体を動かさない。
ただリアルな彫刻であるかのように男はその場で固まってしまった。
そんな緑色の大男を見た魔族の連中からどよめき声が聞こえ始める。
「ば……馬鹿な……」
「グリム中将が……やられた……?」
「……ぐっ! ここは一旦下がるぞ! 引け! 引けえええええ!」
しかしそれも少しの間の事で、一人の魔族が引けと叫んだ。
するとその場にいた数千人規模であろう軍が一斉に一つの方角へと移動していく。
俺もそれに合わせて軍隊の進む方向とは逆の方へと走っていき、そうしてやっと集団の中から抜け出すことに成功した。
「はぁ……なんだったんだ、一体」
いきなりわけのわからないところに瞬間移動して魔族らしき集団に襲われて……なにがなんだかさっぱりだ。
これはあれか。
新手のPKか。
FPKか
あの覆面ヤロウ。
俺じゃなかったら死んでいたぞ。
まあひとまずなんとかなったから別にいいんだけど。
魔族と獣族がここで争うのを止めてくれるなら、とばっちりを受けている俺としては大歓迎だ。
というか魔族側は俺なんて無視して他の奴らと戦っていればよかっただろうに。
俺はそう思いつつ加速を解除する。
「ぐ……」
異能の使いすぎによるものか、時間の流れが正常になるのと同時に猛烈な吐き気を催し始めるものの、それを俺はなんとか耐えて周囲を見回す。
「……どうやら助けられてしまったようだな」
「…………」
そしてそんな事をしている俺に誰かが声をかけてきた。
振り向くとそこには右腕を失った大柄の男が立っていた。
その男はどうやら獣族のようで、全身が茶色の毛で覆われており、特に頭部の周りはたてがみのようなフサフサがある。
加えて獣族にある動物の耳や尻尾を生やしており、どことなくライオンというような雰囲気をかもし出していた。
だが俺はこの大男を知らないし、助けた覚えもない。
「別に助けたわけじゃありませんよ」
なので俺はそう言って大男の言動を否定した。
多分魔族達を引かせた事を指して助けられたと言っているのだろうが、俺はただ単に火の粉を振り払ったにすぎない。
「それより腕は大丈夫なんですか? 早く治療した方がいいのでは」
あと気になっているのがこの大男の負傷だ。
目の前にいる獣族の大男は右腕を二の腕辺りから失ってしまっており、そこから赤い血が滴り落ちている。
おそらくさっきまでの争いで負傷したのだろう。
一応応急処置はしてあるようだが、ちゃんとした治療を受けたほうがいいように思える。
「ああ……そうだな。こんな状態では碌な話もできんか」
いや、俺はあんまり話す気などないんだが。
とりあえず怪しまれない程度に現在地を聞きだすか、もしくはさっさとここを離れてフィルをアイテムボックスから出してやりたい。
「この場はガイウスに任せる。この人族は命の恩人だ。丁重に扱え」
「御意」
「…………」
しかしどうもこいつらは俺に礼をする気でいるようだ。
ここで逃げると怪しまれるか?
なら普通に断りを入れてこの場を離れよう。
「いえ、俺はただ通りすがっただけですので……この辺で失礼します」
「わざわざ戦場の中心を通りすがる者などいるか。それに我輩達が貴殿に救われたのも事実。ここで礼を失しては先代達の顔に泥を塗る事となる」
……と思っていたのだが普通に引き止められてしまった。
まあ確かに、誰が好き好んで戦場の真っ只中を通ろうとするって話だ。
俺が人の血を求めるバーサーカーですっていうなら話は別だが、生憎そういうわけでもない。
ここはひとまず助太刀に参った、とでも思わせておいた方が無難か。
というか先代って何の先代だ。
この大男は族長か何かでもしているのか。
「はあ……まあ、あまりお構いなく」
変に種族間のいざこざへ巻き込まれるのは避けないといけないが、礼をされる程度なら問題はないだろう。
ここで逃げて闇雲に歩いても人の住む町なり村なりにつけるかどうかもわからないし。
ひとまず情報収集に徹しよう。
そうして俺はよくわからないうちに獣族を助けたということになったのだった。
「では獣王、こちらに。腕の治療をいたしますゆえ」
「うむ」
「!?」
大男は獣王と呼ばれていた。