侵攻開始
ニーズが魔王の座についた。
それにより、魔族のすべてはニーズの物となった。
魔族にとって、魔王という地位は、それほどの意味を持つようだ。
そしてこれは、ニーズは魔族の軍も自由に動かすことができるようになった、ということでもある。
「……これが、今の魔族軍の戦力か」
俺は今、魔王城のバルコニーから、魔族の軍を見下ろしている。
この軍は、魔女がニーズを介して集めさせた集団だ。
万にも及ぶ規模の大部隊で、これはかつてミーミル大陸に侵攻したときよりも多いらしい。
こんな軍が、今からウルズ大陸へ進攻する。
とんでもないことだ。
「ぐ……」
俺は、魔族軍のウルズ大陸侵攻を止められなかった。
魔女がニーズにあれこれと指示を出すのを、指を加えて見ていることしかできなかった。
……俺は、なんのためにここにいるのか。
魔女の軍を止められず、魔女に逆らうこともできず、クレールを救うこともできず……。
無能とは、今の俺のためにあるような言葉だ。
「…………」
……でも、俺の抱える鬱屈とした感情も、あいつほどではないんだろう。
城の中のほうへと視線を向ける。
そこには、憔悴した様子で椅子にもたれかかるニーズの姿があった。
「……チクショウ」
「…………」
ニーズは魔女に逆らえず、軍を嫌々編成して、今に至っている。
自分の国の軍隊すら魔女に良いように扱われているこいつの心境は、直接訊かずとも察せられる。
この状況に自暴自棄な態度を取らないだけ、まだマシだ。
「……ニーズ。お前、睡眠はちゃんと取ってるか?」
ふと、俺はそんなことをニーズに訊ねた。
ニーズの顔色は、魔族だからというのを考慮しても、悪そうに見える。
「あぁ……まぁ、ぶっ倒れねぇ程度にはな」
「……そうか」
「…………」
「…………」
俺とニーズの間に沈黙が流れた。
……相当まいってる様子だな。
まあ、俺も他人事みたいに言えるような状況じゃないが。
「うふふふ……2人とも、こんなところにいましたか……」
そんなことを思っていた、そのとき。
俺たちのところに魔女――アースがやってきた。
「遠征の支度はつつがなく終了しました……あとは、あなたの一声で、いつでも動けますよ……ニーズ」
「…………」
アースに声をかけられると、ニーズは忌々しそうな視線を向けた。
「さあ……ここから世界は私を中心にして変わり始めるのです……私のために尽くし、私のために争い合う……そんな素敵な世界に……うふふふふ……」
そうして、ニーズが直接率いる魔族の軍は、ウルズ大陸への侵攻を開始した。
俺、アース、そしてカルアという異分子を引き連れて。
俺たちは街を出て、三大陸が唯一繋がる土地であるヴァルハラを目指した。
魔族の首都『ルレイル』は、どうやらフヴェル大陸でもヴァルハラ寄りにあったようだ。
また、移動手段は馬車のようなものを大型モンスターに引かせたり、小型モンスターに乗ってだったりで、思っていたよりもスピーディーだった。
しかし、その道中は決して短いものではない。
一応、俺やアースはニーズの接近として馬車を使っているから、体力的には楽だ。
でも、精神のほうは、そうもいかない。
アースやカルアといった連中と同じ空間に、長時間い続けなくちゃいけないんだからな。
「…………」
馬車に揺られながら、俺は対面に座るアースを見る。
アースは俺の視線や馬車の揺れなどお構いなしに、優雅に紅茶を飲んでいる。
……こうして見ると、クレールが大人の姿になったらこんな感じなのだろうかと、そんなことを思ってしまうな。
まあ、見た目は実際それで正解なのだが、中身が大違いだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
そんな風に考えるのも、もうこれで何度目になるだろう。
「……うふふ……そんなにクレールのことが気になりますか?」
と思っていたところで、アースが口を開いた。
「…………当たり前だ。さっさとクレールを返せ」
「返せだなんて……クレールは物ではないのですよ……」
お前がそれを言うのか。
どこまでも人をおちょくるような奴だ。
「うふふ……そんな怖い顔をしないで……楽しくいきましょう……あなたと私は、これから長い付き合いになるかもしれないのですから……」
「お断りだ。今は俺もこんなだが……近いうちに、必ずお前に引導を渡してやる」
俺が睨むも、アースはいつもの不気味な笑みを浮かべるだけだった。
「あなたはクレールのことを随分と気にかけているようですね……でしたら今度、あなたの思うクレールの仕草を真似てみせましょうか……」
「……殺すぞ、魔女」
「殺せるものなら殺してみなさい……」
「…………」
全身に激痛が走る。
それでも俺は、アースを睨み続けた。
これは、今の俺にできる唯一の抵抗だ。
無駄であることはわかっている。
だが、こうでもしないと、俺は自分を保てない。
この痛みは、魔女に抱く負の感情を新鮮なものにしてくれる。
「自分から進んで痛がろうとするとか、お前ってもしかしてマゾなのか?」
俺と少し離れたところに座っていたカルアが、そんなことを言っていた。
なんとでも言え。
もうお前になんと言われようと、俺は動じない。
「おや……外が騒がしいですね……」
「……?」
と、そのとき、馬車の外にいる魔族の兵がざわついているのを耳にした。
停止しているのだろう。
いつの間にか、馬車の揺れも治まっている。
外でなにかあったのだろうか。
そう思いながら、俺は馬車の外へと出てみた。
「…………! これは……」
外に出て、前方に視線を向けてみると……そこには、人の集団があった。
まだかなり遠くにいるが……見た感じ、全員武装をしているようだ。
そしてなにより、その集団の最前列に立つ男に、俺は見覚えがあった。
「……ケンゴ」
最前列に立つ男は、ケンゴだった。
それに、よく目を凝らすと、その集団の中には俺の知り合いが沢山いた。
ミナやサクヤ、フィル、それに、アギトやクロード、マイ、白崎といった、ミーミル遠征組の連中。
ユミや氷室、セツナやノアといった、ウルズ残留組の連中。
バンやメリー、カザネやミサキといったミーミル連合の連中。
カタールやセレス、マーニャン、早川先生といった大人組の地球人連中。
名前を挙げればキリがない。
そこにいたのは地球人だけじゃない。
エレナやガルディア、火焔、精霊王といった連中もいるし、精霊族の兵士、龍人族の兵士、獣族の兵士、人族の兵士、それになぜか海王らしき奴までいる。
魔族の軍に匹敵するだけの数の勢力がそこにいた。
しかも、およそ、この世界で上位クラスの強さを持った奴らばかりの集団だ。
……ケンゴのすぐ後ろにいるのは……もしかして、法王か?
昔会ったときより老けた感じになってるが、多分そうだ。
キィスたちもいる。
あいつら、ちゃんと無事に逃げられたみたいだな。
何気に、ちゃんと逃げられたのか心配してたから、無事でいてくれて本当に良かった。
「なんであんなところに人族の群れが……」
「いや、獣族や精霊族もいるぞ……」
「龍人族まで……? いったいどうなっているんだ……」
魔族の兵士が動揺している。
無理もない。
自分たちは最大級の戦力を有して戦争を仕掛けようとしていたのに、目の前には自分たちを上回りかねないような戦力が集まっているんだからな。
ケンゴたちは、おそらくは火焔の手引きで戦力を集中させ、この場に陣取ったんだろう。
キィスたちからの情報を元にし、魔族がすぐにでも攻めてくるだろうと見越して。
「うふふふふ……なるほど……そうきましたか……」
俺たちが呆気にとられていると、アースは薄ら笑みを浮かべながら馬車の外に出てきた。
アースに焦った様子は一切感じられない。
あれだけの戦力を前にして、まだ自分が優勢だと思っている、ということなのだろうか。
「ニーズ……兵を前進させなさい……こんなところで睨み合っていても、時間の無駄でしょう……?」
「……チッ」
ニーズはアースの指示にふてぶてしく応え、魔族の軍をケンゴたちのほうへと進ませた。
そうして、俺たちとケンゴたちは、互いの声が届く位置にまで接近した。
「よう、魔族の諸君! ピクニック中のところ、邪魔しちまってわりいな!」
近づいて早々に、ケンゴが大声でそんなことを言いだした。
ケンゴなりのジョークなのだろう。
魔族が戦争をしに行く途中だってことくらい、ケンゴにだってわかってるはずだ。
「……おぅ! こんなところで会うなんて、奇遇じゃねぇか! 剣王さんよぉ!」
ニーズが魔族の先頭に立ち、ケンゴに負けじと大声を張り上げた。
本心では争いたくないだろうに。
魔王として、魔族の前で弱みを見せるような発言はしないか。
「ここで会うことになるとは思わなかったが、会っちまったもんはしょうがねぇ! 俺様たちがピクニックに来たわけじゃねぇことくらい、てめぇもわかってんだろ! ここで蹴散らされても、文句はねぇよなぁ!」
ニーズはケンゴたちを倒すつもりのようだ。
ここで後退などアースが許すとも思えないから、そう言うしかないか。
「いいや! てめえらにはピクニックをしてもらうぜ! ここで回れ右だ!」
と思っていたら、ケンゴのほうは戦う気がないようだった。
いったい、どういうことだ。
魔族がそう簡単に退かないことくらい、ケンゴだってわかってるはずなのに。
「…………な」
俺が首を傾げていると、ケンゴ側の集団の中から、1人の魔族が出てきた。
それを見た瞬間、ニーズが驚愕といった表情を浮かべだす。
あれは……まさか……。
「……こんな形でお前と対峙するとはな……ニーズよ」
「お、親父ぃ……?」
俺たちの前に姿を現した魔族。
それは、先代魔王、ニドルク・フィヨルドだった。