呪い
「……え……?」
ルヴィの背中に、アースの手が突き刺さった。
そのことに対してか、ルヴィは戸惑うような声をあげていた。
戸惑ったのは彼女だけに限らない。
俺もそうだし、ニーズや、他の奴らも呆気にとられていた。
仲間じゃ……なかったのか?
なんで、いきなりこんなことが……。
「うふふ……あなたの『癒し手』は……もしかすると、今後の私にとって脅威となるかもしれません。残念ですが……ここでお別れしましょう……」
アースが手を引き抜きざまに、そんなことを口にした。
なんのことだか、俺にはよくわからない。
だが、ルヴィの存在はアースにとって不都合だということは、なんとなく察することができた。
「ぐ……!」
ルヴィが両手で自分の体に触ろうとした。
「させませんよ……」
すると、アースはルヴィの両手を手刀で斬り飛ばした。
そうして、ルヴィは驚愕といった表情を浮かべながら、トウマの真上に重なるようにして崩れ落ちた。
HPは……すでにゼロとなっていた。
「る、ルヴィさん!」
と、俺がこの状況に戸惑いつつも分析を重ねている最中、突然、覆面ヤロウが大声を上げた。
アースにとって、これは予定調和だったのかもしれないが、異能機関のメンバーからしたら予想外の展開だったようだ。
覆面ヤロウだけでなく、カルアも驚いたという表情を顔に浮かべている。
「魔女様! これはいったいどういうことですか!」
「どういうこともなにも、さっき私が言った通りですよ……この子の手がうっかり私に触れようものなら、回復魔法以上の手痛い致命傷を負わせられかねませんからね……」
「そんな……ルヴィさんは、あなたに一番尽くしてきた人間なんですよ!?」
「だからどうしたというのです……私の害となるかもしれないから……念のために殺したというだけですよ……?」
「くっ……!」
覆面ヤロウが突然その場から消え、ルヴィのすぐ近くに姿を現した。
転移の異能を使ったんだろう。
そして、ルヴィに近づいたのは……彼女を助けるためか。
ここでわざわざ異能を使うんだから、そうとしか考えられない。
――だが。
「がはっ!?」
アースの手刀が、覆面ヤロウの腹部を深く切り裂く。
その攻撃は、まるで狙い澄ましたかのように精確だった。
突然の攻撃を受けた覆面ヤロウは、痛がるようにしてその場に蹲る。
「うふふ……あなたの行動は酷くわかりやすい……」
「くぅ……」
……アースは、覆面ヤロウがルヴィを助けようとして転移の異能を使うところまで読んでいたのか。
じゃないと、あれほどまでに精確な手刀は放てない。
「あなたに最後のチャンスを与えます……ルヴィを見捨てなさい……そうすれば、今の不忠は見逃してあげます……」
アースが薄ら笑みを浮かべながら、覆面ヤロウにそう告げた。
「…………地獄に落ちろ……悪しき魔女め」
「……良い返答です」
――覆面ヤロウの首が宙に舞い、床に転げ落ちた。
「…………」
俺は、その生首と目が合ってしまった。
覆面ヤロウは……どこか悲しそうな瞳で俺を見つめていた。
……思えば、俺はこの男のことをほとんど知らなかった。
こいつだけではない。
ルヴィやトウマといった連中が、どんな思いで魔女につき従えてきたか、俺には想像もできなかった。
「うふふふふ……あなたたちの死は私の糧となります……死してなお私に奉仕できるなんて……光栄でしょう……?」
「…………」
……狂っている。
これが魔女と呼ばれた女のやり方か。
自分のためなら、今まで自分に尽くしてきた相手でさえ平然と斬り捨てる。
むしろ、クレールの肉体を得たことで、より性質の悪いものへとなってしまったのではないだろうか。
クレールは自分のことを死霊族と名乗っていた。
死霊族とは、生物の死によってあふれ出る負の生命力を糧にして活動するという、特殊な生態の種族であるらしい。
おそらくは、地球人の死でも、負の生命力とやらが出てくるのだろう。
「さて…………不幸にもルヴィたちはいなくなってしまいましたが……あなたはどうしますか、カルア?」
トウマ、ルヴィ、覆面ヤロウの3人が立て続けに死んだことで、今ここにいる異能機関側のメンバーはカルアだけとなった。
しかし、カルアはどこ吹く風と言わんばかりに鼻を鳴らし、アースから目を逸らしながらも口を開いた。
「別に。俺はそいつらみたいに信念だとか使命感だとかに惑わされるような馬鹿じゃねえよ。お前につき従ってた方が得だっていうなら、そうするさ」
「うふふ……そうですか……では、今後も忠義に励みなさい……」
どうやら、カルアだけはアースに歯向かう気がないようだ。
なぜ、よりによってこいつだけが生かされるのか。
そう思うのは、こいつに対して俺が強い負の感情を抱いているからに他ならない、ということはわかっているんだが……納得できない。
「……ったくよぉ……次から次に、わけのわからねぇことしてくれやがって」
俺がカルアを睨みつけていると、ニーズが前に出てきた。
ニーズの表情にはイライラ感が濃く漂っている。
魔女側の内部分裂のせいで、だいぶ置いてけぼりにされてたわけだからな。
こんな顔になるのも無理はないか。
「うふふ……ごめんなさいね……あなたの獲物を横取りしちゃって……」
「ルヴィをこの手で捻り殺してやれなかったのは残念だがなぁ、んなこたぁどうでもいぃ」
「あら……そうですか……?」
「おぅよ。俺様の獲物は、あいつからてめぇに変わっただけなんだからなぁ」
ニーズがアースに射殺すかのような視線を向けた。
「てめぇがルヴィらの親玉なんだろぉ? だったら……ルヴィのしてきたことの責は、てめぇにあるってことだぁ!」
……アースと戦うつもりか。
だとしたら、また俺はクレールを守るためにニーズと戦わないといけなくなる。
「シンにぃ……」
「…………」
通路の奥にいるキィスたちは、戦うべきか否か迷っている様子だ。
アース人にとって、魔女は恐怖の代名詞みたいなものとして伝わっている。
だから、ニーズやキィスたちからしたら、魔女を見過ごすわけにはいかないのだろう。
「……ニーズ様」
グリムがニーズの横に立とうとした。
が。
「微力ながら私も――」
「うふふ……あなたたち……私と戦いたいのですか……?」
「!?」
グリムはアースの視線を受けると、その場で立ち尽くして、大粒の汗を流し始めた。
……いや、グリムだけじゃない。
キィス、リアナ、クーリの3人も様子がおかしい。
これは……恐怖?
グリムたちは、アースを怖がっているのか?
「……ケッ。老いぼれがあんま無理すんじゃねぇよ。ここは俺様に任せろぃ」
「に、ニーズ様……」
唯一怖がる様子を見せないニーズは、アースに向かってさらに前進した。
やせ我慢か。
あるいは、時期魔王の意地と呼ぶものか。
なんにせよ、俺にとっては困る状況だ。
できることなら、ここでニーズと戦いたくはない。
「うふふ……シン……あなたは下がっていなさい……」
そう思っていたら、アースがいきなり俺に指示を出してきた。
「……俺は、お前の手下になった覚えなんてない」
「でも、あなたは従わざるをえないのです……既に祝福を得ているのですからね……」
「なに?」
それはどういうことだ?
いったいアースはなにを――。
「!?」
――俺の全身に、突然激痛が走った。
「うふふふふ……苦しいでしょう……私の言葉に従わないから、そうなるんですよ……」
「な……」
俺は痛みに耐えつつも、アースの言葉に驚愕した。
もしかして、さっきこいつにキスされたときに流し込まれた液体が原因か?
「あまり我慢をしていると……あなたもトウマのような末路を送ることになりますよ……」
「……!」
トウマやルヴィといった異能機関の連中は、魔女から祝福という名の呪いを受けていた。
魔女の意思に逆らった行動を取ると、最悪の場合、死に至るという呪いだ。
だから、あいつらは魔女に逆らうことができなかった。
そして……今の俺も、あいつらと同じような立場になってしまったんだろう。
最悪だ。
クレールの身はおろか、自分の身すらも守れないなんて……。
「大丈夫です……私はそう簡単には死にませんから……」
うるさい。
俺が心配するのは、お前ではなくクレールだ。
……にしても、こいつはニーズとタイマンするつもりか?
トウマほどではないと思うんだが、ニーズも相当強いはずなのに。
「ゴチャゴチャうっせぇぞ! シャァッ!」
と、そのとき、ニーズがアースのほうへと駆け出し、拳を前へと突きだした。
速い。
以前も俺は、こいつを速いと思ったが、今回の動きはそれを上回る。
かつ、体格がかなりよくなっているため、その拳に秘められた破壊力は凄まじいものになっているはずだ。
こんなのをマトモに受けたら、ひとたまりもない。
――と思っていたのに。
「……な」
アースはニーズの拳を右の手のひらで受け、平然としていた。
「うふふ……やはりこの体は素晴らしい……力が漲ります……」
「ぐぅっ!?」
そしてアースは……ニーズを振り回して、床に強く叩きつけた。
……圧倒的過ぎる。
クレールの身体スペックが高いことは、俺もなんとなく知っていた。
でも、まさかこれほどとは……。
アースによって、なんらかの補正を受けているのかもしれないが、魔王候補であるはずのニーズが、赤子同然だなんて。
「…………?」
俺が驚愕していると、アースは左手から黒い液体を溢れさせ、それをニーズの口に垂らした。
「あなたにも祝福をあげましょう……たんとお飲みなさい……」
「がっ……がぽっ……ごは……」
「に、ニーズ様!」
その黒い液体はニーズの口から漏れるほど流れ出ている。
あれが、魔女の呪いの正体か。
さっきは俺も、同じ物を流し込まれたんだろう。
……なんて、冷静に分析している場合じゃない。
「キィス!」
俺はアースがニーズに意識を向けていることを確認して、キィスの名を叫んだ。
さらには、アイテムボックスから赤い玉を取り出し、全力で投げた。
「受け取れ!」
「な!?」
キィスは俺が投げた赤い玉――『龍王の宝玉』を無事キャッチした。
「し、シンにぃ! これは――」
「使ってるとこ、昔見せたことがあるよな! それ使って、できるだけ遠くに逃げろ!」
「……わかった! 行くぞ! リアナ! クーリ!」
「……っ!」
「え!? で、でも、それじゃあ教官は……」
「今は自分のことだけを考えて、早く逃げろ!」
「う……わ、わかりましたわ!」
俺のが大声で命令すると、3人は悔しそうな表情をしながら、その場から逃げ出した。
……よし。
それでいい。
時には逃げることも重要だ。
ここでムキになって、あいつらがアースに戦いを挑んでいたらと思うとゾッとする。
「うふふ……私がよそ見をしている間に、妙なことをしましたね……シン?」
「……別に、妙なことなんてしちゃいない」
キィスたちじゃアースに勝てない。
だったら、頃合いを見計らって、あいつらをこの場から逃がしてやるのが、元指導者としての役目ってものだろう。
「まあ、いいでしょう……1人や2人逃げたところで、大局は変わらないのですから……」
そうして、アースはまた不気味に『うふふ』と笑った。