魔女の名
「母……だと……?」
ルヴィの言葉を耳にし、クレールは驚きの表情を作った。
魔女が自分を呼んでいるというのも驚きであるし、それが自分の母だというルヴィの言葉は、到底信じることができなかったためである。
「わ……我にはもう、家族と呼べる存在など残っていない! ふざけたことを口にするな!」
「いえいえ、私は決して、ふざけてなどいませんよ」
「ぐ……」
ルヴィは微笑みを崩さない。
その様子を見て、次第にクレールはたじろぎだし、一歩後ろに下がった。
「お、お母様は死んだのだ! お父様の手によって、この世から消えてなくなったのだ!」
「そうですね。裏切り者、グレイルの手によって、あなたは愛する母を失ったのです」
「あ、愛してなどいない! そもそも、我はお母様と話しをした記憶すらないのだからな!」
「本来なら、そうなっていたという話です。あなたも、自分の母親が傍にいてくれたなら、その方を愛していたと思うでしょう?」
「そ、それは……」
クレールは、言葉によってルヴィに追い詰められていく。
ルヴィは自分の父であるグレイルを知っており、母すら知っているという。
その言があまりに堂々としていたため、クレールは何一つ知ることのない母の存在を否定することができなかった。
たとえ、その母という存在が、この世界で忌み嫌われている魔女であると言われたとしても。
「だ、だが、やはりお母様は死んだのだな! 今、貴様はそれを否定しなかった!」
「ええ、私は否定しませんでした。グレイルの手にかかり、命を落としたというのも、間違いというわけではありませんから」
「なら――」
「ですが、あなたの母の魂は、今もなおこの世界に存在し、蘇る機会を窺っています」
「な……」
ルヴィの説明を聞き、クレールは驚きの表情をさらに深くした。
――そのとき。
「今の話、余にも詳しく教えるがよい」
ルヴィとクレールの会話に、火焔が割り込みをかけてきた。
火焔は、射殺すかのように鋭い視線をルヴィへと向けている。
それには、返答次第では、いつでも斬り捨てるといった意志を込められていた。
――しかし、それでもルヴィから笑みは絶えない。
「そんなに気になりますか? 自分の姉に当たる方のことが――」
「 」
火焔が剣を抜いた。
最速の太刀は、吸い込まれるようにルヴィの首元へと向かう。
が、それはルヴィに触れる直前に、1人の男の介入によって防がれる。
「ナイスフォローですよ、トウマ」
「ふぅ……あのさぁ、敵さんを無駄に挑発するのはやめようよ、ルヴィちゃん」
トウマは火焔の剣を槍で受け止めながらも、軽い調子でルヴィを叱る。
「ええ、そうですね。今後は気をつけます」
「わかればよし」
対するルヴィの返答も軽いものだったが、それによってトウマが不快に感じることもない。
が、そんな2人を見ていた火焔だけは不愉快さを増していった。
「……そなたたちが魔女の使いの者であることは、もはや疑いようもない。斬らせてもらう」
「だったら、お前の相手は俺がやるよ。ルヴィちゃんはあんま強くないからね」
「ほう……」
火焔とトウマは睨み合う。
武器を持つ手には、さらに力が加わっていく。
「余と正面切って戦うつもりか……なかなか見どころがあるぞ」
「龍王様に褒められるなんて、嬉しいっすわ――そんじゃまあ、その龍王様の力がどれほどのもんか見させて――」
2人が争いを始めようとした――そのとき。
ルヴィの身に変化が起こった。
「……うふふ……やっと会えましたね……クレール」
突然、黒色だったルヴィの髪が、金色に輝きだした。
同時に、瞳の色も黒から赤へと染まっていく。
「な……!」
それを見て、クレールは怒鳴り声をあげた。
「き……貴様……いったい何者だ!」
今までとは、明らかに様子が違う。
まるで、別人の魂が乗り移ったかのように、クレールは感じた。
そして、クレールは自分と同じ色の髪と瞳になったルヴィの姿を見て、動揺を隠すことができなかった。
「何者か……ですか……もう、言わなくともわかっているのではないのですか?」
「わ、わからん! 貴様が何者かなど、絶対にわかるものか!」
「そうですか……でしたら、名乗らせていただきましょう……」
「私の名はアース。かつて、母に裏切られ、姉妹に裏切られ、そして愛する者にさえ裏切られた……あなたの母です」
「!!!!!」
そして、ルヴィではないその女性は、自分の名を告げた。
魔女、アース。
アース人が住む星と同じ名を付けられ、それゆえに誰もが名として発することを忌避した、その魔女の名を語る者が現れた。
「あ、アース……だと……」
これに対し、クレールの他にもう1人、動揺を露わにする者がいた。
火焔である。
臨戦態勢に入っていた火焔の視線が、トウマからアースのほうへと移る。
その表情には、侮蔑と嫌悪……それに恐怖といった感情が見え隠れしていた。
「うふふ……久しぶりですね……火焔。その顔を見る限りでは……私のことはちゃんと覚えているようですね……」
「……フン……忘れるものか…………よくも、のうのうと余の目の前に現れることができたな! この恥知らずが!」
火焔が激昂する。
目は鋭く、歯はむき出しにし、今にも斬りかかりそうな形相でアースに怒鳴った。
「覚えていてくれて嬉しい限りです……けれど、私はあなたとお話しをするためにここへ来たわけではありません……」
「くっ……そこをどけ! 地球人! 邪魔だ!」
怒りを露わにする火焔は、アースに詰め寄ろうとした。
が、それを阻止するトウマを押し切ることができずにいた。
「ええ、その調子です……私の用事が済むまで、そのうるさい子を足止めしていてください……」
「…………」
アースはトウマに指示を出す。
対するトウマは、これに無言のまま首肯した。
そしてアースは、再びクレールのほうへと向き直る。
「クレール……迎えにきましたよ……さあ、私と一緒に来るのです……」
「う…………」
アースに見つめられ、クレールは動くことすらできずにいる。
体が本人の意思に反し、逃げることを拒んでいた。
「……『癒し手』」
「っ!?」
動けずにいたクレールの頬に、アースはゆっくりと手のひらを触れさせる。
すると、クレールはその場に崩れ落ち――そのまま気絶した。
「うふふ……やはり、あなたにとって、この力は劇薬のようですね……困ったものです……」
アースはそんなクレールを抱えると、目の前に発生した空間の歪みの中へと大切そうに入れていった。
「さあ……これで私の目的は達せられました……帰りましょう……」
そしてアースは『うふふ』と笑い、火焔たちに背を向けて歩き出した。
「そ、そうはいきません!」
「ガルガル!」
が、その後ろ姿に、エレナと獣化したガルディアが襲い掛かる。
2人は今まで、敵に隙ができるのを窺って、いつでも攻撃できるよう構えていた。
「『ダークバインド』」
「キャアッ!?」
「ガルッ!?」
しかし、その背後からの奇襲は、歩みをとめないアースの一声によって阻止された。
2人は地面から湧き出た黒い光の縄に身を縛られ、その場から動くことができなくなった。
「うふふ……私に攻撃を仕掛けようだなんて……悪い子たちですね……でも、今日は機嫌が良いので、許してあげます」
「ひっ……」
「…………」
アースの言葉を聞き、身動きの取れないエレナたちは、言いようのない恐怖を抱いた。
絶対に逆らってはいけない。
2人の心の底から、なぜか、そんな感情があふれ出てきていた。
「では、私が逃げるまでの足止めは頼みましたよ……地球人さん……」
「…………」
そうして、アースは後ろを振り返ることなく、その場を去った。
1人残ったトウマは、それをただ無言で見送り、火焔たちのほうへと意識を向ける。
「……トウマ……といったな? そなた、生きてこの場から帰れると思っているのか?」
多少冷静さを取り戻した火焔が、目の前にいるトウマに声をかけた。
アースが立ち去るまでの間に、異能機関のメンバーは、ほぼ全滅していた。
ミナたちの奮闘によるところもあったが、異能開発局側の応援が駆けつけたから、という理由も大きかった。
「さあ? でも、やるしかないんじゃない?」
「気楽な奴だ。その度胸、嫌いではないぞ……アースに加担する者でなければだがな」
火焔は一歩後ろへ下がると、勢いをつけてトウマへと斬りかかった。
「はぁ…………まっ、やれるとこまでやってみますかね」
そしてトウマは戦いを始めた。
「はぁ……はぁ……くぅ……」
フルールの町にて、トウマは火焔を前にして膝をついた。
「さすが龍王と呼ばれるだけのことはあるね……まさか、ここまで粘るとは……」
アースが逃亡してから、3時間が経過した。
その間、トウマはたった1人で火焔たちと戦った。
異能機関のメンバーは、敵に倒されるか捕縛されるか、あるいは逃げるかをしており、味方となる人間はもうどこにもいなかった。
だが、それでもトウマは戦い抜いた。
火焔を、地球人を、アース人を敵に回して、一切引くことなく戦い抜いた。
その結果――トウマは襲い来る火焔以外の敵をすべて返り討ちにした。
「な、なんなんだ……あいつは……バケモンか……コラ……」
異能開発局側の援軍の1人であったバンは、満身創痍となりながらも、トウマを見ながらそう呟いた。
「ぐ……俺の電磁砲が全部かわされるなんて……」
「まさか……僕の異能が効かない相手がいるとはね……」
「こっちはレイド単位やっちゅうのに……なんでたった1人に負けてんのや……」
「ありえないでしょぉ……」
この場には、ウルズの遠征組や、【ミーミル連合】の主力メンバーなども集まっていた。
総勢3ケタにもおよぶ地球人の勢力が、トウマを倒すために戦った。
しかし、そうしてもなお、トウマを倒すには至らなかった。
「私たちが総力を挙げても倒せないなんて……」
「ああ……ごめんよミーナちゃん……俺もわりと必死なんだ」
トウマが倒した地球人の中には、ミナもいた。
彼女を攻撃することにためらいを覚えていたものの、トウマは自分が生き残ることを優先した。
が、そうまでして戦ったトウマの体力も限界にきていた。
「……余を相手にしてここまで粘った地球人は、そなたで3人目だ。誇ってよいぞ」
膝をつくトウマを見ながら、火焔は称賛の言葉を送った。
地球人が屈する中、火焔だけは持ち前の並外れた体力と再生能力でトウマと対等に渡り合っていた。
「でも龍王さん……多分、手を抜いてたよね? 『龍化』はどうしたのさ?」
「…………」
呼吸を整えながら、トウマは火焔に問いを投げた。
火焔は、これまで人の姿のまま戦っていた。
トウマの言う通り、『龍化』を用いた姿こそが、火焔にとっての本気である。
けれど、その姿になって戦うということは、この町を火の海に変えることと同じ意味を持つ。
ゆえに、火焔は『龍化』をためらった。
「それはお互い様だろ。てめえ、俺ら相手に手ぇ抜いてやがったな?」
腹部に受けた怪我を回復させたケンゴが、トウマに声をかけた。
「ちっと気ぃ失ってたみてえだから、途中からしか見てなかったんだけどよ……てめえ、俺を含めて誰も殺しちゃいないみてえだな?」
「あ、バレた?」
「そりゃバレるっつの。あっち見ろよ、後方に控えてたヒーラーが味方を回復するために駆けずり回ってんだろ」
ケンゴの見る先には、トウマとの戦いには参加せず回復に専念していた僧侶職の異能開発局員がいた。
「もし、てめえが本気で俺らを殺すつもりできたんなら、まず最初にヒーラーを潰すはずだろ。なのに、それをしなかった。これじゃあ戦いが長引くのも当然だろ」
「ごもっとも」
「はぁ……そんで? こんなことをするてめえの目的はなんだ?」
トウマは、敵を戦闘不能にまで追い詰めるだけで、結局誰も殺すことはなかった。
そのことに、ケンゴは疑問を抱いた。
「俺の役目は、あくまでお前たちの足止めをすることだけだ。殺す必要なんてないじゃん?」
「でもよ、そうやって手心を加えたせいで、もうバテバテになってんじゃねえか。てめえはアレか? いついかなるときも不殺を貫くことを誓った聖人君子様かなにかなのか?」
「いやいや、んなこたーない。必要とあらば、俺だって殺生はするよ……だけど、そんなことをするのは、できることなら1人だけにとどめたい」
「?」
トウマの返答に、ケンゴはますます首を傾げる。
そうしているうちに、トウマの背後に1人の男――カミカゼが、どこからともなく現れた。
「……おや、絶体絶命の場面といった感じだね。僕がここに来たのはベストタイミングだったかな?」
「んー、ベストというよりはベター寄りかな。というか、遅いよカミカゼ。なにしてたん?」
「まあ……《ビルドエラー》と、ちょっといろいろあってね」
「そっかー、じゃあしょうがないね」
トウマは、背後に立つカミカゼに向けて微笑んだ。
これを見て、ケンゴは苦い表情を浮かべた。
「……さっきからシンがいねえなあって思ってたんだけどよ、やっぱてめえの仕業だったか」
「そうだけど、彼はまだ生きてるから、安心するといい」
カミカゼはケンゴの問いに素直に答えた。
「いや、別にあいつはそう簡単にくたばるタマじゃねえから、そんな心配なんてしちゃいねえんだけどよ…………どこにやったんだ?」
「心配していないと言いつつ、やっぱり心配しているんじゃないか」
「うっせえな。さっさと答えろよ」
「そこまでは教えない。生きているかどうかというのを教えたのは、ただのサービスだ」
「へー、そっか。つまりてめえは、シンを生きたまま俺らに教えたくない場所へ連れてったってわけか」
「…………」
ケンゴは、なにか含みがあるような素振りで頷く。
すると、カミカゼはケンゴから視線を外し、トウマのほうを向いた。
「トウマ、帰るよ。今日の僕の仕事は、君を回収するので終わりだ」
「了解了解っと」
トウマは、いつも通りアビリティジャマーを腕に巻きつけ、カミカゼのアイテムボックスに入っていった。
「それじゃあ諸君、またどこかで会おう。バイバイ」
「あ、こら待て――」
そしてカミカゼは、ケンゴたちに襲われる前に帰るべく、『空間転移』でそそくさとその場から姿を消したのだった。
「……なに考えてんのかねえ、あいつらは」
あとに残ったケンゴは、カミカゼのいた場所を見つめながら、『ふぅ』っとため息をこぼす。
「にしても、シンの奴はいったいどこにいっちまったんだか……」
さらにケンゴは空を見上げ、自分の友に思いを馳せた。