グレイルとクレール
龍王、魔王、獣王が争いを続け、後に『三王戦役』と名付けられた戦乱の時代の最中。
ミーミル大陸にある荒野で、獣族の親子が魔物に襲われていた。
「キャアアアアアアアアアアッ!」
目の前に立ちふさがる魔物を目にして、幼い少女の悲鳴が上がる。
そんな少女に、母親の女性は魔物から守るようにして覆いかぶさった。
(くっ……私ではこの子を守りきれない……!)
母親は我が子を守りながらも、自分たちの命運はここで尽きるのだと予感していた。
少女と母親の2人は、街へ出稼ぎに行っていた父親に会うために、物資や人を運搬することを生業とするキャラバンに同行していた
キャラバンにはBランク冒険者のパーティーの護衛も付いており、道中の安全は十分に確保できていた。
しかし、このキャラバンを、マンティコアが襲撃した。
遭遇する確率は低いものの、Aランク冒険者のパーティーでも討伐するのは困難とされる、討伐ランクSの魔物であった。
マンティコアが相手ではBランク冒険者も歯が立たず、ものの数分で、キャラバンの生き残りは獣族の親子だけになってしまった。
最後まで生き残れたのは、ただ単純に、戦うことも逃げることもしなかったためである。
親子に戦う力はなく、四足で荒野を素早く駆け回るマンティコアを振り切るだけの逃げ足も持ち合わせていなかったがゆえに、馬車に積まれた大量の物資に紛れて怯えることしかできなかった。
とはいえ、獲物がこの親子だけになったのであれば、マンティコアも見逃すはずはなかった。
泣き叫ぶ少女と小刻みに肩を震わせる母親に、虎のような顔をした魔物の牙が向けられる。
「フッハッハッハッハッ! なにか困り事の気配がするな!」
――が、親子のピンチは一切の予兆もなしに解決した。
とある1人の……死霊族の乱入によって。
「え……し、死霊族……?」
自分たちの前に立った死霊族を見て、少女を庇う母親の目が見開く。
死霊族の大半は意思を持たないものの、上位の存在であれば自我を持つ場合も極々稀にあったため――たった1人の例外が死霊族という種族名を立ち上げて暴れ回ったのが原因だが――種族認定されている。
が、生態系についてはほとんど不明という、アースでは最も謎の多い種族であった。
そうした死霊族が今、自分たちを庇うようにしてマンティコアと対峙している。
獣族の母親にしてみれば、これはありえない事態だった。
「年端もいかぬ少女を泣かせるとは許せん! そいりゃあああああああああああああ!!!!!」
「!?」
そして、次に起こった現象も、獣族の母親にとってはありえないことだった。
Aランク冒険者のパーティーですら手こずるマンティコアを……死霊族のスケルトンは手刀で真っ二つにしたのだ。
左右に分かれていくマンティコアから血しぶきが上がり、それも徐々に収まっていく。
その死に様は現実味を帯びておらず、獣族の母親はポカンとした表情で自分の頬をつねった。
「夢……じゃない……」
助かった。
それを理解し、獣族の親子の目に涙が浮かびだした。
「大丈夫だったか? か弱い者たちよ」
「!!」
が、死霊族のスケルトンが声をかけてきた瞬間、再び死の恐怖に囚われることとなった。
「あ……あ……あの……」
「そう怯えずともよい。我は貴様たちを取って食うつもりなどないぞ?」
「は、はあ……そ、そう……ですか……?」
獣族の母親は恐る恐るといった様子で相槌を打つ。
結果的には助けてもらったと言えるものの、死霊族に対する偏見をゼロにはできなかった。
「我が名はグレイル・カバリア! 弱きを助け強きを挫く、この世で最も強い男である!」
「グレイル……さん……ですか……?」
「うむ!」
死霊族から自己紹介をされてしまった。
獣族の親子はその事実に戸惑いつつも、一応の礼儀として自分たちも挨拶を行った。
「そういえば……貴様たちは見たところ、この先にある街に行こうとしていたのだろう?」
すると、死霊族であるグレイルは、唐突にそんなことを訪ねだした。
「へ? あ、はい……確かにそうですが……」
「ならば! 我がその町まで貴様たちの護衛をしてやろう! 完全無償、善意の施しである! 感謝するがいい!」
「え、ええ……」
なぜそのようなことを。
まったくもって意味がわからず、獣族の母親は顔を引きつらせた。
けれど、ここから街までそれなりに距離があり、そこへたどり着くまでにはどうしても護衛がいるということも理解できた。
死霊族がどうして自分たちを助けてくれるのかわからないと思いつつも、助けてくれるというのであれば、それに乗らない手はなかった。
「そ、それでは……よろしくお願いします……」
「うむ! 任された! では、我について来るがいい! フッハッハッハッハッ!」
獣族の答えを聞いたグレイルは機嫌良く振り返り、街のほうへと歩いていった。
「…………?」
そこで獣族の母親は、グレイルが小さな子どもを背負っていることに気づいた。
綺麗な金髪に赤い瞳を持つ少女で、獣族の母親と目が合うと、驚いたように顔を俯かせた。
なぜ死霊族が子どもを連れているのか。
そうした疑問が新たに浮上したものの、もはやなにも訊くまいとして、獣族の母親は自分の子どもの安全を最優先で考えることにした。
「お父さま」
「ん? どうした、クレールよ」
獣族の親子を街まで送り届けたグレイルは、そこで自分が背負っている少女――クレールに話しかけられた。
「あれが『母』というものなのでしょうか」
「うむ? ……ああ、さきほどの獣族についてであるな」
グレイルはクレールがなにを言いたいのかを察し、迷ったように空を見上げた。
(お父さま、どうして私にはお母さまがいないのですか?)
(貴様の母は……良からぬことを企てていたのでな、我がこの手で殺してやったわ!)
以前、母のことを訊かれた際には、そう答えるしかなかった。
それ以来、この話題については親子の間でも禁句に近いものとなっていた。
「クレールよ。貴様は、母がいなくて寂しいと感じるか?」
「私にはお父さまがいます。だから、寂しくありません」
「そうか」
父がいるから寂しくない。
それを聞いたグレイルの心情は複雑なものだった。
「だが、我の命もそう長くはない。今のままでは、いずれ近いうちに我もいなくなるだろう」
「…………」
グレイルは、自らの死期が近いことを悟っていた。
魔女の呪いを濃く受け、負の生命力を吸収することもできなくなった我が身は、持っても精々あと半年の命だろうと推察していた。
「フッハッハッハッ! そう落ち込むでない! 不死の存在であると恐れられる不死族が死んでしまうというのは、我としても情けなく思うが、だからといって貴様が1人になるというわけではないのだからな!」
俯くクレールに、グレイルは豪快な笑い声を上げながら、骨の手で1つの方向を指した。
「我らが向かう先には、不死族に勝るとも劣らぬ不老不死の『精霊族』がいる! 馬鹿ではあるが、善良で明るい種族だ! あやつらとともに過ごせば、寂しい思いなどせんだろうよ!」
グレイルは、自らが亡き後、クレールのことを精霊族に任せるつもりでいた。
それがクレールのためになると信じていたからである。
「でも……お父さまはいなくなってしまうのですよね……? だったら……やっぱり寂しいです……」
「…………」
しかし、クレールを1人残していくのは心配だった。
本来、死霊族は『心』も『家族』も持たない。
『死』に直面した亡骸に宿る魂が変貌し、生者とは異なる法則によって活動を続けるようになった存在こそが死霊族である。
グレイルはそんな死霊族のなかでも例外的に『心』を手に入れ、クレールという血のつながった『家族』まで得た。
それによって『寂しさ』や『悲しさ』、『心配』や『不安』といった負の感情をも持つようになったが、グレイルはそれを悪いとは思わなかった。
「寂しいならば笑うがいい! 我も、悲しいときがあったときはいつでもそうしてきたぞ!」
「……悲しいときじゃなくても、お父さまはいつでも笑ってますよね」
「フッハッハッハッハッ! 確かにそうであったな!」
クレールがツッコミを入れてきたのを受け、グレイルは再び笑い声を上げた。
そうして、死霊族の親子は精霊族が住処にしている森のある方角へと進むのを再開した。