冷や汗
俺が謹慎を受けてから、2週間が経過した。
「ブラッドトレントって、俺たちが出す音に反応して攻撃してたんだな! 兄ちゃんの言ってた通りだった!」
その間、俺は水野と雷太に自分の知識を分け与え、それをアースで確認させていた。
成果はなかなか悪くないようで、小学生組の戦闘も、安全性がかなり上がったとのことだ。
「トレント系のモンスターに付いてる目は飾りみたいなものだからな。特にブラッドトレントはそれが顕著だ。まあ、上位のやつになると、十分な視覚を持っていたりすることもあるから注意しないとなんだが」
「それでも、この情報はとても役に立ちますよ! トレントは森に入るとよく見かけますし、逃げるときにこの情報を持っているかどうかで、大きく変わると思います!」
モンスターの詳しい生態については、学校でもあまり丁寧には教えてくれない分野だ。
重要な知識ではあるんだが、それ以上に知らないといけないことが沢山あるからな。
優先順位をつけた場合、どうしても後回しになってしまう、というのが現状だろう。
「こういったことは、学校の教員より冒険者ギルドの連中のほうがよく知っている。本にして纏めたものを置いているところもあるから、機会があればギルドの職員に訊いてみるといい」
「そうしてみます!」
水野と雷太は素直な性格をしているからか、教えたことはなんでもすぐ吸収してくれる。
それは知識だけにとどまらず、体術についても同じことが言えた。
アースでの体ほど動くわけではないけど、地球にいる俺も、それなりに強い。
体力的な面では人並みか、ちょっと上っていう程度だが、技術面では世界の強豪と渡り合えるらしい。
格闘技界において名の知れた調査員から、そういうお墨付きをいただいたことがある。
ただ、俺の場合は感覚に頼る部分が大きく、なおかつ実戦向きだ。
そのため、水野と雷太には組手などを通じて教えた。
この区域に生えている芝生は柔らかいから、そういった戦闘訓練を行うにはちょうどよかった。
組手については、剣士職の水野より、武道家職の雷太のほうが実りがあったみたいだった。
木刀か竹刀でも借りられたらよかったんだが、ツテがなかったので無理だった。
惜しいな。
それでも、対人戦におけるスキルの使い方と合わせて教え込んだので、新人扱いされないだけの実力はつけさせられた。
まあ、それはあくまで『小学生としてはよくやる』という程度のものなので、上位陣と比べるとまだまだだが。
「とりあえず、俺からお前たちに教えられるのは、ここまでだ。あとは自分たちで試行錯誤していけ」
教えられることは、まだまだたくさんある。
しかし、俺も明日になれば謹慎が解けるから、教える時間が取れない。
「……お時間があるときで構いませんので、これからも私たちにご指導願えませんでしょうか、一之瀬さん」
と、そこで水野が懇願するような瞳を向けてきた。
「……無理だ。俺は俺で忙しいからな」
「そうですか……」
俺が拒否すると、水野は残念そうに顔を俯かせた。
ちょっとくらいならいいんじゃないか、という気持ちもある。
だが、ここで拒絶しておかないと、後々になって問題が起きかねない。
この2週間における指導は、地球でだからこそできたんだ。
「大丈夫。水野も雷太も、強くなるための下地はある。俺の指導がなくったって、適切な狩場でレべリングをしていけば、もっと強くなれるさ」
「……本当にそうでしょうか?」
「ああ、嘘じゃない」
「でも……」
「…………」
どうも、水野はもっと俺に指導してもらいたいように見える。
こういうとき、どうすればいいか困ってしまうな。
「水野、あんま兄ちゃんを困らせんなよ。兄ちゃんには兄ちゃんでやることがあるんだろ?」
雷太が助け舟を寄越してくれた。
ちょっと意外だな。
どっちかというと、雷太のほうがゴネそうだとか思っていたのに。
「……うん、わかったよ、雷君。ごめんなさい一之瀬さん、ワガママ言っちゃって」
「いや、いいさ……まあ、また機会があれば、ここで体術指南くらいならしてやる」
「本当ですか!」
「約束だかんな、兄ちゃん!」
その約束が果たされるのは、俺が地下迷宮を攻略してからになるだろう。
変な死亡フラグは立てたくなかったんだが、要は俺が無事に戻ってくればいいだけだ。
この程度の約束くらい、してもいいさ。
俺も、後輩の指導をするのはわりと好きな性質だしな。
フィルやキョウヤ、それにキィスたちといった奴らが強くなっていくのを見るのは、楽しいと思えたことだ。
「さて……それじゃあ、最後の指導を始めるか。2人とも、準備はいいな?」
「はい!」
「オッス!」
そうして俺たちは、日が暮れるまで戦闘訓練を行った。
「……来たか、一之瀬君」
翌日。
早朝からアースにログインした俺は、その足で始まりの町にある大使館へと赴き、早川先生と会った。
「謹慎中は自室で待機するのが普通なのだが、君はその間、初等部の子たちと仲良くしていたそうじゃないか」
「……見てたんですか?」
「私が直接見たわけじゃないが、他の職員からそういう報告を受けている」
……まあ、水野たちとは学園の敷地内で会ってたわけだからな。
誰かしらが俺たちを見ていても、おかしくはないか。
「別に、私は怒っているわけではない。むしろ、後輩の面倒を見ていた様子だったということで、私のなかでは高評価だ」
「そうですか」
「今の君は、そういうことに無頓着だと思っていたから、なおさらそう思うよ」
無頓着、か。
ただ単に、他にやることがあるから、そういうことをやらなくなったってだけなんだがな。
「どうだ? もし君が望むなら、特別講師として、アースにやってくる初等部の生徒を育成する任を与えても――」
「それは結構です。俺はそんなことをしていられるほど、暇ではないので」
特別講師とか、勘弁してくれ。
この教師は、俺がなぜクレールとだけ行動をともにしているのか、理解していないのか。
理解してもらう必要などないが。
「では、これから君は、いったいなにをするつもりなんだ?」
「地下迷宮を攻略しにいきます」
「……また1人で潜る気か?」
「当然です」
他の連中と一緒に潜ることは許されない。
それに、迷宮の最深部近くまで行くと、クレールですら体調不良を引き起こす。
例の、地下迷宮にかけられたアース人避けの呪いのせいだ。
だから、俺は1人で地下迷宮の最深部まで行くつもりだ。
あと10階層くらい、どうということはない。
「いい加減、考え直さないか? いくら君でも、1人で地下迷宮を攻略するのは不可能だ」
「やりもしないで不可能と決めつける人の言うことなんて、聞きたくありませんね」
「……また謹慎処分を受けたいのか?」
「俺はもう、地下迷宮を攻略するまでログアウトしません。謹慎にするなら、その後ってことになりますね」
こうなることはわかっていた。
だから俺は、LSS(生命維持装置)を使わせてもらった。
もう、地下迷宮を攻略するまで、俺をとめられる奴はいない。
「……どうしても、自分の意思を曲げないか」
「曲げません。それが、俺にできる唯一のことですから」
「…………はぁ、わかった。好きにするといい」
早川先生は根負けしたらしく、わざとらしくため息をついた。
「だが私は、君1人だけで地下迷宮を攻略できるとは思っていない。それだけは覚えておくように」
それを覚えていて、どうしろっていうんだ。
俺を怖気させようとでもいうのか。
だとしたら、大した効果なんてないぞ。
「……とりあえず、覚えておきます。では、俺はこれで失礼します」
そうして俺は、早川先生のもとを去っていった。
俺のやるべきことは、2つある。
1つ目は、異能機関の壊滅。
こっちについては、また新しい情報が入らないことには動きようもない。
だから、一時保留だ。
2つ目は、地下迷宮『ユグドラシル』の攻略。
現在、地下90階層まで攻略が完了しているし、レベルや装備も十分整っている。
最下層であるという地下100階層に到達するのも、そう遠くない話だろう。
俺の場合、地下100階層にいるであろうレイドボスを1人で倒さなくちゃいけないが、地下90階層のレイドボスと戦ってみた感覚としては、まず勝てる。
早川先生から脅しを受けても、その考えは変わらない。
頭のなかで、自分のなすべきことを整理しながら、俺は町のなかを歩いていた。
――そんなとき。
「し、シンさん」
「…………っ!」
地下迷宮へ向かって歩く途中、1人の少女が俺を呼びとめた。
「……フィル、なんでお前がここにいる」
その少女――フィルを見た瞬間、俺の体中から冷や汗が噴き出てきた。
彼女とは、俺にとっては久しぶりの再会だ。
にもかかわらず、俺の心中には喜びではなく恐怖が渦巻いた。
「…………」
「あ……」
俺はフィルの腕を強引に掴むと、今来た道を引き返し初めた。
「……ここへは来るな、って前に言ったよな」
「そ、それは……わかってる……けど――」
「けどもなにもない!」
そして、町の広場にある『ウルズの泉』に立ち、フィルから手を放した。
「ログアウトしろ。今すぐに」
「で、でも……今日はシンさんに話があって――」
「話なら地球で聞く。だから……頼むから、ここへは来ないでくれ……」
俺はフィルに懇願した。
そうしなければ、自分を保てなかった。
さっきはつい怒鳴ってしまったが、なにも俺はフィルが憎いわけではない。
こんな言い方しかできなくて申し訳なく思うが、これも彼女のためだ。
「…………『ログアウト』」
フィルは俺を見て迷ったような表情を浮かべるも、メニュー画面を操作し、地球へと帰還した。
……いい子だ。
これで安心して地下迷宮の攻略ができる。
どうしてアースにやってきたのかは気になるが、それは今度、時間があるときにでも訊こう。
そのときは、彼女と会うことも素直に喜べるようになっているようにしたいな。
俺はそう思いつつ、その場で大きく息をついた。
「あー……なんか、変なとこ見ちゃった……か?」
「ええっと……おはようございます、シンさん」
「…………」
そんな姿を、2人の小学生に目撃されていた。
アクアとライだ。
「う……」
俺は、またも嫌な汗を拭きだし始めた。
本日、ビルドエラーの盾僧侶の3巻が発売されました。
今回はフィルがメインで、描き下ろしも満載です!
ご興味のあります方は是非どうぞ。