クッキー
地球に帰還してから1日が経過した。
「……はぁ」
俺は今、昨日来たコンビニ近くにある広場のベンチに座っている。
そして、ただボーっと空を眺め、暇を持て余していた。
まあ、今日はこの時間まで、地球に残っているクラスメイトたち専用の授業を受けたり(各々に合わせた授業内容で、相変わらず地味に凄い)、早くアースへ行けるよう教員たちを説得したりと、いろいろしてたんだけどな。
説得に関しては、全然聞き入れてもらえなかったが。
この学校の職員は頑固すぎる。
そんな不満を持った俺がここへ来たのは、単純に暇つぶしのためだけ、というわけではない。
昨日、峰岸にこの場所でまた会うと約束したから、俺は来たんだ。
しかし、今日も寒いな。
こんなところに、いつまでもいるもんじゃない。
とはいえ、まだ峰岸が来ていない以上、俺がこの場を離れるわけにもいくまい。
メールアドレスくらい交換しておけばよかったか。
…………。
「……なに考えてんだか」
不必要にあの峰岸って子と仲が良くなるようなことをして、どうしようっていうんだ。
アドレスの交換なんて、もってのほかだ。
一応、地球にある学校の敷地内で多少話す程度なら、問題ない。
ここはアースではないのだから、安全なはずだ。
誰に見られようと、彼女の害にはならない。
だが、無駄に懐かれるようなことをするのは、避けたほうが無難だ。
俺は今まで、クレール以外と接触するのを避けてきた。
峰岸に対しても、そうするべきだろう。
でなければ……彼女の身が危なくなるかもしれない。
「ぅ……」
そう思った瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
……これについては、考えないようにしよう。
今までそうしてきたように、これからもそうするんだ。
じゃないと、俺が俺を保てなくなる。
こういうときは深呼吸だ。
吸って、吐いて、吸って――。
――聞きなれた足音が聞こえてきた。
「あれ、一之瀬くんが2日続けてここにいるなんて、珍しいね」
「…………」
俺が心を落ち着かせようとしている途中、1人の女生徒が声をかけてきた。
「1日ぶり、一之瀬くん。元気にしてた?」
その女生徒は明るい笑顔を浮かべていた。
「――それで、そのとき俺は思ったんだ。『ああ、こいつは俺のことを知らないんだな』ってさ。アースにいて俺のことを知らない奴はモグリか新人くらいだからな」
「そうなんだ。一之瀬くんって、アースでは有名人だもんね。それで、そのあとはどうなったの?」
「もちろん、その男がテイムしてたレイドボスは、俺がちゃんと倒した」
「1人で?」
「そうさ。レイドボスが相手だといっても、俺の敵じゃない」
俺は突然現れた女生徒とベンチに座り、アースで起こった出来事をかいつまんで話していた。
彼女が俺に、アースについて話してほしいと言ってきたためだ。
「そっかぁ。一之瀬くんって、やっぱりすごく強いんだね」
「なんだ? いつもそう言ってたのに、信じてなかったのか?」
「ううん、そんなことないよ。ミナたちも『一之瀬くんは強い』ってよく言ってたし」
「…………」
ミナたち、か。
普段、彼女たちからは俺のことをどのように聞かされているのだろうか。
少し、気になる。
「……ミナたちは……なんて言ってるんだ?」
「なんて言ってるって、なにが?」
「その……俺について……」
「んー、一之瀬くんがどんなふうに強いのかっていうのは話してくれたけど、それ以外はあんまり話してくれないんだよね」
「……そうか」
どうやら、ミナたちには気を使わせてしまっているようだ。
だが、これは俺にとってありがたい。
変に気負わずに済むんだからな。
「もしかして、一之瀬くんってミナたちと仲が悪いの? だったら駄目だよ? クラスメイトとは仲良くしないと」
「だよな。でも、なんとなくウマが合わないんだ。これについては、生暖かく見守っていてくれ」
「もう、しょうがないなぁ……」
勘違いしてくれるのであれば、俺もそれに乗っかろう。
実際のところ、ミナたちとは疎遠になっているわけだから、仲が悪いように見えるだろう。
なにも問題はない。
と、そう思っていたら突然『ピピピピッ』という電子音が鳴り響き始めた。
「……もうこんな時間なんだ。定期診察を受けないとだから、そろそろ行くね」
「わかった」
今のは診察時間を知らせるアラームの音だったのか。
周りを見ると、日が落ち始めている影響で、薄暗くなりつつあった。
話をするのに夢中で、それなりに時間が経過していたことに気がつかなかったな。
「またお話ししようね、一之瀬くん」
「ああ、またな」
そうして、その女生徒は俺の前から去っていった。
「……はぁ」
1人になった途端、俺は深いため息を吐いていた。
彼女と談笑することは、俺にとっては楽しいひとときだ。
しかし、同時に精神的負担が多少あることも、否定はできなかった。
どうして、こんな負担を背負っているのだろうか。
こう思うたびに、自分の至らなさにうんざりしてしまう。
「……くそっ」
ベンチに座ったまま、背もたれに大きく寄りかかって空を見上げた。
ホント、なにやってんだろうな、俺。
「…………」
誰かの足音が聞こえてきた。
その音は2つあり、こちらへと近づいてくる。
「……今日は兄貴連れか」
俺は、バスケットを手に持った峰岸水野と、その隣にいる峰岸雷太に目を向けた。
「え、えっと……今はお邪魔でしたでしょうか?」
「いや……邪魔なんかじゃないさ。こんにちは、峰岸……いや、今はこんばんは、か?」
峰岸のほうを向き、俺は挨拶をした。
「こ、こんばんは! 昨日より来るタイミングが遅くなってしまい、すみません!」
すると、峰岸は俺に頭を下げてきた。
さっきまで誰かに見られているという感覚があったけど、この2人だったか。
わざわざ俺が1人になるのを待たなくてもよかったっていうのに。
「それでそれで! さっきまで一緒にいた女の人って、もしかして兄ちゃんの彼女だったりすんのか!?」
……雷太が開口一番に、そんなことを俺に訊ねてきた。
「…………」
「ちょ、ちょっと雷君! いきなりなに言い出してるの!」
「え……あ……ご、ごめん……だからそんな睨まないでくれよ……」
……なに小学生を怖がらせてんだよ、俺。
睨んだつもりはなかったんだが、自然にそういう顔になっていたみたいだ。
「……俺とあいつは……そういう関係じゃない」
「あ、そ、そうなんだ。さっきまで仲良さそうに話してたから、てっきり――」
「雷君はちょっと黙ってて」
「あがががが……」
峰岸が雷太の頬をつねりだした。
「俺は別に怒ってないから、雷太を放してやれ、峰岸」
「あ……は、はい。シンさんがそうおっしゃるのでしたら……」
妹だっていうのに、兄に対して容赦ないな。
いや、むしろ妹だからこそ、か?
もしくは、双子だって話だから、どっちが年長かはあんまり気にしないんだろうか。
どっちにしろ、一人っ子の俺にはわからない感覚だ。
「いててて……ていうか、兄ちゃんは水野のこと、地球では”峰岸”って呼ぶんだな」
つねられて赤くなった頬をさすりながら、雷太が訊ねてきた。
「ああ、そうだな」
なんとなく、そういう呼び方が定着していた。
深い意味はないんだが、気になることでもあったのか?
「俺のことは”雷太”って呼んでんだから、こいつのことも”水野”って呼んでくれよ。”峰岸”だと、俺も反応しちゃうからさ」
「なるほど……わかった」
確かに、雷太の言う通りだ。
そういえば、高校に入学した直後の頃、とある姉弟も似たような理由で名前呼びが定着したんだよな。
もはや懐かしいとさえ感じる出来事だ。
「それじゃあ、水野って呼んでもいいか?」
「は、はははい! 是非! そう読んでください!」
「そ、そうか」
是非と言われるとは。
水野も少し気にしてたんだな。
「あと、地球では俺のことを”シン”ではなく”一之瀬”か”真”って呼んでくれ」
「はい! わかりました、一之瀬さん!」
「そこは名字じゃなくて名前のほうを呼ぶとこじゃねえの?」
「だから、雷君はもう黙ってて!」
「いででででで!?」
この兄妹は仲がいいな。
見ていて微笑ましく思う。
さっきまで感じていた憂鬱が嘘のようだ。
「……それで、そのバスケットはなんなんだ?」
気になることといえば、名前について以外にもあった。
それは、水野が手荷物を持っていることについてだ。
「あ……こ、これは……く、クッキーを焼いてきましたので、ご一緒にどうかな、と思いまして! 紅茶も水筒に入れて持ってきました!」
クッキーか。
しかも手作りとは。
紅茶まで用意していると言うし、至れり尽くせりだな。
「水野の作る菓子は美味いぞ! 兄ちゃんも食ってみろよ!」
「そうなのか。それじゃあ……貰おう」
断るのも悪い。
せっかく作ってくれたんだ。
ありがたくいただこう。
「あ、でも食ってる間、アースについて俺らにいろいろ教えてくれねえか? 主に、美味い狩場についてとか、魔物の生態についてを教えてくれっと助かるんだけど」
「交換条件か。まあ、それくらいならしてもいいぞ」
後続に知識を分け与えるというのも、先人の務めだ。
俺自身についてを聞かれたら、首を横に振るところだった。
だが、それ以外のことについてなら、なんでも話してやろう。
そう思った俺は、クッキーをかじりつつ、水野と雷太にアースの細々とした知識を教えていった。