海
攻略会議を終えた俺たちは宿に戻ってきた。
すると、宿のロビーで待っていたクレールと再会したので、会議で決まったことをかいつまんで説明した。
「夏休み、とはどのような休みなのだ?」
彼女は地下迷宮の攻略よりも、『夏休み』という単語に食いついてきた。
アースには、そういう名前の休みがないのか。
夏という概念自体はあるから、意味は通じると思ってたんだけど。
「俺たち学生は、夏になると長い休みが貰える。その長期休暇のことを夏休みと呼んでいるんだ」
「学生にとっては、一夏の思い出を作る一大イベントだね!」
「ほほう、そういうものか」
俺とサクヤの説明を受け、クレールは頷き声をあげた。
「であれば、シン殿たちも『きまつてすと』なる試験が終了し次第、長期休暇が与えられるというわけだな?」
「テストで赤点とか取って、補習授業を受けさせられるようなことにならなければな」
赤点は怖いが、今回の俺は中間テストの時よりも慌てていない。
中間テストの時は中学レベルの勉強もする必要があったけど、それをしたおかげで、俺自身の学力は多少マシになっている。
また、キィスたちと一緒に行動していた時に、『冒険者の育成だけでなく、自身の研鑽も怠らぬように』と早川先生から渡された(押しつけられたと言ってもいい)学習ドリルを(少し恥ずかしかったので、キィスたちに見られないようにしながら)こなした成果によるものかもしれないな。
理由はどうあれ、とにかく俺は、期末テストで出される範囲の内容に対する理解力が上がった。
とはいえ、チンプンカンプンといったレベルから、あやふやながらも答えを導き出せそうだというレベルに上昇したって程度のものだ。
けれど、それでも俺にとっては飛躍的な上昇と言える。
これなら、サクヤに勉強を教えてもらわなくても済むだろう。
「大丈夫だよ! シンくん! 私がいる限り、シンくんには絶対赤点なんて取らせないから!」
が、どうやらサクヤは俺に勉強を教える気満々であるようだ。
まあ……本人が教えたがっているなら、好きにさせよう。
何気にサクヤってかなり頭が良いし、教えるのも上手い。
教えてもらえるのなら大歓迎だ。
「シンくんとの一夏を補習で潰さちゃヤダからね!」
「やけに張り切ってると思ったら……それが理由か」
さっきからサクヤは『一夏』という単語を強調しているような気がする。
どんな一夏を俺と過ごすつもりだ。
「……しかし、長期休暇を取るということは、ここへもしばらく来ないということになるのか?」
ハイテンションなサクヤとは対極的に、クレールはションボリとした表情をしながら俺を見てきた。
俺たちが夏休み期間中、アースに来ないかもしれないと思っているのだろう。
「いや、それは多分ない」
なので俺はクレールの懸念を取り除くべく、軽い調子でそう言って、手をヒラヒラとさせた。
「クレールに寂しい思いをさせるつもりはないからな」
「シン殿……」
迷宮攻略やギルドの活動にかまけていたせいで、クレールには寂しい思いをさせてしまった。
だから俺は、彼女をこれ以上悲しませないよう、一緒にいられる時間もなるべく作るつもりでいる。
夏休みだろうがなんだろうが、アースに来ることをやめたりしない。
クレールが地球に来られれば最良なんだが。
それは無い物ねだりだ。
正直なところを言ってしまえば、長い休みが貰えるなら、最近やる時間があんまりとれていなかったネトゲとかもしたいところではある。
だけどそれは、クレールのために諦めよう。
ゲームよりも女を優先するとか、廃ゲーマー失格だな。
「クレールさんだけ除け者にしたりなんてしないよ! 夏休みはアースで満喫しよう!」
どうやら、サクヤも俺と同意見のようで、夏休み中もアースに来るようだ。
地球の季節とアースの季節がリンクしているわけじゃないから、夏特有の風情は味わえないと思う。
けど、いつも通りみんなでワイワイできるのであれば、夏っぽさなんて必要ないさ。
「アースで夏休みを満喫するというのは、具体的にはどのようなことをするのだ?」
「うーん、例えば、みんなで海に行ったりとかかな?」
クレールの問いにサクヤが答えた。
海といえば、いかにも夏に行くスポットってカンジだな。
何気にアースの海は、見たことはあっても行ったことはない。
だから、この機会に旅行気分で行ってみるのもいいだろう。
「海……か……そこは『海王』の領域だから、あまり行きたくはないな」
「え?」
と思っていたら、クレールは海に行くのに難色を示した。
「貴様たちも知っているであろう。海は魚人族の住処ということを」
「それは……まあ、知ってるけど」
アースの海は、魚人族が支配している。
その魚人族を取りまとめる地位にある『海王』は、実質的に、アースで最も広い領地を保有している存在だ。
海という領域において、海王が率いる魚人族は多種族と比較にならないほど強い。
ゆえに、海へ行くのは危険だ、とクレールは言いたいのだろう。
「でも、海辺なら問題はないんだろ? 確か、魚人族も、多種族による浅瀬での漁業は認めてるって聞いたことがあるんだが」
魚人族は海で無類の強さを発揮する。
だが逆に、陸に上がると極端に弱くなる種族でもある。
なので、不用意に陸に上がってしまいかねない浅瀬には、滅多なことではやってこないらしい。
「しかし、たとえ浅瀬でも、そこは既に魚人族の陣地だ。下手を打てば深海まで引きずりこまれるやもしれん」
それは……ありえなくもないな。
とはいえ、そんなことを考えなければいけないほど、魚人族はおっかないものなんだろうか。
「もしや、シン殿たちは魚人族を甘く見ているのか?」
「甘く見ているのか、と言われてもな……」
「私たちって魚人族と会ったことないし……」
サクヤの言う通り、俺たちは魚人族を見たことがない。
だから、甘く見ているもなにもないのだ。
授業で聞いた話によると、魚人族は大抵気性が荒く、排他的な種族であるらしい。
しかも、無断で海に入ってきた異種族を敵とみなして攻撃してくるため、アースには船がほとんどない。
俺とフィルがミーミル大陸からウルズ大陸へ戻る際、海を渡るルートを除外していたのも、これが原因だ。
これだけの情報でも、魚人族がおっかない存在であることは、なんとなく理解できる。
けれど、海辺で遊ぶことすら危ないとまでは思っていなかった。
アースについて、クレールは俺たちより遥かに詳しい。
そんな彼女がここまで忠告するのだから、素直に聞いておこう。
「わかった。とりあえず、海で遊ぶのはナシの方向でいこう」
「むー……」
俺は納得したが、サクヤは納得しきれていないようだ。
そんなに海に行きたいのか。
お前も俺と同じでインドア派だろ。
アースという異世界で積極的にアウトドアしている身ではあるけど、本質までは変わっていないと思うんだが。
「シンくんを水着で悩殺したかったなぁ」
「そっちかよ」
海に行くことじゃなくて、水着を着ることのほうが重要だったか。
というか、俺を悩殺するつもりだったのか、サクヤは。
「シンくんだって、私の水着姿、見たかったでしょ?」
「そ、それは……」
見たいか見たくないかと言われれば……見たいな。
サクヤは胸が少し小さいけど、スタイルが悪いわけじゃあないし。
でも、水着姿を見たいとか、そういうことを素直に口にするのは、恥ずかしいからしない。
俺は硬派なのだ。
「水着姿を見せるくらいなら、宿屋のなかでもできるのではないか?」
「その手があった!」
「いや、ねえよ!」
宿屋で水着姿を見せつけるとか、いかがわしいわ!
試着だっていうならわかるけどさ!
水着になって、なにするつもりだよ!
「えー、でも、宿のなかでならじっくり見れるよ? 公衆の面前では着用できないようなきわどい水着も見放題だよ? まだ買ってないけど」
「い、いらないいらない。そんな、きわどい水着なんて買わなくていいから……」
きわどい水着というのがどれほどきわどいのか物凄く興味あるけど、そういうことを素直に口にするのは、恥ずかしいからしない。
俺は硬派なのだ。硬派……なのだ……。
「んー……シンくんにはまだ恥じらいがあるみたいだね。将来結婚することを誓い合った仲なのに」
「う……そ、その話はここでするな」
そういうことを、人目に付くこんな場所で口にしないでほしい。
一応、その辺の詳しい話は諸々が落ち着いてからにしよう、ということになっている。
それまでは、みんなに内緒でいきたい。
周りの人たちに反対されたり、馬鹿にされたりするかもしれないので、そのあたりもきちんとシミュレートしておきたいのだ。
重婚が法的に可能となって早10年近くが経過している社会であるものの、日本人にとってはまだまだハードルが高い。
慎重に行こう。
「リア充爆発しろ」
と思っていたのに……誰かが俺たちの会話を聞いていたようだ。
俺は憎しみが混じったような言葉を発した人物のほうへと目を向ける。
そこにはダークネスカイザーが立っていた。
「ひ、久しぶりだな、ダーク。元気にしてたか?」
変なところを見られてしまったものの、俺は平静を装いつつ、ダークネスカイザーに声をかけた。
呼び方も、以前に言われた通りに『ダーク』呼びだ。
何気に、宿でこいつに会うのは初めてだな。
いや、厳密には、極まれにすれ違ったりして『なんだあの中二病マスクは』とか思っていたりした。
けど、こうして宿内で話をすることは、今までなかった。
「さっきまで元気だったが、鼻の下を伸ばしているお前を見て、元気がなくなった」
「おいおい……」
久しぶりに会ったダークは、俺たちのやり取りが非常に不愉快だったようだ。
以前から『俺に関わるな』的オーラを振りまいていた奴だが、今は敵意すら感じられる。
「夏休みになったら女子と海に行くだの……水着がどうのと……あまつさえ、将来結婚をすることを誓い合っただと……? お前はこっち側の人間じゃなかったのか……なんか、裏切られた気分だ……」
お前……俺たちの会話をどこから聞いてたんだ?
もしかして、ほとんど聞いてたのか?
しかも、裏切られた気分って、どういうことだよ。
こっち側の人間って、どういう側の人間だよ。
「あ、あー……そういえば、次の地下迷宮のレイドボス戦にお前も参加するみたいだな!」
なんとなく、今の空気はとてもよろしくないと感じた俺は、ダークに別の話題を振ることにした。
「……ん、そうなのか?」
ダークは、大分テンションが低そうにしつつも、俺の話題に食いついてきた。
「そうなのかって……そういう話になったって誰かから聞かなかったのか?」
「聞いてない」
あれ。
どういうことだ。
連絡ミスでもあったか、あるいはこれから連絡がいくのか。
まあいい。
ここで俺が伝えるのでも、特に支障はないだろう。
「まだ本決まりってわけじゃないみたいだが、お前も地下50階層のレイドボス戦のレイドメンバーに選ばれてるぞ」
「そうだったのか……クックック、まあ、どうしても俺の力が必要ならば、手助けしてやってもいいだろう」
ダークはそこで、変な笑い声を発し始めた。
その姿は上機嫌であるように見える。
さっきまでめっちゃテンション低そうにしていたっていうのに、現金な奴だな。
「フッ、相変わらず貴様はチョロイ男だな」
「お前が言うな、クレール」
ダークを見ながら発したクレールの言葉に、俺はツッコまざるを得なかった。
そんなことをしつつ、俺たちはその場で解散し、明日に備えて眠ることにした。
ついでに、これは後日知ったことだが、ダークへの連絡が行われていなかったのは、普通に連絡ミスだったらしい。
なんでも、1年生全員の取り纏め的ポジションにいるユミは、1年1組の穏健派の取り纏め的ポジションにいるカラジマがダークに連絡をすると思っていて、カラジマもまた、ユミが連絡を入れるだろうと思っていたようだ。
こんな行き違いが生まれ、ダークが地下迷宮攻略メンバーに選出されたのを知らなかった一番の原因は……ダークの交友のなさにある。
「お前……もうちょっとみんなと話せよ……」
「うるさい、俺は孤高の存在なのだ。無暗やたらと馴れ合いなんかできるか」
俺の忠告もなんのそのといった様子で、ダークは今日も1人でどこかへ出かけて行った。
レイドメンバーの集会をすっぽかして。
……こんな調子でチームプレイができるのだろうか。
ダークの後姿を見ながら、俺は「はぁ」と軽くため息をついた。