ルルック
アルフヘイムに来てから1ヶ月近くが経過した。
精霊族の魔法兵士とともに、日が暮れるまで鍛練を行い、夜になればアルフヘイム名物の温泉で疲れを癒す。
食べ物も美味しいし、睡眠用のハンモックも寝心地抜群(たまにクレールとエレナが突撃してきたこともあったけど)。
以前に来たときと変わらず、ここでの暮らしは快適だった。
しかし、そんな日々にも終わりはやってくる。
「はうぅ……もうお帰りになられてしまうのですかぁ……?」
身支度を済ませた俺たちに、涙目のエレナがそう訊ねてきた。
「もともと、ここに長居をするつもりじゃなかったからな」
1ヶ月ほどみっちり鍛練した結果、キィスたちは以前よりはるかに強くなった。
完璧ではないが、対魔法戦闘技術も良い具合に習得できた。
まだまだここで学べるものは多い。
だが、いつまでもここで鍛練を続けられるほど、俺たちに時間の余裕があるわけでもない。
キィスたちを育て始めてから、すでに5ヵ月経過している。
すなわち、俺がこいつらと一緒にいるのも、あと1ヶ月程度しかない、ということだ。
俺はあと1ヶ月で、キィスたちをEランク冒険者にしたいと思っている。
Eランクになれば、新米冒険者呼ばわりされなくなるからな。
そのため、俺たちは『スイーヤ』の町に戻る。
アルフヘイムでの生活は快適で、去ろうとするたびに名残惜しく思うけれど、仕方がない。
「シン殿も暇ではないのだ。龍人族の小僧たちを置いていくから、それで我慢するがいい」
と、そこでクレールが前に出てきた。
「ちょうどアルフヘイムにある建築物の修繕をやろうと思ってたから、男手があるのは助かるのよね~」
「お任せください、精霊王様」
「精霊王様のご命令とあらば、我々も全身全霊をかける所存です」
「なんなりとお申し付けくださいませ」
昨日の夜に話し合った結果、三馬鹿連中はここに残ることとなった。
こいつらなら、自力で故郷に帰れる。
どうしても無理そうであれば、龍王から賜ったという『龍王の宝玉』で空間を飛ぶことだってできる。
なので、精霊王はこいつらをこき使うつもりらしい。
龍王と同格の人物による頼み事なので、三馬鹿も無下にはできない様子だ。
一応、こいつらも嫌々残るというわけではなく、それなりの対価をもらって働くらしいけどな。
「それでも、シンさまの代わりにはなりません……」
エレナの表情は晴れない。
三馬鹿が残るのでは、彼女は納得しないようだ。
まあ、どう納得しろっていう話ではあったな。
俺の代わりに三馬鹿連中を置いていったからといって、なにがどうなるというわけでもないだろ、クレールよ。
「エレナ、クレールの言う通り、俺も暇ってわけじゃないんだ」
「はい……わかっております……ですので、これ以上引き留めるようなことは致しません……」
「そうか」
なんだかんだ言いつつも、エレナは聞き分けがいい。
俺のことを慮ってくれるのは、素直にありがたいな、
「ですが、いずれまたお会いしましょう。次にお会いするときは、私も今よりもっと強くなっていますから!」
「…………」
しかし、エレナはまだ、俺のことを諦めたわけではないようだ。
俺の傍にいたいからという理由で、彼女はまだ強くなろうとしている。
強くなること自体は、悪くはない。
だが……やっぱり俺のことは諦めてもらうよう、言っておくべきか。
エレナのことが嫌いなわけではない。
美人さんで、(ちょっと変なところもあるけど)性格も良くて、おまけに胸も大きかったりする。
こんな子に好かれるのであれば、世の男性のほとんどが喜びの念を抱くだろう。
でも、俺にはもう好きな人がいる。
厳密に言うと、それは複数形になるけど、とにかく、彼女たちを裏切るようなことだけはしたくない。
だから、エレナにキッパリと、俺を諦めるよう言おうとした。
「エレナ……あのな――」
けれど、その言葉はエレナに遮られた。
彼女の指先が、俺の唇にそっと添えられる。
「その続きは、また今度にしていただけませんか? もしかしたら、次にお会いするときはシンさまの気も変わっているかもしれませんから」
「…………」
どうやら、エレナは俺が今なにを言おうとしたのか、察したようだ。
エルフ族って、人の心も読めるのか。
いや、違うか。
ただ単に、俺が申し訳なさそうにしているから、彼女になんとなく悟られてしまった、というだけの話だろう。
相変わらず、ポーカーフェイスができない男だな、俺って。
「まあ、エルフの小娘がそう言うのであれば、そういうことにしておいてもよいのではないか、シン殿」
俺たちのやり取りを傍で見ていたクレールが、いつもより落ち着いた口調で、そう言った。
「……クレールはそれでいいのか?」
「いいもなにも、これはシン殿とエルフの小娘の話ではないか」
今まで結構エレナの邪魔ばっかりしてたと思うんだが。
どういう風の吹き回しだろうか。
クレールがなにを考えているのかわからず、俺は首を傾げた。
「しかし、次に会うときは、シン殿は我らしか目に入らぬ男になっているやもしれん。そのことは十分覚悟しておくのだな」
「もしもそうなっていましたら、私も今以上に攻めて、シンさまに私を認めていただきます。覚悟しておいてください」
「相変わらず強気だな、エルフの小娘よ」
「それはお互い様です」
俺が頭を悩ませている横で、クレールとエレナは勝手に話を進めていく。
結局、この2人は仲が良いのか悪いのか、よくわからない。
「あと、そろそろ私のことを名前で呼んでもいいんじゃないですか、クレールさま?」
「なんだ、気にしていたのか。それは済まなかったな、エレナよ」
「……ちゃんと覚えているんじゃないですか」
「記憶力には多少自信があるぞ、ふふん」
「はぁ……まあ、いいです」
けど、仲が悪いってわけではないのだろう。
喧嘩や言いあいはしても、悪意は感じられない。
2人とも、互いを嫌っているわけではないようだ。
「クレール、私にはなにか言葉をかけてくれないのかしら?」
「そうやって、隙あらば胸を揉みにくる者などにかけてやる言葉などない!」
と、そこで精霊王がクレールにちょっかいをかけてきた。
この人はやることがいつも変わらないな。
「むぅ、残念ね~……それじゃ、また遊びに来てね。キィスちゃんたちも、気が向いたらいつでもいらっしゃい。お姉ちゃん、歓迎するから!」
「あんがとな! 精霊王のお姉ちゃん!」
「機会がありましたら、また勉強させてください」
「…………」
「クーリも、『お世話になりました』と言っておりますわ。私も……まあ、いくつか言いたいこともありますが……お世話になりましたわ」
「お達者で、精霊王様」
精霊王が別れの挨拶を告げると、キィスたちはそれに答えた。
いろいろツッコミどころの多い人ではあるけど、みんなが世話になったことには変わりない。
俺も精霊王に感謝しよう。
「キィスたちの鍛練に付き合ってくれて、ありがとうございました。また、遠くならないうちにクレールを連れてここに来ますので、そのときはよろしくお願いします」
「ええ、そのときを楽しみにしてるわね~」
精霊王に向けて、俺は軽く頭を下げた。
そうして、俺たちはクレールの持つ『龍王の宝玉』により、『スイーヤ』の町へと帰還した。
「ん~! 1ヶ月ぶりのスイーヤだけど、けっこう久しぶりに感じるぜ!」
スイーヤの入り口にやってきた。
すると、開口一番にキィスがそう言って、周りをキョロキョロと見回し始めた。
キィスの言う通り、俺たちがスイーヤを離れてから、まだ1ヶ月程度しか経っていない。
それでもここが久しぶりに感じるのだとすれば、アルフヘイムでの暮らしが濃密だった、ということか。
実際、キィスたちは真面目に鍛練を行っていたし、あそこでしか食べられないような果物や野菜なんかもあって、しかも、精霊族という珍しい種族と触れ合ったんだ。
なかなか興味が尽きない1か月間だっただろう。
「そんじゃ、まずはどうする、シンにぃ。このまま狩りにでも行ってみるか?」
「いや、狩りに行く前に、ちょっとやることがある」
狩りをしに行って、キィスたちがどれくらい強くなったかをモンスター相手に確かめる、というのも悪くはない。
でも、それは俺の用事を済ませてからだ。
その間、キィスたちには物資の調達をしてもらおう。
「俺はこれから用がある。お前たちは外に行く準備を整えといてくれ」
「了解だぜ! シンにぃ!」
俺が命令を出すと、キィスたちは町のなかへと歩いていった。
こうして、俺はクレールと2人っきりになった。
「それで、シン殿はこれから、なにをするつもりなのだ?」
クレールが俺に訊ねてきた。
「一度、先生たちに連絡を取る。これをサボると、あとで説教されることになるからな」
「ふむ、なるほど。では、しばらく我は静かにしていよう」
「そうしてくれると助かる」
俺はクレールの配慮に感謝しつつ、メニュー画面を開いて『通話』を開始した。
通話先は早川先生だ。
定期連絡と、アルフヘイムから無事に帰還したことの報告を兼ねている。
「………………あっ、もしもし、早川先生ですか?」
『一之瀬君か。久しぶりだな』
早速、通話がつながった。
こうして話すのも、アルフヘイムへ行く直前ぶりくらいだ。
「なにか、変わったこととかはありませんでしたか?」
『こちらは異常ナシだ。一之瀬君のほうも、声の調子からして、特に問題はなさそうだな』
「まあ、そうですね。順調そのものです」
俺と早川先生は、1ヶ月ぶりに会話を交わしていく。
「キィスたちも、以前よりかなり強くなってますよ」
『それは重畳。なら、これからすぐ、ルルックに行ってみると良い』
「ルルックに?」
『ルルック』といえば、『スイーヤ』から見て北の方角にある街の名だ。
あそこへは、俺も何度か足を運んだことがある。
ここいらでは一番大きい街だったな。
でも、そこへ行ってみろというのは、どういうことだろうか。
キィスたちに都会というものを見させるため、というわけではないだろうし。
『今、ルルックには君と同じ依頼をこなすメンバーが集結している』
「……というと、アギトやねこにゃん、それにクロードがいるってことですか?」
『その通りだ』
俺と同じ依頼をこなしているメンバーといえば、その3人以外にはいない。
アギトとクロードは稀に『通話』をすることがあったし、ねこにゃんとは2ヵ月くらい前に顔を合わせたりしていた。
でも、全員が集まって直接話をするのは、これまでで一度もない。
あいつらが育てている冒険者がどれほどのものか見てみたい気もするし、ちょっと行ってみるか。
「面白そうですね……わかりました。準備を整え次第、俺たちもルルックに行ってみます」
『そうか。では、ルルックで龍宮寺君たちと無事に再会できたら、また連絡を入れるように』
「はい」
早川先生からの指示を受けつつ、俺は内心でワクワクしていた。
こうして、俺たちはルルックへと行くことに決定した。