快方
アルフヘイムに来てから2週間ほどが経過した。
ここでの俺たちは、鍛練漬けの充実した日々を送っていた。
「エマ。最近お前、咳き込むことが少なくなったよな?」
そんなある日。
昼食を取り終え、そろそろ鍛練を再開しようかというところで、キィスはエマに、体調についてを訊ねだした。
「やっぱり、キィス君もそう思う?」
どうやら、エマも自分の体調が良くなっていると自覚していたようだ。
エマのことは俺も気にかけていたけど、咳をする回数が減ったかどうかについてまでは、よく見ていなかった。
そんな微妙な違いに気づくとは、さすがはエマの幼馴染みと言うべきか。
「なんでかな」
「空気が澄んでるから……とかか? よくわかんないぜ」
確かに、森に囲まれたアルフヘイムは、空気が綺麗だ。
だが、始まりの町である『ミレイユ』の周辺も、そこまで悪い環境というわけではない。
今まで患っていた病を短期間で改善させるような要因には、なりえないように思う。
「他に最近変わったことと言えば……俺と一緒に寝なくなったことくらいか?」
腕を組みながら、キィスはそう口にした。
アルフヘイムでの俺たちは、男女別々の部屋で寝泊まりさせてもらっている。
時々、キィスが抱き枕代わりを欲しがって、俺やリオのベッドに潜り込んできたりすることはあるけど、女子部屋にまではさすがに行っていない。
なので、異性同士であるキィスとエマが一緒のベッドで寝ることも、ここ最近はなかったはずだ。
だけど……。
「そのことは……多分、咳の件とは関係ないと思うよ」
エマの言う通り、キィスと同衾しなくなったくらいで体調が改善されたとは思いづらい。
そもそも、エマの咳はもっと小さい頃から出ていたらしいから、キィスは関係ないだろう。
「……まあ、寝不足になることは減ったかなって思ったりはするけど」
「寝不足?」
「な、なんでもないっ」
「???」
エマは慌てるような素振りを見せつつ、キィスに向かって「本当……なんでもないからっ」と言い続けた。
その様子だと、なにかあるんじゃないかと疑ってしまうな。
しかし、キィスのほうは特に疑うこともない様子だから、俺からはなにも言わないでおこう。
「ま、エマが元気になってくれるなら、なんだっていいや」
「……ごめんね。私の体が弱いせいで迷惑かけちゃってて」
快活な笑みを浮かべるキィスとは対照的に、エマは申し訳なさそうな表情を作り出した。
「迷惑だなんて思ってねえって」
「でも……キィス君にはいつも面倒を見てもらってるし……」
「んなもんお互い様だぜ。俺だって、エマにはいっつも面倒見てもらってるし」
「キィス君……」
……なかなかやるな、キィス。
落ち込んでいた様子のエマを、あっという間に笑顔にするとは。
「これからも頼りにしてるぜ、エマ」
「それなら……これからもキィス君のこと、頼っちゃおうかな?」
「おう、いいぜ!」
なんだかんだで仲良いな、この2人。
幼馴染みというより、もはや夫婦的な空気だ。
もう結婚しちゃえよ。ひゅーひゅー。
「……ん?」
2人を見て軽い嫉妬心を感じていると、エマは三つ編みににした赤髪の先を指でいじりだした。
そこで俺は、エマの耳たぶに、可愛らしい装飾の施されたイヤリングが付いていることに気づいた。
「エマ、そのイヤリングはどうしたんだ?」
イヤリングに見覚えがなかったので、俺はエマに訊ねた。
「これは、精霊王様からいただきました」
「精霊王から?」
「はい」
なるほど。
あの人なら、こういった装飾品を持っていても、不思議ではないな。
「あ……すみません。やはり、高価そうな物をいただくのは……よくなかったですよね」
「いや、貰ったことは別にいい」
イヤリングではないけど、俺やフィルも、スキルや物を貰ったことがある。
精霊王は人に贈り物をするのが好きな性質なんだろう。
「いつから付けだしたんだ?」
「このイヤリングは、アルフヘイムを訪れてすぐの頃にいただいたいて、それ以来ずっと付けていたのですが……」
「え、そうだったのか?」
「はい……気づいてなかったんですね……」
「ま……まあな……」
そんな前から付けてたのか。
些細な変化だから、気づかなかった。
しかしだ。
別に俺は、エマを適当に見ているわけじゃあないぞ。
魔法はまだまだだが、魔術のほうは、アルフヘイムに来てからというもの、一段と磨きがかかったなと思ってるし。
「シンにぃって、変なところで抜けてるよな」
キィスから駄目出しされてしまった。
うるせえやい。
俺はそんな細かいことを気にしない男なんだよ。
「でも、キィス君も私がイヤリングをしていることに、今までなにも言わなかったよね?」
「なんか言ったほうが良かったのか?」
「……もう! キィス君ったら! 知らない!」
「えぇ……?」
機嫌を損ねたのか、エマはそっぽを向いて、キィスから離れるように歩いていった。
さっきまで、随分と仲良さそうにしてたっていうのに。
女心はよくわからないな。
「なんだよ、エマのやつ……シンにぃ、俺、なんか変なこと言ったか?」
「さあ?」
俺とキィスはエマの後姿を見ながら、女心の複雑さに頭を悩ませることとなった。
「…………」
と、そんな俺たちに、クーリが視線を向けていた。
「なんだ、クーリじゃんか。俺らの話、聞いてたのか?」
キィスが訊ねると、クーリはコクコクと首を縦に振った。
どうやら、俺たちの会話を聞いていたらしい。
そうならそうと言ってくれればよかったのに。
あ、そうだ。
「クーリは、エマが怒った理由とか、わかったりするか?」
俺はクーリに訊ねた。
すると、彼女はこの問いにも首を縦に振った。
「ホントか。んじゃあ教えてくれよ。このままじゃあ鍛練に集中できないぜ」
「…………っ」
キィスはクーリの傍に寄り、耳を向けた。
だが、その耳に向かって声を発する気配が、クーリにはない。
彼女は難しい表情を顔に浮かべ、俺とキィスを見比べていた。
そういえば、クーリは最近、キィスに耳打ちをしてないな。
どういう心境の変化なのかはしらないけど、そういうことなら、俺に耳打ちしてもらおう。
「ほら、クーリ。俺にだったら言えるか?」
「…………っ…………っ」
こうして、クーリの目の前に、俺とキィスが並んで耳を傾けるようなかたちとなった。
「どうした。早くしてくれ」
「俺とシンにぃ。どっちに言ってもいいぜ?」
「…………っ…………っ…………っ!」
クーリは俺とキィスを交互に見た。
そして、なぜか彼女は赤面し、エマが去っていった方向へと走っていった。
「……シンにぃ。俺らって、クーに嫌われちゃったのかな?」
「さぁ……」
俺とキィスは、再び頭を悩ませることとなった。
翌朝、俺は精霊王のもとを訪れた。
「あのイヤリングは所有者の保有するマナを空気中に散らせる効果があるのよ」
そこで、エマにあげたというイヤリングについて訊くと、精霊王はそんな答えを返してきた。
「……なんで、そんなものをエマに渡したんですか」
マナとは、魔法などを行使する際に必要とするエネルギー、すなわちMPのことを指す。
そして、精霊王がエマに渡したイヤリングは、そのMPを空気中に散らすという。
普通に考えて、それは無意味。
というか、マイナスにしか作用しないアイテムのはずだ。
「シンちゃんは気づいてないみたいだけど、エマちゃんの魔術師適正は凄く高いわよ。それも、自身の身を蝕んでしまうほどね」
「? それは、どういうことですか?」
俺は精霊王の説明を聞くことにした。
「エマちゃんは体内でマナを生成するのが凄く早いみたいなんだけど、まだ幼いせいで、体内にマナを蓄積できる量が少ないのよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。それで、小さい器からあふれ出したマナは、器そのものに悪影響を与えてしまうの。普通なら、生成しすぎたマナは自然に体の外へ排出されるんだけど、その能力もエマちゃんは弱いのよね」
「…………」
どうやら、精霊王はエマの抱える問題を理解しているようだ。
エマにそんな欠陥があったなんて、俺は知らなかった。
おそらく、エマ自身やキィスなんかも、このことは知らないまま生きてきたのだろう。
「だから、私はエマちゃんに『マナ散らしのイヤリング』をあげたのよ。あれさえあれば、あの子が抱える問題を解消できるでしょうからね」
なるほど。
あのイヤリングは、エマにとって、作りすぎたマナを外へ排出するアイテムなのか。
「最近、エマちゃんの体調も良くなってきたんじゃないかしら?」
「…………」
俺は精霊王の問いかけを受け、肯定するように頷いた。
普段は馬鹿なことを言っている人なのに、さり気なく、こういったことをやってのけるから油断できない。
もともと、凄い人であることは確かなんだから、いまさら関心されるのは心外かもしれないけど。
「ありがとうございます、精霊王。エマをここに連れてきて、本当に良かったです」
「御礼はいらないわ。どうせ、あのイヤリングは私にとって無用の長物だったわけだし」
精霊王はそこで、軽く微笑を浮かべた。
「にしても、あれほどの逸材をよく見つけてきたわね。あの子の将来が楽しみだわ」
「…………」
さっきも精霊王は褒めていたけど、エマってそんなに凄い素質を秘めているのか。
アース人の基準がどうなのかはよくわからなかったから、今まであんまり気にしてなかったぞ。
「逆に、リアナちゃんは、ちょっと才能に恵まれなかったようね。そのほうが私も教えがいがあるから、いいんだけど」
エマは高評価なのに対し、リアナの評価は低いんだな。
まあ……リアナはエマと比べると、成長具合が悪い印象はある。
魔術師と僧侶を純粋に比較できるものではないから、あくまで、なんとなくではあるが。
「マナの最大蓄積量は高いけど、僧侶なのに精神が脆弱なのがネックね~」
精霊王はため息をつきながら、そう言った。
つまり、MNDが低いってことか。
それは確かに、この世界の僧侶としては致命的だな。
「精神が脆弱なのは先祖代々の傾向なのであろうから、あまり言ってやるな、アリアス」
と、そこで突然、クレールが姿を現し、俺たちの会話に交じってきた。
「聞いてたのか」
「うむ。本当はシン殿を待っていたのだが、なにやら興味深いことを話していたので、会話に参加させてもらうことにした」
興味深い?
俺は首を傾げ、クレールに話の続きを催促した。
「リアナ・ディス・フレイアの先祖であるリアーネ・ディス・フレイアも、普通の僧侶にはない特性を秘めていた」
「特性って、精神の脆弱さのことか?」
「いかにも。300年前にリアーネと出会ったときは、こんな僧侶が存在していたのかと、我も自分の目を疑った」
300年前か。
随分昔の話を持ち出してきたな。
僧侶であるにもかかわらず精神が脆弱ということは、もしかしたらその人は俺と同じ、ダメージヒールの使い手だったのかもしれない。
「リアナはその人の血を受け継いでいるから、僧侶として恵まれていないってことか」
「まあ、さすがにリアーネと比べたら、あのリアナという娘は僧侶として恵まれた資質を持っている。平均的な僧侶と比べたら見劣りするかもしれんが、それも装備類で十分補強できている。気にするほどでもあるまい」
ふむ。
そういうことなら、あまり気にしなくてもいいか。
実際、リアナの回復魔法は実戦に耐えうる。
装備品によって実用可能な領域に底上げされているという点は少し引っかかるが、まあいいだろう。
「それはそうと、シン殿。そろそろ朝食を取りにゆこう」
「ん、ああ、わかった」
クレールは俺を朝食へ誘いに来たのか。
なら、素直についていくとしよう。
腹も空いてるしな。
ちなみに、不死族は食事をしなくてもいいらしい。
だが、食事という行為が無駄であるわけではなく、僅かばかりではあるものの、エネルギーの補充にはなるとのことだ。
クレールの場合は、その程度でエネルギーが十分に補充できるわけもなく、みんなで食べるのが楽しいから食べているそうだけど。
「今日は我の隣で食すのだぞ! エルフの小娘や冒険者の小僧たちがなにを言っても譲らぬからな!」
「はいはい」
相変わらず、クレールは俺に構ってほしいようだ。
だったら、俺も盛大に構うことにして、彼女の嫌いな豆料理をアーンしてやろう。
俺は心の中でそんな悪だくみをしながら、クレールへ慈愛に満ちた瞳を向けたのだった。