三連発
サクヤが俺を呼んだ。
「サクヤ……」
いつの間にか闘技フィールドにまでやってきていたサクヤを見て、俺はいたたまれない気持ちになった。
フィルの言葉を聞いた時、俺は悩んでいた。
本当なら「俺のことはもう諦めろ」と言って冷たく接するのが最も優しい対応なんだろう。
けれど俺はそう言えなかった。
サクヤの恋人であるのに、俺はフィルの言葉を否定できなかった。
彼氏失格だ。
今までサクヤの彼氏としての心構えをしていたはずなのに、フィルからこんなことを言われただけで揺らいでしまう。
本当に俺は駄目駄目だ。
これからはサクヤ一筋だとほざいておきながら……この有様だ。
今の心情を彼女にだけは知られたくない。
もはやこの場から逃げ出したい。
そう思った俺はサクヤから視線をそらし、顔を俯かせた。
「シンくん、顔を上げてくれるかな?」
だが、サクヤがそう言うので俺はすぐに顔を上げる。
顔を上げたはいいが、俺の目は相変わらずサクヤを見られない。
こんな状態では、サクヤと目を合わせることなんてできるわけがない。
「……そっか。うん、そうだよね。うん、わかった」
「…………?」
そんな俺の様子を見てか、サクヤは意味深なことを呟いて、数歩分ほどこちらに歩いてきた。
「やっぱりシンくんは私以外にも好きな子がいるんだね?」
「ち、ちが――」
「隠さなくてもいいよ。今のシンくんを見ればそれくらいわかるんだから」
「…………」
サクヤは俺の心を読めるようだ。
確かに、俺はフィルのことを好きだと思っている。
それも多分、サクヤと同じくらい。
だからこんなに胸が苦しいんだろう。
だからフィルに好意を寄せられて嬉しいと思っているんだろう。
けれど、それはもうあってはならないことだ。
だって俺はサクヤの――
「シンくん、別れよう」
「…………え?」
俺が何も言えずにいると、サクヤは俺と別れると言い出した。
優柔不断な俺に愛想が尽きたのか。
そりゃそうだよな。
彼氏が他の女に気を取られたら、サクヤだって嫌だよな。
「ああ、別にシンくんが嫌いになったとかそういうわけじゃないからね。……あ、か、勘違いしないでよねっ!」
「いや……別にツンデレ口調で言わなくてもいいが」
なんだか茶化した言い方だが、サクヤは俺に愛想を尽かしたとか、そういう理由で別れを切り出したのではないらしい。
だとしたら、どうして別れるだなんて言い出したんだ。
「サクヤ……なんで俺たちが別れないといけないんだ?」
「だって、シンくんが苦しそうなんだもん。なんていうか、今のシンくんは見てられない」
「う…………」
やっぱり俺って考えていることが顔に出やすい性質なんだろうか。
サクヤに別れを切り出させるような表情ってどんだけだ。
「本当はシンくんに誰か好きな子がいたとしても、付き合っているうちに私を一番好きになってくれれば良いやって思ってたんだ。でも、シンくんがずっとつらいと感じるなら私は別れるよ……すごく勿体ないことしてるって自分でも思ってるけど」
「サクヤ……」
つまり、サクヤは俺のためを思って別れを切り出してくれたのか。
なら、ますますサクヤに申し訳が立たない。
俺っていう奴は彼女に何を言わせてるんだ。
「それに……やっぱり今回のは自分でもずるかったなって思ってたんだ」
「……ずる?」
「フィルちゃんやクレールさんを差し置いて……シンくんが私を心配しているところに付け込んで、私を彼女にしてもらったこと。私ね、経緯はどうであれ、シンくんは恋人になったら相手を一番に考えてくれるって予想してたんだ。で、それは見事的中したね。相変わらず私のシンくんに対する観察眼は鋭いよ、うん」
「…………」
なるほど。
確かに、俺とサクヤが恋人になった経緯はちょっと問題があった。
俺がつい言ってしまったことであるので非は全て俺にあるのだが、サクヤは勢い任せの俺に乗っかって――言い方が悪いが、フィルやクレールを蹴落としたんだ。
たとえお試しであろうと、条件を提示して付き合うという結果に落ち着こうと、サクヤからすればそれは全て同じことだった。
俺は一度つき合ったらそいつを大事にすると思っていたからこそ、あんな無理やりな告白でさえ喜んでいたのだろう。
しかし、俺が苦しんでいるのを見て、サクヤは別れるという決断に至った。
好きな子を未だ一人に絞れなかった情けない俺のために。
「で、でもシンさんはオレじゃなくてサクヤさんを選んだわけで……シンさんはオレなんて……眼中にないわけで……」
「そんなことないよ。だってシンくんは前からフィルちゃんのことが好きだったんだから」
「え……?」
「でしょ? シンくん」
「う…………」
サクヤの問いかけられて、俺は言葉を詰まらせる。
彼女は一体どこまで俺の心理を把握しているんだ。
「正直に言っていいよ。私はシンくんの彼女をもう辞めたんだから」
「……言えるわけ……ないだろ」
「それは肯定って意味だよね? フィルちゃんのことが本当は好きなんだっていう」
「…………」
本当に……申し訳が立たない。
俺はサクヤに頭を下げた。
「ごめん……サクヤ……ごめん……」
「いいんだよ、シンくんが謝ることなんて何もないよ」
俺はサクヤに謝罪の言葉を口にする。
するとサクヤは俺の肩に手を添えてきた。
「まあ……そういうわけだから。シンくんは今日からまたフリーだよ、フィルちゃん」
「さ、サクヤさん…………」
そしてサクヤはフィルに声をかけ、俺と完全に別れたということを伝えていた。
「い、いいん……ですか……だって……だってサクヤさんは……ずっとシンさんのこと……」
「それはフィルちゃんもでしょ。まあ、好きな期間は私の方がずっと長いだろうけど?」
「む…………」
サクヤの言葉を受けてフィルがムッとした表情を作り出した。
フィルも俺との付き合いは結構長いからな。
もしかしたら対抗意識を燃やしたのかもしれない。
「あと、もう一つ勘違いしないでほしいんだけど、私はシンくんを諦めたわけじゃないからね? ただ正式な順序を辿ってシンくんに私を好きになってもらうつもりなんだからね?」
「わ、わかって……ます……サクヤさんは……オレのライバル……ですよね……?」
「うん。まあそういうこと」
ライバル、か。
前まではちょっとだけ仲の良い先輩と後輩ってくらいの関係だったが、ここからサクヤとフィルは対等な関係として認め合ったってことなんだろうか。
彼女たちが喧嘩とかをしないっていうのなら、俺としては嬉しい限りなので口を挟まないでおこう。
「……でも、ちょっとくらいアドバンテージがあってもいいよね?」
「……? サクヤ、それはどういう――!?」
だが、サクヤが意味深な言葉を呟いたのを見て俺は訊ねようとすると……そこで彼女にキスされた。
唇と唇が触れ合うだけの軽いキス。
そんな優しい口づけをしてきたサクヤは頬を赤らめつつ俺から離れて笑顔を作った。
「以上、勝利の女神の口づけでした! 恋人関係が解消されてもこの約束は有効だよね?」
「…………」
……へえ。
そういうことか。
確かに、優勝したらキスをしてほしいという約束は、厳密には恋人関係でなくても成立する。
サクヤに一本取られたな。
おかげでますますサクヤのことが好きに――
「シンさん」
「……あ、えっと、ふぃ、フィル……これはだなって――んぐっ!?」
そしてジト目で見つめてきたフィルに対し、これはマズイと思い直してあたふたしていると、そこで彼女からも唇同士のキスをされた。
これには流石に気が動転する。
サクヤからのキスによって既に締め付けられていた俺の心臓が警鐘を鳴らしていて苦しい。
「これでイーブン……です」
「や、やるね……フィルちゃん……」
フィルとサクヤはニヤリと笑みを交わしあっている。
つまり、フィルはサクヤと張り合って俺と……キスしたってことなのか。
一度に2人の女の子からキスをされるなんてな……
嫌なわけではないけど。
むしろ嬉しいと思ったりするけど。
でもそれってどうなんだよ、社会的に考えて。
俺たちを観客が見てんですけど。
審判もすぐ傍で苦笑いを浮かべちゃってるんですけど。
明日からどの面下げて町の中を歩けばいいんだよ。
「シン殿。チュッ」
「…………」
俺が周囲に目を向けて別の意味で焦っていると、突然クレールが現れてキスをしてきた。
「ってなんでだよ!」
「ええ!?」
大きな声で俺がツッコミを入れると、クレールは目を見開いて驚いたというような表情を作った。
「なにいきなり俺にチューしてんの!?」
「えっ」
「えっ、じゃねえよ! なにナチュラルに今の流れに乗ろうとしてんだ!」
「だ、だってサクヤ殿とフィルがシン殿にキスをして我だけナシというのはずるいであろう?」
「ずるくねえよ! っていうかお前どこから出てきた! さっきまでお前いなかっただろ!」
「そ、それはさっきまでシン殿の陰に潜んでいたからに決まっているだろう。なんだかんだでそこが観戦するのに最も適しているからな」
クレールはしどろもどろになりながらも俺の疑問に答えてくる。
ここにいる理由もいきなりキスをした理由もとりあえずわかったけど、でもここでダメ押しのキスはないだろう。
心臓は相変わらずドキドキしっぱなしだし、サクヤとフィルが「クレールさんもか……」とつぶやいてライバル認定している雰囲気だし。
それになにより会場の空気が怖い。
観客席にいる俺たちの事情を知らない連中はサクヤとのキスを見て大いに盛り上がりを見せた。
また、そこから更にフィルとのキスが加わって「二股か!?」というような声が上がり、先ほどとは違った意味で盛り上がっていた。
だがクレールとのキスにまでなると「あ、なんだハーレムか」というような視線となって途端に空気が冷めだした。
俺たちは観客の前でイチャイチャしすぎた。
もうさっきとは別の意味で逃げ出したい。
「はぁ……あんたたちは一体何をやってるのよ」
「お、おお……ミナか」
そんな俺たちのところへミナも駆けつけてくれた。
多分サクヤを追ってきたんだろうな。
「……で、この状況をあなたたちはどうやり過ごすつもり?」
「どうって聞かれてもな……」
観客席にいる連中はもう「ハーレム野郎! 死ね!」だの「美少女に囲まれて羨ましすぎるだろ!」だの「爆発しろ!」だの「ミナさん僕の方を向いてくれ!」だの言いたい放題である。
いや、最後の奴はどうでもいいな。
「……とりあえず逃げるか」
「え、表彰式はどうするの?」
「そんなの知るかよ。俺は戦って勝てたらそれで十分だ!」
俺はこの場からトンズラすることに決めて走り始めた。
「あ! 待ってよシンくん!」
「お、オレも付いていきます!」
「なんだ、慌ただしい。我はもう少しのんびりしたいのだが」
「そんなこと言ってると置いていくわよ!」
そして俺の後ろから4人の少女たちがついてきた。
1人偽少女がいるが、まあそれはどうでもいい。
こうして俺はサクヤと別れた。
日数で見ると一週間にすら満たない恋人期間であり、俺の恋愛に関する駄目っぷりが露わになった。
しかし、その過程でサクヤやフィルの思いを十分に知ることができたし、俺も彼女たちをどう思っているのかを知ることができた。
俺はサクヤもフィルも好きだったんだ。
……それに多分、クレールも。
こんなことを自覚した俺は、この先純愛ができるのかと危惧しながらも、周囲から罵詈雑言とゴミの雨をくらいながらも、彼女たちのことを思って口を緩ませつつ決闘会場から走り去ったのだった。