唐突な出会い
みんなと食事をとり終えた俺は寮に戻るまでの間を桜とゆっくり過ごそうとして、2人で学園内の敷地を歩いていた。
今日は昼間以降から桜とずっと一緒に行動している。
なんというか、やっぱり2人で時間を共有するということは恋人として大切だと思ったからだ。
それに桜と一緒にいると嬉しいし、おそらくは桜の方もそんな気持ちなんだろう。
まあ向こうは前からだったのかもしれないけど。
「真くん」
「なんだ?」
「手、繋いでいい?」
「ああ、いいぞ」
隣を歩く桜は俺を上目使いで見つめながら可愛らしいお願いをしてきた。
なので俺はそれに軽く頷いて彼女の手を取る。
「こんなことはわざわざ聞かなくてもいいから」
「そう? じゃあ今度からはお言葉に甘えちゃおうかな」
そして指を絡ませあって恋人繋ぎの形を作った。
もう桜とはこうしているのが自然なような感じがする。
アースでのことを含めてもまだ2日程度しかしていないはずなのにな。
とはいっても、桜の手を握ると相変わらず動悸が早くなる。
手のひらも緊張で若干汗ばんでいるだろうし、この行為そのものに慣れるのもまだまだ先のことになりそうだ。
「真くん」
「なんだ?」
「私、今すごい幸せだよ」
「そっか」
「俺もだよ」とか言い返してやろうかと思ったけど、そこまでバカップルとして振り切れていない俺にとってその言葉を吐くのは恥ずかしい。
さっきみたいに他の連中の前で惚気られでもしたら俺の羞恥心が暴走しかねないしな。
「……っ……えへへ……」
「…………」
でもその代わり、桜と繋いだ手に少し力を込めることで今の気持ちを表現してみる。
すると俺の気持ちが伝わったのか、桜がふにゃっとした笑みを浮かべて俺の肩にすり寄ってきた。
なんか、とても可愛い。
自分の彼女になったからという補正が掛かっているのかもしれないけど、今の桜はとても可愛く思えてしまう。
前までは愛が重いとか思っていたはずなのに、今の俺なら彼女に何をされても嬉しいと感じてしまうような気さえしてくる。
「真くんは自分に彼女ができたらどんなことをしたいとかって考えたことある?」
「あるにはあるけど、そう言う桜の方はあるのか?」
「うん、勿論あるよ。真くんと付き合ったらしたいってことが私には沢山あるんだ」
俺と、ねえ。
まるで桜は俺以外を彼氏として認めないというような言い回しだ。
「どんなことをしたいんだ?」
「えっとね、まずは手を繋いだりお喋りしたり、デートとかしたり食べ物をあーんってしあったり……」
「それ全部やってるな」
何気に桜のしたいことがささやかで俺は少し驚いた。
桜はなんていうかこう、もっと危ない思考の持ち主だと思ってたからな。
彼氏と文字通り24時間行動を共にするとか、彼氏を他の女に近づけさせないとか、そういうことをしそうと考えたりしてちょっと怖がってたんだが。
しかし、今のところそういう俺の行動を束縛するようなことを彼女は一切してこない。
元々そういうことはしないというようなことを言っていたけど、まさかそれが本当のことだったとは。
それに加えて、今の桜は精神的にとても安定しているようだ。
時折俺を驚かすようなことをするけど、それも常識の範囲内に収まっている。
多分俺が彼氏になる前は軽い情緒不安定な状態だったんだろう。
「あとは……キス……とかもしたいなあ」
「それは……後のお楽しみだな」
俺たちがキスをするのは大会で優勝したあとにということで、すでに確約がなされている。
桜にとっては歯がゆいかもしれないけど、大会があるという話を思い出した時にちょっとだけ抱いてしまったロマンなのだから仕方がない。
自分の女に勝利を捧げてキスしてもらうとかいうシチュエーションに俺は憧れた。
だからこんな回りくどいことをしているわけだ。
それにこれは一種の儀式だ。
桜の彼氏であるという自覚を持ち、彼女だけを愛することできるような男になるための通過儀礼みたいなものと言える。
この戦いで俺は全ての未練を断ち切るつもりだ。
そんな内心を悟られぬよう、俺は彼女に不敵な笑みを向ける。
「待ってろよ桜。サクッと優勝してお前のもとに駆けつけてやるからな」
「……うん……期待してるね」
そうして俺たちは握る手により力を込めあって軽く微笑み合う。
「あっ……」
……そんな俺たちの前に――フィルが通りかかった。
「「…………」」
「…………」
俺たちの間に数秒ほどの空白が生まれた。
彼女もここの学校の生徒であるのだから、学校の敷地内で偶然会ったとしても驚くことではない。
しかし俺はフィルとこのタイミングで会うことに居心地の悪さを感じてしまい、表情を若干強張らせてしまう。
フィルにも桜との関係をちゃんと言うつもりでいた。
だがそれはアースに戻って決闘大会を終えたところで言おうと思っていたため、今は心の準備がまだできていない。
「……よ、よう、フィル。こんばんわ」
「……こんばんわ、フィルちゃん」
「…………ども」
フィルは俺たちのぎこちない挨拶を見てか訝しむような目をしながらも頭を下げてきた。
「…………」
そしてフィルは俺と桜の間にある手――俺たちが手を繋いでいることに気づいたらしく、一瞬ピクッと体を震わせた。
……察しのいいフィルのことだ。
もしかしたらこれだけで何があったのかを気づいたのかもしれない。
「え……と……シンさん……つまり……そういうこと……ですよね……?」
「あ、ああ……多分フィルの考えてることで大体あってる……」
「そ、そう……ですか……」
「…………」
「…………」
「…………」
俺たちはその場で黙りこくった。
正直なところ、フィルやクレールに今後どう接したらいいのかわからない。
彼女たちは俺に好意を寄せてくれていた。
けれど俺は彼女たちではなく桜と付き合っている。
だったら俺は今後、彼女たちとの付き合いを減らしたほうが良いのだろうか。
それが彼女たちを傷つけない最良の選択肢なのではないだろうか。
フィルは俺の大切な友達だが、俺が桜と仲良くしているところなんて彼女も見たくはないだろう。
こう考えると、ここで多くを語ることなくフィルと別れた方が良いような気がしてくる。
「よ……よかったじゃないですか! お、おめ……でとうございます! サクヤさん!」
「あ……う、うん。ありがとう」
そんなことを考えているとフィルは桜に祝福の言葉を送った。
気丈にふるまっている様子ではあるものの、フィルの声は震えている。
多分彼女は俺たちを慮って無理をしているのだろう。
俺より年下なのに、本当にできた子だ。
「そ、そういうことなら……お、オレは退散しますので……あとは……ごゆっくり……」
「ふぃ、フィル…………」
俺が声をかけようとするものの、その前にフィルは再び頭を下げて寮の方へと走り去ってしまった。
最後に顔を上げたフィルの目には涙がにじんでいたように見えたのは俺の見間違いだろうか。
多分違うんだろうな……
「真くん……」
「桜が気にすることじゃないからな」
「あ……」
か弱い声を漏らす桜の手を俺はギュッと握りしめる。
これはいずれ通らないといけない道だったんだ。
そして桜やフィルには何の非もない。
だから俺は桜の手を強く握り、その場をあとにするべく歩き始める。
「この先の庭にベンチがあるから、そこでしばらく涼んでいかないか?」
「うん……そうだね」
俺たちはフィルが去った方角に背を向けて歩きつつ、寮の門限までの時間を2人で過ごすところを決めた。
今はもう6月だ。
蒸し暑くなり始める季節の中、俺たちは心地良い夜風を肌で感じつつ、星の見えない夜空を眺めながらフィルとの一件で心の中にしこりを抱いたのを誤魔化すかのようにお喋りを始め――
「おい! お前!!!」
「…………?」
そこに一人の中学生男子が現れた。
そいつと地球で会うのは初めてだし、久しぶりに顔を見たということで一瞬誰だかわからなかった。
しかし、年上相手にでさえこうも生意気な言動ができるガキンチョは俺の記憶の中でも数えるほどしかいなかったのですぐ思い出せた。
「……いきなりなんなんだよ、キョウヤ」
目の前にいる中学生は入学式の日に俺たちとパーティーを組んで色々教えこんだ戦士職のキョウヤだった。
今のキョウヤは学生服に身を包んでいるが、生意気そうな顔つきはここでも変わらない。
「なんなんだも何もあるか! お前、八重に何したんだよ!」
「…………」
どうやらキョウヤは八重……フィルの件で俺のところに来たみたいだ。
「ちょっ……ちょっと山田くん……先輩に対しての聞き方じゃないよ」
「うっせえ! 綾瀬は黙ってろ!」
更にそこへキョウヤを追いかけてきたらしき中学生女子――キョウヤたちと一緒のパーティーを組んでいたアヤがやってきた。
こいつらはフィルと同じクラスだ。
だからフィルと今までもそれなりに交友があったのだろう。
「……とりあえず私が話すから山田くんは黙ってて。いいね?」
「ぐ……」
そしてキョウヤはアヤの視線を受けてたじろいでいる。
こいつは今もアヤに手綱を握られているようだな。
「突然すみません。えっと、お久しぶりです、シンさん、サクヤさん」
「あ、ああ、久しぶり」
「うん、久しぶり」
キョウヤが静かになったところでアヤが俺たちに挨拶をしてきたので、俺たちもそれに返事をする。
「で、だ。お前たちがここに来たのは……フィルについてなんだよな?」
「は、はい……さっき八重ちゃんとすれ違ったんですが……あの子、泣きながら走ってっちゃって……」
「…………」
泣きながら……か。
やっぱり俺が見た最後のフィルは泣いていたんだな。
「それで……それを見た山田くんが八重ちゃんの来た方角に走ってって……」
「……走った先には俺たちがいた……と?」
「はい……」
なるほど。
大体の事情は分かった。
「お前が八重を泣かせたんだろ! だったら俺は許さないぞ! 八重は俺らの仲間なんだかんな!」
仲間、か。
キョウヤの口からそんな言葉が出てくるとはな。
初めて会った時のことを思い出すと考えられないようなセリフだ。
なんだかんだでこの二ヵ月の間にフィルはこいつらとそれなりに友好関係を深めていたということか。
口ベタなフィルにしては良くやったな。
本当……よくやった。
「……なあ、悪いんだが。フィルのことはお前たちに任せられないか?」
「はぁ!? お前何言ってんの! お前が八重になんか嫌がらせしたんだろ! だったらお前が謝るのが筋ってもんだろ!」
キョウヤも言うようになったな。
こんな場面じゃなきゃ「それをお前が言うか」となじってやったところだ。
けれど今回の俺にそんな権利などない。
「頼む」
「う……な、なんだよお前。気持ち悪いな」
キョウヤは頭を下げた俺に失礼な感想を述べてきた。
俺がこんなことをするだなんて思わなかったんだろう。
だが今回はこうする他ない。
恋人のいる俺がフィルを慰めることなんてできやしないんだから。
「今の俺がフィルに会っても逆効果になる。尻拭いをさせるようで悪いんだが、どうか引き受けてくれ。このお礼はアースでいくらでもするから」
「意味わかんねー……もっと俺らにわかるよう説明――」
「……わかりました。行こう、山田くん」
「は!? え、ちょ、え? えぇ……」
キョウヤは全然わかっていないようだが、俺の態度を見てアヤの方は何があったのかを察してくれたらしい。
アヤはキョウヤの手をとって俺たちの前から去っていった。
「……これでよかったんだよな」
「…………」
俺の呟くような問いかけに桜は何も答えない。
ただ桜はずっと俺の手を強く握り、黙ってキョウヤたちの去る姿を見つめているだけだった。
この後の俺はフィルとの仲もこれで終わりなのだろうと思い、寮に戻ってからもしばらく落ち込んだ。
だがフィルとの関係は月曜日に開かれた決闘大会で大きな変化を迎えることになった。